その③



 街に出かける当日。

 教会で昼食を取り、私はばや身形みなりを改めた。

 以前のように、派手なオレンジの服を選ぶなどというこうは犯さず、着慣れたまるえりのブラウスに、落ち着いたデザインのフレアのスカートを合わせた。

 レイスの方も変わらずシンプルなベスト姿だったが、それでも見目がいいから、一級品を身に纏っているように映るのが腹立たしい。

 そんな彼の首には、きちんと精霊水晶がさげられていた。もらってから片時も離さず身につけているようだ。濁りなどは見えないので、やはり昨日は見間違えたのだと再かくにんする。

 空は連日の快晴で、髪をすくう風はここいい。

 暖かい日差しを浴びて、私たちは教会を後にした。


 ──街に出れば、にぎやかな音と光景が一気に流れ込んでくる。

 常にせいひつな空気がただよう教会内とは違う、そのそうぞうしさが私の心をはずませた。

 まだ昼時のためか、飲食関係の店は特に賑わっているようだ。店名の描かれた木製の看板の横には、来客を歓迎するかのように、教会の入り口にもあった小さな鐘が、チリンチリンと鳴っている。

 初めて足を踏み入れた時はじっくり観察できなかったが、やはり活気溢れるいい街だ。石畳を行く人たちの周りには、精霊の姿も垣間見える。

 触れても火傷やけどしない、燃えるこうを背負ったかめの姿の火の精霊。

 宙を水状のひれを揺らして泳ぐ、魚の姿の水の精霊。

 どこを見ても楽しい。

「あっちもこっちも面白いね、スー!」

「ええ」

 ウォルもちゃぽちゃぽ尻尾を振ってごげんな様子だ。

 レイスは離れない程度に距離を空けて、私たちを静観している。めずらしく気を使っているのか、そうやって空気にてつしてくれているのが、今の私には一番がたい。

 というかレイスは教会に来てから、態度がなんした気がする。正確には、あの精霊水晶を身につけるようになってから、だろうか。昨日もなんだかんだ、ロア君の頼みとはいえ誘いを口にしてくれたし。

 精霊が見えるようになって、多少心が清められたとか……ないか。

 まあ、あくまで気のせいだ。油断したらまた手痛い態度を取られかねないので、私もウォルを見習って警戒心を強めよう。

「そっちじゃない、こっちだ」

 羽目を外してはしゃいでいたら、レイスが店と店の間の路地を指差し、声をかけてきた。

 先にレイスの用事を終わらせる予定だったので、ここは彼のゆうどうなおに従う。

 レンガ造りのかべはさまれた細い通路は、太陽の光が届きにくくうすぐらい。前を行くレイスの足取りに迷いはないが、人々のけんそうとお退いて不安になる。

「ね、ねえ、本当にこの道で合っているの? ひとがまったくないんだけど……」

「……だまってついてこい」

 もくもくと歩き続け、やっと開けたところに出れば、ポツンと建つお店が一軒。

 二階建てのこぢんまりとした店で、木製の入り口には『レオンの薬屋』と雑な字で書かれている。……お薬屋さん?

「注文していたものを受け取るだけだ。すぐに済む」

 レイスはドアを開けて店内へと入っていく。ろうきゆう化の進んでいる木のゆかは、踏むとギシリと嫌な音を立てた。たなに並ぶくすりびんや、てんじようからるされた薬草から漂う鼻をつく匂いが、せまい空間で混ざり合ってじゆうまんしている。

 なんだかピンクやドむらさきあやしげな薬が多いのは、私の気のせいだろうか。

「んー? 客? おお、いらっしゃーい、レイス君。用意はできているよー」

 カウンターのおくから現れたのは、くたびれた白衣にったい眼鏡をかけた、これまた怪しげな人物だった。のような緑のもっさり髪に、不健康そうな青白い肌をしている。

 店内には彼一人のようだし、この緑藻が店主のレオンさんだろうか。レイスは常連らしく、レオンさんは慣れた対応だ。

「あれー? レイス君が女の子を連れてる。珍しいねー。こいびと? 妹?」

「いもっ……!?」

 恋人はさておき、私はレイスより年下扱いされたことがしようげきだった。私の方が上なのに!

ぐちを叩くな。さっさと頼んでいたものをせ」

 レイスのするどさきのような睨みにも動じず、レオンさんは「はいはーい」と緩い返事をして、カウンターの下から茶色いかみぶくろを取り出す。

 中身が見えないのでなんの薬かは不明だが、告げられた金額に、私は思わずきようがくの声をあげた。

「た、高っ!? 私の領なら小さな土地を買える金額だわ! 一体なんの薬なの!?」

「だって特注で作っているし。このくらいつうだよー? これはね、すいみんやく

「睡眠薬……?」

 なぜレイスがそんなものを? 実はみんしよう

 首をかしげていたら、レイスは余計なことをと言わんばかりに、レオンさんの手からふくろった。しかしそのしようげきで中の物が飛び出してしまう。

 床にコロコロと転がった小瓶は、私の足元へと辿り着いた。

 かがんで拾い、ラベルに描かれている文字と花の絵を見て、私は思わずつぶやく。

「リコラの花……」

 よく見れば瓶の中の液体も、レイスの血色の瞳とよく似た、あの花の赤だ。

 でもリコラの花に、睡眠薬に使われる成分なんてあったかしら? 頭痛やはだれに効く薬になって……まだなにか効果があった気もするけど、睡眠をゆうはつするようなものではなかったと思う。

「あ、知っている? その花。どっかの領で大量に取れるんだけどねー。普通の睡眠薬だとレイス君、効かないって言うから、俺がこうさくして調合したの。だからリコラの花が主成分のその睡眠薬は、言ってみればレイス君専用」

 いつの間にか私の傍に来ていたレオンさんが、そのひょろりとした指先で、私の手から小瓶を摘まんだ。そして流れるような動きでレイスに手渡す。

 おしやべりなレオンさんにレイスはいらいらと金をはらい、さっさと店を出ようとしたが、そこでドアが勢いよく開いた。

「──じやをするぞ、レオン」

 ドアの向こうにいたのは真っ白な馬だった。立派なたてがみしくなびくが、全体的に小さく、子どもくらいしか背に乗れそうにない。うずを巻くたつまきが四本の足首に絡んでいることから、風の精霊なのだとわかる。ドアは風を起こして押し開けたようだ。

「やぁ、リック。なにかいい情報でも仕入れてくれた? ていうか君、風の精霊なんだから、ドアくらいすり抜ければいいのにー」

「いや、人間はドアを開けて入るだろう。ならば人間の礼に従わねば」

「相変わらずクソ真面目だねぇ」

 レオンさんも精霊使いだったのか。リックと呼ばれた馬の姿の精霊とはこんらしい。

 社交的なウォルは「こんにちはー」と挨拶している。それに深々と頭を下げる仕草を返すリック君は、ずいぶんと礼儀正しい精霊だ。

「客人がいたのか。すまない、出直すか」

「いいよ、いいよ。それで? 面白い情報を手に入れたなら教えてよ。商売に役立つのは特にねー」

「……ふむ。商売に役立つものはないが、精霊使い行方不明事件についてなら、新たな証言が得られたぞ」

 その言葉に私は足を止める。リック君の横を無理やり通り抜けようとしていたレイスも、動きを止め反応を示した。

 風の精霊は噂好き。情報が回るのも速い。

「まず、八人目の行方不明者が出た際に、消えるところをもくげきした者が現れた」

「おお。これは重要な手がかりになりそうだねー」

「セドラン通りのパン屋の娘が、精霊使いの友人が『黒いちよう』を追いかけていくところを見たと。ぼんやりした様子が心配で後を追えば、突き当たりで友人がこつぜんと姿を消したらしい。それ以降、もどってきていない」

 私がいぶかしげに「黒い蝶……」と呟けば、側のレイスがいまいましげに舌を打った。私は肩をねさせて彼をあおる。びっくりするからやめてよね。

「黒い蝶かー。なんかどっかで聞いたなぁ。確かなにかの『つかい』だった気が……」

「精霊としてまだまだじやくはいの我にはわからん。だが我々精霊の中で、『黒』はよき色とはされていない……っと、すまんな、客人。殿でんの髪色をけなしたわけではない」

 鼻先をレイスの方に向けて、リック君はりちに謝罪する。レイスは無言で流すだけだ。

「ちょっと、なにか返事くらいしなさいよ」

「うるさい、気が散る」

「はあ!?」

 レイスはなにかを考え込んでいる様子で、雑にあしらわれて私もつい嚙みつきかける。リック君は「我の失言だ、気にするな」と私にも気遣いを見せてくれ、この場のだれよりも大人な対応だった。レオンさんは始終にやにやと楽しそうだ。

「それと、行方不明者に共通点はないとされていたが、さらわれた状況は皆同じだ。精霊使いが消えたのは共通して夜──それも、月明かりの強い夜だったと」

 ──リック君の話を聞けたのはそこまでだった。

 レイスが急に私の腕を引いて、リック君を退ごういんに外へと連れ出したのだ。

 そのことにも驚いたが、なにより触れたレイスの手が氷のように冷たくて、きゅっと心臓がすくんだ。すぐに腕は放されたが、低体温にもほどがある。昔はよく手をつないでいたが、普通にひとはだだったはずなのに。

「なんなの急に! それに貴方あなた、手が……」

「……さっさと街を見て回らないと日が暮れるぞ」

 レイスは何事もなかったかのように歩き出す。疑問を残しつつも、私は仕方なく彼を追いかけた。

 レオンさんの薬屋を出たあとは、おてんで買ってウォルと食べ、いろんなお店をめぐって王都をまんきつした。

 その間、レイスはほぼ無言で、かげのように私たちに付き従っていた。

 リコラの睡眠薬や黒い蝶のことなど、レイスに振ってみたい話題はあるにはあったが、それでせっかく持ち直した気分がこわれたら嫌だったので、私もあえてなにも触れなかった。


「スーリア様! 外出からおもどりでしたか」

 足取り軽く、教会の塔と塔を繫ぐわたろうを歩いていたら、小さな腕で大量の書類をかかえるロア君とそうぐうした。今日も今日とて忙しそうな様子だ。書類を半分持とうかと提案するも、ブンブンと首を横に振られてしまう。

ぼくのことはお気遣いなく! それよりも、王都はいかがでしたか?」

「とても楽しかったわ! ロア君のおかげよ。私を外に連れ出すよう、レイスに頼んでくれてありがとう」

「僕が騎士様に頼んだ……? なんのことでしょう?」

 ロア君はきょとんとしている。忙しくて頼んだことを忘れたのかしら。

 だが追及する間もなく、ロア君は廊下の向こうから他の使徒さんに呼ばれ、一礼すると慌ただしくけていった。行方不明事件の新たな情報が回ってきて、さらに仕事が増えたのかもしれない。

 それから夕食や湯浴みを終えて、私は部屋へと戻った。ベッドの上で、故郷のみんなあてに買ったお土産を広げてみる。

 どれも自領では買えない珍しい品なので、きっと喜んでくれるだろう。

「あの宝箱は少し心残りだけど……」

 王都に着いて、最初に雑貨屋のガラスしに見た精霊の宝箱は、まだあの店で飾られていた。箱に入れたい『大切なもの』など思いつかないし、値段も決して安くはないが、ひとれというやつだろうか。自分用にちょっとこうにゆうしときたかったかも。

 りなら数も限られているだろうし……などと考えながら、持参した荷物にお土産を詰めていく。しかし適当に入れただけで、かばんの中はごちゃごちゃだ。特訓生活が予想外に過酷で、荷物の整理もまだなのよね。今度まとめてしましょう。

 ふうと息をいて、私はベッドに身を沈ませた。

 うつせになり、横目で窓の外を見上げる。やみかぶ月は、今日はうすぐもの向こうにかくれて、その形を静かにひそめていた。

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