その②



「ああ、いけませんよ、スーリアさん。礼の角度は四十五度。ほうけんの持ち上げ方もちがいます。姿勢が悪いですね、もっと背筋を伸ばしてください。はい、やり直し」

 うるわしい笑顔と気品のある声でつむがれる、ちくきわまりない指摘に、私はほおを引きらせた。

 ──教会に着いて、すでに五日目。

 精霊姫としての儀をとどこおりなく達成するため、精霊女王にえつけんする際のれい作法から細かな段取りまでを、私は毎日みっちりとたたまれている。

 最初は「え? 儀式っていっても、軽く鐘を鳴らして、ちょっと祈りのもんごんささげて、女王に一礼するくらいでしょ? できるわよ、それくらい」みたいな、かなり甘いことを考えていた。

 そんなかつての自分の頰を、今は一発平手打ちしてやりたい。

 鐘を鳴らすことに間違いはないが、それまでに色々と手順があり、これがもう本当にめんどうくさい。文言は長いし、独特のリズムで読み上げる必要があるとか、精霊姫のしようが着慣れないごうしやなもので、ちやちや動きにくいとか。

 女王が初代国王の傍付きの精霊使いにさずけたという『女王の宝剣』に、自分のれいりよくを込めて、ちょっとしたけんろうしなきゃいけないとか。

 とにかく想像以上に、謁見の儀での精霊姫の役割は多かった。

 従来の精霊姫は、貴族のむすめや教会の使徒だ。女王に対して失礼のない作法は身についているだろうし、まいの基礎だって学んでいるのではないだろうか。

 しかし、私は少しいいとこ出なだけのただのしよみん

 すべて一から教わる必要があり、わりと毎日ボロボロである。……そしてなにより。

「先ほどよりいいですよ、美しい礼でした。剣のあつかいも慣れてきましたね。最初に説明したように、剣にく霊力を流すことに成功すると、重さも軽減され、使用者の手にむようになります。だいぶ霊力の扱い方も上達してきたのでは?」

「! そ、そうですか? それでしたら……」

「はい。では今の感覚を忘れないうちにもう一回」

 きゅ、きゆうけいとかいかがです? と言いかけた言葉は、音にならずにしようめつする。

 私の指導役を任されたこの女性・マリーナ=レヴィオンさん。

 なんとレヴィオンはくしやくの三女で、れつきとしたお貴族様である。前回の精霊姫を務めた私のせんぱいにあたる人でもあり、『高い霊力と歴代ずいいちぼうを謳われる伯爵家のごれいじよう』とはかのじよのことだ。

 なめらかな白いはだに、長いまつふちられたあわい黄色の瞳。ストロベリーブロンドの髪は背までぐ伸び、しとやかながらもしんを感じさせる立ち姿。

 うわさたがわぬれいじんで、パッと見はとても優しげに見えるが……あなどってはいけない。

 彼女の指導は非常に厳しかった。

 初対面時──「先に言っておきますね、スーリアさん。私、かんぺき主義なんです」と、にっこり微笑まれた時に感じた寒気。レイスのあく騎士なんて名前が可愛く思えるほど、謎のはくりよくがあった。

「さぁ、それでは最初から」

 本当に悪魔!


「ス、スー? だいじよう? なんかあれだよ、しぼり終わったぞうきんみたいだよ」

「よれよれってことかしら……」

 教会内にある、特訓用に借りている広間から出た私は、おぼつかない足取りで中庭のベンチにすわった。今日の特訓は昼過ぎにはしゆうりようし、マリーナさんはもうお帰りになった。

 特訓中は教会の精霊たちとたわむれていたウォルが、ひょっこり私の顔を覗き込んでくる。

「ここまで精霊姫の役割がこくなんて、正直予想もしていなかったわ。疲れた……うるおいとかいやしが足りない……」

 整えられた広い庭をうつろな目でながめる私に、ウォルは「ウルオイ? ウルオイならボクに任せて!」と水状の尻尾をちゃぷちゃぷと振ってくる。

 そういうことじゃないんだけど、少し癒されたわ。

 ウォルもいるし、ロア君なんて一挙一動が微笑ましいので、決して癒しがかいなわけではないのだ。ただそう、それを上回るろうが積み重なっているだけで。

 しかし幸いにして、明日はマリーナさんに用事があって特訓はお休み。自主練さえ終われば息抜きに街に出てみたいなと、私はひそかに願望をいだいている。

 ……でも街に出るには、レイスに同行をたのまなくてはいけない。

 精霊姫である私がお願いすれば、職務として付き合ってくれるとは思う。

 だがアイツにお願い事などしやくだし、一緒に行動するのもみようである。

 本音を言えば、私はロア君とウォルと一緒に、二人と一匹で街に行きたい。でもロア君はバタついていていそがしそうだ。例の行方不明事件に教会の人員をかれているためか、他の使徒さんたちもいつも慌ただしい。

 事件はいまだ続いていて、先日ついに、八人目の行方不明者が出てしまった。

 そんな中で街に出かけるのはやはり、やめた方がいいということなのか。ああでも、この機会をのがしたら、もうゆっくり王都を楽しめそうにないし……。そろそろ気分てんかんの一つでもしないと、本当にボロ雑巾と化してしまうわ。

 うんうんとかつとうしていたら、かわいた土をむ音がに届いた。

 噂をすれば──こちらに向かって歩いてくる、護衛騎士様の姿が。

 陽の下で見ると、レイスの黒髪は光をすべらせ、キラキラとつやめいて人目を引く。くやしいけど目をうばわれてしまった。

 簡素な装いで腰に剣を帯びた彼は、ピタリと私の前で足を止めた。

「な、なによ?」

 意表を突かれたため、どうようして声の調子はついけんごしに。

 ウォルは相変わらずレイスに対してはけいかい態勢で、「出たなくろあたま! スーに近寄るな!」と毛を逆立ている。

 でも近寄るなってウォル、一応コイツ、私の護衛だからね。

 あまりに反応がじようなため、私は密かに「レイスって精霊に嫌われる体質なんじゃ……性格悪いし」などと思っていたが、ここまでの嫌悪を示すのは今のところウォルだけで、他の精霊たちは特にレイスをけている様子はない。

 単純にウォルとあいしようが悪いのだろうか。

「……お前、明日は特訓が休みだったな?」

「え?」

 問われた内容がとつに理解できず、目で問い返せば、奴は低い声で同じ言葉をかえす。二度目にして理解した私はおずおずと答えた。

「や、休みだけど」

「……そうか」

 そして訪れる、謎のちんもく

 レイスはけんしわを作って難しい顔をしている。

 沈黙が気まずくて、私は彼の首からさがる、しずく型のすいしようの方に意識を逸らす。

 光の加減で七色に変わるそれは、『精霊水晶』というものだ。初日にロア君が「使徒長様から騎士様におわたしするよううけたまわりました」と、レイスに手渡していた。

 使徒長様直々に霊力を込めたらしいこの水晶を身につけていると、霊力のない者でも精霊が見えるようになるという。

 つまり、今のレイスには自分を威嚇するウォルがバッチリ見えているわけだが、気にするゆうもないのか、にもかけず人の目の前でなやみにふけっている。

 ただ不思議なのは、護衛騎士に霊力をじようする役目は、本来なら精霊姫がうのが通例だ。だん様にしていたように、私がレイスに(いやだけど)力を貸すことになると思っていたのに。

 なぜ使徒長様自ら、貴重な精霊水晶をレイスに用意したのか。それとなくロア君に尋ねてみたが、彼もわからないようで困った顔をさせてしまった。これについてはいまだにお会いできていない使徒長様に、いずれ直接お聞きしてみようと思う。

 そんなことをツラツラと考えていたら、レイスがようやく口を開く。

おれは……明日の昼頃から、街に用事があっておもむく」

「え、ああ、うん」

 なにかと思えば、急に予定の報告をされた。

 だからどうしたというのだろう。そこまで悩んで言うことかとひようけする。

 護衛とはいえ、私が教会内で大人しくしていれば、単独で少し出かけるくらい問題ないはずだ。

 別に行けば? いいわよ、もう。私は書庫から本でも借りて読んでいるから。

「………………一緒に行くか」

「は?」

 ──しかし。たっぷり間を空けて飛び出た言葉は、私の思考のななめ上を行くものだった。

「な、なによ、俺に近付くな、なんて言っといて、さそってくれるわけ?」

「っ! あのロアとかいう使徒に頼まれただけだ。お前が特訓でまっているから、息抜きに付き合ってあげてほしいと」

 まどいながらも皮肉を返せば、レイスはグッと胸元を押さえ、早口で理由を説明する。

 私と一緒にいる時、彼はこの胸元を押さえる動作をよくしている。こんな癖、幼い頃にはなかったはずだが、怒鳴りたいのをこらえてでもいるのだろうか。

 ……いや、そんなことより、今はこの誘いをどうするかだ。

 ロア君が気を回してくれたというなら、てんがいく。レイスが自主的に私を誘うわけないもの。

「俺は護衛騎士として、精霊姫であるお前の望みに、ある程度沿う義務がある。俺の用事が済めば、あとはお前の好きにしろ。護衛としての職務は果たす」

 彼の口からあくまで『仕事』だと言いきられ、心が小さく波打ったが、それならこちらも立場を利用し、働かせてやるくらいに思えばいいのかもしれない。

 それでもまだ決めかねていたら、ウォルが傍で「街? 街に行くの!? 行きたい! 黒頭と一緒は嫌だけど行きたい!」と小さな前足をたたいていた。

 思えば私に付き合って、ずっと教会に留まってくれていたものね。

 ウォルへのごほうも必要かもしれない。それにウォルがいるなら、レイスなんて背景よ。

「それじゃあ……同行をお願いするわ」

「……わかった」

 短く返事をして、レイスはきびすかえす──その際。

「ん……?」

 陽光を受けて光る精霊水晶。その中に、七色以外の黒いにごりが見えた気がして、私は目を瞬かせた。しかし、思わずから立ち上がりかけた時には、もうそんな濁りはなく。

 見間違いかしら……とすぐに思い直して、念願の外出へとおもいをせた。

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