その⑥


 ロア君の訪問から数日が経過したが、私の周りは逆に不気味なくらい平和だった。

 マリーナさんとの特訓も順調で、今のところ支障はない。外出も控えているので、ひまを持て余しているくらいだ。

 反して、教会内のバタつきは日に日にれつさを増している。

 ロア君と密会(?)した次の日に……ついに九人目の行方不明者が出たのだ。

 事件を解決すると宣言した舌の根も乾かぬうちに、次なるがいを出してしまったと、ロア君はますます犯人探しにやつになっている。

 しかもロア君は、悪魔の儀式の生贄に必要な精霊使いの数は、ちょうど十人ではないかと予想しており、それが余計に彼をあせらせているようだ。

 小さな体でいつも走り回っており、正直たおれないか心配である。雑用でもなんでも、私に手伝えることはないかと申し出たのだが、ロア君には「精霊姫様にそんなことをさせるわけにはいきません!」と一刀両断されてしまった。

 レイスとは……相変わらずだ。

 簡単な会話はすれど、それだけ。事件のことなど話題にしたいことはあるのに、結局なにも聞けなくて、がゆさを覚えて終わる。

 ただレイスは以前にも増して、「夜は外に出るな」とくちうるさく私をいましめる。私はそれに「わかっているわよ」と変わらず返すのみだが、そのやり取りもなんだかごこが悪い。

 ──そんなふうに、すっきりしない想いを抱えたまま。

 事件は解決の糸口も摑めず、ロア君の危惧していた満月の夜……その前日があっという間に来てしまった。


「これ、『護身用に!』ってロア君に渡されたけど、置き場所に困るのよね……。使徒さんたちやレイスが交代で夜間の見回りもしているし、教会内、しかも部屋の中にいて、護身用の剣なんて必要あると思う? ウォル」

「スーにはボクがいるから必要ないよ! なにかあっても、ボクが守ってあげる!」

「それは頼もしいわ」

 プカプカと、すいほうを作って遊んでいるウォルの存外男前な発言に、私は笑い声を漏らす。けど水泡がはじけると水が飛ぶから、室内ではやめてね、ウォル。

 彼の尻尾の水状の部分は、すいてきが跳ねてもれないし問題はないが、彼の生み出す水は本物なので、普通に冷たいのだ。

「でも本当に……どうしましょう、これ」

 ベッドに腰かける私のひざもとには、絶妙な重さをもたらす女王の宝剣がある。

「満月が近いですから!」と、ロア君にすごい勢いで廊下で渡され、「これ私が昼に片付けたやつ!」と驚きながらも、勢いで受け取ってしまった。

 宝剣、こんな扱いでいいの?

 ロア君は忙しすぎてテンパっているのかもしれない。

 銀に輝くやいばは、対人用ではないので切れ味はない。だけど持ち手の部分の装飾はっていて、ロア君が説明してくれたように、レイスの首からもさげられている精霊水晶が、しっかりとまれていた。

 手に馴染んだ今でも、その宝剣の放つこうごうしさに目を細める。こんな貴重なものを床に転がしてはおけないし、ほうきみたいに壁に立てかけておくのも気が引ける。

 うーんと地味に頭を悩ませていると、コンコンと窓を叩く音がした。

 ビクリ、と肩が跳ねる。

 ──ここは二階だ。なぜそんな音が窓からするのか。

 十分に警戒しながら、私は剣を抱えたまま、窓の傍に息を殺して歩み寄る。

 月明かりをさえぎるために閉めたカーテンを、ウォルに小声で注意をうながしてから、私はおそるおそる引いた。

「…………なんだ、あなたたちなの」

 窓の外にいたのは、いつぞやの光の精霊たちだった。

 数えて五羽。小鳥の姿をした精霊たちが、黄色い光を翼に纏わせ、私の目の高さくらいで飛んでいる。強い月明かりのえいきようか、翼の光は前に見た時より弱々しい。

 軽い悪戯かしらと思っていたら、次いで彼らの発した言葉に、私は目を見張った。

 彼らは「助けて」と──そう言ったのだ。

「助けて、『彼』を助けて! お願い!」

「僕が見つけたの! 彼は『あの子』のために、よくないことをしようとしている! でも僕らじゃ止められない! 近寄ることもできないの!」

「きっと君なら助けられる! このままじゃ彼も危ない! 僕らは彼を助けたい!」

「その前に『彼女』を助けなきゃ! 彼女にも僕らの声が届いていない!」

「そうだ! まずは彼女を助けなきゃ!」

 いつせいにピーピーと話し出す彼らに、私は一気に混乱する。

 彼? あの子? 彼女?

 それが一体誰のことを指していて、なにを彼らがうつたえたいのかさっぱりわからない。まず落ち着くように語りかけようとしたら、一羽がスゥッと窓から離れたところでせんかいし、「こっちを見て!」と私の視線を誘導した。

 示された方向には、月明かりに照らされただんと、教会と外をへだてる高いてつさくが見える。その鉄柵の向こうに、くらやみの中を歩く人物を発見した。

 ふらふらと覚束ない足取りで、その人物はなにかを追いかけている。

 必死に目を凝らす。

 闇にけてしまいそうな、だけど闇の中でも存在感を現す、こうたくのある黒い羽。

 月光の中を羽ばたくのは、悪魔の遣いである……黒い蝶だ。

 それだけでものどがヒュッと鳴ったが、同時にその蝶を追う人物を確認して、私の心臓がはやがねを打つ。

 月の光を受けてきらめく、滑らかなストロベリーブロンド。

 ──マリーナさんだ。

 こんな夜に、貴族の娘であるマリーナさんが、お供もつけずに一人で歩いていることがそもそもおかしい。遠目からでもぼんやりとした様子がわかり、普段からりんとしているマリーナさんに、明らかな異常が起きていることが見て取れる。

 そんな彼女の目線の先には──黒い蝶。

 光の精霊はマリーナさんを指し示し、「彼女を助けて!」と訴えてくる。『彼女』とはどうも、マリーナさんのことだったようだ。

 すずしい夜風を受けているはずなのに、頰に嫌な汗が伝う。







 誰かを呼びに行く? ダメだ。目を離した隙に、マリーナさんが消えてしまう。

 ここから大声で呼びかけてみる? 今の彼女ではきっと反応してくれない。

 ウォルに止めてもらう? 光の精霊たちは『近寄れない』と言った。たぶん彼女の周辺には、黒い蝶を通して悪魔の力が働いている。いつかいの精霊では傍にも寄れないようだ。

 いくつもの自問自答を瞬きの合間に繰り返し、辿り着いた答えは一つだった。

 事は一刻を争う。どうやら腹をくくるしかない。

「……ああ、もう!」

 ──ここは私が行くしかないじゃない!

 室内着である軽い布地のスカートをたくし上げ、ガッと私はまどわくに足を乗せる。裸足はだしだが気にしていられない。

 高いところは得意だ。どっかの騎士様には『ガサツ』と評価を受けたこともあるように、私の特技は木登りだった。

 もちろん、幼少期の話だが。

 今この二階から普通に飛び下りたら、私は確実にを負うだろう。足でも折ればけ極まりない──だから。

「ウォル! さっきの水泡みたいなの、この窓の下に作れる? 私を受け止められるくらい大きいやつ! ほら、前にもやったでしょう!?」

「え、えっと、ずっと前にスーのお部屋で、『水のベッドを作りましょう!』ってためしたやつ? スーが飛び込んだら水のかたまりがハジケて、部屋がみずびたしになって、スーのお母さんにすっごくおこられた?」

「それよ!」

 おてん時代の黒歴史だが、あれなら衝撃を殺せるだろう。

 それに派手に水音を立てたら、誰かが来てくれるかもしれない。

「ウォル!」

「任せて!」

 むむむと、ウォルが全身に力を入れて念じる。すると眼下にたくさんの水泡が集まり、すぐに一つに収束した。

 プルンと平たく固まれば、とうめいなクッションの出来上がりだ。

「いい? ウォル。私が飛び下りたら、すぐに誰かを呼びに行って。レイスでも、ロア君でも、他の使徒さんでもいいわ。適当に捕まえてきて!」

「わかった!」という返事を耳にしたのと同時に、私は両手に剣を抱えたまま窓枠をった。宝剣はそれこそ護身用だ。なにかの役に立つかもしれない。

 おそう刹那のゆう感。

 体の芯がキュッと竦む感覚はなつかしい。

 水の塊は上手く私を受け止めてくれ、いつぱく置いてにぶれつ音と共に四散する。

 辺り一面、私も含めてびしょ濡れだ。水のしたたる髪をはらい、水分を含んだスカートをひるがえし、片手に剣を握って走る。

 黒い蝶に近付くのは本能的に怖かったが、ここは気合いとこんじようだ。

 ロア君は精霊姫である私には、『女王の加護』があると言っていた。

 それがどんなふうに働くかはわからないが……万が一このまま巻き込まれても、マリーナさんの傍に私がいる方がきっといい。

 大丈夫、大丈夫、大丈夫──そう自分に言い聞かせて足を動かす。

「マリーナさん!」

 花壇の花や草をけ、鉄柵の間に腕を滑り込ませて、辛うじて私はマリーナさんの細い手首を取った。

「あら……? ここは? スー、リアさん?」

「しっかりしてください、マリーナさん!」

「おかしいわね……あの人が、密かに会って話したいことがあるって……それで……。どう、したんだったかしら? そう、あの人が……ああ」

 ゆめうつつといった様子のマリーナさんは、黒い蝶を指差していとしそうに笑う。

「なんだ。ここにいるじゃない、私の恋人」

 とろりとした濁った瞳で、そんなことを微笑みながら言うマリーナさんにゾッとした。

 彼女はげんかくを見ている?

 黒い蝶が、恋人の姿を映し出しているのか。

「ごめんなさいね、彼が呼んでいるからもう行くわ」

「ま、待ってください! ダメです、行ってはダメです!」

 やんわり私の手をほどこうとするマリーナさんを、必死に引き留める。一瞬、彼女を正気に戻せたかと思ったのに、マリーナさんはまだ悪魔の夢の中にいる。

 えんぐんはまだ来ないの? おそいわよ!

 脳内で悪態をつきつつ、マリーナさんを摑む手に力を込める。だが黒い蝶は、そんな私の存在が邪魔だと認識したようだ。鉄柵をスルリと抜けて、蝶が私の眼前にせまる。

 しまったと思い、剣ではらおうとしたが遅かった。

「あ……!」

 ポタリと私の髪から雫が落ち、地面に吸い込まれていったのを見たのが最後。

 ──私の意識は、緩やかに闇に吞まれていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幼馴染みで悪魔な騎士は、私のことが大嫌い 編乃肌/ビーズログ文庫 @bslog

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ