第二章 再会編

その①



 の降るかげで、幼さを残すくろかみの少年が分厚い本を読んでいる。同じくまだ小さな私は、少年の……レイスのとなりに勢いよくすわり、横からページをのぞむ。

貴方あなたったら、また難しそうな本を読んでいるわね。なんの本なの?」

「……せいれいについて、だ。この国には、精霊がたくさんいると聞いた」

「精霊を見てみたいの?」

 こくり、とひかえめにレイスはうなずく。

「だがだれにでも見えるわけではないようだ。元々おれはこの国の人間ではないし、れいりよくとやらはおそらく持っていないから、難しいだろうな。精霊使いの力を借りたら見えると、この本にはあったが……」

「どうすればいいの?」

 こうしんで私はレイスに問いかけた。他人をずっときよぜつしていたかれだが、私がそばにいることは受け入れてくれている。それがただただうれしかった。

「霊力のある人間と、手をれ合わせて……」

「こう?」

「っ! おい!」

 私の祖母は精霊使いだったと聞く。もしかしたら私にも力があるかも……と考えて、私が気軽に手をにぎると、レイスはとてもどうようしていた。

 おおろうばいする姿がしくて笑えば、彼はまゆを寄せてげんそうに顔をそむけた。

 だけどつないだ手はそのままで。はらうどころか、素っ気ない態度とは裏腹に、握り返してくれた温度がまた嬉しくて。

 本当にいつか私が、彼に精霊を見せてあげられたらいいなと、そう思った。

 ……まさか繫いでいたその手で、レイスに泣きながらいちげきを決めることになろうとは、想像もしていなかったころの話である。




 思えば、朝から夢見は最悪だった。

 だん様からせいれいひめのことを聞かされて六日。荷造りも終えてあとはむかえが来るのを待つだけだ。

 今日は仕事もなく、職場と買い物にそれぞれ出掛けた父と母を見送って、私は家で一人、そうをしたり料理をしたりとせわしなく動き回っていた。なにかしていないと、夢にまで出てきたやつの顔がチラついて心が休まらないのだ。

 昼過ぎには温かい豆のスープと、カリカリになるまで焼いたベーコンにパンを合わせて、軽い昼食を取った。食後は、近所の方におすそけ頂いたブルーベリーを、ジャムにしようとていた。とろけ具合をかくにんし、「ウォルに味見してもらおうかしら」と思案していたら、りんの音が届く。

 もしかして、王都からの使者の方?

 私は火を止めてエプロンを外し、金茶の髪をらしてげんかんへと向かった。

 作りかけのジャムが固まる前に話が終わるといいなと思いながら、ドアを開け……一呼吸置かずに閉めたくなった。

「レイス……」

 つぶやいた声は、目の前に立つ彼の耳に届いただろうか。

 私より少し高いくらいだった背は、見上げるほどにびた。金のラインにふちられた純白の団服は、つやめく黒髪をく引き立てている。整いすぎて冷たい印象をあたえる顔立ちから、ほどよくきたえたしい立ち姿まで、いつすんすきもない。

 長い前髪の隙間から覗く血色のひとみは、するどく私をえている。成長したレイスの美しさは人並み外れていて、あつとうされ背筋がこおるほどだ。







 ──だけどそこには確かに、私を「スー」と呼び、不器用なみをかべていたおさなみのおもかげがあって。

 私はドアの取っ手を握ったまま、口も開けずに固まってしまう。


 久しぶりね、元気にしていた?

 あの時はよくも好き放題言ってくれたわね。許していないわよ、このろう

 でもなぐったことはごめんなさい。

 ねぇ、なんで貴方が護衛になんて選ばれたの? 守るべき精霊姫が私だって、わかってレイスは護衛を引き受けたの?

 というか今、貴方はどんな気持ちで……ここにいるの?


 そんな疑問や言ってやりたいことが頭の中でうが、どの言葉ものどおくかくれたまま出てこない。まばたき一つできず、私はなつかしいレイスの大人びた姿に見入っていた。

「……った、な」

「え?」

「…………相変わらずひんそうな見た目をしているな、と言ったんだ」

「なっ!?」

 先に口火を切ったのはレイスだった。一言目は不意をかれのがしたが、二言目はバッチリ聞こえた。久しぶりに会う幼馴染みに対して、言うに事欠いてそれ!?

「あ、貴方にそんなこと、言われる筋合いないわ!」

「それもそうだな。俺とお前は任務上の関係しかない。教会からの命で護衛の任を引き受けたが、ここにいるのは俺個人としては不本意だ」

「不本意って、そんな言いぐさ……っ」

「役目だからお前を守るが……それだけだ。わかったら、俺に必要以上に近付くな」

 おくより低くなった声で切り捨てられ、私は服のすそにぎめる。

「……私だって、貴方が護衛なんて本当なら願い下げよ。たのまれたって近付かないわ」

「ならいい」

「明朝にまた迎えに来る」と、それだけ言い残し、レイスは白い団服をひるがえしてあっさりと去っていった。かえりもなければ、立ち止まる様子もいつさいない。

 ……なんて味気ない再会。

 遠ざかる彼の背を見送って、私はきゅっとくちびるんだ。


「ねぇ、スー、おこってる?」

「……怒ってないわ」

「なら悲しいの?」

「悲しくもない」

「じゃあ……」

「怒ってもないし、悲しくもないわ! 至って平常心よ!」

 力加減をちがえて、木ベラの下でブチリと派手にむらさきの実がはじけた。

 レイスが去り、ジャム作りを再開した私の周りをふよふよと飛びながら、ウォルは機嫌をうかがってくる。レイスとのやり取りをこっそり観察していたようだ。

 水の精霊は人間の感情にびんかんだ。特にウォルは感知能力がすぐれているので、強がっているがれている私の心中が気になるらしい。

「スーにいやな思いをさせているのは、さっきのくろあたまなんだよね?」

「黒頭って……」

「それならボクは、アイツきらいだよ。スーをいじめる奴は嫌い! だいじようだよ、スー。アイツになにかされたら、すぐにボクを呼んで。ボクがやっつけてあげる!」

 短い前足で宙にパンチをすウォルに、フッと笑えてかたの力がける。明日からレイスと行動を共にすることになっても、ウォルがいてくれるなら安心かもしれない。

「うん、なんか元気が出てきたわ。ウォルのおかげよ」

「それならよかった!」

 くるり、とウォルは空中で一回転する。

「でもね、スーのことを抜きにしても、ボクはなんとなくアイツは嫌い。なんかね、アイツを見ていると、鼻がムズムズしたの」

「鼻がムズムズ?」

「それに耳がピクピクして、毛がピリピリして、えっと、しつもブルブルした! 上手く言えないけど、うーんとね、気分が悪い!」

「地味にしんらつね、ウォル」

「だからスーは、アイツとあんまり仲良くしちゃダメだよ!」

 元よりする気はないわよと返して、め終わったジャムのびんめ作業に移る。冷めるとかたくなるから、熱いうちにサッと詰めるのがポイントだ。

 ふたを閉めて完成! とウォルとはしゃいでいると、再びチリンと呼び鈴が。

 いつしゆん、なにか言い忘れてあの野郎がもどってきたのか? とけいかいしたが、ドアに近付けば聞き慣れた声が二人分。今日はどうも、せんきやくばんらいみたい。

「おう、スーリアちゃん。久しぶりだな」

「ちょっと、スー! なんでレイスさんがいるのよ! なにがあったのか説明して!」

 落ち着いた低音とよく通る高音が、両耳をめてくる。レイスのようにすぐ帰りそうもなかったので、立ち話もなんだし、私は二人を家の中へと招き入れた。

とつぜんじやしてごめんな」

「いいえ、お久しぶりです、アランおじさま」

 がっしりとしたたいの肩をすくませ、しよくたくはさんで私の正面に座っているのが、アラン=グラビス。着古したシャツにズボン。人のよさそうながおと茶色いあごひげとくちようてきな、父の旧友にしてレイスの親代わり的存在のお方だ。

 レイスと決別した日から自然とえんになってしまい、会うひんも減っていったため、こうしてゆっくり顔を合わせるのは久しい。

「それでご用件は……まぁ、レイスのことですよね。ついさっきここに来ましたよ。精霊姫の護衛騎士として」

「ああ、レイスと再会したんだな! いや、アイツ、先に俺のとこに顔を出してな。俺の若い頃に似てずいぶんと色男に……っと、その前に、精霊姫に選ばれた祝いを言ってなかったな。おめでとう、スーリアちゃん!」

 しみないはくしゆをくれるアランおじさまに、私は苦笑いだ。なんで選ばれたのかもわからないし、正直実感がかない。父と母はお祭り状態で喜んでいるが、当人はごこわるおもいをかかえていたりする。

「そう、それよ! まずはスーが精霊姫ってどういうことなの!?」

 アランおじさまの拍手をぶった切るように、おじさまの右隣にこしかけている、赤茶の巻き髪の美少女が声をあげた。意思の強そうな大きな瞳に、おうとつのしっかりとした女性らしい体つき。所作や質のいいえんのワンピースからも、育ちのよさが窺える。

 かのじよの名はリンス=ロットレア。大きな商家の一人娘で、同い年の、私の親友。そしてなにを隠そう、かの暗黒の誕生日にレイスにせまったむすめである。


 私がレイスを殴って泣きながらとうそうしたあと。

 彼女はうずくまるレイスを友人に預け、なんと私の方を追ってきたのだ。ようやくなみだが収まってきた頃に、庭のさくの間から、彼女が「見つけた!」と顔を出しているのを見た時は、心臓が止まるほどおどろいた。

 そしてむなもとはばひろのリボンを外し、柵の隙間から私にしつけて言った。

「これで涙をきなさい! レイスさんは私の旦那候補として気になっていたけど、女性にあんなことを言う男はダメよ! ろくな男じゃないわ! あなたもあの人の発言など気にしないで、さっさと別の男にえなさい! 流す涙がもつたいない!」

「女の涙は高いのよ!」とまなじりをつり上げてたぎらせる彼女に、あつられた記憶は懐かしい。わざわざ私を探してそんなことを言いに来るなんて。彼女もなかなかにぶっ飛んだ思考の持ち主である。

 しかし、それからみように馬が合い仲良くなり、きっかけはさんでも、今では気心の知れた無二の親友同士なのだから、人生ってわからない。


 私は自分がなぜか精霊姫に選ばれてしまったことと、その護衛騎士がまさかのレイスであったことを、リンスにつまんで説明した。

「私は霊力なんてないし精霊とかくわしくないけど、精霊姫に選ばれるなんてやるじゃない! さすがは私の親友ね。でも、あなたを守る騎士がレイスさんなんて……大丈夫なの? あの人、ぶつそうな異名があるそうじゃない」

「物騒な異名?」

「ええ、私のお兄様が数年前から王都で商売を展開していて、騎士団にも出入りしているから、その際に聞いたそうなのだけど。アルルヴェール領出の黒髪赤目の騎士が、その冷たいぼうはもちろん、人とは思えぬ異常な強さで、敵と定めた者にはようしやのないれいこくさから、『あく騎士』なんて呼ばれているそうよ」

「悪魔騎士……」

 私は先ほどのレイスの姿を思い浮かべる。こごえるようなまなしで私をいちべつしたアイツ。なるほど、ぴったりなしようごうね。

「それに、これもお兄様からの手紙で知ったのだけど、最近王都では、精霊使いが行方ゆくえ不明になる事件が相次いでいるとか」

「精霊使いだけがいなくなっているの?」

「ええ。消えた人たちは戻ってきていないらしいわ。ゆうかいの線もあり得るかもって。精霊姫なんて格好のじきなんじゃ……」

「そんなことが……でも、それは大丈夫だと思うわよ」

 誰が精霊姫に選ばれたのかは、が終わるまでは教会の上層部しか知らない。世間に公表されるのは、無事に精霊女王とのえつけんしゆうりようし、王城でねぎらいを受ける時だ。精霊姫だからねらわれるということはないと思う。

「それでも危険なことに変わりはないでしょう! 世間知らずの田舎いなか娘に、ただでさえ王都はきようなのに!」

「い、田舎娘……」

「そのためにレイスがいるんだけどな。俺がここに来たのは、レイスが俺の後に、スーリアちゃんのところに行くと言っていたから、心配して様子を見に来たんだ」

 育ての親であるおじさまに、レイスは一応顔だけは見せたらしい。リンスの方は、たまたまレイスが私の家から出ていくところをもくげきし、そのまま駆け込んできて、アランおじさまとそうぐうしたそうだ。

「それで、レイスはどうだった? 久方ぶりに会うスーリアちゃんに、その、アイツはどんな態度を取ったのかなと……」

 私とレイスが不仲になってから、ずっと気をんでいたおじさまは、歯切れ悪く問いかけてくる。ここで「過去は水に流して仲直りしました! いやあ、アイツも大人になりましたね!」などと笑い飛ばせたらよかったのだが。

 私たちの悪化に悪化を重ねた関係は、時が解決してくれるものではなかったのだ。

「レイスには、『お前の護衛騎士になったのは本意ではない』、『必要以上のせつしよくはするな』、『お前が精霊姫でガッカリだ』みたいなことを言われましたよ。開口一番、『相変わらずの地味女だな』とも」

 じやつかんきやくしよくして半目になりながら報告すると、アランおじさまはしぶい顔で額を押さえた。リンスは巻き髪をへびのようにうねらせ、「なによそれ! 失礼すぎ!」とふんがいしている。

「本当になんでアイツは、スーリアちゃんにそんな態度を取るように……今でもわからん。ごめんな、スーリアちゃん」

「アランおじさまがあやまることはありません。どうせ、精霊姫の儀を終えるまでの関係です。それが終われば、もう二度と顔を合わすこともないので」

 自分で口にしておいて、胸ににぶい痛みを覚えたが、私は痛みなど無視してたんたんと告げた。アランおじさまはやさしげなそうぼうに、切ない表情を浮かべている。

「だけどレイスの奴、かえぎわに……いや、なんでもない、すまん」

 なにかをよどみ、アランおじさまは言葉をんだ。ついきゆうする気も起きなくて、私はお茶を出していなかったことに気付き、立ち上がって台所に向かった。

 せっかくなので、れた紅茶に出来立てのジャムを混ぜて、ブルーベリーティーにしてみた。広がるあまっぱいかおりに、ほんのり口角がゆるむ。二人もおいしいと言って飲んでくれた。

 レイスの話題でピリついていた空気も、温かな湯気といつしよに揺らいで、少しなごやかになった気がする。

「それにしても、つのが明日の朝なんて急すぎるわ。あなたを派手に送り出す準備も間に合わないじゃない」

「しなくていいから、それは」

「なに、大役を果たして帰ってきたら、せいだいに祝ってやればいい。さてそれじゃあ、そろそろおいとまするかな」

 空になったカップを置いて、アランおじさまが腰を上げる。リンスもそれに続いた。

 片付けは後にして、私はドアから出ていく二人を見送ることにする。

 空はあかねいろが差し始めていて、秋の夕暮れらしいすずしげな風がいている。風音に交ざって耳をでる笑い声は、風の精霊たちだろうか。彼らはうわさきが多いと聞く。

「精霊姫のお勤め、がんりなさいよ! レイスさんにも負けんじゃないわよ!」

 リンスはそうげきれいを残し、早足で去っていった。仮にもアイツは護衛なのに負けるなって。彼女らしい言葉に元気が出るけど。

 アランおじさまも「邪魔したな」と歩み出す。その広い背中を見つめていたら、ふと、彼は足を止めて振り返った。

「なぁ、スーリアちゃん。これは言うべきかどうか迷ったんだが、やっぱり伝えておくな」

「……なんでしょう」

「レイスのことで、俺が感じたことだ。そう大したことじゃないんだが」

 前置きをして、おじさまは短くそろえた頭をく。私は無言で続きをうながした。

「……俺のとこに来たアイツは、簡単なあいさつと説明だけしてとっとと帰ろうとしていた。もうここには用はないと言わんばかりの態度でさ。元からあいなんてえん可愛かわいくねぇ子供だったが……それでも、なんだろうな。どっか無理してそんな態度を取っているようにも、俺には思えてな。とつに、去り際のアイツを呼び止めたんだよ」

「それで……?」

「いや、本当に咄嗟だったから、勢いで言ったんだ。『スーリアちゃんのこと、ちゃんと守ってやれよ!』って。そうしたら……」

 すっっっごく嫌そうな顔をして、「義務のはんで」って答えたとか?

 そんな皮肉に満ちた返しが頭に浮かんだが、アランおじさまの口からこぼれたのは、私の予想とは異なるものだった。

「『そんなことはわかっている』って、それだけ返してきたんだ。なんていうか、すげぇつらそうな顔でさ」

「……レイスが?」

「ああ。あのやり取りだけが、久々に再会したむすとの会話らしい会話だったな」

 ははっとおじさまの空笑いが、暮れなずむ景色にける。

「これは俺のかんだが、アイツはなにか大きなもんを抱えている。それがなにかは、たぶん俺にはわからんだろう。……こんなこと、今さらスーリアちゃんに言ってどうするんだって、気が引けたんだがな。俺はアイツの親みたいなもんだからさ。レイスのことが心配だし、多少は肩入れしちまう。変なこと言ってすまんな、スーリアちゃん」

「……いいえ」

 緩く首を横に振ると、おじさまは微笑ほほえんで、今度こそ私の前から遠ざかっていった。

 残された私は、どこかがゆいような、形容しがたい複雑さを抱えたまま、落ちるゆうの赤にレイスの瞳を重ね、しばらくドアを開けてそこにたたずんでいた。

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