その②


 父の古い友人が運営しているいん

 バレット家の近くに建つその院に、新しく入ってきた男の子がレイスだった。

 父は孤児院の子どもたちに、ぜん活動として手習いを教えに行っていたのだが、それに私もよく同行していた。日によって教える子を分けているので、父が指導している間、私はお姉さんぶって、進んで他の子たちのめんどうを見ていた。

 一人っ子の私にとって「スーリアお姉ちゃん」となついてくれる年下の子たちは、みんな可愛い妹であり弟であった。


 出会った当時、私は十一歳。レイスは九歳。

 二歳下の彼も最初は、面倒を見るべき弟の一人だった。上に『手のかかる』がつく。

 孤児院に来たばかりの頃。レイスはガリガリにせた体で、この国ではめずらしい真っ黒な髪に血色の瞳もあいって、古城に住まうゆうのような容姿をしていた。

 よく見れば均整の取れたれいな顔をしているというのに、いつもにごった目をして表情一つ動かさないところが、余計にレイスを浮いた存在にしていたのだろう。他の子どもたちは自然と彼をけ、寄りつきもしなかった。

「これではいけない!」とおせつかいごころを燃え上がらせた私は、単独でもひんぱんに孤児院に乗り込み、彼に食事を取るようすすめたり、外に連れ回したりと、しく世話を焼いた。うつとうしがられようとけられようと、なぞこんじようで構いたおした。

 その成果が出て、彼が初めて「スー」と私のあいしようを呼び、傍に寄ってきてくれた時は感動したものだ。

 返事をすれば、けんにきゅっとしわを寄せて、血色のよくなってきた頰をわずかに緩め、わかりにくいが嬉しそうに微笑まれてみろ。

 思わず抱き着いた私は悪くない。すぐにがされたが。

 ──そうやって心を開いてくれてから、レイスの成長は目覚ましかった。

 父に進んで知識をい、孤児院の院長にけんじゆつの指南を自らたのみ、ついでにおのれの美貌にもみがきをかけていった。

 院長のアランおじさまは、元騎士団所属で剣の腕前は相当の実力とのうわさだ。レイスがどうしてそんなにがんりだしたのか、本人には「……なんとなくだ」とはぐらかされたが、アランおじさまに理由を問えば、彼は人好きのする顔をほころばせてこっそり教えてくれた。

「アイツは『スーを守れるくらい強くなりたい』そうだぞ」

「……私を?」

「ああ。剣を教えてくれと頭を下げられた時は驚いた。あのひねくれぼうがなぁ……すっかりレイスは、スーリアちゃん大好きっ子だな」

 アランおじさまは「あ、俺がバラしたことはないしよな! 『スーには絶対言うな』って口止めされていたから!」とごうかいに笑ったが、私はそれにじようだんで返すゆうはなかった。

 心臓がドキドキと脈打ち、ひどくうるさかったからである。

 ……いつの間にか私は、どんどんカッコよくたくましく成長していくレイスに、あわい恋心を抱くようになっていたのだ。

 私が「レイス」と名を呼べば、無表情に色を乗せてくれる、そのしゆんかんが大好きだった。

 レイスはきっと、一番身近な女の子である私に、すり込みのように親愛の情を向けてくれただけだ。『私を守りたい』というのは、家族愛にも似た感情だったに違いない。

 でも、それでもよかった。

 なんであれ私は、ごく僅かな彼に近しい人物。

 レイスにとって、少なからず『特別』だったのだから。

 そう……そうだ。

 確かにこの頃、私たちの仲は良好だった。アランおじさまが微笑ましそうに、「スーリアちゃんは、将来はレイスのよめさんだな」と軽口を飛ばすくらい。それを聞いた父が、「いや、それは許さん。絶対に許さん」と真顔で返すくらい。

 いつしよに過ごす時間も多かったし、相手のくせも苦手なものも知っていた。ずかしい失敗談も共有していたし、口数の少ない彼が、私とだけは他愛のない会話に応じてくれた。

 はたから見ても、向ける感情の種類は違えど、私とレイスはたがいを大切におもい合うあいだがらだったはずだ。

 それが、いともたやすく──あんな暴言を吐かれるまでにほうかいしてしまうなんて。


 思い返せば、へいおんだった毎日にヒビが入り出したのはきっとあの日。

 レイスと出会ってから早四年。

 すっかり共にいることが当たり前となっていた私は、いつものようにレイスに会いに孤児院に顔を出した。

 アランおじさまにレイスの居場所を聞けば、彼は部屋にこもって出てこないという。一人部屋を与えられてから、レイスは自室でもくもくと勉学にはげむのが常だ。

こんめすぎはひかえてって言ったのに……」

 小言をつぶやきながらも、私は軽い足取りでレイスのもとへ向かった。

 早く彼に報告したいことがあったのである。

「レイス、いるのよね? 入るわよ。あのね、昨日父さまと領主様のお茶会に参加したら、領主様が私には『精霊使い』の才能があるかもしれないって。レイス、前に精霊が見てみたいって言っていたでしょう? 私が見せてあげられるかも……レイス?」

 一応ノックをして、慣れた調子で話しながらドアを開ける。レイスは集中すると耳から音をしやだんする癖があるので、私は返事がなくとも勝手に入っていいと許可を得ている。

 しかし、ようようつむいでいた言葉は、すぐにれることとなった。

 うすぐらい部屋の中は──とつぷうでもいた直後のように、れていたのだ。

「なに、これ……?」

 かれた衣類に、破かれた本。こぼれてゆかに広がるインクに、欠けたペンダントなどが、室内に無残に散らばっていた。

 えんけいのフレームの中に赤い花をえがき、細いくさりを通したペンダントは……私がレイスにお守り代わりに贈ったものだ。

 おそるおそる部屋に入ると、カチャリ、となにかをむ。

「え……?」

 銀色の光を宿すそれは、レイスの愛用している短剣だった。

 有事の際とけいちゆう以外は使用を制限されている物が、なぜこんな床に転がって……と、かがんで拾い上げ、私はギクリと体をこわらせる。

 ──剣の切っ先には、まだなまぬるい『血』がべったりとられていたのだ。

「っ! レイス! レイス、どこなの!? いるなら返事をしてちようだい!」

 私は張り裂けんばかりに声をあげた。

 まずはレイスの安否をかくにんせねばと、必死に周囲を見回す。そしてようやく、簡素なベッドと壁の間にうずくまる、レイスの姿を発見した。

「レイス……!」

「…………スー?」

 ひとまず彼がそこにいて、最悪の事態にはなっていないことにあんする。

 だがしゆうれいな美貌を苦しげにゆがめ、むなもとを強く押さえる様子はただごとではなかった。手からは赤い液体がしたたっていて、あの短剣の血はやはりレイスのものだったとわかる。

 事情を聞くのは後回しで、手当てをしようとして──「来るな!」というするどい制止で足を止めた。

「来るな、早く部屋から出ていけ!」

「な、なにを言っているの。すぐに手当てをしないと……」

「こんなものなんでもない。いいからさっさと出ていけ!」

 赤い瞳をけもののようにぎらつかせ、彼は強く私を拒絶した。

 どれだけつのっても、レイスは「来るな」の一点張りで……。

 結局私はきびすかえして、アランおじさまを呼びに行くことしかできなかった。「今はお前の顔を見たくない」とまで言われたら、退かざるを得ないだろう。

 幸いは軽傷であったが、けいや原因をたずねてもレイスが決して口を割らなかったため、この件はのままに幕を閉じた。


 だけどこの日を境に、レイスは私を避けるようになった。

 孤児院に会いに行っても意図的にかわされ、声をかけてもこつに無視される。

「俺にも理由がわからないんだ……ごめんな、スーリアちゃん」

 とぼとぼと孤児院から帰る私に、アランおじさまは申し訳なさそうにあやまった。おじさまはなにも悪くないのに。

 直接レイスに理由を確かめたくても、目も合わせてもらえないのでは尋ねようもない。私の心はどんどんっていった。

 ……でも、どれだけ冷たくされても私は、鹿みたいにレイスが好きなままだった。

 きっと原因がある。それが解決すれば、元の彼に戻ってくれる。「スー」とまた名前を呼んで、不器用な笑みを浮かべてくれる。

 そう信じて、私は彼の十三歳の誕生日に、ある贈り物を準備した。

 誕生日といっても正確な日付はさだかではない。レイスが孤児院に来た日をそう位置づけようと、おじさまと相談して決めただけだ。

 それでも毎年、彼が傍にいてくれることを祝う、とても大事な日。

 私が大好きなレイスをあきらめきれず、例年にならい用意したものは、赤い花のしゆうが入った手巾ハンカチだった。

 このアルルヴェール領内なら、一年を通してどこにでもく『リコラ』という花で、頭痛やはだれに効く薬の材料に使われるだけでなく、はらう効果もあるという。

 刺繡に使用した糸も、その花からちゆうしゆつした液で染めたものだ。もちろん刺繡は私が頑張った。しゆくじよらしいことは苦手分野だが、母さまの厳しい指導のもと、こうさくの末に形にしたのだ。

 リコラの花の色は、レイスの瞳の赤によく似ている。

 以前贈ったリコラを模ったペンダントは、あの日にこわれてから行方ゆくえ不明だ。それならまた同じリコラの花を、私は違う形でレイスに贈り直したかった。

 なんで女ものなんだと、げんな顔をしながらペンダントを受け取って、それでもはだ離さずつけてくれていたレイス。

 ──この手巾だって、渡せばきっと。

 完成した手巾をたたんでリボンを巻き、誕生日当日、準備はかんぺきだった。

 精霊の存在をなんとなくだが感じ始めていた私は、彼らに「おうえんしてね」と語りかけ、それを手にレイスのもとへと走った。


 レイスは孤児院の前の、大きなの下で複数の女の子に囲まれていた。

 真ん中の質のいい衣服に身を包んだ少女は、ここらでは一番大きな商家の一人娘だった。巻き髪の、気は強そうだが発育もいい美人。周りはその友人だろうか。なにやらレイスはせまられていた。

 程よくきたえられたたいに身長もび、美貌に男らしさも加味したレイスは、知らぬ間にきんりんでは評判の美男子として、年頃の女の子の人気を集めていたのだ。

 昔は嫌悪されていた黒髪も、切れ長の赤い瞳も、『魅力』としてとらえられるようになったらしい。

「レイスさんは、バレット家のお嬢さんとこいなかなの?」

 少し離れた木のかげから様子をうかがっていたら、商家の娘の口から自分のことが出て、私はかたを跳ねさせた。以前までは、私とレイスは常に一緒だったのだ。私たちが『そういう仲』だと噂されていても不思議ではない。

 レイスはなんと返すのだろう?

『恋仲』ではないからそこは否定するだろうが、ほんの少し期待を抱いてしまう。

 できるなら『友人』、高望みするなら『家族のような存在』、『ただの幼馴染み』でも構わない。現状はえんでも、私とレイスはまだ繫がっていると、そう信じられる言葉が彼の口からしかった。

 だけど、現実はざんこくで。


「恋仲? ふざけたことを言うのはやめろ。──俺はあんな女、好きじゃない。むしろ嫌いだ。大嫌いだ」


 レイスは遠くからでもわかる冷たい瞳で、吐き出すようにそう言った。

 けた風に交ざって、その言葉はやけにめいりように私のまくへと届き、同時にピシリと、心がヒビ割れた音がした。

 ……嫌い、大嫌いかぁ。

 改めてその言葉をしやくすれば、無理にえていた痛みが広がり、なみだまくが瞳をおおう。

 しかし、彼のついげきはまだまだ止まらなかった。

「性格はガサツだ。女らしさの欠片かけらもない」

「容姿も地味すぎて、褒めるところが見当たらないな」

「いつだって鬱陶しく構ってきて、俺はずっとめいわくしていた」

 次々と飛び出る私への暴言。レイスを囲んでいた娘さんたちでさえ、その物言いに狼狽うろたえている。

 …………一方の私は、限界まで達した悲しみの感情が、じわじわと別の想いにえられていくのを感じていた。

 ガサツ? 女らしさの欠片もない?

 確かに事実だ。『わんぱくでもいい、元気に育ってほしい』という父の教育方針のもと、私は家で大人しくするより、野山を駆ける方が楽しいおてんへと成長した。

 容姿が地味?

 これも否定できない。レイスと違って、私は見目のはなやかさなんて持ち合わせていない。

 鬱陶しい? 迷惑?

 そこまで嫌われていたなんて、気付かなかったわ。ごめんなさい。

 ここで泣いて場を去るようなしゆしような性格をしていたら、私はレイスから『ガサツ』なんて評価、そもそも受けていなかっただろう。元々私は、『おしとやか』や『健気けなげ』なんて言葉とはえんどおい。

 そしてついに──私はキレた。

 乱暴に目元をぬぐい、あふれかけていた涙を無理やり止めて、彼らの前へとおどる。

「バ、バレットさん……!?」

 商家の娘さんが目を見開いて驚いていたが、悪いけど引っ込んでいてほしい。

 私は一直線に、驚愕で固まるレイスのもとへと歩み寄った。彼の綺麗な顔を目がけて、思い切り手巾を投げつける。

 ほうけた顔のレイスにまだ、「久しぶりに間近で見たレイスは、やっぱりカッコイイな」とか、そんなことを思う自分が許せなくて、私は彼をにらみつける。

 そして固くこぶしにぎり、腹部に全力でたたんだ。

「グッ……!」

 短いうめき声がレイスの口かられたが、しよせんは小娘のいちげき。普段鍛えている彼に、そこまで大きなしようげきは与えられなかっただろう。

 だけどそれが、私のできる最大限の報復だった。


「──私もあんたなんて大嫌いよ!」


 勢いでそうさけべば、彼がはじかれたように私の顔を見たが、その赤い瞳の奥に宿る感情までは窺えなかった。るいせんが限界だったのだ。

 頰を伝うしずくもそのままに、一目散にとうそうする。

 レイスの誕生日だからと、気合いを入れて編み込んだ髪も片手で解きながら。特別な日にだけ着る、お気に入りのレースのあしらわれたスカートを翻して、私はただただ走った。

 そして、レイスと一緒にその成長を毎年楽しみにしていた、バレット家の庭に咲く、リコラのだんの前で蹲り……。

「うっ、く……っ」

 私は、日が暮れるまで泣き続けた。

 ──こうして私の初恋は、こつじんくだったのだ。




「どうしたの、スー? なんかちょっとおこって……ううん、さびしそうな顔してる。さっき呟いていた、『アイツ』に関係あるの?」

 旦那様の執務室から出て、書庫室に戻る道すがら。

 パイでおなかをポンポンにふくらませ、気持ちよさげにゆうしていたウォルが、ざとくも問いかけてきた。私はむなくそわるかいから抜け出し、「別に寂しくなんかないわよ」と返す。

「私にはウォルがいるもの。あんな奴がいなくたって、なにも変わらないわ。……ただ少し、旦那様のお話で気になることがあっただけ」

 ──レイスは、私の恋心を粉々にしてくれた例の誕生日から程なくして、アランおじさまに騎士団の入団試験を受けたいと申し出た。

 試験自体は十三歳から受けられる。レイスの利発さや剣の実力からも問題ないと判断したおじさまは、本人の希望を優先し、王都にいる騎士団時代の友人に彼をたくした。なぐって「大嫌い」とたたきつけた日から、彼とのせつしよくは皆無だったので、私はレイスが王都に旅立ったこともずいぶんおくれて知った。

 おじさまから聞いた話によれば、レイスは試験を見事合格し、騎士見習いを経て、異例の速さで特権騎士団入りを果たしたらしい。

 つまり──精霊姫に選ばれた私のもとに、遠くで出世したレイスが護衛騎士として現れる可能性も、無きにしもあらず……ということなのよね。

「気になること? だいじよう、ボクらのジョオウサマはやさしいよ。きっとスーのことも気に入ってくれるよ。なやみすぎはよくないよ!」

「そのことじゃないんだけど……でも、ウォルの言う通りね」

 のんなウォルに私の気もゆるむ。特権騎士だって何人もいるのだから。きっとこれはゆうだわ。

 とりあえず家に帰ったら、王都に行くための荷造りでも始めようかと考えながら、私は早足でろうを進んだ。

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