第25話 勇者の少女・レヴィの墓所にて。
――ジャイアント・クラーケンの襲来から三日後。
「ゼクスさん。リベルさん。どうぞこちらへ!」
青く晴れた空の下、ニコニコ顔の王女に案内され、俺とリベルは本来の目的地である〝勇者の世界樹〟を訪れた。
ちなみに王女のフルネームは、シータ=オ・シッコモーラ・オーション・アナカリスというらしい。
長いので、俺とリベルは『シータ王女』と呼んでいる。
当初は俺たちに〝様〟を付けていたシータ王女だったが、あれから親睦を深めていく中で、自然と親しみやすい呼称になっていった。
この三日、俺たちの滞在先は王宮の上層階だ。
シータ王女の命を救った功績により、客人として歓待を受けている。
意外にもリベルと王女は馬が合うらしく、いつの間にか普通の友人同士のような接し方をするようになった。
王女曰く、今まで同年代の子と知り合う機会がなかったので――とのこと。
いずれにせよ、リベルに友人ができるのは喜ばしい。
さて、発情墨を漏らしながら、やたらと官能的に絶頂したクラーケン娘のミルク・オ・ザーザーだが……。
やはり俺の思ったとおり、大半の記憶を消されていたらしい。
あれから王立騎士団に連行されたミルクは、いくらか取り調べをされたという。
取り調べを担当した魔導通訳師(♀)によると、『あらぁ……。この子、どうやって王都に来たのかも覚えてないみたいよぉ~?』とのことだった。
よって、ミルクの下腹部に現れた淫紋――ユニヴェール聖教の紋章の秘密は、結局わからず終いである。
とはいえ、金剛処女神・ユニヴェールに関わる何らかの存在が暗躍していることは間違いない。
奴の復活との関係性は、今後も調査する必要があるだろう……。
そんなことを考えながら、俺は愛弟子とともに、大いなる大樹を見上げた。
「これは……! なるほど、信仰対象になるのもうなずけるな」
「わたし、実物は初めて見ましたけど……す、すごすぎますっ!」
王都の郊外にそびえ立つのは、エメラルドグリーンの淡い光を放つ大樹である。
いや、これを単に〝大樹〟と言っていいのだろうか。
天を貫くほどの樹高。
金剛処女神・ユニヴェールが翼を広げたかのような、圧巻の枝振り。
幹の太さは、前々世で剣聖として戦った神域の巨龍の胴体を上回っている。
「ふふっ、いかがです? これこそ神聖アナカリス王国の王都・アナカリスのシンボルにして聖域、勇者の世界樹ですよ!」
シータ王女が誇らしげに胸を張った。
まわりに控える憲兵隊や王立魔法騎士団の面々が、彼女に賛同するように拍手を打ち鳴らす。
その向こうには王都の人々の姿もある。どこからか噂を聞いて、見物に来たのだろう。
俺は小さく苦笑した。
「やれやれ。レヴィの墓参りをするついでに生育調査をするはずが、ちょっとしたセレモニーになってしまったな」
「あ、あはは……。王女さま直々のご案内ですもんね。憲兵隊と魔法騎士団の皆さんにも集まっていただいちゃって……」
リベルがぎこちなく手を振ると、憲兵隊と魔法騎士団の面々から温かい声援が返ってくる。
ここを訪れるまでに、結局三日もかかってしまった。
日が空いたのには理由がある。
国王が主催する盛大な式典や大宴会、そして新聞の取材などなど。
俺とリベルが王都を守るために奮闘したことが讃えられ、様々な場所に駆り出されて……まったく身動きが取れなくなっていたのだ。
『あ、愛する娘の命を救っていただいたこと……こ、心よりの御礼を……!』
『ゼクスさん。リベルさん。ひぐっ……あなた方の武名は、永久に……うぅぅっ』
国王と王妃は、涙ながらに感謝の意を表してくれた。
そして王都が復興作業に入る中、この国で最も権威ある新聞が号外を発行し、俺とリベルの戦いぶりを大々的に発表したのである。
『王都をジャイアント・クラーケンから守り、王女殿下の命を救った若き英雄たち』
という触れ込みで、ゼクス・エテルニータとリベル・ブルストの名は、瞬く間に王都全体に広まったのだ!
今や、街を歩けば歓声が響き、老若男女から握手を求められる状態だ。
復興作業を手伝おうにも、即席の握手会になってしまうのである。
もちろん、憲兵隊や魔法騎士団の面々も王宮から表彰されていた。
だが、俺とリベルが現役の学生である点にインパクトがあったのだろう。
王都の盛り上がり――いや熱狂は、止まるところを知らない。
この報せは王立ファナティコ魔法学院にも届いているらしい。
シータ王女によれば、
『ゼクスさんとリベルさんのお名前は、王国中に広まりますよ!』
とのことである。
新聞の取材では、俺がゼクス・エテルニータ本人である旨と、色欲魔法の魅力をたっぷり語ってやった。
……前者はともかく、後者については紙面で取り上げられていたので、まあ良しとしよう。『新たな魔法体系を研究中』と、ずいぶん言葉をぼかしていたがな。
リベルの名誉を回復し、尊厳を取り戻す。
色欲魔法の有用性を世界中に知らしめる。
今回の活躍を経て、俺たちが掲げた目標は大きく進展したのである――!
それはともかく、残念なお知らせが一つ。
「生育調査の仕事は……何だったんだろうな?」
「やっぱりインチキでしたね。ひどいですっ!」
リベルが、ぷ~っと頬を膨らませる。
まあ、それも当然だ。
もともと胡散臭かった【難易度D】の生育調査だが、やはり怪しい魔導工房が持ってきた仕事だったようだ。
雇い先の魔導工房は、俺たちが王族と繋がりを持ったとわかった途端、仕事の依頼を放り出して夜逃げしてしまったのである。一体何を企んでいたのやら。
シータ王女に事情を説明したところ、
『でしたら、私がお二人をご案内します。お友達ですからね!』
という話になり、勇者の世界樹を訪れる時間ができたというわけだ。
ここは聖域なので、式典や調査以外の名目では、幹の根元まで近づくことができないのだとか。
ここまでの道のりを思い出し、俺は息を吐いた。
「まあ……もともとの目的はレヴィの墓参りだったんだ。怪しい生育調査が無くなったのは、むしろ良かったと考えよう」
「そうですねっ。じゃあゼクスさん、そろそろ……」
二人で世界樹の根元まで歩いていく。
「ほぅ、これは……」
到着後、俺はそっと幹に触れた。
エメラルドグリーンに発光する大樹からは、濃密な魔粒子が発生している。
この二〇〇〇年で魔粒子の濃度が高まったのは、やはり勇者の世界樹のおかげなのだろう。
「レヴィ……」
幹を撫で、仲間の名を口にする。
この下で永遠の眠りについているという、大切な仲間の名を。
「まさか、こんな形で再会するとはな……。俺だ。ゼクス・エテルニータだ。レヴィに剣を教えたこと、今でもよく覚えているぞ。どうか安らかに眠ってくれ……」
俺は、自分の胸に手をやった。
安心したのだ。
多くの人々から愛され、信頼され、神話にその名を刻んだからこそ、レヴィが眠るこの場所は聖域として崇められているのだろう。
俺が二〇〇〇年後の世界に転生してからも、レヴィは幸せな人生を歩んだはずだ。
あぁ……レヴィの気配を感じる。
まるで、すぐ近くにいるかのような……!
胸が熱くなるのを感じながら、俺は用意してきた花束を供えた。
その隣に、レヴィが大好きだった焼き菓子を添える。
「…………」
リベルは、三歩下がって俺を見守っている。
その穏やかなまなざしを感じつつ、俺は目をつむり、無言の祈りを捧げた。
レヴィとの思い出を胸に描きながら、心静かに――。
『あぁぁぁあああぁゼクス来た! ぜくしゅ来てくれたぁぁあ!! 私! 私よ! レヴィよ! あぁん今の姿も素敵しゅぎるぅっ! はぁ、はぁ……あぁあもうダメしゅき! しゅきしゅきちゅっちゅしたい! ゼクスとちゅっちゅしたいぃぃん!』
「――ッ!?」
俺は顔を跳ね上げた!
心臓が体内をバウンドしている。
冷や汗を飛ばしながら周囲を見回した。
バカな。
今、レヴィの声が頭の中に響いたぞ!?
……いやいや。レヴィはこんな喋り方だったか?
こんな、性なる欲望がダダ漏れしたような……!?
そんな中、リベルとシータ王女のお喋りが聞こえてきた。
「ず~っと気になっていたのですが、リベルさんとゼクスさんって、お付き合いされているわけではないのですよね?」
「ふぇっ!? そ、そんな……お、お付き合いなんて……ごにょごにょ」
「そうですか。それを聞いて安心しました」
「えっ」
だが、そんな会話は割とどうでもいい。今はとにかくレヴィである。
俺は数歩たじろぎ、再び周囲に首を巡らせた。
近くにリベルとシータ王女。
その向こうには憲兵隊と魔法騎士団。
王都の人々も、かなりの数が参列している。
「や、やはりレヴィがいるわけない……か」
そうつぶやいた、次の瞬間。
「ゼクスさん……!」
いつしか背後にシータ王女が立っていた。
火照った美貌。
欲情の吐息。
出会った当初の冷たいまなざしから一点、トロンと濡れた官能的な瞳で、俺の顔を見上げている。
「私、確信いたしました。このシータ=オ・シッコモーラ・オーション・アナカリス、誰よりも勇敢で、誰よりも才気あふれるあなたのことを……愛してしまったようです!」
「愛――っ!?」
「どうか、私の初めての口づけ……もらってください」
「どれだけ唐突なんだ!? い、今はそれどころでは……」
俺の言葉は届かない。
シータ王女の唇が、開きかけの蕾のようにやんわりと窄められる。
彼女はつま先立ちになり、こちらの唇へまっすぐ唇を寄せてきて――。
「ちょ、ちょっと待ってくださぁい!」
リベルが甲高い声を上げたのと、まったくの同時に。
『だめええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!』
天を揺るがす大絶叫が、王都アナカリスに轟き渡った。
大気が激震する。
大地が躍動する。
エメラルドグリーンに光っていた幹がひび割れ、そこから紅蓮の炎があふれ出す。
そして――。
天に向かって伸びていた勇者の世界樹が。
神聖アナカリス王国のシンボルが。
全国民の聖域が。
――おびただしい量の光の粒子となって、跡形もなく消滅したのだ!!
『――――――――――――』
絶句、である。
シータ王女も。
憲兵隊も。
魔法騎士団も。
そして王都の人々も。
誰も彼もが、絶句である。
空へ昇っていくエメラルドグリーンの粒子――。
儚くも美しい光景を見上げながら、顎が外れたかのように、全員揃って口をあんぐり開けている。
聖域、消滅。
今、この場に残っているのは、その現実だけ。
エメラルドグリーンの光に代わって現れたのは、真紅に燃える美しい火球だ。
その直径は、俺が両手を広げたほど。
火球は俺の足もとへ降りてきて、これまた粒子となって霧散する。
その中から現れたのは。
俺に話しかけてきたのは。
「やっと会えたわね……ゼクス。あぁぁあ……しゅきっ」
燃えるような真紅のポニーテール。
ネコを思わせる大きなツリ目。
外見年齢は十代中頃。
冒険者風の衣装に身を包み、ただしショートパンツは極端に小さく、むちいぃっとした太めの太ももが官能的に強調されている。
この美貌。
このショートパンツ。
そして、たいへんえっちで健康的で太めな太もも。
欲望ダダ漏れの喋り方と、両目がハートマークなところ以外は、二〇〇〇年前と何一つ変わらない。
レヴィ・ベゼッセンハイト。
かつて〝勇者の少女〟と呼ばれ、〝勇者の世界樹〟の下で永遠の眠りについているはずの、俺の大切な相棒――。
「レ、レヴィ。お前、ど、どうして……」
――だが、再会の喜びや驚きを示すことはできなかった。
それは、直後に発せられた、たった一つの些細な言葉。
名も無き群衆の一人が、俺たちを指さして叫んだのだ。
「枯らした! あいつらが勇者の世界樹を枯らしたんだ!!」
その一言が、決定的な崩壊を呼ぶ。
未曾有の大混乱に陥った人間は、かくも冷静な判断力を失ってしまうのだ。
憲兵隊と魔法騎士団。
ついさっきまで俺やリベルを讃えていた人々が、血に飢えたオーガのような視線を向けてきたのである。
すぐに民衆の怒号が乱れ飛び、現場は暴動さながらの混沌に飲み込まれた。
驚愕。
狂乱。
敵意。
――殺意。
「リ、リベル……。これは……」
「逃げましょうっ!」
俺の愛弟子は、即断即決できる子だった。
こちらを見つめて、「はぁぁ~ん、ぜくしゅぅぅ~♪」と夢心地になっているレヴィの手を、しっかり握る。
「どこでもいい! とにかく遠くへ……!!」
右手にレヴィ。
左手にリベル。
二人の少女と手を繋いだ俺は、すぐさま転移魔法を発動させた。
魔法陣に呑まれる間際、
「ゼクス……さん」
混乱と悲しみに染まったシータ王女の美貌が、俺の眼球に色濃く焼きついた――。
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