第22話 王都の空に、ドピュ音が響く。

「ひぃぃっっ!」


「何だありゃ!」


「真っ黒!」


 盛大なドピュ音が響き渡った直後、周囲で大きな悲鳴が上がった。


 ドピュ音の正体――。


 それは、ジャイアント・クラーケンの墨である!


 宙にぶちまけられた大量の墨は、さながら黒い土砂降りだ。

 不穏な魔力を帯びた漆黒の液体が、逃げ惑う人々の頭上に降り注いでくる。


「くっ……。やるぞ、みんな!」


「了解! 三人で呼吸を合わせて、一気に……!」


「皆さんを守るために……!!」


 Mに嬉しい三人の美女憲兵が、一斉に八角形の魔法障壁を展開した。


 ――が、防御範囲が狭い。

 彼女たちの魔法障壁では、墨の土砂降りを防ぎきれない。


「俺も協力します!」


 Mに嬉しい三人の美女憲兵に混ざって、俺は右手を宙に掲げた。

 あの墨はマズいのだ。


「こら、離れていなさい! 学生が出る幕じゃない!」


 Mに嬉しいハスキーボイスを糧にして、手のひらに魔法陣を生成する。

 その数、七個。


「なっ……!?」


「第七階梯魔法ですって!?」


「キ、キミ、何者なの!?」


 美女憲兵らが愕然とする。

 だが、今はリアクションなどどうでもいい。


 次瞬、俺の右手から広範囲に放出されたのは、青く輝くまばゆい光。


 その光を浴びた途端、漆黒の豪雨は一滴の例外もなく、すべて空中で静止した。


 ――間一髪、である。


「第七階梯魔法、メロ・リクード。液体を自在に操る魔法です。……ほれっ!」


 説明しながら勢いよく右手を振ると、静止していた大量の墨が一瞬で蒸発した。


 俺はMに嬉しい美女憲兵たちに向き直り、


「あの品種のクラーケンが吐き出す墨には注意が必要です。奴らの触手が分泌する粘液もさることながら、墨は強力な媚薬ですから。一滴でも肌に触れれば、その場で憲兵の誇りと女性の尊厳、どちらも失っていたでしょう」


 一滴=一イキ。


 それほどの威力を持った媚薬である。


 あの墨の恐ろしさを説明すると、憲兵たちは真っ青になった。


「な、なんて卑猥な……。ただでさえ、ぬらぬらといやらしい光沢をしているというのに!」


「それより、あなたは本当に学生なの!?」


「今、第七階梯魔法を使ったわよね!? しかも無詠唱で!」


 矢継ぎ早に質問が飛んでくるが、答えている暇はない。


『ぐりゅりゅりゅりゅ……!!』


 ジャイアント・クラーケンは苛立っているようだ。


「すぐに次の攻撃が来ます! さきほど言ったとおり、できる限り多くの人に避難場所の指示をお願いします!」


 俺の言葉に、三人の美女憲兵は力強くうなずいた。

 そこに動揺は欠片もない。Mに嬉しい精悍な美貌である。


「わかった。冷静な判断、見事だよ」


「せめて名前を聞かせて!」


 やれやれ。今日はよく名前を訊かれる日だ。


「俺の名はゼクス・エテルニータ! 前々世では剣聖、前世では魔導王と呼ばれた大賢者ですが、今は王立ファナティコ魔法学院の生徒です! そしてこの子は弟子のリベル。こう見えて邪眼使いです!」


「よ、よろしくお願いしますっ!」


 緊張気味に頭を下げるリベル。


 例によって「ゼ、ゼクス?」と怪訝な顔をされたが、まあ仕方ない。


 俺は再びリベルをお姫様抱っこした。


「では、失礼!」


 そう言い残して走り出す。


 すると、俺のメロ・リクードを目の当たりにした人々から、


「すげぇよアンタ!」


「ありがとう!」


「助かったわ!」


「さっき息子の傷を治してくれたこと、感謝するよ!」


「あなたは命の恩人だわ!」


「ゼクスさん最高!」


 と、嬉しい言葉が送られてきた。


 思えば三度目の人生を歩み始めてから、こうして好意的に接してもらったのは、リベル以来ではなかろうか……。

 そう考えると、胸がジーンと温かくなった。

 美少女に嫌な顔をされるのは興奮するが、やはり人々の好意というのは嬉しいものだ。


 彼らに笑みを返しつつ、俺とリベルが通りの角を曲がったときだ。


 ――いくつもの火球が、上空を高速で通過していった。


『ぐぎぃぃぃぃぃっ!!』


 ジャイアント・クラーケンの苦しげな声――今の火球が直撃したのだろう。


「王立魔法騎士団が到着したみたいですね!」


「ならば、ここは任せてよさそうだな」


 俺はリベルを抱いたまま跳躍し、大きな教会の屋根に着地した。

 ここなら王都全体を見渡せそうだ。


「ひぇぇっ! い、今、ジャンプっていうか、飛びましたよ!?」


「かつては剣聖と呼ばれていたんだ。これぐらいは造作もない」


 リベルを屋根に下ろし、二人で戦況を確認する。


 東西南北で暴れ回る四体のジャイアント・クラーケンには、魔法騎士団や憲兵隊が応戦しているようだ。


 しかし、気がかりなのはもう一体だ。


 北西部に佇み、いくら攻撃されても微動だにしない個体――。


「奴は一体……」


 そうつぶやき、俺はパチンと指を鳴らした。

 そうだ。

 こんなときこそ邪眼の出番じゃないか。


「リベル、新たな邪眼の力を発動させるんだ。馬車の中で、お前が最後に口にした言葉……覚えているな?」


「えぇっ!? さ、最後に……わたし、何て言いましたっけ? あのときは、その……ブルブルで、頭の中、とろけてて……あんまり覚えてなくって」


 リベルは恥じらいに頬を染めている。

 仕方ない。今は緊急事態なので正解を発表しよう。


「見えちゃいけないもの、見えちゃいますよぉ……! これだ!」


「見えちゃいけないもの、見えちゃいますよぉ……ですか。……うぅぅ、わたしったら、なんて恥ずかしいことを……。御者さんに変なものをお見せしちゃって……」


 赤面をますます深めるリベルだが、俺はその肩に手を添える。


「何も恥じらうことはない。口から自然とあふれ出した言葉とは、すなわち心の声に他ならない。元来魔法の詠唱とは、己の心の声に従い、魔法の完成形をより鮮明に思い描くために存在する」


 彼女の瞳をまっすぐ見つめた。


「すなわち、意識を白く飛ばした状態で発せられた心の叫びには、詠唱と同等の……いや、それ以上の効果があるんだ! リベルは口にしただろう? 見えるはずがないものが見える――。それこそまさに、邪眼の第二段階だ!」


「第二段階……!」


 リベルがハッと息を呑む。

 奥歯を噛みしめ、北西部のジャイアント・クラーケンを睨みつける。


「ゼクスさん。わたし、やってみます。第二段階……どうなるかわかりませんけど、とにかく全力で!」


 そう言い放ち、リベルは体内の魔力を錬り始めた。


 ――感じる。

 彼女の体内を流れる魔力が、ごく滑らかに左目へと集まっていく。


「はぁ、はぁっ……。ゼクスさんにお姫さま抱っこしてもらったおかげで、さっきからず~っとえっちな気持ちなんです! 邪眼……すぐに出せます!」


 前髪で隠れた左目が、黄金の光を放つ。

 渦巻く魔力の風圧で前髪がふわっと靡き、ついに邪眼が露わになった。


「さあ、邪眼で奴を見るんだ!」


「はい!」


 弾むような返事とともに、リベルが謎のクラーケンを見据える。


 他の四体とは異なる動き。

 王都の北西部で静止し、ジッと王宮の方角を向いている個体――。


 奴の目的とは……?


「あ、あ……あぁぁああ!」


 リベルが声を上げた。ひどく慌てた様子だ。


「何が見えた?」


「は、はいっ! す、すごいです……コレ!」


 そしてリベルは口にする。

 黄金の邪眼が持つ、第二の能力を。



「見えるんです……。未来の様子が見えるんですよぅ……!!」



 その通り。

 邪眼が持つ第二の能力。


 それが、『未来視』である。


「素晴らしいぞ、リベル! ただし、未来視は魔力の消費が非常に激しい。使用は最小限に留めた方がいいだろう」


 いくら大気中の魔粒子が二〇〇〇年前とは比較にならないほど高まっているとはいえ、今のリベルに長時間の未来視は不可能だ。


「はふぅ……ふにゃふにゃ」


 案の定、邪眼はすぐに強制解除された。

 左目の光が収まり、小さな身体が腰から崩れ落ちる。


 魔力切れに陥った愛弟子を優しく抱き留め、


「どうだった? あのクラーケンは何をやろうとしているんだ?」


「狙いは……おう、きゅう……です」


 切れ切れに声を洩らすリベル。

 人さし指が、弱々しく王宮を示している。


「王女さまの、部屋……何か、小さいモノが……ガラス、割って……突っ込んで……」


「そういうことか!」


 俺は即座に転移魔法を展開させた。

 目指すは王宮。

 おそらく最上階付近にあるであろう、王女の間だ。


「リベルはどうする? ここで休むか?」


 すでにこの子は魔力切れだ。

 戦いが終わるまで休んでいても問題ない。


 だが、リベルは左右に頭を振る。


「ご一緒したいです! ゼクスさんの戦い、見届けたいんですっ……!」


「よく言った!」


 言葉と同時に、俺はリベルをおんぶした。


「きゃうんっ!? ゼ、ゼクスさんっ……あのっ、お、おしりっ……んぁ、はぁんっ……わ、鷲づかみしてますよぅ!」


 普通におんぶをしたはずが、わずかに手もとが狂ってしまった。


 しかも、俺の両手は制服のスカートの中に潜り込んでいる。


 下着越しの尻肉を掴んでいるのだ!


 温かい……。ふにふにだ……。

 綿のぱんつの感触が、俺の手のひらを癒やしてくれる……。


「ひぁんっ! あぁぁっ……ゼクスさんの手、おっきぃぃ……。じゃなくて! せ、せめてスカートの上から触ってくださいよぅ! はぁ、はぁ……手を当ててるだけならまだ平気ですけど、ちょっとでもモミモミされたら、わたし……!」


 そうは言っても、これは仕方のないことだ。

 制服のスカートが短すぎるのがいけないのである。


「大丈夫だ、リベル。お前の柔らかな尻を両手でしっかり包み込んでいるから、体勢は安定している。さらに俺の背中には、ふわふわとした幸福な質量がたっぷり押し当てられているんだ。これはいい転移ができそうだぞ」


「も、もぉ……。ゼクスさんったら、えっちなんですから……」


 咎めるようなことを言いつつも、リベルはパツンパツンに張りつめた制服の膨らみを、俺の背中にたぷたぷと擦りつけてくる。


 さらに、円を描くように尻をくねらせてきた。

 まるで俺の手のひらの感触を味わうかのように。

 モミモミしたらダメと言いつつ、自分からモミモミに近い状態を演出しているのだ。


「はぁっ、はぁぁ……。んんっ、ゼクスさんの手の温度……ぱんつ越しに感じます。あったかくて、おっきくって……ごつごつしてて。はぁっ、あぁぁん……。こ、こんなの……わたし、またえっちな気持ちになっちゃいますよぉぉ……!」


 いつの間にかリベルの魔力が復活している。

 未来視を使ったというのに、これほど早く回復してしまうとは。


 やはり〝えっちな気持ち〟は偉大なり……!


 だが、感慨に浸っている余裕はない。

 王女の命が危機に瀕しているのだ。



 ――俺とリベルは転移魔法で、王宮へ飛んだ。

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