第36話 追憶

 僕は夢を見ていた。


 小さい頃の夢だろうか……


 暖かな潮風が肌をかすめ、僕は彼女の手を引きながら、白い色合いの建物が多く並ぶ路地をゆっくりと進む。




(女の子の手だ……)




 ほんのり顔を赤く染め、うつむきながら歩く。時折、階段でつまづきそうな所を支えてあげたり、退屈しないように振り返りながら微笑んでみる。他愛のないおしゃべりでクスクスと笑い合う。




(あと少し……この道を抜ければ)




 海の見える丘に到着すると、そこには大きな桃の木がある。太陽の光が真上から降りそそぎ、キラキラとしたその場所は特別に見えた。


 


 僕と彼女のお気に入りスポット。




 木の下で持ってきたサンドウィッチを一緒に食べながら、色んな話しをしていた。話の内容は曖昧であまり覚えていないが、楽しかったイメージしかない。




 ただ……顔や名前を思い出そうとするとモヤが架かったように思い出せない。唯一覚えているのは、彼女の笑顔がとても綺麗だと言うこと。



(ホントは覚えてる。あの女の子は……雪音ゆきねだ)



 特別に感じたのは、その景色だったのか、それとも……彼女と一緒だったからなのか……




 短いようで長く感じたあの瞬間。ずっと続けばいいなと思っていたあの時間。





 僕は恋をしていたんだと思う。







 眩い光に包まれて僕の意識は別の所へと切り替わる。


 あの雪の日の光景。

 少し離れた所には父さんの姿。僕と母さんの方を見て何か大声で叫んでる。



(父さんどうしたの? そんな怖い顔をして。ねぇ母さん……)



 隣の母さんが僕に覆い被さる。そして凄まじい轟音と共に衝撃が体を襲い、僕の意識は白い闇へと消えた。




 全身に激痛が走り僕は意識を取り戻す。痛みがあるというのは生きている証。だけど体が動かない。だんだんと意識がハッキリして最初に見た光景は……





 ……母さんの顔。しかしそこに生気はなく……死んでいるのだとハッキリとわかった。




 まだ温かな母さんの体。時間が経つにつれ、その体がだんだんと冷たくなっていく。そして僕の体には耐えられない程の激痛が襲う。


 永遠と思われる苦しみと寒さの中、一体どれくらいの時間が経ったのだろう。僕にはわからない。白い雪が真っ赤に染まる。たぶん僕と母さんの血だ。呼吸も上手くできない。右目も見えない。


(あぁ……僕は死ぬんだ……)


 おのずと自分の死を受け入れていた。



 薄れゆく意識の中で、僕の心に最初に浮かんだ人は……



 雪音だった。



「もう一度……会いたいよ……ゆきちゃん」




 それが僕が覚えている最後の言葉。


 ………………

 …………

 ……


 気付けば僕は知らない場所に居た。


(ここは……どこ?)


 答えてくれたのは白衣を着た金髪の女性。


「目覚めたわね」

「あ……あぅ」


 上手く喋る事ができない。それに頭や胸がひどく痛い。何か忘れているような……記憶にモヤがかかったような感覚。


「落ち着いて……ゆっくりでいいから」


 その後白衣の金髪の女の人がゆっくりと時間をかけて、僕が誰なのか、どこから来たのか、なんでここにいるのかを教えてくれた。


 その女性は僕の父さんの知り合いの医者だと言う。そこから僕のリハビリが始まる。



 一言で言うと壮絶だった。



 本当は日本に帰りたかったけど、家族を亡くした僕に帰える場所は……ない。



 そしてリハビリが順調に進み、見た目には以前と変わらないまで回復することができた。その頃だろうか? 僕の右目の義眼を作ってくれた人が現れたのは。着流しを身にまとった髭を生やしたおじさん。


 自分の事を医者だとか霊能者とか言っていたがよく覚えていない。それ以降おじさんの姿を見た記憶もない。



 ひとつ言える事は、作ってくれた義眼はとてもキレイだった。





 春の足音がするある日……大人達に連れられて4人の女の子が僕を訪ねて来た。


「せん……ちゃん?」


「せんちゃぁぁぁん……わぁ〜ん……」


 そして僕を見た瞬間、1人の女の子が大粒の涙を流す。


「えっ……あの……大丈夫?」


 アワアワしながら声をかけるので精一杯。そのまま僕に抱きついて来た時に、おぼろげだった記憶を全て思い出す。


「ゆき……ちゃん?」

「せんちゃん……せんちゃぁん」


 あぁ……僕の夢にいつも出てきた女の子は君だったのか。


千姫せんき君、体の調子はどうだい?」


 雪音のお父さんだと名乗るダンディなおじさんと少し話をした。


 僕の父さんとは大学時代の友人。そして雪音の母親と僕の母さんは高校時代の親友なのだそう。


 僕の母さんと父さんが桃宮ももみや夫婦の恋のキューピット。


 世間は狭いね。


 日本の長期休暇を利用してこっちに来たという4人と一緒に、とても楽しい時間を過ごした。それは両親を失った哀しみを乗り越えるかのような時間。


 僕は桃宮家のご好意で日本で暮らせるようになるハズだった……



 ……人の夢と書いてはかない。




 みんなでかくれんぼをしようと入ったビル。

 取り壊し予定のビル。

 僕達がかくれんぼをしている時に、工事中の事故が原因で火災が発生した。




「はぁ……はぁ……みんな……いる?」


「ふぅ……いや、ゆきねがまだ……」


「くっ……ゆきちゃん」


 雪音だけがビルに取り残されたまま。

 僕はみんなの制止を振り切り走り出す。


 必死に探した。ゆきちゃんの考えそうな場所をくまなく。だけど、なかなか見つける事ができない。


「ゆきねぇぇぇ!!」


 何度も何度も叫んだ。煙を吸いすぎて声が上手く出ない。時間だけが過ぎてゆく。


 その時、僕の右目……あるハズのない右目が光だした。着流しのおじさんから作ってもらった桃色の義眼。



(せんちゃん……かおちゃん……)

「はっ!」



 頭の中にゆきちゃんの声が聞こえる。


「あっちか!」


 声のする方へ急いで向かうと……



「ふぇ〜……みんな〜……せんちゃん」


 いた! 僕の世界を変えてくれた女の子。


「ゆき……」


 駆け出す僕の視界に映るのは、崩れ落ちる天井。それでも構わず走り抜ける。その瞬間だけがスローモーションのようにゆっくりと進む。



(あぁ……そうか……父さん母さん。僕はこの為に……ゆきちゃんを守る為に……生かされたんだね)



 苦しい過去も、何度諦めようとした未来も……きっとこの瞬間の為。





 初恋の女の子を守るために僕はここにいる。






「うぉぉぉぉ……ゆきねぇぇぇぇぇぇ」






 天井の崩壊とともに僕の体に凄まじい衝撃。多分、柱が体に刺さってる。そして目の前のゆきちゃん……僕の目の前の彼女には……



「ゆき……ね……」



 白い雪が赤く染まる光景がフラッシュバックする。



 僕は……守れなかった……のか……



 深い深い闇に沈むように、僕は意識を手放した。




 ………………

 …………

 ……




「……………………」


「これが、鬼神千姫おにがみせんき君と雪音の真実だ」


「……………………」


「雪音はあまり覚えてないわよね?」



(…………えっ……なに……私は何を聞かされたの?)



「……かおる」


 私は親友の顔を見る。とてもバツが悪そうにしながらもしっかりと私の目を見つめる。


「……ソラ……咲葉さくは


 他の2人も同じ表情。



(待って待って! 私と千姫が幼なじみ? 昔に会ってる? 私から会いに行った? )



「ふぅ……ふぅ……はぁ……ひゅー」



 ダメだ、呼吸が苦しい。胸が痛い……でもこの胸の痛みは……



「……パパ」

「なんだい雪音」


「私の胸の傷って……」


 夢に何度も出てきたあの光景。それは……


「うん……千姫君があのビル火災の時に、守ってくれたものだ」


 ……やっぱり。


「見た目よりはひどく無くてね。それも彼が身を呈して守ってくれたおかげなんだけど……」


 俯くパバは悔しそうな顔。


(じゃあ、高校で初めて会った時に泣いてたのは……その後、私の胸をじっと見てたのは……)



「……そんな」


 全部私の……勘違い。


「……せんき」


 彼の顔をあらためて見てしまう。今にも目を覚ましそうな穏やかな表情。そして会話を引き継ぐようにパパが言葉を続ける。


「事故の後、千姫君と雪音は手術をした。雪音の傷は幸い深くはなかったからすぐに終わったんだが……」


 私は大丈夫だったけど、彼はなに?


「千姫君の傷は……生きてるのが不思議な程だった」


 それでも生きてくれていた。


「医者の自分が、信じられない事を言うようだけど……奇跡は本当にあると思ってしまったよ」


 奇跡。


「それでな雪音……」

「……うん」


 かおるとは昨日仲直りをした。全面的に私が悪いという事、取り乱した事、八つ当たりをした事。それを聞いて……かおるは許してくれた。そして泣いてくれた。


 だから今日、真実を話すと言ってパパ達とこうして集まっている。



「あの事故の後、千姫のヤツが目を覚ました時に……」

「うん」


『僕の近くにいたらゆきちゃんが悲しむから、僕はいないものとして過ごしてほしい』



「って言ってな……自分はそばに居られないから、私達に雪音を守ってほしいって」


「なに……それ……」



 それを受け入れて、私は彼の存在を忘れて、今まで……のうのうと過ごしていたの?



「……私……最低……じゃない」



 今の話には少しおかしな点がある。

 なぜ彼は今、私がいる高校に来たのか……なぜ私と一緒に過ごしてくれたのか。もしかして私が知らない何かがまだあるのでは。



「ねぇ、かおる……パパ……」

「なんだ雪音」

「ん?」


「他に隠してる事あるでしょ?」


「……っ!」

「……それは」


 図星だ。2人はまだ何か隠してる。

 いや違う。ここにいる私以外の全員が隠してる。



「もう何を聞いても驚かないよ……だから」



 教えて……




「おじさん……」


「かおる君……その……いいのかね?」

「雪音の覚悟は本物です」


「そうか……君達は千姫君から聞いているかい?」


 パパは、かおる、ソラ、咲葉をぐるりと見つめる。3人はコクリと決意したように頷いた。



「ふぅ……わかった」


 パパが深呼吸をして部屋の空気を取り込む。今から話す内容が私の心に嵐を連れてくることになるとは。



 ママは震える私の体をギュっと抱く。






「千姫君の命は……」







 もう長くない……







「彼の体は……もってあと……」








 二年……







 ザァァァァァァァァ……






 突如降り出した雨は




 私の頬から伝う




 涙









 次回【祈り】












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