第35話 孤独





 結論から先に話そうと思う。









 千姫せんきは生きてる。









 生きてるけど目を覚まさない。



………………

…………

……




 あの事件から10日が経った。


 今、私は病院にいる。

 私が倒れたわけではなく彼の様子を見る為に。

 あれから学校には行ってない……行きたくない。



 かおる、咲葉さくは、ソラはあの後も学校に通っている事後処理があるとか。そして放課後には毎日病院に顔を出して、その後の状況を教えてくれた。



 正直聞きたくなかったけど、耳に入ってしまう。



 私達のクラスのあの3人組の1人の親と、あの色目使いの体育教師が知り合いなのだそう。3人組の粗行そぎょうを見逃す代わりに賄賂わいろを受け取っていたとか。それに内申点も加算していたらしい。


 そしてあの事件の当日……私達と話す彼の事が元々気に食わなかった3人組と教師が授業終わりに彼を呼び止めプールに突き落とした。


 いきなりの事でわけがわからなかったのかもしれない。彼は溺れた……それもそうだろう。服を着たまま水に入れば誰だって泳げない。


 そしてそれを面白そうに撮影する彼ら。

 助けるどころか……「泳いで見せろ」「赤点にするぞ」と脅しをかけ一緒になって笑う教師。


 そして苦しむ彼を見て満足したのかプールから去る4人。




 彼はまだ水の中に居たというのに。




 いよいよあがって来なくて焦った体育教師が見に行くと彼は沈んでいた。そしてそのタイミングでソラ達が到着し、あの場面に。



 この話を聞いて私はトイレに駆け込む。

 悔しさと虚しさと腹立たしさと悲しさと怒りと……それから殺意と。


 こんなに誰かを憎んだ事は生まれてはじめてだ。


 彼がプールの底に沈んでいく光景を想像しただけで、トイレの中に胃液を吐いてしまう。



(呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる……いや、いっそ私が……)



 コンコンッ



 そんな考えが頭の中を支配する中、トイレのドアが叩かれる。


「……雪音ゆきね、大丈夫か?」


 かおるの声。


「…………」


 大丈夫なものか。今すぐにでもヤツらの息の根を止めに駆け出したいというのに。


 しかしそれが叶わない事をかおるから告げられる。



「アイツらは逮捕されたぞ」


「…………」



 彼らの行いは世間が知ることになった。

 元々あのプールは事故防止の為に音声付きの監視カメラがある。それが決定打となり逮捕されたのだ。


 後は、彼らの録画していたデータや教師とのメールのやりとり、その他に余罪がたくさんあったとの事。



(そんな事はどうでもいい!)




「雪音……すまん」


「……なんで……かおるが謝るの?」


「いや、その……すまん」



 私は行き場のない怒りを、あろう事か親友にぶつけてしまった。


「なんで謝るのって聞いてるのッ! なにか隠してるんでしょ! なんなの?」


「それは……」


「言えない事なんでしょ? だいたい初めから何か隠してたよね? 千姫と付き合ってるならそう言ってよ!」


「いやちが……」


「何が違うの? 私見たんだから! 保健室で千姫と抱き合ってた事。それから、よくメールしてた事……私の事バカにしてたんでしょ? ふざけないでよッ 」




 ありもしない事なんてわかってる。かおるは彼と付き合ってなんかいない。それはわかってる……わかってるけど、やり場のない気持ちと、不安から来る言葉が止まらない。



 私は……なんでこんなに嫌な女になったんだろう。



「すまん……」



 ギィィィ……バタンッ



 かおるがトイレから出ていく音だけが虚しく響く。




「……ぅ……ひっ…………うわぁぁぁぁぁぁ」






 私はどうすればいいの? 教えてよ千姫



………………

…………

……




 彼をなぜプールから早く引き揚げる事ができなかったか。それは救急隊員とレスキュー隊員が到着して初めてわかった。



 AED(自動体外式除細動器)を使用する際に服を脱がせた時、それを理解する事になる。

 ううん……その場に居た全員が戦慄せんりつする事になる。




 彼の服の下には上半身を覆うように包帯がグルグル巻きにされていた。入学当日から思っていたけど、着膨れしていた理由はこれだった。そして彼を部屋で見た時は包帯をしていない状態。


 だけど衝撃はそれだけではなく……



「うっ……」

「……これは」

「ひどい……」


 見ていた教師や対応にあたったレスキュー隊員までも口を押さえて青ざめる。



 彼の上半身にはおびただしい程の……傷。



 火傷、裂傷、縫合跡ほうごうあと、骨折痕、刺し傷……皮膚が変色している箇所もある。


 傷、キズ、きず……到底数えきれない程の傷。



 おおよそ生身の人間が受けていいたぐいのキズではない。それも、いち高校生が。


 その場にいた救急隊員の話では、傷は古傷なのだとか。イジメが原因の傷ではないとの事だったので、一瞬頭を黒い感情が支配したけど、その一言で落ち着きを取り戻した。


 しかし、彼がどれくらい心肺停止をしていたのかわからないので、最悪の場合を考えろと告げられ、私の心を黒波が押し寄せる。




 絶望という悪魔の波が私の心を塗り潰す。





 その後、救急車ではなくドクターヘリで咲葉のお父さんが経営する大きな病院に運ばれて緊急手術が施される事に。そしてその場には私のお父さんが待機していた。





「パパは医者なんでしょッ! だったら千姫を助けてよ、今すぐ助けてッ! なんで目を覚まさないのよぉ!」


 私が病院に到着すると一目散に父親に当たり散らかした。この時から私は冷静ではなかったのかもしれない。


「落ち着きなさい雪音、大丈夫だから」

「なにが大丈夫なのよ!」



 ママにまでヒステリーを起こす始末。目もあてられない。


 ………………

 …………

 ……


 手術は無事に終わり命の危機からは脱したが……彼が目覚める事はない。それから時間だけが過ぎていき、咲葉達に事の顛末てんまつを聞いたのが昨日。かおるに八つ当たりしたのも昨日。






 そして今は……千姫の病室に私ひとり。






「かおると喧嘩しちゃった……私が感情的になって、勘違いして……やり切れない思いを全部八つ当たり気味に……悪いのは……私……今度、謝らなきゃ」

 私は彼の手を握りながら話しかける。



「ねぇ千姫……一緒に遊びに行くって言ったじゃない」

 開くことの無い瞳を見つめて。




「せっかく一緒に買った水着、ちゃんと見てもらうんだから……」

 お茶目に笑ってみせる。





「……夏休みもたくさん遊ぼうよ?」

 もうすぐ梅雨が明けるよ。






「それに……また藤園に行くって約束もしたよね」

 あの藤の花のカーテンでもう一度写真を撮ろう。







「あっ、私もいい場所見つけたんだ! ねぇココなんだけど、原っぱが綺麗でね……」

 スマホで写真を開き、彼の目の前に。








桃太郎ももたろうを連れてさ、ピクニックに行くの。原っぱを走る桃太郎と一緒にフリスビーをして……ふふっ、千姫はおっちょこちょいだから頭にあたってうずくまるの。それを私と桃太郎が笑いながら見てる……ねっ! 素敵でしょ? 」

 桃太郎はソラが預かってくれてるよ。安心して。









「お昼には大きな木の下で座ってね、サンドイッチを食べるの。あの時は家に忘れちゃったけど……あれから……いっばい……いっぱい練習したんだからね! 今度は……わすれ……ない」

 …………やだよ。









「ひぅ……それ……それを食べてね……千姫は美味しいねって微笑みながら言ってくれるの……ほっぺたに付いたソースを……わ、私が指ですくってね……舐めてね」

 …………やだよぉ。









「それを見た……せ、せんきは……顔を……あか……ぅぅ……あかくして……はにかんで……うぅぅ」

 …………せんきぃぃ。










「……一緒にキャンプに行きたい、花火もしたい、魚釣りだって、そうめん流しだって……それに……夏祭りにも行きたい……わたし……そこでね……そこ……で」








 やだよぉ……せんきぃぃ。









「わ"……わ"だじ……まだ……ぜんぎに……ずぎっでいっでないよ"ぉぉぉぉぉぉ……」








「あ"ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」












 彼の瞳はまだ……闇に閉ざされたまま。










 次回【追憶】







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