第37話 祈り

 今の私の世界は灰色に塗りつぶされている。


 今日は一学期の終業式。


 高校に入って初めての長期休暇。夏への期待、浮き足立つ周りの生徒。


 笑い声が聞こえる。

 まるで彼の事件などなかったかのように過ぎ去る日常。

 周りはきっと何も思っていないのだろう。

 それくらいの時間が過ぎている。



 彼の目が覚めることがないまま20日の時が流れた。



 校長の話、生徒指導の先生の話、生徒会長の話……そのどれもが千姫の事件には触れる事はなく、ただ事務的な挨拶を繰り返す。


(なんで私はここにいるのだろう……)


 全てが灰色に映る私の瞳は何色か。









 かおる、ソラ、咲葉さくはは私を元気づけようとあれから色々話してくれた。


 昔の事、楽しかった思い出、私が知らない彼の話。しかし、そのどれもが泡沫うたかたの夢のように私の頭に入ってこない。




「きりーつ……礼」


「「「さようならー」」」



 一学期が終わった。そして夏が始まる。


 彼のいない……夏。


 ………………

 …………

 ……


 学校から早く帰りたかったので、私は急ぎ足で校門を後にする。


 曇ってしまった私の心は自然と歩を進そして辿り着いたのは……



「……千姫せんき



 彼の家。

 桃の木が成る場所。

 私のお気に入りの場所。




 彼と私の……始まりの場所。




 彼の家を掃除するという名目でパパから鍵を預かっている。しかし私はまだこの木に寄り添って居たかった。


「あの時は……どんなサンドイッチを作ったんだっけ……」


 私がママにお願いして作ったのかな? それとも千姫のお母さんが作ってくれたのかな。


「ふふっ……まさか私と千姫が幼なじみとはね」


 どおりで初めて会った感覚がしないわけだ。あの時、懐かしいと思ったのも、瞳を見てキレイだと思ったのも……全部間違いじゃなかった。



「……うぅ……神様……こんなのあんまりだよぉ……」


 千姫はもう充分苦しい思いをしたじゃない! なのになんでこんな酷いことをするの?


「いったい千姫が何をしたって言うのよぉぉぉぉぉ!」


 私は空に向かって叫ぶ。


「千姫を返してよ……返してよぉ……」


 夏の太陽が容赦なく照りつける大空は……答えてくれない。





 ガチャッ


 1時間ほど外で泣き続けた私は、重たい足を持ち上げて彼の家へと入る。


「お邪魔します」


『いらっしゃい、雪音ゆきね。今日はシフォンケーキを買ってきたんだ』


「千姫っ!」


 ……私の幻聴。


 また泣きそうになる。でも流れる涙は無く、しゃくり上げる声だけが玄関に響く。


(いつまでも泣いてちゃダメだ!)


 気力を振り絞り勢いよく立ち上がるとリビングへと歩みを進める……主のいない室内に。


「よし! 千姫がいつ帰ってきてもいいようにピカピカにしてやるんだから」


 泣き疲れただけなのか、それとも負の感情に押しつぶされたくないだけなのか……今の私には分からないけど、とにかく掃除から始めることに。


「……ほんとに物が少ない」


 今なら彼の気持ちが少しわかる。


 自分の命が長くないと知っているなら、余計な物は持たない人がいるのだとか。以前ネット記事で見たことがある。


(ダメダメ! また変な方向に考えてる)


 リビングの掃除が一通り終わると今度は彼の部屋へ。


(少し罪悪感があるけど……キレイにしなきゃね)


 私は木製の扉の前に立ち、ドアノブに手をかける。


 キィィ

「お邪魔しまーす」


 彼の家に長く居たからだろう。そばに彼の温もりを感じられて気持ちが落ち着いてきた。


「…………っ!」



 1番初めに目に入った光景。

 それを見た私は息が詰まってしまう。




「……これは、私との……写真」



 壁に備え付けられたコルクボードには、藤園でのデートの写真が所狭しと並ぶ。


「私が渡したデータを……わざわざ現像したの?」


 西陽にしびが差す室内はほんのりと熱を持つ。そして私の頬にも一筋の熱。


 日の光で暖かくなる室内。触れた写真も暖かい。

 藤園に行ったのはついこの間のことなのに、ずいぶんと懐かしく思えてしまう。




「ねぇ千姫……覚えてる? 私から手を握ったこと」


 頬を染めながらギュっと握った手。



「私がメモ帳を見ちゃった時、千姫はとんな気持ちだったのかな……」


 1枚1枚の写真には、刹那の魂が宿っているかのよう。



「……これ、あの時の夫婦が撮ってくれた写真だ」


 一際目立つ真ん中に、藤の花のトンネルで撮った写真。私はコルクボードからその魂を胸に抱く。


 ポロッ……


「ん?」


 私は写真と一緒に落ちた1枚のメモ用紙を拾う。写真の裏に貼り付けてあったものか。



「なんだろう、これ……」


 折りたたまれた紙をめくると、ただ一言……






『藤の花の花言葉は……決して離れない』







「…………」



「……ひぃ………うぅ……こんなの……ズルいよ……千姫」




 何度目かわからないぐらいの雫が伝う。


それから机を掃除していると1冊の日記を見つけた。申し訳ないと思いながらも見てしまう。


「これは……」


 高校で私と再開した時から今までの……彼の想い。


………………


 夕日が沈んでも私はページをめくる手を止めなかった。何度も何度も何度も読み直し、彼との記憶を噛み締める。



「千姫が目覚めたら……私は……」



 私は日記を強く握りしめ、ある覚悟を決める。


 その後、パパとママが車で迎えに来てくれたので、一緒に彼の家の掃除を済ませて自宅に帰戻った。


………………

…………

……


「雪音……少しは落ち着いたか?」


 パパの優しい声。


「……うん」


「そう。良かったわ」


 ママは台所から夕飯を運んでくる。なんとか胃に食べ物を入れるだけの気力を取り戻したので揃ってご飯を食べる。




 時刻は夜の11時。

 お風呂に入り、そろそろ就寝しようとした矢先……室内に鳴り響くベルの音。




 ジリリリリリリンッ……



 夜中の電話ほど不吉なものはない。





「……もしもし、桃宮ももみやですが」



 パパが1つ頷くと恐る恐る電話に出る。



(神様……お願い!)



 なぜだかわからないが、その電話が千姫に関するものだと私にはわかった。



(私はどうなってもいいから、千姫だけは……)




 無言の時間が……苦しかった。

 まるで、天使と悪魔の審判を待つ罪人のように。




「ホントですかっ!?」




(あぁ、神様……)




「雪音っ! 」





(……神様!)




「千姫君の目が覚めたぞ!」






(……ありがとう)







 虫の音の知らせは……吉報。






 次回【届く】








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