第26話 心音

 藤園にデートに行った翌日の日曜日、私は居ても立っても居られなくなり彼にメッセージを送る。


 雪音ゆきね

『今から遊びに行ってもいいかな?』


 画面を見つめると直ぐに既読の文字からの返信。


 千姫せんき

『うん、大丈夫だよ。何かお菓子を用意しておくね!』


 その返信を見てベッドの上でまた足をパタパタさせる。


「やったぁ! 2日連続で休みの日に会える♪」


 私は勢いよく起き上がると早速準備に取り掛かる。洗面所に行き服を脱ぎシャワーを浴びる。鏡に写る自分の胸を見て少しのため息。


「……この傷が無ければもっと大胆になれたんだけどな」


 自分の胸に残る傷跡を少し憎らしく思いながら指を這わす。胸にチクリとした痛みを覚えながらも首をブンブン振り、シャワーを済ませる。


「ママ、今日も千姫の所に行ってくるね」

鬼神おにがみ君の所? それならお土産を持って行きなさい」


 ママは私が男の子の家に行くのを反対していないので安心なのだが、何かとお節介を焼きたがる。


「お土産かぁ……」


 その言葉に私は少し考えてから頷く。


(ここ最近、千姫の家に行くのが当たり前みたいになってたからお土産って感覚がなかったや)


「うん、分かった買っていくよ。何がいいかなぁ……」

「雪音、はいコレ」

「えっお金? いいの?」


 何かと財布の紐には厳しい母なので、当月のお小遣い以外はあまりくれないのだ。お手伝いをしたらポイントが貯まり、それに応じて臨時収入はあるのだが、自然と渡されたお札を目の前に目を見開く。


「えぇ、雪音が惚れた男の子だもの。母親としては応援しなきゃね」


 年齢の割に若く見える母親は可愛らしくウインクしてくる。それに若干の苦笑いをしつつお金を受け取る。


 受け取る時に、母親がぐっと私の手を掴み顔を真正面から覗き込む。大人の真剣な眼差しを初めて見た気がした。


「……おかあさん?」


 普段の様子と違うので、ママ呼びからおかあさん呼びに変わってしまう。

 母は私の目を見て諭すように言葉を告げる。


「雪音。何があってもあの子を守りなさい」


 母は何を言っているのだろう……守る? 彼を?


「えっと……」


「どんなに辛い現実も、その思いもしっかりと受け止めなさい。あなたが好きになった子でしょう?」


「う、うん……」


 歯切れの悪い返事の私。しばらくして頭に柔らかい感触が伝わる。この年で母に抱きしめられるとは思わなかった。


「おかあさんとの約束よ?」


 肌に感じる母の温もりに不思議と力が湧いてくる。千姫を守る……その言葉をしっかりと胸に刻みながら言の葉にのせて。


「うん、おかあさん! 私が千姫を守るわ」


 今度の返事は意志の宿った言葉。

 決して違える事のない魂の誓い。





「千姫は何が好きかなーっと」


 ママに見送られて私は駅前の大型ショッピングモールの地下にあるお土産コーナーで物色していた。


「う〜ん。よく考えたら千姫の好きな物知らないなぁ……」



 そうなのだ、一緒にお昼を食べたり彼の家でお茶をする事はあるけれど、基本的には彼は何でも食べる。好き嫌いが無いんじゃないかと思うほどいつも美味しいと言ってくれる。


「初めて行った時はケーキをご馳走になったし、その、次は大福だったし……う〜ん」


 悩んで店内をぐるぐるしていると目の前には期間限定商品の文字。


「期間限定……蜂蜜パイ」


 あまり見慣れない単語だったが、その場は蜂蜜の芳醇な香りが漂っていた。匂いに惹かれるようにショーケースに行くと、お下げが可愛らしい店員さんが声をかけてきた。


「ご試食いかがですか? 甘いですよ」


 スマイル100%の笑顔が眩しくて手にとってしまう。ゴクリと喉を鳴らし口に含む。


「……これください」


 彼へのお土産は一瞬で決まった。

 私の心もこの蜜のように甘く、溶けていく。


 しかし、その光景を陰から覗いている者が居たとは彼女はまだ知らない。影に生きる女……猿飛さるとびソラ。彼女はスマホを取り出すと、高速でメッセージを打ち込み終わると、静かにその場から姿を消す。



 ◆

 何度も来た坂道を私は登っていく。

 もうすぐ会える! その思いが疲れていた体を軽くする。手にはお土産の蜂蜜パイの袋を握り真昼の太陽を一心に浴びる。


「気持ちいい」


 こんなに楽しい清々しい気持ちはいつぶりだろう? かおる達と遊んでいる時とはまた違った高揚感が胸の中を満たす。


「迷惑じゃないって言ってくれてたし、これは脈アリだよね? それに昨日見たメモ帳にも……」


『理想の恋のはじめかた』


 恋……その文字を頭に浮かべるだけで、ドキドキしてしまう。


「千姫も私に恋してくれてるって事でいいんだよね? ね!」


 最近、独り言が増えた気がしたが気のせいだと片付けておく。今日の服装はちょっと攻めてみる事にした。足を大胆に出したデニム生地のハーフパンツにピンクのフレアスリーブを着ている。足元は藤の花をイメージした紫のペディキュアに涼しげなサンダル。


「これくらいなら、セーフだよね?」


 改めて自分を見ると少し恥ずかしくなる。けれど母から言われた事を頭の中で思い出し、ぐっと決意を固めて玄関に向かう。


「ワン!」


 インターホンを押そうとした時に、庭から元気のいい声が聞こえて横に目を向けると……


「やぁ、雪音。いらっしゃい」

「千姫、桃太郎ももたろう……」


 優しく桃太郎の頭を撫でながらやってきたのは、恋焦がれる心の住人……鬼神千姫その人。



「開いてるから入ってきて」

「うん! お邪魔します」



 玄関をガラリと開けて中に入る。

 何度も開けたはずの扉の音は、この日だけは五線譜の上で踊る私の心の音がした。






 一方、その光景を遠目から覗いている者が居た。陰に隠れ影に生き風の様に姿を現す存在……猿飛ソラ。


 彼女はスマホを取り出すと、グループから2つのアイコンをタップする。


 ピロリンッ


「対象追跡完了……現在位置……」


「「ラジャー。合流する」」



 昨日の仕返しとばかりに張り切る3人の顔はどんな表情をしているのだろうか……



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