第21話 弁当

 陽の光が暖かい。

 私の心はそれ以上に暖かい。

 彼から名前を呼ばれる事がこんなにも嬉しいとは思わなかった。

 そして彼も同じだったのが、その気持をどこまでも押し上げる。


雪音ゆきね……さん、あの」


「さんはいらないよ千姫せんき


 彼はどこか恥ずかしそうに目線を泳がせながらそっと私の名前を口にする。だから今度は私が彼を見つめ返し、真っ直ぐに伝える。


「うん、わかったよ雪音」


 ドキドキ……バクバク


 彼の一言一言が私の心臓を叩いているよう。


「それで、どうしたの千姫?」


 彼の名前をもっと口に出したい。その思いで、ことある事に彼の名を呼ぶ。

 千姫……自然とその響は私の心にしっくりと馴染む。



「もうそろそろお昼にしない?」

「あっ、そういえば……」


 言われて数秒。


 ぐぅぅぅ

 くぅぅぅ


「…………」

「…………」


「き、聞こえた?」

「バッチリと……僕のも聞こえた?」

「しっかりと!」


「ふふっ」

「あはははっ」


 お腹は正直だ。こんなに緊張しているのに食欲は空気を呼んでくれない。だから欲と呼ぶのだろう。


「雪音と周波数が似てるのかもね」

「周波数?」

「うん、例えなんだけどね。以心伝心いしんでんしんとはちょっと違うけど同じ電波みたいなこと」

「……同じ電波」


 彼と同じ電波……その例え方までも愛おしいと思ってしまう私の心は晴れ模様。


(ダメだダメだ……昨日までの冷静な私はどこへ行ったの? こんなにドキドキしてるのはいつぶり?)




 嘘である。

 彼女は昨夜、楽しみのあまりほとんど寝てない。そして、朝早く起きて家族に内緒でお弁当まで作ってきたのである。遠足前の子供よりウキウキしていた。


 しかし、世の中はうまく出来てはいない。



「じゃあ、お昼食べようか!」


 私は彼からの提案で鞄の中を漁ってお弁当を取り出そうとする。ちなみに今日はサンドイッチにしてみた。これなら具材を挟むだけなので料理が不得意な私でもなんとか作れるのだ!


 ガサッ


(……アレ?)


 ガサゴソッ


(……まさか)


 ゴソゴソ、ガサガサ


(アハハハ……)


 サァァァ……


 頭の中が真っ白になる。血の気が引く、顔が青白くなる。せっかく早起きして、彼の事を考えながら作ったサンドイッチ。


 卵を潰しマヨネーズをたっぷりとかけて隠し味に蜂蜜を入れた、たまごサンド。


 薄く切ったハムにシャキシャキレタスとトマト、隠し味にチリソースを入れた、ハムサンド。


 昨日の残りのチキンの照り焼きをこっそり拝借しタルタルソースを添えた、照り焼きサンド。


 今朝の光景が頭の中でフラッシュバックする。


(テーブルに置いたままだ……)





「わ……」

「わ?」


「忘れたァァァァァ!!」


 園内に響く私の慟哭どうこく。なんて事だ、せっかく早起きしてこの日の為にかおるから教えてもらったのに。


 ケケケケケッ


 心の中の悪魔が嘲笑あざわらった気がした。


「フフフッ……ふふふふふ」


 壊れた人形のように私の口から魂が抜けていく。それを心配して彼が肩を揺さぶりながら声をかける。


「おーい雪音、戻ってきて!」

「ははは、わらってくれ千姫よ、この哀れな私を……」


 もはや口調までおかしくなる始末。だって仕方ないじゃん! この日の為に、彼の為に、笑った顔が見たくて頑張って作ったのに。


(私がどれほどこの日を楽しみに……)


「うぅぅぅ……お弁当忘れちゃったよ〜」

「お弁当?」


 目の前の現実を口にした私に彼はキョトンとした顔。


(むむむ! その顔は私がお弁当を作るなんて変だと思ってる顔だな。失礼な!)


 しかし、彼の口から出た言葉は見当違いのものだった。


「あっ! そういう事か……ごめん雪音、先に言っておくべきだった」


「ほえっ?」


 私の言葉に何か納得した顔で手をパタパタさせながら謝ってくる。一体なんだと言うのだ。


「ここ……お弁当持ち込み禁止なんだよね」


「…………はい?」


 オベントウモチコミキンシ?

 はて? 彼はなんと言ったのかな。

 お弁当……禁止。

 持ち込み禁止。


「マジ?」

「まじです」


「先に言ってよぉぉぉ」


 八つ当たり気味になげいてしまった。


「ご、ごめん! まさか雪音がお弁当を作ってくるなんて思ってなくて……」

「今、軽く悪口言ったよね? ね!」

「あはははッ……スルーの方向で」

「しっかり聞こえたもん! 全く、本当にまったくだよ……」


 私が料理できない事は彼も知っているけど、今日くらいちょっと期待してくれてもいいじゃん! 男の子は好きな女の子からの手作り弁当を食べたい物でしょ?


(ん……好きな子?)


 ここで私は致命的なミスをした事に気づく。私が彼を好きな事はさっきわかった。それはいい。

 しかし、彼が私を好きかどうかは不明のままだ。


(やっべぇ……早とちりする所だった)


 今までの会話からすると、ちょっとは好意を持ってくれているはずなので、彼の真意を知るためにこっそりと探りを入れてみよう。


「エッホン、オッホン……千姫はさぁ?」

「大丈夫雪音? もしかしてさっきの怒った? それならごめんね」


「いや、それは今はいいんだけど……」

「うん」


「私が作ったお弁当食べてみたかった?」


(アレ、こっそりはどこに消えた?)


 そんな私のストレートな質問に彼もストレートで答える。


「すっごく食べてみたかったよ! さっき忘れたって言ってたよね? 今日の為にわざわざ用意してくれてたんでしょ? それなら食べたかったよ……」



(くぅぅぅ……これ脈アリちゃうん? 両思いちゃうん?)


 早口でまくし立てられた彼のストレートなボールに、心のバッドでホームランを打ちたい。


「ほ、ほぉん。私の作った料理が食べたいんだ」


 余裕があるのかないのかわからない私の返事に更に追撃が加わる。


「この前看病に来てくれた時に、お粥作ってくれたよね。誰かから料理を作ってもらうのが久しぶりで凄く嬉しくて」


「う、うん」



「それに、その……雪音が作ってくれたってのが1番嬉しくて……だから、雪音の料理……もっと食べたいな」




 ダメだ……そんな目で見つめられたら抱きしめたくなっちゃう。



 今日のゲームは私の空振り三振でいいや





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