第5話 桃太郎と私
丘にある木に隠れて私はその光景を見ていた。柵の中の庭に柴犬が尻尾をブンブン振って喜んでいるのがわかる。しかし首輪は付けていない。
(なんでだろう……)
そして彼、鬼神千姫は大きな袋を持って古い家の敷地に入る。
(ここ、やっぱり彼の家だったの?)
そんな疑問がよぎったが、今は彼の行動を観察することにした。
「桃太郎〜いっぱい買ってきたぞ!たくさんお食べ」
彼は大きな袋から沢山の食べ物を取り出した。いや、取り出したのはいいがその中身は……
焼き鳥・唐揚げ・おにぎり・はたまたスナック菓子の数々
「待ったぁぁぁ!!そのチョイスはダメだぁぁぁ!」
私は隠れる事も忘れて叫んでいた。そして今にも美味しそうに食べ始めるワンちゃんを止めるべく走り出していた。
「ッ!?」
彼は私の声に肩をビクッとさせて、こちらを振り向き固まっている。
「えっ?……も、桃宮さん?」
私は急いで庭に入り食べ物の数々を没収していく。
その時「くぅーん……」とワンちゃんの声が頭に響いたが背に腹はかえられない。
「ぜぇ……はぁ……な、何考えてるのよ?」
息を切らせながら尋ねる。少し声が荒れているがそれは気にしない。
「桃太郎にご飯を……」
「バカじゃないの?人間の食べ物与えてどうするのよ?」
私は怒っていた。ペットに人間の食べ物を与えて亡くなる事があるとわかっていたからだ。
「でも、美味しいし……」
「はぁ?いいわけ無いでしょ!今までもあげてたの?」
「いや、実は昨日……道端で鳴いてたから」
「……だから拾ったってわけ?」
コクリと頷く彼。
「昨日は何あげたのよ?」
「ダンボールの中にドッグフードとミルクがあったから」
「で、なんで今日はこんなチョイスなのよ?」
「お腹いっぱい食べて欲しくて……」
はぁ……と私はため息がでる。
(昨日拾ったから首輪も無かったのか)
「あんた動物育てた事あるの?」
「いや、ない……です」
その返答に私は暫し腕を組んで考えた。足元を見ると可愛らしい柴色の毛並みが足首をぺろぺろ舐めている。
そして、ふと顔を上げたとき……そのつぶらな瞳が私を見据え「くぅーん」と再度鳴いてきた。
はぁ……私は今日ため息を吐くのは何度目だろう。
「……いいわ!私が色々教えてあげる」
(あの瞳に見つめられたら降参だわ。可愛すぎよ)
「えっ……でも」
「とてもじゃないけど、あんた一人に任せておけないわ」
「……」
彼は下を向きワンちゃんと同じ目線に立ち頭を軽く撫でながら考えている。その横顔は学校では見たことが無いほど、優しく穏やかで慈愛に満ちていた。そしてどこか寂しそうに。
……何かを決めたように
……何かを宿すように
……何かを托すように
風でなびく髪、見えそうで見えない右の目、夕日に照らされてかその顔は堀が深く男らしいとさえ思ってしまった。
その横顔に不覚にも美しいと思ってしまう私がいた。慌てて首をブンブン振る。
(私は、なよなよした男は……)
「……うん、わかった。色々教えてください桃宮さん」
彼は立ちあがると私と目線を合わせてそう答えた。彼の顔をまじまじと見たのはこれが初めてだろう。
しかし、初めてだと言うのになぜか、懐かしさを感じてしまう。まるで、夢の中の……
「ワン!」
思考の海の中に可愛らしい声が横切った。その声の主の方を見下ろすと「早くご飯!」と言いたげに尻尾をブンブン振っている。
(この子、桃太郎って名前なのよね……ふふっ!ちょっとだけ親近感がわくかな)
「桃宮さん、昨日のドッグフードがまだあるんだけど、それでいいかな?」
「……そ、そうね、今日はそれにしよう。あとお水を一緒に持って来て」
「うん!」
彼は私の言葉に嬉しそうに返事をすると、家の中に入っていった。
(やっぱりここに住んでるんだ)
私のお気に入りスポットに住む彼。大きな木が風に揺れてザワザワしている。
夕日が沈む時、最後の暖かな光を目一杯浴びる空、そこに佇む私とワンちゃん。
そして私の背後には一人と一匹の影が地面に大きく伸びる。
そこに彼の影は無い。その光景を見て胸がズキリと痛む。
(この胸の痛みはなんだろう……)
私はこの時、もっと深く彼の事を知るべきだった……彼の思いを知るべきだった……この胸の痛みも……
この時はただ、胸の違和感を不快に思う事しかできずに彼が戻ってくるのを待つしかなかった……
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