25.フォーク
「構わないよ」
「ほんとですのっ」
公爵様が笑顔で了承すると、お嬢が表情を輝かせた。マジか。
俺は手で顔を覆った。いくら公爵様が娘に甘いとはいえ分別のある人だ。却下してくれるのを期待していたのに。
「あの……、俺、踊り方変らしいんですけどいいんですか……?」
「私は、イザークの踊り方は面白くて好きだよ。それに変な虫を宛がうより、イザークの方が余程安心だ」
「そうですか」
公爵様の笑顔が眩しい上、迫力がある。親バカな理由に妙に納得した。ただ一緒に踊るだけなのにそんなに嫌なのか。
ダンスの練習中、見学に来ていた公爵様にお嬢がパーティーの代打を俺にしていいか打診したら、あっさり許可が出た。
少し前にレオの誕生日パーティーの招待状が届き、婚約者候補であるお嬢宛てには二枚目があった。他の婚約者候補にも同様の内容で届いているだろう、レオが誰とも踊らない旨の断り。俺とお嬢は事前に知っていたけど、本当に実行するとは、恐ろしく行動力のある奴だ。
「まぁ、王子殿下の代行で踊るならば、このレベルで甘んじてはなりませんね!」
「ひぇっ、お手柔らかにお願い、します……」
エラ先生の明らかに火がついた声に、俺は身が竦む。ただでさえガッツある人だ。特訓させられそうで怖い。既に確定事項な気もするが。
「それ以前の問題があります」
控えたまま一言も発していなかった師匠こと執事のハインツさんの声が割って入った。よく通る師匠の声に、一同の視線が集まる。
「師匠?」
師匠は俺の前まで来て、質問をした。
「イザーク。君は、貴族のパーティーをどういうものだと思っていますか」
「美味い飯があるのに腹いっぱい食べちゃダメなところ?」
質問に答えたら、師匠は頭痛がするかのように額を押さえ、公爵様は後ろを向いて震えだし、お嬢からは残念そうな眼を向けられた。
「ザク……」
「え。なんかそんな勿体なさそうな感じじゃん」
食レポの、後でスタッフが美味しくいただきました的な感じで、残った分を使用人とかが食べているかもしれないが、賞味期限ギリギリな状態より美味しい状態のときの方がいいだろう。
「合っていなくもないですが、着目するところが限定的すぎますわ」
お嬢が呆れた様子でそう言うのと、師匠が溜め息を吐くのはほぼ同時だった。
「……君にはまず、その言葉遣いを直して、従者として最低限の礼儀作法を身につけてもらいます。取り急ぎ、稽古の時間をそちらに宛がいましょう」
「えっ!?」
体術の稽古が中断することにショックを隠せないでいると、師匠の鋭い視線が俺を刺す。
「基礎鍛練を欠かさなければ問題ありません。時間がないんです」
解りますね、と暗に言われて、俺はしっかり頷いた。
「はいっ、ありがとうございます!」
元々忙しい時間を割いて、師匠に稽古をつけてもらっていたんだ。頭のいい師匠が、逆算して稽古の時間をすべて使わないと間に合わないと判断したのなら、従うより他ない。
「稽古?? そういえば、どうしてザクはハインツを師匠と呼びますの?」
きょとんとするお嬢を見て、師匠に体術の稽古をつけてもらっていることをお嬢に隠していたのを思い出した。隠しているというより、訊かれないから言ってないだけだけど。
どうしよう。カッコ悪くて自分から言わないようにしてただけで、特にバレても困らないんだよな。
お嬢を守りたいと思って自分の不甲斐なさを自覚したのがきっかけなだけだし。けどなぁ、実力が伴ってない状態で守りたいとか思うこと自体押し付けがましいし、俺が勝手に思ってるだけでお嬢に頼まれた訳でもないからなぁ。どちらにせよ、お嬢を下町に誘えるようになるまで先は遠そうだ。
俺の中だけで起こったことをどう説明するか悩みながら口を開こうとしたら、パンパンと手を叩く音が練習室を占めた。
「もう私語はよろしいでしょう。時間は有限です。練習に戻りますよ」
「「はい!」」
エラ先生の一声に、お嬢は背筋を伸ばし、俺は敬礼をした。
練習中はエラ先生に逆らわないように、俺もお嬢も条件反射が染みついていた。それ以上は私語はせず、俺たちは練習に戻ったのだった。
数日後、オク様からお茶会の誘いがあり、俺は久しぶりに会うお嬢の妹のフローラを膝に乗せてお菓子をいただいていた。
場所は、睡蓮が絵画のように咲き誇る池の中にある東屋だ。離れの近くで遠いのに、オク様はこの時期には必ず一度はこの東屋をお茶会に使ってくれる。やっぱり見てくれる人がいる方が、庭を手入れする身としては嬉しい。
「イザーク君、ディアとパーティーに行くんですって?」
「あ、はい」
フローラにせがまれてフィナンシェを取ってやりながら、返事をした。俺にはフィナンシェがマドレーヌとどう違うのか、よく判らない。形以外だと、なんかちょっと味が違うかもぐらいにしか感じない。とりあえず美味いから、それでいい。
「オク様は行かないんですか?」
「イザーク君が行くなら行かないわ。フローラが寂しがるもの」
何で、俺??
後者の理由は解るが、何故俺を基準で判断するんだろう。俺が首を傾げると、フローラもフィナンシェを食べながら同じ方向に頭を傾けた。
「懐いているイザーク君が面倒を見てくれるなら、安心してパーティーに行けるんだけど」
「すみません」
ふふ、と柔らかに微笑むオク様に、俺は申し訳なくなって謝る。確かに、お嬢も公爵様もいなくて、更にオク様までいなかったらフローラは寂しいだろう。子守りはよく下町でも頼まれるから、俺で相手になるなら別に構わない。
「いいのよ。楽しみだから」
「楽しみ?」
パーティーに行かないのにオク様が楽しみにする理由が判らない。オク様は言葉通り楽しそうに眼を細めて、お嬢の方を見遣る。
会話する俺たちをお茶を飲みながら、警戒するように窺っていたお嬢はその視線に身体を強張らせる。だから、なんでお嬢は、毎回そんな人間に警戒する野良猫みたいなんだ。
「ねぇ? ディア」
「わ、わたくしは別に……」
「あら、そうね。むしろ、心配ね」
ふと気付いたように言ったオク様の発言に、お嬢は首を傾げる。俺は庶民だから色々やらかしそうだという意味だろうか。お嬢や公爵様に恥をかかせる訳にはいかないから、頑張ろう。
「気合いを入れておめかししないとね」
手伝うわよ、と楽しげなオク様。上品を体現したような人だから、気合い、という単語が似合わないと感じた。俺がそんなことを思っている間、お嬢は言葉の意味を理解しようと少し眉を寄せた。しばらく悩んで、不意に俺に眼を止めてはっとなる。そのまま一時停止するから、俺は首を傾げた。フローラもつられる。
「お嬢?」
「ねーしゃ?」
声をかけたからかどうかは判らないが、お嬢は両手で頭を抱えてテーブルに肘を突いた。いつも姿勢がいいお嬢らしくない。何故かぐぬぬ、と唸っているし、一体どうしたんだ。とりあえず、フローラが鳴き声を真似するから、唸るのだけでも止めるように言った方がいいだろうか。
何かに葛藤をしていたお嬢は、たっぷり間を溜めてからオク様に頼んだ。
「…………お母様、協力お願いいたしますわ」
「ええ」
柔らかに微笑むオク様に無理強いする様子はない。なのに、あまりにお嬢が悔しそうに言うから、言わされた感があって不思議だ。
でも、そうか。パーティーに行くってことは、お嬢がドレスアップ的なことをするのか。ほんとなら見れる機会のないお嬢が見れるのは楽しみかもしれない。
「いつも綺麗なお嬢がめかすんなら、すげぇんだろうな」
「う。ねーしゃ、きれー」
「っ!!」
ぼんっと真っ赤になったお嬢は、わなわなと震えだす。あ、コレ、怒られるかも。俺が若干身構えるも、お嬢は競り上がってきただろう怒りを飲み込んで、疲れたように言った。
「ザク……、パーティーでは『綺麗』、『可愛い』は禁句ですわ」
「わかった」
そうなのか。貴族のパーティーは変なルールがあるんだな。
「でも、俺、お世辞とか言えないから、滅多に言わないと思うけど」
お嬢が何言ってんだコイツ、みたいな
「そういえば、今日のディアのドレスは私が選んだのよ。イザーク君、どう思う?」
「可愛いです」
薄い緑と白のストライプのワンピース風のドレスだ。レースは少なめだが、色は季節に合わせて爽やかだし、下の方で二つに括った髪は束ねている箇所でリボンではなくみつあみが巻いている。ストライプのドレスがあるなんて知らなかったが、お嬢によく似合っている。
俺の答えに、何故かオク様はツボったらしく、くすくすと笑いだす。美少女が似合う服を着たら普通に可愛いだろう。事実を言っただけなのに、何が可笑しいのか。
気付いたら、お嬢がテーブルに突っ伏していた。
「……ザクは、もう黙っていた方がいいですわ」
どうやら今のやり取りで、俺がパーティーでちゃんと敬語を使えるか不安になったようだ。どこかマナーが悪かったんだろうか。お嬢の真似をしようとするフローラが、そのままでんぐり返ししないよう額と胴体を押さえながら、俺は師匠の従者講座を頑張ろうと思った。
今思えば、あのお茶会が最後の安らぎの時間だった。
エラ先生のダンス指導が特訓と化したのは言わずもがな、師匠の従者講座も短期圧縮で厳しかった。
師匠曰く、簡単に、しか教えていないらしい。本来なら出席者の顔と名前が一致するよう暗記した上で、助言できるよう派閥などの関係性まで理解が必要らしい。何、そのスーパー秘書。俺、暗記苦手なんだけど。前世で歴史の勉強を頑張ってたら何か活かせたかもしれないが、いつもギリギリ平均点だった。その辺を割愛してくれて本当によかった。
レオの誕生日までの約一ヶ月は怒涛のように過ぎた。
当日はエルンスト家の馬車に同乗させてもらったが、トチらないように師匠に教わったことを脳内で復習していたから、外を見る余裕がなかった。到着したら先に降りて、黙してお嬢が降りるのに手を貸す。内心いよいよ後戻りできない感を感じて、一瞬帰りたくなった。
公爵様も降り、お嬢をエスコートする。俺はその二人にただ追従するだけだ。後ろから見て気付く、公爵様とお嬢が注目を浴びている。顔に出さないように気を付けつつ、内心感心する。フル装備の美形って凄い。お陰で俺の存在が霞んで、息がしやすい。悪目立ちしないか心配だったけど、杞憂だったみたいだ。
しかし、従者って微妙に辛い。初めて王城に来たのに見回せないし、師匠にへらへらしないように注意されているから、無表情にならない程度の真顔を維持する苦行がある。
「相変わらず派手な登場だな、ジェラルド」
「特に変わったことはしていないだろう」
豪気な声がしたと思ったら、顎髭を生やした貴族の兄ちゃんがこちらに来た。公爵様の知り合いみたいだ。こんなワイルド系の貴族もいるのか。
「ツィンバルカ様、トルデリーゼ様、お久しぶりです」
お嬢がスカートを摘んで、髭の兄ちゃんとその後ろにいる女の子に軽く会釈する。コレの名前、覚えた。カーテシーとかいうヤツだ。
「これはこれは、リュディア様。本日は一層麗しいですな」
「お久しぶりです、リュディア様」
二人もそれぞれ挨拶を返す。女の子の方は、嬉しそうな表情をお嬢に向けた。初めて見るけど、この
「ん? こいつは?」
髭の兄ちゃんの眼が一度、俺に留まる。俺は無言で頭を下げた。俺ではなく、公爵様に向いた問いだから、俺に答える権利はない。
「彼は家の
「……お前、娘の相手まで自前で賄うなんてどんだけなんだよ」
公爵様の答えに髭の兄ちゃんは呆れた様子だ。公爵様の家族バカは随分有名らしい。しかし、貴族にしては砕けた話し方する兄ちゃんだな。
「それよりも珍しい奴が来てるぞ」
「誰だい?」
髭の兄ちゃんが手をあげて後ろに振り向くと、ちょうど呼んだ相手がこちらにたどり着くところだった。
「アウグスト候は、相変わらず足が速いな」
「何を言う、ヴィート候。娘は追い付いてるんだ。貴殿の体力が落ちているんじゃないか?」
「君は一度、後ろを振り返った方がいい」
髭の兄ちゃんに苦笑を返すのは、ダニエル様だった。ダニエル様の言う通り、きっと走らないギリギリの速度で追いかけてきたんだろう兎の娘は、微かに息があがって頬も上気している。令嬢は走ってはいけないルールらしいから、大股で歩きそうな父親の後について行くのは大変だっただろう。
「どうぞ」
ちょうど給仕の人が通りかかったから、林檎と紅茶を割ったらしいノンアルコールカクテルをもらって、兎の娘に差し出した。
「あ……、ありがとうございます」
「いえ」
彼女は少しビクついたけど、俺がお嬢の従者だということに気付いて、安堵して飲み物を受け取った。もしかしたら、家族以外の男性が苦手なのかもしれない。でも、使用人の俺にも丁寧に礼を言ってくれる優しい
何故かじっと兎の娘に凝視された。変なところがあったかと考えて、すぐに気付いた。一瞬、気を抜いてヘラついてしまっていた。内心慌てて表情を引き締めて、お嬢に声をかける。
「お嬢様はいかがいたしますか」
「今はいいわ」
「かしこまりました」
頭を下げ、また後ろに控え直す。出過ぎた真似をしたかとも思ったが、お嬢が睨んでないから大丈夫なはずだ。いざとなれば、視線とかで注意してくれるって言っていたし。師匠にも令嬢には配慮するように教えられたから、たぶんこれぐらいなら俺から動いてもセーフだろう。
お嬢は兎の娘と話し出し、公爵様は髭の兄ちゃんとダニエル様と話している。一度ダニエル様と眼が合って、優しげに微笑んでくれた。俺は軽く会釈だけして返す。気を張ってないといけないけど、少しほっこりした。
女の子の会話は聞かない方がいいだろうとそちらから意識を避けていたら、自然と公爵様たちの会話が耳に入った。
「流石に、二度も王家からの招待を断れないさ。まぁ、最低限の挨拶を済ませたら帰るが」
「それにしたって、ジェラルドは驚いてもいいだろう」
面白くなさげに髭の兄ちゃんが公爵様をじとむが、公爵様は笑顔でそれを受け流す。
「私は、彼と何度か会っていたからね」
「む……、仕方ないだろう。俺が行っても気の利いたことなぞ言えん」
気まずそうにする髭の兄ちゃんに、君らしいと公爵様が微笑み、ダニエル様も嬉しげに眼を細めた。どうやらこの三人はダチみたいだ。当たり前といえばそうだが、ダニエル様を心配する人が公爵様以外にもいて、何だか嬉しい。
公爵様たちは和やかに、お嬢たちは楽しげに歓談していると、荘厳な音楽が流れ始めて全員が階段の向こうの両扉に向いて頭を垂れた。俺もそれに倣うと、扉の開く音がして数人分の足音がホールに近付き、通りのいい男性の声がした。顔をあげるように言われたので、初めて見る自分の国の王様に期待しながら頭をあげた。
あれ? 王冠は??
王冠に、もふもふしたファーが付いた引き摺るぐらい長いマントと、何のためかは判らない杖のフルセットを想像していた。イメージと違うことに俺は内心愕然とする。
確かに、この場にいるどの貴族よりも上質そうな衣装を着ているが、基本のデザインは一緒だ。王族と貴族で違うのは、マントをしているくらいか。王妃様が二人いるが、女性用のマントは装飾の一部らしく、肩の宝石の嵌まった金具から金属のチェーンで前を留め、肘ほどの長さの生地は極薄かシースルーだ。
俺には王様というより、舞台俳優しているレオの父親って感じだ。見た目が派手だから、王族って政治家というより芸能一家みたいだな。位置関係もあって舞台観てる感覚になる。しかし、王様は親父や公爵様より歳が上に見える。三十代前半か半ばぐらいだろうか。
そんなことを考えながら見ていて、ある問題に気付く。眼が辛い。眩しい。チカチカする。
公爵家で、王族から位置が近いのが、俺に災いした。レオとはオフレコでしか会わないから見ないようにできたけど、今は不敬にあたるからできない。前世の小学校の全校朝礼で、校長のヅラが風で飛んで眩しい頭皮が現れたときはガン見したんだけどなぁ。なんで、王様、ハゲ親父じゃないんだろう。それなら見れる。
せめてもの救いは、校長の眠くなる長話と違って王様の話が短く、その後のレオの挨拶も短かったことだ。ちゃんと聞いてなかったけど、レオは生徒会長みたいなことを言っていた気がする。とりあえず、全校朝礼みたいな開会の儀が早く終わって、ギリギリ俺の眼が持った。貴族の人たちなんで平気なんだ。貴金属に見慣れてるからか。
楽団からパーティーのBGMが流れ始め、それぞれが思い思いに動き出して、俺は内心安堵した。もし叶うなら、今すぐ眼球マッサージしたい。熱いおしぼりを眼に当てるおっちゃんの心境がよく解る。後は、お嬢とのダンスのノルマをこなせばいいだけだ。一曲だけで大丈夫だってお嬢も言ってたし。エラ先生の特訓でぶっ続けで踊り続けたことを考えれば、とても楽だ。
「公と会うのは久しいな」
「これは殿下、おめでとうございます。一年前より背が伸びられましたね」
「ありがとう。身丈以外も成長できていると嬉しいのだが」
「ご謙遜を」
あ、忘れてた。レオの挨拶回りは、公爵様やお嬢も対象だった。公爵様とレオのセットがキラキラしすぎて一瞬、蛇に睨まれた蛙のように硬直しかけたが、どうにか平静を装って耐える。周りでは貴族の夫人や令嬢が黄色く色めいている。視界に入って辛い俺は一時的にそのフィルターを貸りたいぐらいだ。
「リュディア嬢は幾日かぶりだな。今日はまた一段と麗しい」
「ええ。この度はおめでとうございます、殿下。お褒めに預かり光栄ですわ。けれど、殿下の装いには劣ります」
「ありがとう。一応、このパーティーの主役だからな。麗しい令嬢たちに埋もれてはいけないと、少し張り切ったんだ」
レオが眩しい微笑みを湛えてそんな
早く他に行ってくれないか、と思っていたら、レオが俺の方を一瞥した。蜂蜜色の瞳を真っ向から見るのは随分久しぶりな気がする。一瞬だけ、蜂蜜色の瞳が可笑しげに細められた。
「彼が今日の?」
「ええ。我が家の使用人ですの」
「そうか。済まないが、よろしく頼む」
俺は恭しく見えるように、深々と礼を取った。視界から眩しさが消えて、内心安堵する。
「不相応な大役ではございますが、精一杯務めさせていただきます」
レオとお嬢のやり取りも白々しく感じたけど、やっぱりレオ相手に敬語を使う違和感で背中がもぞもぞした。社会に出たらダチや後輩が上司になることはざらにあるだろう。そういう人たちはどうしてるんだろうか。とりあえず俺は、なるべく
ちょうど音楽が変わったので、お嬢に手を差し出す。
「お嬢様、お手をどうぞ」
お嬢は公爵令嬢らしく凜とした様子で、手を重ねた。ダンスエリアまでエスコートして、曲に合わせてステップを踏む。
「…………で、お嬢、耳大丈夫?」
他の踊っている人たちに聞こえない声量で訊く。お嬢はダンス用の笑顔を保ったまま、声だけ少し弱りぎみに返す。
「まだパーティーの最中なのですから、その言葉遣いはやめなさい。……けれど、正直助かりましたわ」
「お嬢、耳弱いもんな」
「語弊のある言い方をしないでくださる……っ!?」
お嬢は音感がいいらしく、音の聞き取り能力が高い。習っているピアノの先生に褒められているらしい。庭にいるときも遠くの小鳥の囀りには、お嬢が先に気付く。その代わり、大きな音などには弱い。さっきの黄色い悲鳴は、俺以上にダメージがあったはずだ。
「俺もレオから逃げれて助かった」
「…………まぁ、眼を瞑らなかっただけ、ザクにしては頑張った方ですわね」
不敬だなんだと注意されるかと思ったら、間を置いて呆れまじりの声で言われた。三人でいるときはよくお嬢を盾にしているから、どれだけ俺が眩しいものが苦手か解ってるんだろう。
「貴族のパーティーって眩しいの多いな。こうしてお嬢だけ見ていられれば楽なのに」
大半の令嬢が貴金属のアクセサリーで着飾る中で、お嬢は最低限のイヤリングや髪飾り程度だ。貴金属が少ないと言っても、ドレスの裾の刺繍などが恐ろしく細かいし、造花の飾りが主体となって、華やかで高級感がある。実際、とても高い意匠のドレスだろうが、光源が最小限で俺には大変ありがたい。
最初は見回せないのが残念だったが、しばらくして水晶のシャンデリアや金の燭台などが視界に入って、視野が制限されている方がいいと思い直した。内装まで眩しいなんて。
そういえばお嬢がさっきから沈黙しているが、どうしたんだろう。
不思議に思ってお嬢の様子を窺うと、ふいに首元に咲く花が眼に入った。
「お守り、使ってくれてんだ……」
以前、お守りとして渡した白いベビーローズのチャーム付きのリボンをチョーカーとして使ってくれていた。思わず呟いて嬉しくて表情を緩めそうになり、即座に顔の筋肉に力を入れる。
「……パーティーって、表情筋鍛えられるな」
「ええ、本当に…………、後で覚えていなさい」
え。俺、締められる?
怒りを押さえたような声なのに、エラ先生に鍛えられてお嬢の表情は笑顔のままだ。なんだろう、そのギャップが怖い。師匠にも邸に戻るまで気を抜くなって言われてたから、小声でもいつも通り喋ったのが減点だったんだろうか。
一曲が終わると、拍手と歓声がどっと湧いた。表情を変えないようにしながらも、俺は驚く。こんな一曲ごとに拍手とかが起こるものとは聞いていない。公爵様の元にお嬢をエスコートして気付いたが、お嬢に注目が集まっている。戻ると、公爵様がにこやかに迎えてくれた。
「相変わらず、花弁を支える
公爵様は随分満足そうだ。恐れ入ります、と俺は礼をする。ああ、そうか。公爵様が俺の踊り方を妙に気に入ってるのは、お嬢第一だからか。
「そういうことか……確かに真似できないな」
感心するようにレオが呟いた。まだいたのか。もう他へ挨拶しに行ってると思っていた。
踊り終わったお嬢に、何人も令嬢が寄ってきた。みんな口々にお嬢を称賛している。俺の存在皆無なのは別にいいけど、レオって王子だよな。お嬢が
お嬢に視線を戻すと、眼を輝かせて興奮ぎみの令嬢たちにまだ囲まれていた。顔には出してないけど、人見知りなところがあるから困ってそうだな。令嬢たちの勢いに負けて出遅れたらしい貴族の令息たちが遠巻きにお嬢を見つめている。お嬢って男女共にモテるんだなぁ。美少女ってすげぇ。
俺が、お嬢が美少女だと再認識している間にも、令嬢たちがお嬢にお近づきになりたいと声をかける。
「リュディア様、とても素敵でしたわ。
「父が魔術省に勤めていまして、ジェラルド様にはとてもお世話になっていますの。伯爵家のフロレンツィア・フォン・マウラーと申します」
「母がオクタヴィア様によろしくお伝えくださいと申しておりました。伯爵家のマルガレーテ・フォン・レーヴェレンツと申します」
「私は……」
あ、無理だ。覚えられない。師匠、俺、無理です。みんな、名前が難しすぎます。噛みそうな音ばかりのオンパレードに、側で控えていた俺の心は折れた。
「あ、あの……っ、どうしたらリュディア様のようになれますか……!」
赤みがかった金髪の令嬢が、頬を染めて思わずといった調子で訊いた。お嬢は小さくだが眼を見開いて驚いている。
お嬢がどう答えるか迷っている間に、反応が二分化する。身の程を弁えろという差別的な囁きと、質問した
赤の意味が変わるのを見たお嬢の淡い青の瞳に剣呑な光が宿る。
「お嬢様」
俺はそっとお嬢の耳元に囁く。お嬢はこちらを向かないままだったが、瞳からは剣呑さは消えた。
質問をした令嬢に、お嬢は歩み寄る。
「触れても?」
「は、はい……っ」
彼女は意味が解っているのか判らないぐらいの即答で頷いた。お嬢は彼女の髪飾りに手を伸ばし、それを引き抜いた。髪が
「あ……っ」
彼女は慌てて広がった髪を押さえようとする。その手を、お嬢が止めて不安に揺れる瞳を射抜いた。
「堂々としなさい。貴女は素敵よ」
強い言葉の後に、ふわりとお嬢は微笑んだ。クセの強い巻き毛の彼女は、顔を真っ赤にして瞳を潤ませた。お嬢、かっけー。周りにいる女子、全員黙らせた。
「わたくしのようになる必要はないわ」
巻き毛の彼女はぶんぶんと首を縦に振った。
「あの……、では、せめてリュディア様の従者の方にダンスの相手を頼めないでしょうか……?」
は? 俺??
今の今まで空気と化していたであろう俺が指名されて、たまげる。師匠に叱られるから顔には出してないけど。てか、俺の存在、認識されていたのか。
「わ、私なんかには……ダンスの相手がいなくて、それで……」
身分の低い従者の俺なら、ってことか。もしくは、憧れのお嬢の従者ってことで、
しかし、女の子が自分なんかと卑下するのはなんだか悲しい。お嬢もそう感じているから、断りづらそうにしている。ダンスに誘うのは普通男からだ。彼女はお嬢からもらったなけなしの勇気を振り絞っているんだろう。
「身に余る光栄です。
その勇気を無駄にしてはいけないと、安心させるように微笑み、礼をとった。だが、名前が判らない、というか覚えていないからドレスとかの見た目で呼ぶのを許してほしい。
自分から言い出したことなのに、了承してもらえたことに驚いている巻き毛の彼女をエスコートして踊る。お嬢以外と踊るのは初めてだから、相手が転けないように気を配りながらのリードで内心ひやひやした。
「あの、どうして……」
「お嬢様の意向に従っただけですよ」
未だ信じられない様子で踊る彼女が訊くから、俺は答えた。お嬢が断るかどうかを迷ったのは、彼女と俺とどちらにも気を遣ったからだ。けど、一時期メイドのカトリンさんが自分を卑下するのを悲しんでたお嬢が、この
「あと、お嬢様も同じ悩みをお持ちだからでしょうか」
「同じ?」
「当家の奥様はご存じですか?」
「はい。遠目にですが拝見したことがあります。真っ直ぐな御髪が本当に美しくて……」
そこではた、と気付いたらしい彼女は言葉を止めた。気にするところが同じだから、すぐに思い至ったみたいだ。
「俺がバラしたことはどうかご内密に」
叱られる、と苦笑すると、彼女はまぁ、と小さく驚いて可笑しそうに笑った。憧れの存在に親近感を感じたお陰か、雰囲気が柔らかくなった。
「そういえば、リュディア様に何を言ったんです?」
曲が終わりそうになった頃には随分表情が明るくなった彼女に訊かれる。俺が何を囁いたのか気になったらしい。
「花は蕾のままより咲いていた方がいいですよ、と」
お嬢が髪を解く前まで、彼女はバレエダンサーみたいに髪を上の方で縛っていた。巻き毛へのコンプレックス故だろうが、着ているドレスが紅黄草のように花弁が重なったように膨らんだスカートだったから、シルエットのバランスが悪く感じた。親父が庭木の剪定をするときは全体のシルエットを意識して切っているから、そのイメージをお嬢に伝えただけだ。
蕾みたいに上がすっきりしすぎてるより、今の巻き毛のままの方が花が咲いているみたいでいい。
答えたときにちょうど曲が終わったから、お嬢の元に戻ると巻き毛の
とりあえず、さっきと同様、俺に注目されていないので、さくっとお嬢の側へ行く。
「只今戻りました」
「やりすぎですわ」
他には聞こえないように、ぼそりとお嬢に注意された。一体何をだろう。明らかにお嬢の方がやりすぎなくらいに目立っていたし、令嬢たちへの影響力も強い。
「従者の方、次は私と踊ってくださいません?」
「狡いわよ。次は私と……っ」
「いいえ、私と!」
どうやら俺はお嬢の側にいると認識されるらしい。まぁ、お嬢を見たら視界の端にいるから、それはそうか。けど、女性からのダンスの誘いは珍しいはずなのに一体どういうことだ。使用人だからハードル低いのか、単に練習相手程度でカウントに入らないからか。
「あの、落ち着いてください。
なんか気迫が怖い。何かの利を得ようとしているのは伝わるけど、使用人相手で何があるっていうんだ。意味が解らない俺は、努めて冷静な声で待ったをかける。
また外見の特徴で呼ぶと、令嬢たちは一度止まった。この後、ちゃんと名前を呼ばないことで叱られるにしても、一呼吸分の間ができて、俺はほっとする。
「では、私は何の花ですの?」
「
他の令嬢が興味津々に訊いてきたから、反射的に浮かんだ花の名前を出す。何故か、きゃあきゃあと嬉しそうにはしゃぐ令嬢たち。今度は何の植物っぽいかゲームでもすることになったんだろうか。また何人かに訊かれたから、とりあえず見た目で植物名をあげた。それに喜ぶ令嬢たち。女子ってよく解らん。
「リュディア様は何の花ですの?」
誰かが訊いた。
「え」
そう呟いたのは、俺かお嬢か。どっちだっただろう。
お嬢が、何の花か……
「お嬢様自身が花のようですから」
うん。お嬢はお嬢だ。花が咲くみたいに笑う女の子だ。
不意にぎゅうっと
令嬢たちは何故か黄色い悲鳴をあげる。レオが近くを通過したんだろうか。お嬢の耳が大丈夫か、と横目で窺うと耳だけ赤かった。これは俺に怒っている。外だとお嬢は随分器用なんだな。妙なところで感心しつつ、お嬢の耳が無事らしいことに安堵した。
その後、結局数人と踊ることになった。俺はお嬢グッズか何かなんだろうか。
予定していたより動いた俺は、パーティーの後半になって腹が減った。もうお嬢に追従するだけでいいし、誰も使用人に話しかけないから黙っていればいいんだけど、意識は腹が鳴らないようにするだけで精一杯だった。こんなことなら、行く前に食い溜めしておけばよかった。
兎の
「どちらになさいますか?」
「あれとそれと……あと、これも……」
お嬢の指示通りにサラダや肉やら魚やらを取って、配置に気を付けながら皿に盛る。お嬢も腹減ってたのかな。
「どうぞ」
盛り付け終わった皿をお嬢の食べやすい高さで持つ。フォークを手にしたお嬢はサラダを少し食べて、苺を少しずつ咀嚼した。
それだけ食べると、フォークを置いた。俺が内心首を傾げていると、ナプキンで口を拭いつつお嬢がつん、とそっぽを向いた。
「もう要りませんわ。処分なさい」
一瞬、眼を見開いてしまった。
「ありがとうございます」
お嬢は優しい。場違いな音を鳴らされても困るから、と小さく呟くけど、俺がご馳走を食べれないと残念がっていたのを、覚えていてくれた。
俺は、食前の挨拶といただきますを囁いてから、フォークを持ち食べ始めた。
「ちょ……っ、それは……」
美味いと感じつつ
「何でもありませんわ……っ」
背を向けつつもお嬢は、俺が食べ終わるのを待っていてくれた。お陰で俺は帰るまで腹を鳴らさずに済んだ上、美味い飯が食えた。
公爵様と合流した帰り、王城を出ると陽が傾いて空が橙に染まっていた。エルンスト家の馬車に最後に乗り込むと、しばらくして馬車が走り出す。
やっと終わったことに安堵し、長い溜め息を
「お疲れ様、イザーク」
「あ、すみません。まだ
慌てて背筋を伸ばすと、公爵様は構わないと許してくれた。
「服も着慣れないだろう。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
タイを解いて、シャツの
「……お嬢?」
視線を感じてお嬢の方を見ると、はっとしたお嬢は勢いよく馬車の窓へ眼を移した。窓、カーテンが掛かって外見えないけどいいんだろうか。
「こんなのをしょっちゅうするなんて、公爵様たちは大変ですね」
「だが、今日は楽しかったよ」
真似できないと今日だけで心底感じた。公爵様はキラキラと笑顔を輝かせる。俺は素直に眼を眇めた。
「ソウデスカ」
俺、そんな変なことしましたか。師匠がせっかく教えてくれたのにちゃんと従者できなかったなら、申し訳ない。敬語、頑張ったんだけどなぁ。
「あ。お嬢、もういい?」
「? 何がですの??」
肝心なことを忘れていた。お嬢が不思議そうに首を傾げる。
俺が何を訊いたのかは解らないようだったが、いつものお嬢に戻っていたから大丈夫だと判断した。
「今日のお嬢、すげぇ綺麗だな」
笑って感想を言えてすっきりした。思ったことを言えないままでずっと気持ち悪かったんだよな。
公爵様はそうだろう、と満足げに何度も頷いた。
お嬢は怒るのを溜めていたせいか、顔どころか全身真っ赤にして俺を叱った。
「ザクは馬鹿なんですの!?」
あれもこれも、と言いながらお嬢がぽかぽか叩いてくるが、代名詞だからどれのことを指しているのか判らなかった。
しばらく痛くないお嬢の打撃を受けていたが、馬車の揺れが疲れた身体に心地よくて俺たちは気付けば眠っていたのだった。
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