24.金糸梅




庭で作業をしていたら、執事のハインツさんこと師匠が来た。体術の稽古で俺から訪ねることはあったが、師匠一人で来るのは初めてだ。いつもなら公爵様に追従している。


「師匠、どうしました?」


一瞬、僅かに眉を寄せる師匠。俺が師匠を呼ぶときに必ず見せるから、クセだと思う。

親父に用だとしても、つい俺が先に訊いてしまう。親父が寡黙なせいか、同じエルンスト家の同僚とはいえメイドさんとかは話しかけづらいらしい。だから、俺から先に声をかければ話が進みやすい。

同じノリで、思わず師匠にもそうしたが、師匠なら平気だったから余計なことだったかもしれない。


「ジェラルド様がお呼びです。ついてきてください」


「え、俺?」


これまた初めてだ。公爵様に呼ばれた。てっきり親父に用事だと思ったら、俺にだった。


俺、何やらかしたんだろう?


驚きながらも、師匠についていく。ついていきながら、呼び出される可能性を考える。

ダンスの練習のときに借りている服を、汚すか破くかしてしまったんだろうか。それとも借りるなら、自分で洗って返せってことだろうか。でも、あんな質のいい服、俺が洗濯するよりプロメイドさんに任せた方がいいしなぁ。はたまた、自習用の庭の存在がバレたのだろうか。いや、それならバウムゲルトナー家の問題だから親父も呼ばれるはずだ。

呼び出しなんて、教師に職員室か生徒指導室に呼び出されるぐらいしか前世でも記憶がない。

だから、呼び出し、となると叱られるとしか思えない。けど、特にいいこともしていないが、すごい悪いこともしてないと思う。思いたい。

通されたのは来客用の応接室だった。埃一つなくて調度品も上品で高そうなものばかり。一応土汚れはできるだけ落としたけど、作業着のまま入っていいんだろうか。


「つれて参りました」


「失礼します」


師匠に通してもらって、お辞儀して入るとちょうど向かいのソファに座る公爵様と眼が合った。


「仕事中に呼び立てて済まなかったね、イザーク」


「いえ」


相変わらず花を背負っていても違和感のない微笑みで、公爵様は迎えてくれた。公爵様の反対側、俺に背を向ける位置のソファにもう一人座っている。来客中だから応接室だったようだ。けれど、来客中に俺を呼ぶ理由が判らない。

俺が不可解に思っていると、背を向けていたその人が立ち上がって振り向いた。知っている人だった。


「久しぶりだな、イザーク」


覚えているだろうか、と少し自信なさげに微笑む貴族の兄ちゃんを俺は忘れてなかった。


「ダニエル様っ」


以前、幽霊と間違えてしまったときよりは血色がいい。そのことに少し安堵する。また会えるとは思っていなかったので、どうしてるのか気がかりだった。

ダニエル様にまた会えたのは俺としてはよかったが、呼ばれた理由は結局判らない。

公爵様に、二人の間にある一人用ソファへ促されたので、前の方に座って膝に手を置いた。さりげなく控えていたメイドさんが俺の分の紅茶を淹れてくれて、下がっていった。


「あの……内緒の話ですか?」


飲んでいいと言ってもらったので、ティーカップを持ち上げながら俺は訊いた。公爵様とダニエル様は、僅かに眼を見開く。何に驚いているんだろう。メイドさんを下がらせて、控えているのは絶対に口が固い師匠だけだ。状況的に内密にしないといけない内容なのだろうと判る。

ずぞーとお茶を飲んでいると、公爵様が肯定した。


「そうだよ。ディアたちにも秘密にしてもらいたいんだ。できるかい?」


「内容によります」


珍しく苦笑しながら訊く公爵様に、素直に答える。何も聞いていないのにできるかどうか判らない。俺の答えに、公爵様は可笑しそうに眼を細めた。


「その通りだ。では……」


「ジェラルド、私から話す」


ダニエル様の申し出に、公爵様は説明する権利を譲った。


「イザーク、私の妻が病であることは話しただろう」


「はい」


「その妻の病を治すために、君の力を借りたい」


予想外の内容に俺は閉口する。俺みたいな子供が、心を病んでる人に何ができるっていうんだ。前世だってただの馬鹿やってた学生だ。カウンセラーの資格も取っていないし、そういった勉強をしたことすらない。


「どう、いう……?」


「私の息子のフリをしてほしいんだ」


益々解らない。ダニエル様の眼は真剣そのもので切実さも感じる。けど、なんでわざわざ庶民の俺に頼むんだ。

俺が混乱しきっているのを見てとったダニエル様は、申し訳なさげに眉を下げた。


「無理を言っているのは承知の上だ。だが、私一人では妻に現実を見てもらえそうになくてね……」


「現実?」


「私たちの息子は、去年に亡くなっているんだ」


ひやりとした感覚が、俺の胸を過った。若葉みたいな瞳が陰を落とし、生きてれば俺と同じ歳だと教えてくれた。


「元々、子供の産み難い身体だった妻にとって、息子は奇跡のようなものだった。病弱だが明るく笑う子で、妻も私も大切にしていたんだ。その息子を失って、妻は息子がもういないことを受け入れられずにいる」


それがダニエル様の奥さんの心の病気だと。ダニエル様の息子が産まれたときに、もう次は無理だと医者から宣告されていたこともあって、奥さんには相当なショックだったらしい。

そこまで拳を握り締め、苦痛に耐えるように話していたダニエル様は、俺の方を見て表情を和らげた。


「イザークを見たときは驚いたよ」


「え……」


「面影が息子に似ていたから」


俺の髪と目の色がダニエル様の息子と同じらしい。そっくりという訳ではなく、どことなく雰囲気が似ているそうだ。

確かに俺とダニエル様の髪色は同じだが、一般的な髪色だから何も不思議じゃない。眼の色だって珍しいものじゃなく、よくある色だ。

否定できる言葉は浮かんだが、そういう表面的なものじゃないと解るから言えなかった。懐かしさと哀しみが混ざった瞳が向けられて、俺はどうすればいいのか判らなくなる。

そんな俺に気付いたのか、ダニエル様は一度視線を外した。


「息子に似たイザークが話し相手になってくれれば、少しずつでも違和感を認めて回復に向かうのではないか、と思ったんだ」


正気でない相手と話すのは辛いことだから無理強いはしない、とダニエル様は俺を安心させようと笑いかける。その辛いことをダニエル様は毎日逃げずにしているのか、と思ったら胸が痛んだ。

けれど、俺も相応の覚悟をしないと受けれない話だ。

きちんと考えて、一呼吸いた。ダニエル様の眼を見据えて言う。


「俺、息子さんのフリはできません」


俺の答えに、ダニエル様は落胆と仕方なさを声に滲ませる。


「そうか……」


「けど、ダニエル様の奥さんのお見舞いには行きたいです」


ダニエル様は眼を丸くする。公爵様も驚いているようだった。

俺は俺で、誰かの代わりになんてなれない。けど、もしかしたら家族以外の人と話すことで、何かの足しになるかもしれない。ダニエル様が辛い状態なのをここまで知って、何もしなかったらお嬢の前で笑えなくなりそうだ。

息子のフリをしなくていいなら会う、という俺の提案にダニエル様は心許なそうに聞き返す。


「いいのかい……?」


「俺が、このまま何もなかったことにするの嫌なんです」


先に幽霊みたいだったダニエル様に近付いたのは俺だ。自分の行動には責任を持たないといけない。


「……ありがとう」


ダニエル様は泣き出しそうな表情カオで笑った。

黙って優雅に紅茶を飲んでいた公爵様は、ティーカップをソーサーに置いて、おもむろに俺の方を見る。


「それで、秘密にはしてくれるかい?」


「はい」


俺はしかと頷いた。きっと醜聞を周囲に洩らさない方がいいとかの対外的な思惑もあるんだと思うけど、何より公爵様が大事な家族に哀しい想いをさせたくないのだと解るから。

俺もお嬢に泣いてほしくないから、絶対に言わない。

その後、お見舞いの頻度を月一に決めて、辛くなったり嫌になったらすぐに言うようにと公爵様とダニエル様に約束させられた。

数日後、俺は教えてもらったダニエル様の邸の前に来ていた。ダニエル様は馬車で迎えを寄越そうとしてくれたが、丁重に断った。場所がエルンスト家だろうと、俺の家の近くだろうと悪目立ちしかしない。

ダニエル様は気のせいじゃなければ、優しすぎてたまにうっかりしてしまうタイプみたいだ。

正面玄関の門で名乗ったら、話が通っているらしく使用人の人が丁寧に中へ案内してくれた。

迎えてくれたダニエル様は、優しげな笑みで俺をまず息子さんの部屋へ案内した。ダニエル様の指示で使用人の男性がクローゼットを開けると、そこにはずらりと服が並んでいた。


「病気がちだったからあまり着てないものばかりなんだ。よかったら着てくれないか?」


「あの、訊き忘れていたんですが、ダニエル様の爵位って……」


「侯爵だが?」


「着ます」


やっぱり公爵様のダチだけあって、上位貴族だった。俺の即答に、ダニエル様は不思議そうに首を傾げる。

侯爵夫人と会うのに、ざ・庶民な格好は失礼だろう。エルンスト家では、俺が庭師見習いだって知ってるし敷地内だからいいけど、他人の家で失礼なことしたらエルンスト家に迷惑がかかる。

使用人の男性が測り紐で俺のサイズを測ると、少し渋い表情になった。どうしたのかと思っていると、ダニエル様の元へ行きそっと耳打ちをした。若葉色の眼が瞠目したから、俺は気になる。


「どうかしたんですか?」


「いや、息子が着ていた分がイザークには少し小さいようだ。子供の成長速度を見誤っていたよ」


俺の服じゃないからそういうこともあるだろうが、服が小さいというのは、なんだか身長がぐんと伸びたみたいで嬉しい響きだ。けど、そうか、一つ下のレオも俺よりは少し背が低いもんな。


「俺、このままお会いしても失礼になりませんか?」


「いや、邸内だから構わないんだが……」


服がないならそのまま会う許可をもらうしかないと思って訊いたら、ダニエル様は構わない旨を言いかけて何かに思い当たったようだ。使用人の男性に何事かを言って、息子さんのクローゼットから一式の服を用意させた。

その真新しい服を俺の前に持ってきて、ダニエル様が申し訳なさげに微笑む。


「妻が用意したものなんだ。袖を通す者がいないから、このまま処分するしかないと思っていたんだ……」


「勿体ないです」


再利用という概念が貴族にはないのか、と一瞬思ったが、誰かに譲ることになったらその理由を詮索される要因になると気付く。この服を仕立てるときも、その辺りの情報規制が大変だったかもしれない。


「借りてもいいんですか?」


「ああ。実用品は使われなければ意味がないからね。無駄に終わるより余程いい」


ダニエル様は貴族だけど、物を大事にする人みたいだ。庶民の俺には好ましい価値観だ。邸の中の調度品は落ち着いた色合いのものが多いし、絵画などの装飾も最低限で優しい風合いの風景画などが多い。内装からもダニエル様の人柄が窺える。

俺はお言葉に甘えて、服を借りて着る。そのまま息子さんの部屋で着替えたが、部屋にある写真立てを見つけて、しばらく見る。ダニエル様と奥さんらしい女性と俺と歳が変わらなそうな少年が写っている。部屋をぐるりと見回すと、部屋の主がいつ戻ってもいい状態に保たれているのが判る。


俺が死んだ後もしばらくはこんな感じだったのかな。


前世で日本人の田中太一だった俺。突然死んだから、家族は少なからず驚いただろう。自分が死んだ後のことなんて確認しようもないが、家族がいなくなった場所を眼にしてこういうことだと感じる。

胸に何かが詰まる想いがした。もう一度、似てるとは思えない写真の中の穏やかそうな少年を見る。


「こいつも、俺と同じなのか」


家族を置いて逝った。そこだけ、髪と眼の色以外で共通していると思った。


「お待たせしました」


着替え終わって部屋を出ると、待っていたダニエル様が少し驚いた。


「……よく似合っているよ」


別の言葉を言いかけたが、飲み込んでそう言いながらダニエル様は、紐タイの若葉色の宝石が嵌め込まれた止め金具をそっと持ち上げた。


「ありがとうございます」


若干フィルターがかかった感想だとは思ったが、礼を言った。公爵様のおさがりと同様、高そうな服だ。どうしたって服に着せられている。

ダニエル様の奥さんの部屋は、息子さんの部屋から程なくして着いた。ダニエル様がノックして、声をかける。


「アニカ、入るよ」


数拍の間待って、否の返事がないのを確認したダニエル様はドアを開ける。部屋の中にはベッドに座る女の人がいた。庭に面した硝子戸の方を眺めていた横顔が、ゆっくりとこちらに向いた。


「エリ、アス……?」


ぼんやりと夢現にあるような眼差しで呟かれる名前。きっと息子さんだろう。


「エリアス! 貴方、いつ帰って来たの?」


俺にしっかりと焦点が合って、瞳を輝かせた。嬉しげな声は俺に向いていない。瞳に映っているのも俺じゃない。

自分ではない誰かの存在を上塗りされる感覚に、ぞわりと恐怖を感じた。けど、心配そうに俺を窺うダニエル様を見て、堪える。大丈夫、ダニエル様は俺を俺だと知っている。

一度だけ深呼吸をした。


「初めまして、俺、イザーク・バウムゲルトナーって言います。これ、お見舞いですっ」


ベッドの側まで行って、頭を下げる。そして、背後に持っていた黄色と白の百日草ひゃくにちそうだいだい提灯百合ちょうちんゆりで作った花束を差し出す。霞草かすみそうの代わりに薄荷はっかの花を添えてある。


「まぁ、綺麗ね。けれど、こんな花、家に咲いていたかしら」


「これは俺が働いている邸で咲いているものです。親父に頼んで、少し分けてもらいました」


「やだわ、ダニエルをそんな呼び方するなんて、悪ぶりたいお年頃なのかしら」


ころころと笑うダニエル様の奥さんのアニカ様。うん、絶妙に会話にならない。

メイドさんが座る椅子を俺とダニエル様に用意してくれたので、そこに座りながら話す。


「少し顔色よくないですけど、め……ご飯ちゃんと食べてます?」


「わたしの心配なんてしなくていいのよ。エリアスは育ち盛りなんだから、沢山食べて体力つけなさい」


「俺はよくく……食べるんで大丈夫です」


労るように髪を撫でられるが、俺はそんなやわじゃない。親父に乱暴に撫でられるぐらいで丁度いい。

しかし、敬語をずっと喋るのムズい。アニカ様のノリに負けじと気合い入れて話しているせいで、タメ口になりそうになる。ダニエル様は、俺が喋るのにつんのめっているのを少し可笑しそうに見ている。


「あのっ、苦手だったら食べなくてもいいんですけど、人参のパウンドケーキも作ってきたんです。よかったら……」


「まぁ、エリアスが料理をしたの? 火傷しなかった!?」


「大丈夫なんで、一口でもいいんで食べてみてください!」


俺はちゃんと味見してあるから、と取り出したパウンドケーキの一切れをアニカ様に持たせた。受け取ったアニカ様はきょとんとしながらパウンドケーキをしばらく見つめて、口に持っていくと少し食べた。


「美味しいわ」


ただの感想だ。けれど、俺はその感じたままの言葉が聞きたかった。


「よかった」


味覚がなくなっているわけではなかったようで、俺は安堵して笑う。事前にダニエル様から食事も残すようになっていると聞いていたから、腹持ちのいいパウンドケーキを用意した。


「母さんに教えてもらったんです。お口に合って嬉しいです」


笑う俺を見て、アニカ様はフリーズしたみたいに固まる。少しして瞬きをしたと思ったら、またころころと笑い出す。


「コックに手伝ってもらったのね。それなら安心だわ」


くそう、やっぱ駄目か。不都合な情報は改竄かいざんされるみたいだ。そんな簡単に行くわけないと解っていたが、少しも会話にならないのが悔しい。

悔しがっていても仕方ないので、俺は気を取り直してパウンドケーキのもう一切れをダニエル様に差し出す。


「ダニエル様もよかったらどうぞ」


「いいのかい……?」


「勿論です。あ、俺も食べていいですか?」


「ああ、構わないよ」


「じゃあ、いただきますっ」


ダニエル様が受け取ったのを確認して、俺は両手を合わせてから、自分の分を頬張った。しっかり咀嚼そしゃくしてから、ぼやく。


「やっぱ、焼きたての方が美味いな。アニカ様も焼きたての方が美味しいですよね」


「ええ、そう、ね……」


アニカ様はきょとんとしながらも、反射的に答えた。あ、ちょっと会話っぽかった。アニカ様はぽやっと呆けながらも、少しずつだがパウンドケーキを食べる。その様子が、なんだかハムスターの食事をスロー再生したみたいだと思った。

そんなアニカ様の様子を、ダニエル様は瞠目して見つめる。そして、何かが緩んだように微笑んだ。ダニエル様はパウンドケーキを一口食べると、俺の方を向く。


「美味しいよ。ありがとう」


「お粗末様ですっ」


俺はにかっと笑う。食べ物を食べて美味しいと思える。それは小さいけど幸せなことだ。こうした幸せを積み重ねていけば、生きる力が貯まるかもしれない。まぁ、俺ができるのがこれぐらいなだけだけど。

その後、一貫して俺をエリアスとして扱うアニカ様と一時間ほど会話にならないながらも話し、元の服に着替えたら、ダニエル様が応接室でお茶をご馳走してくれた。

パウンドケーキを食べたときもメイドさんが紅茶を淹れてくれたが、気合いを入れて話していたから喉が渇いていたのでありがたい。ミルクティーが喉に優しい。


「イザーク、報酬は何がいいかな」


「はい?」


「私の無茶な依頼を聞いてもらっているんだ。見習いとはいえ君はもう働いているし、相応の報酬を支払いたい」


確かに半日休日が潰れている。けど、俺がしたくてしていることだ。俺は、嫌なことはしない。

別に報酬はいらないと思ったが、少し考える。長期戦になるなら、アニカ様の話し相手をするバイトだ、と思った方が気持ちの切り替えが楽かもしれない。

ダニエル様のお言葉に甘えることにする。


「じゃあ、お邸の庭を見せてください!」


「庭? 我が家の庭はジェラルドのところほど広くもないし、珍しい花も咲いていないが……?」


「見たいですっ。親父以外の庭師が手掛けた庭を見れる機会なんてそうそうないんで!」


さっきアニカ様の部屋から少し見えた庭も、硝子戸で切り取られることを想定して、風景画みたいに緑が配置されて綺麗だった。他の人が造った庭に興味がある。

せっかく他の貴族の邸に訪ねる機会を得られたんだ。この機会を活かさない手はない。じっとダニエル様の眼を見つめる。


「イザークは欲があるのかないのか、よく判らない子だね」


根負けしたみたいにダニエル様は微笑んだ。

庭に案内してもらった俺は眼を輝かせる。ゆっくりと、だけど思わずあちこちを見てしまう。


「ダニエル様っ、金糸梅きんしばいが咲いてますよ。月橘げっきつもいい香りです!」


ダニエル様の言ったとおり緑が多い印象のある庭だった。けれど、要所要所に花が咲いており、一つの場所で季節の移り変わりを感じることができるようになっている。

落ち着く感じの庭に興奮する俺は変かもしれない。けど、テンションあがる。他の人が造った庭って、勉強になって面白い。


「月橘を見ながら月見できるようにこの配置かな。ここなら部屋に香りが届くし……、そういや、実で作ったジャムも美味いんだよな。ダニエル様は月橘のジャム好きですか?」


振り向くと、ダニエル様はぽかんと呆気に取られていた。やべ、めっちゃ一人で喋ってた。素直に調子に乗ったことを謝る。


「すみませんでした」


「いや、いいんだ……、庭に何が咲いているかなんてすっかり忘れていたよ……」


思い出しただけだ、とダニエル様は屈んで金糸梅に手を添えた。懐かしむような眼差しが金糸梅の花に降る。


「エリアスが今何が咲いているか、よく私たちに教えてくれていた」


「花が好きだったんですか?」


「どうかな。あの子が自由に歩き回れたのは、我が家の庭と本の物語の中だけだったから」


致し方なく我慢していたのかもしれない、とダニエル様は辛そうに表情を歪める。


「明るく笑う子だって言ってたじゃないですか」


それなら嘘はないだろう。限られた中でも楽しむことが上手だった奴なんだろう。


「ああ……最後まで笑って、すぐ元気になるからと……」


「へぇ、すげーカッケーですね」


俺の感想に、ダニエル様は眼を丸くした。


「かっこ、いい……?」


「え。笑って死ぬなんて誰でもできることじゃないですよ。しかも、最後まで生きること諦めてなかったんでしょ? 超カッコいいじゃないですか」


本当にすごいと思う。

前世の俺は余命宣告を聞いた時点で笑えなかったし、それでも頑張って生きようなんて気も起きなかった。ただただ怖かった。

それに引き替え、ダニエル様の息子さんのエリアスは強い。最後までしっかり生ききれた人間だ。尊敬する。


「…………ああ、そうだ……」


呟きとともに若葉色の瞳から一筋の涙が零れた。


「エリアス・フォン・ヴィートは、私たちの誇りだ」


自慢げに微笑んだ後、ダニエル様は嗚咽おうえつをあげ泣いた。俺は、少しびっくりしたけど、ダニエル様が泣き止むまで彼の頭を撫でた。それぐらいしかできることがなかった。きっと奥さんを支えてばかりで、ずっと泣けなかったんだろう。

泣いてるダニエル様を見て、胸がぎゅっと苦しくなった。前世の自分がどれだけ馬鹿なことしたのか思い知らされる。最後まで足掻けばよかった。お袋に相談するとか誰かに頼ろうとすぐに浮かばなかったのは、馬鹿みたいに意地を張ってたからだ。いや、みたいじゃなくほんとの馬鹿だ。

ダニエル様たちは、前世の俺が逃げて見ようとしなかったものだ。今度は眼を逸らさず向き合いたい。それで前世の贖罪しょくざいになるとは思わないけど。


エリアスはカッコよすぎるな。


両親に誇りと思ってもらえるなんて、前世の俺と雲泥うんでいの差だ。あの頑固親父に、人様に迷惑をかけた恥さらしと言われてそうな気がする。

なんだか情けなさすぎて、笑いたくなった。

一頻り泣いたダニエル様は、少し恥ずかしそうに笑って礼を言った。大したことをしていない俺は首を横に振った。

そうしてダニエル様の邸、ヴィート侯爵邸を後にし、家に着いた頃には夕方になっていた。銀梅花の鉢植えが挟む玄関のドアを開ける。


「母さん、ただいま」


「おかえり、ザク」


俺を俺だと映す母さんの瞳に、ほっと安心する。ずっと気を張ってたみたいだ。今になってそのことに気付く。

夕飯の仕度をしていた母さんは、その手を止めて俺のところまでくると、膝を突いて目線を合わせた。

母さんの意図が解らなくて首を傾げる。むしろ、俺が母さんの方に行って夕飯の手伝いをしないといけないのに。

俺の眼を見た母さんは、俺を腕の中に入れた。


「どうかした?」


「んー? なんか、頑張ってきたみたいだから」


不思議に思って訊いたら、そんな答えが返ってきて、背中に回った掌がぽんぽんと撫でる。その掌も、包む腕も、伝わる心音もぜんぶが温かくて、俺は母さんの肩口に顔を埋めた。

なんだかすごく悔しい気持ちでいっぱいだった。


「……母さん」


「ん?」


「俺、今度は絶対長生きする……っ」


「そう」


肩口が濡れるのも気にせず、母さんはしばらくそのままでいてくれた。



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