①-3


 慌てて手を伸ばすが、まったく追いつかない。

 必死で靴を脱いで、自分も居間に向かった。そこでは、だらしなくソファに寝そべった母親の前で、義堂が仁王立ちし、向かい合っていた。

「貴女が、翼のお母さん?」

「誰、あんた」

 母親が睨み上げる。

 その視線をしっかり受けてから、義堂は急に頭を下げた。

「はじめまして。翼さんと仲良くさせて頂いています、義堂真実と申します」

 その神妙な態度に、拍子抜けしながら、それに勢いを得たのか母は急に悪態をついた。

「へえ、あんたが。あんたみたいな子が、うちの子と遊んで何か楽しいの? 利用してるとか? まあ、顔だけはいいからねえ、この子は。それとも何、優越感を覚えるためとか?」

 どうしてそこまで自分を卑下できるのだろう、と多賀は悲しむを通り越して恥ずかしくなってしまった。

「お蔭様で、とても楽しく過ごさせて頂いてます」

 義堂はにっこり笑って、その笑顔を貼り付けたまま続ける。

「ですから、失礼ですが、翼さんを戴いてしまってもよろしいですか?」

 ですから?

多賀は、最初何を言っているのかわからなかった。友好的な表情なので、何か別の意味があるのかと思ったぐらいだ。

「はあ? 何言ってんの、あんた」

「頭が足りないので、理解できませんか? 娘さんを私にください、と言っているんです」

「なっ……」

 何を失礼な、と言おうとしたのだろうが、ここで大人として年下を見下したい、支配したい、という欲望が顔を覗かせた。ふう、と息を吐き、身を起こしてまず視線で見下ろす。

「あんた、レズかなんか? 娘さんをください、って結婚の承諾?」

 嘲笑う多賀の母を前に、義堂は微笑みのまま、口調は柔らかく、返す。

「それがあなたの人生に何か影響がありますか? 私は、なたが邪魔だと思っている彼女を、引き取ろう、と提案しているのです。聞き入れれば、教育費も養育費も何もかも、掛からなくなります。時間も、好き放題です。まあそれは今と変わらないでしょうけど」

 途中から、母親の表情が変わっていった。彼女が多賀を疎ましく思っているのは、勿論わかっていた。それでも、家族だから、彼女が望むように、迷惑をかけず、生きてきたのだ。そんな努力の甲斐なく、母親は降って湧いた話に気を引かれていっている。

「……あんた、本気で言ってんの。後から返す、って言っても、もう受け取らないよ」

「翼さんは、物か何かではありませんよ? ここを出たら、あなたのところになど戻させません」

 義堂の決然とした言葉に驚きながらも、今度は浅ましい企みが彼女の中に芽生えたようだった。そんなに多賀のことが欲しいならー―。

「そうは言ってもねえ。これでも、血が繋がったひとり娘だよ。そう簡単にどうぞ、なんて言えるかね」

 では、先ほどまでの態度はなんだったというのか。ここで義堂が引いたとて、急に改心して多賀に優しくなることもあるまい。これは、ただの駆け引きだ。ひたすら下手糞で醜悪なだけの。

 多賀は大きく溜息を吐き、首を振った。そして、言ってやろうと前に出たその胸に、義堂が突き出した右腕が当たる。留められたのだ。義堂を見る多賀に、ゆっくりと頷き、続けた。

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