四年後は何くれる?

天鳥そら

第1話

母親同士が仲が良かった。それこそ赤ちゃんの頃からの知り合いだ。タケルは兄弟みたいなもので、まさに家族のような存在。だから私にとっては父親や兄弟にあげるようなもので、返ってこないことに文句は言ってもそれほど腹は立てていなかった。


何が返ってこないかって?


うふふ。バレんタンデーのチョコレート。四歳の時に初めてあげたのはお父さんとタケルだった。弟がいたけれどその時はまだ一歳になったばかりで食べられなかったしね。好きな人にあげるというよりも、バレンタインデーという雰囲気に憧れてた。ホワイトデーにお返しがこなくてがっかりしたけれど気にしていたわけじゃない。それからも毎年、味見やついでのようにあげていた。義理チョコでもなかったような気がする。本当に兄弟につまみ食いさえるような気分だった。


四歳からあげ続けて四年後。八歳になった時、可愛いブローチをくれた。毎年くれるんだから、何か返してあげなさいと母親に言われたらしい。渋々くれる様子に呆れながらも受け取った。


それからも不思議と毎年あげ続けた。


十二歳になった時、初めてタケルにあげようかどうか迷った。本命の男の子がいたからだ。毎年あげているのに今年はあげないというのも変かと思って渡したけど、タケルに対しても本命に対しても罪悪感のようなものが芽生えた。この時、初めてビターチョコをバレンタインデーに使った。ちょっぴり大人の味だ。本命にフラれて落ち込んでいると、コンビニで買ったやっすいマシュマロとキャンディのセットをくれた。


「次はうまくいくといいな」


照れたように笑うタケルをちょっぴり可愛いと思った。中学生になった頃、義理チョコや友チョコで大いに盛り上がり、タケルにチョコレートをあげることに対して罪悪感がなくなった。高校が別れてお互い恋人ができたというのに、私はタケルにチョコを渡しタケルも当然のように受け取った。十六歳のホワイトデーの時はなぜかデパートで買ったチョコレートをくれた。女の子の方がチョコレートを欲しがっていることに気がついたらしい。彼女に渡すついでに買ったそうだ。ついでのチョコレートは甘酸っぱいオレンジの味がした。


その数か月後私は彼氏と別れて、タケルも彼女にフラれ、お互いおおいに慰め合った。


兄弟か親友のような距離感は大学受験を迎えた時に一気に縮まった。国立大に行かなければならない長女の私と、金銭的に厳しいタケルは毎日待ち合わせて図書室に行くようになった。志望校が同じ大学だったこともあり、お互い戦友のような気持ちが芽生えていた。


手が触れると顔が赤くなるなんて今までなかった。タケルと一緒にいると心臓がどきどきするようになった。こういう気持ちを抱えているのは私だけだろうかと考えていたけど、受験勉強のためにタケルのことは懸命に頭から追い出す。見事迎えたサクラサクは、お互い第二志望校だった。国立大に落ちたタケルは浪人しようかと考えたらしいけど、家から近い大学でアルバイトができるから何とかなると働き始めた。私もアルバイトをして少しでも親の負担を軽くしようとしたし、成績を上げることで奨学金ももらえたからほっとしてた。


十九歳のバレンタインデーの時、いつものようにタケルにチョコレートを渡そうとしたら、タケルが同じ学部の女の子に告白されていた。見てはいけないものを見たような気がして、その場を離れようとしたけれどタケルに見つかって逆に告白される。


「マイ、好きだよ」


私もと答えようとしたけど、タケルの唇でふさがれて息をするのも忘れてしまった。その年のバレンタインデーのチョコは二人で食べて笑い合った。ホワイトデーのお返しはなかったけれど気にしなかった。


だってほら、次は二十歳でしょう?不思議だけど四年に一度、お返しがあるのよね。


「ちょっと期待しちゃうな」


成人式を迎えた後のバレンタインデー、それからホワイトデー、タケルが小さな箱を持って緊張した様子でこう言うことを私はまだ知らない。


「卒業したら、結婚して下さい」

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