005 治療方針カンファ

 午前9時半からは、私が招集したサチの治療方針に関するテーマをメインとする会議カンファだった。おそらくはご年配らしい、サチを初見した精神科医先生の所見と、私の所見は共に、解離性同一性障害(DID)で一致している。そこにゲーム依存症を併発、と私は診断を付け加えていた。入院初日を終え、ここまでの診断の大方針に変更はない。私はこれから10日ほどのサチへの治療的介入の方針をこのカンファで固めるつもりだ。

 

 ☆

 

 明け方にコタツで低温やけどしかかったショックから回復した私は、いつものように朝から仕事に全力投入のつもり、である。

 だが、どこぞのお嬢様学校のソフトボールチームのピッチャーにように、全力で投げたからといって、相手チームに危害を加えそうなくらいに暴投すればいいというものではない。私のことではないぞ。私は、ソフトボール部は中学時代に早々に退部し、後は腐女子街道に全力投球なのだからな。


 さておき、とにかく、サチのカンファをどうリードしたものか、いささか方針に迷うのだった。特にあのイープという、言ってしまえば奇怪な女性メイドのことを、臨床心理士のミカちゃんや看護師たちにどう伝えたものか。考えるうちに、(イープ...ではなく、イーブなら、今は亡き芥川賞作家の名作(迷作?)に出てくる、白豚(♀)も黒豚(♂)も構わずに喰っちまうんだぜぃ的な歌舞伎町のホストなのにな。)、と、私は、業務遂行にはつながりがない妄想を広げてしまっていた。余計な面倒事に巻き込まれないためにも、歌舞伎町は当面は出禁と定めたばかりのはずなのに。

 下手な考えやはり休むに似たり。そう思った私は、とりあえず、サチの昨日の面談での涙の一件を受け、『リストカット等の自傷に至る恐れは当面ないと判断。』との1行をレジュメから消しただけで、カンファが行われる会議室に向かった。

 

 カンファでの司会進行役は私が精神科病棟一のやり手と目している遠藤女史に一任している。基本、ウチのチームは女性陣主導である。腐女子医大生の時に、勢いで原著で読んだハリー・スタック・サリヴァン(Harry Stack Sullivan)先生の、"The interpersonal theory of psychiatry(精神医学は対人関係論である)"にメチャクチャ感化されて精神科医となった私は、精神医学的治療は同性愛的機序を必要とするという論を信奉している。

 当時、難治不治とされていた精神分裂病(今でいう、統合失調症)患者への治療に、今から100年以上も前にサリヴァン先生のチームは男性精神科医と男性看護師だけで構成したチームで取り組み、成果を上げている。いわゆるヤバいお薬のメジャー・トランキライザー(Major tranquilizers)もなしに、である。

 若き日に物理学を学ぶうちに自らが統合失調症を患われた、細身のサリヴァン先生、患者の男性にも看護師の男性にも大変おもてになったそうである。いやはやそう思うと、医学書なのに801な本としても楽しめるという、二度お得なサリヴァン先生の御本なのであった。別の先生による口伝の形ではあるが、サリヴァン先生のおじいさまがアイルランドで飢饉にあい、ジャガイモも十分に食べられない中で、病気の友達(♂)のために肉じゃがっぽいものを作るためにゲヘヘな上官(♂)に手篭めにされたというエピソードの心理分析もなかなかに美味しい801。愛はいつの世も美味しいのよね。若い人向けに教養のひとつとして書いておくと、801というのを普通の言い方に直すとボーイズ・ラブ(BL)のことね。あたしらの腐女子チームの間では、ヤオイ=BLのことを、8+1で、キューッって呼んでたけどね。出典は弓道部で先輩男子と後輩男子がイチャイチャする某名作より。なんと8人の先輩男子から深く愛されるのでしてよ、あなた。

 

 ...そうこうするうちに、遠藤女史のリードのもと、カンファの方は着々と進んでいった。昨日入院したばかりのサチの症状説明がメインとはいえ、私が主治医を勤めるAさん、B君、Cさん、そして、私が支援に回る予定のDさん、Eさん、Fさんの病室での様子を歴戦の看護師さんたちが淡々と説明してくれている。今となっては少し珍しい妄想型の統合失調症を発症なさっているFさんは、相変わらず、かゆいところはお空なのね。まぁ、かゆいところが固着されたということは症状が安定したと見ていいのかしらね。ともあれ、サリヴァン先生の同性的愛を持って医療的介入に奉公するとの志を受け継ぎ、21世紀の半ばを目指す医療者であるところの我々は、ゲーム依存症女子中高生たちに治療的介入することを旨とする我がチームは女性陣が女子力をもって女子中高生たちを愛を持って支援するのである。ァ、女性陣の中で白一点の後藤看護師。君は既に心は女子だし、ここにいていいんだからね。21世紀は男女共同参画社会の時代なのだし。そう、私は、異世界に転生し魔王や謎の天使たちと激戦を繰りひろげた、かの悪いほうではないスライムのように、自分は前に出すぎずにスタッフの皆さんに活躍していただいて成長していってもらうことを旨にしているのだよ。

 ぶっちゃけ医師免許なるものを持っているだけにお給料は私が一番いただかせていただいているのだが、患者さんのご様子に対する気づきは間違いなく、看護師さんたちの方が鋭いしね。後藤君はもっと頑張れ。

 

 臨床心理士のミカちゃんのターンを前に、遠藤女史がテレカンの手配を始めてくれた。そう、今日は先端医療研の坂口先生とのテレカンを入れているのだ。昨日はじめてサチを診たミカちゃんに、サチの印象を簡潔に報告してもらった後に坂口先生に応援をお願いするというのが今朝のカンファの後半部なのだ。

 

 ☆


 「どうも、坂口先生、お久しぶりです。はじめに、レジュメ通り、うちのミカの方から、患者プシケ鴨志田レブンサチさんについて、ご報告させていただきますね。」

 本日のカンファで私のはじめての発言を受け、ミカが話し始める。看護師とまぎらわしいから、心理士の先生はと略して記すことにしているのだが、ひとりだけ呼称どこかアキバっぽい気がするな。ごめんね、ミカちゃん。

 私立の文学部心理学科を卒業した後、リクルーティングやらマーケティングやらをやる会社で上司やオーナー社長からいろいろと揉まれまくった後に、母校の大学院に戻って臨床心理士を取得しなおしたミカちゃん。私よりたしか3歳年下だが、苦労人らしく社会人基礎力は私の3倍以上はある。症例報告スタディを書く時も、彼女に下書きしてもらうと、安定のクオリティになるんだよね。社会人基礎力と日本語力、これ大切。はい、今日も坂口先生への簡潔な、患者プシケさんの報告をありがとう。

 

 「坂口先生、おおよそは、ミカが説明した通りです。私としては、急性期症状が見られない患者プシケさんゆえ、薬物は奏功そうこうしないと考えております。」

 「サイトウ先生、すると、プレジニアスのリアリテス・エンジンの治験に、その子に参加してもらうことを検討している、ということで良いのですかね。」

 「はい。ご手配をよろしくお願いいたします。」

 若干、社会人基礎力を高めた声色で私は応えた。

 

 ☆

 

 今日の入院患者さんとの面談は、共にゲーム依存症のAさんとB君である。


 幼少の頃に岩手県の沿岸地で東日本大震災の被災者となってしまった際に、PTSD(トラウマ症)と共にゲーム依存症を発症してしまった古参の患者さんであるAさん。彼女は鎮静薬トランキライザーが効くタイプなのだが、お子さんが中学生になり手がかからなくなるにつれ、ゲーム依存症が再発し、外出が困難となり、派遣のお仕事も辞めてしまっていた。あれこれとジャンルをまたがってのゲームプレイを辞められない罪悪感からのリストカットがあり、旦那さんの車で当院まで運ばれて傷の治療の後、当院に入院となった次第。そんなに楽しいゲームをしてるんだから、そんなに罪悪感もたなくていいんだけどな、と心では思っている私。東北地方の出らしく、ふだんはいい人丸出しで看護師さんたちにも気をつかってくれるAさん、チュッとほっぺたにキスしたくなるほどに愛らしい。

 B君は今年高校1年生である。陸上部で新人戦の選手に選ばれなかったことをキッカケに夜な夜なゲームにのめり込み、不登校となる。酔った父親に家庭内暴力を再三振るわれた後、母に付き添われ、入院。精神医学的には、ホントは父親の方を入院させるべきなのは明らかなのだろうが、現時点では入院費を出しているのが父の方なので、代わりにB君が年の瀬を病院で過ごすことになった次第。(あのね、B君。おねえさんは夜になると、酔った勢いでゲームしまくってコタツで雑魚寝ざこねしたりしてるんだよ。おねえさんの方が2倍くらい悪いんだから、そんなに罪悪感抱かなくていいんだよ。)と思う私。他の嗜癖しへきの患者さんと同じく、大多数のゲーム依存症の患者さんは、基本、罪悪感をお持ちである。ゲーム症の入院患者さんたちにして医者ができることは、薬物おくすりのわずかばかりの力を借りて、罪悪感との距離のとり方を付き合い方を一緒に考えることである。

 罪悪感に押し潰さそうになると、例えば、B君のように、他のことを全部投げ捨てて禁欲的にゲームにのめり込むようになってしまう。そう、(ほんとにB君。おねえさんが夜は一緒にプレイしてあげるからさ。ゲームが罪だって思うんだったら、おねえさんのオッパイパイの方を左手でさすりながら、あなたについてる方のジョイスティックをさすってもいいんだよ。)とか言って性的な意味で癒やしたいほどに、B君はシューティングゲームに一途すぎるのである。プロゲーマーの道はまだまだ先らしいけれど。

 ちなみに、私だが、長年そこそこなお値段のブラジャーさんを身に着けていることもあって、ハッキリ言ってスタイルが良い。ボン・キュッ・ボン、である。白衣を脱いだら、まぁまぁ、すごいのだ。夜に飲酒する時におつまみは少々だけなのが糖質制限的な意味で功を奏しているのであろう。内科医の先生からは、肝臓の数値が悪化してるよ、と言われることはあるけれども。

 

 そんなこんなで、今日の入院患者さんとの面談も、外来患者さんとの面談も、私はいつもの如く愛をもって臨むのだ。

 

 ☆

 

 そして、夕方からは、新世代のイメージング治療を可能とする、リアリテス・エンジンのお試しとセッティングである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る