003 リトルの目指すところ
Q:注釈 葵さんが浮かべた情景をリトルで共有した結果を、私なりの表現で書き下ろしています。
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一夜限りを過ごす5つ星ホテルへの本日のチェックインを終えた葵と未来。葵は、未来に、まずはバスタブにつかるようお勧めした。未来は、浦和の自宅からホテルまでストップオーバー込みで24時間以上の長時間移動を終えたばかりだ。
未来がバスルームに入るのを見届けた葵は、端末にアクセスし、今日の午後のモントリオール市内観光おすすめコースを改めて見直す。その間に、モントリオールに滞在しはじめて2月にすぎないけれども、葵が案内役ということになる。
夏至をすぎたばかりのモントリオールの午後は長い。夕方は、ベタだけれどモン=ロワイヤル公園で夕陽を見るとして...まぁ、私だったら、時差ある時は、水族館とか美術館で過ごすかな...。と、葵は、あまり詰め込みすぎないプランにした。
シャワーとバスをすませ着替えた未来は、「それじゃ、島巡りツアー、参りましょうか。」と、笑いかける。
モントリオールの市街地は、アメリカとの国境のオンタリオ湖から流れる大河の中洲にある。オアフ島生まれの葵からすると、島とは違う気もするが、モントリオール島という呼び名はある。カナダの中では2番手の大都市だけあって島内のだいたいのところをメトロが巡っている。未来のチョイスは当然、メトロ
「葵が一緒だったらどこでもいいよ。」と未来は言ってくれたし、実際のところ、ちょっと古びたメトロの各路線に乗り続けるのを未来は全く厭わず楽しみ続けたので、夕方までの時間、アート系のメディア博物館に入ってカフェしたことと、ほとんど名前だけで決めたいくつかの降車駅でしばらくぶらつく以外は、二人は大半の時間をメトロで過ごした。
車内で、未来にせがまれ、葵はフィリオクェ・プログラムでの研究生活を話す。
「やってることは、浦和のカフェで仕事してた時とやってた時とあまり変わらず、ライブラリ作りね。」「ライブラリって、やっぱりプログラミングの?」
「うん、そうね。浦和の頃は、時間と共に変わるデータの特徴を分類するための、地味なライブラリを作っていたんだけれど、最近は、データ間の相関をパターン化するっていう、私としては一歩二歩前進したライブラリ作りをしているの。そして、メンターの先生に2週間に一回くらいの割合でデモをして。」
「へぇー。なんていうか、葵くらいにしかできない生き方だよね~。」
「うん、たぶん、私にはこの方が合っているというか。ジュリアン、かなり便利だし。」
メトロの車内でそう語る葵の手に、未来は手にしたメトロのワンデーパスで、まるく文字を書いて、「合っているなんて言いきれるの、うらやましいよぅ。」と本心からうらやましげに言った。たしかに、日本の普通の高校生活とはかけ離れた葵の生き方である。
「ところでジュリアンって何?」
「数式がいろいろ書きやすい自動学習系のフレームワークね。ミックスインっていうだけれど、学習した内容を組み合わせていろいろとお試しするのが便利なの。今回、未来に実験に協力してもらう、脳波の学習ライブラリもジュリアンの上で動くのよ。未来の脳波と私の脳波のデータをいろいろミックスインさせる感じ。」
「あはっ。なんか私と葵の脳がミックスされるみたいな感じがする。
実験終わったら、葵もメトロを乗るのがもっと楽しみになるかもね。私はプログラミングできるようになったりして。」
「そういうミックスじゃないんだけどね。」「そりゃそうか。」と、二人は笑い合う。モントリオール島の西のはずれの終着駅でメトロを降りた二人は、あたりを軽く歩く。
大きめの施設で男子学生たちがサッカーをしているのを横目で見た未来は、「葵がやってる脳波研究って、サッカーとか、スポーツのイメトレに使えるなんてことになったら流行るかもね。」と言った。
「そうなったら嬉しいけど、まぁ今のところは、前に話した通りで、もうちょっと単純なところで。動かしにくくなった足を伸ばすことができるようになるとか、手を肩より上に上げられるようになる、とかそういうことの支援をできるようにしたいな、と。」
「葵が言ってた、作業療法支援っていうものね。」「そうね。今の所、支援って、簡単にできるもんではないなって分かったくらいで、まだまだこれからなんだけどね。」
「それでも、思いっきりチャレンジしている葵はすごいよ。」
何らかの理由で障害を負ってしまった方々が日常生活を送りやすくするためのリハビリテーションを支援する作業療法は、現在、主に病院で行われている。しかし、日常生活の動作を支援するという観点からは、日々の生活を送る自宅などで療法を行えることが望ましい。慢性的に人手不足の日本はもちろん、人件費の高いカナダやアメリカなどでは、医療経済的にもそのことは望まれている。
葵が立てている研究計画では、リハビリテーションに取り組む人の脳の状況をリアルタイムで観察しつつ、動作支援を行う歩行補助ロボットなどの負荷の与え方などをコントロールすることで、リハビリテーション支援の自動化を促進することで、遠隔での作業療法支援を可能にすることを目指している。
この計画は、神経生物学分野でノーベル医学生理学賞の候補者となった研究室に所属しているフィリオクェ・プログラムのメンターとのブレストがきっかけで生み出された。14歳の時以来、葵は、音声言語の不完全性をどう補うかということが本来的な関心事である。メンターは、歩行補助の事例を持ち出してくれた。「○○に向かって歩く。」という表現と、実際に歩を進めることとの間にある差異は、神経系と筋肉系にある。脳・神経か筋肉のいずれかに障害を負ってしまい、「○○に向かって歩く。」ことが困難となっている人を支援する選択肢を、メンターと葵は議論した。そして、メンターは、歩行補助ロボットのアルゴリズム開発に取り組むカナダのレゾ・サノー社を紹介してくれ、フィリオクェ・プログラムに桶葵の研究は本格的に走り出した。
夕方、未来と葵は、散歩をする者やシティライナーで賑わうモン=ロワイヤル公園の入り口についた。主にメトロ車内で、バックパック姿の二人は、歩行や走行を支援することについてたっぷりと話した後だったので、お腹を空かそうと、二人は公園内の坂道を駆け上がり、樹々に間の夕陽を目指す。
少し汗ばみながら走り続け、葵のおすすめのスポットのあたりまでたどり着いた時、息が上がりかけていたのは女の子らしいボディラインが出来上がりつつある未来の方だった。細身の葵にはまだまだ余力がありそうなのを見てとった未来は、「葵ちゃん、ちょっとここでやすも。せっかくだから、今日の話のオチを聞かせてよ。」と、息をゼィゼィさせながらせがんだ。
特にオチのある話をしていたわけではない葵は、未来と一緒にしばし夕陽を眺めてから、話し始める。
「ジュリアン・フレームワークの上で私が作っているライブラリ、ね。最近になって、『リトル』と呼ぶことに決めたんだ。言葉と言葉の間にある小さな何かを補うためのライブラリ、といった意味合いを込めたいのかな、私は。」
「じゃあ、脳の働きを支える小人さん向けライブラリだね。」
屈伸運動を始めた未来は、走りすぎて酸素不足気味な気がする自分の周りに妖精のような小人が何人か漂うさまを想像した。
「そうね、ぇっと、脳が次に目指している状態にすんなりといけるように、リトルが支えるというイメージかな。小人さん、というなら、小人さんが私達の脳が次にみたいものを見せてあげるとか、聞きたいものを聞かせてあげるとか。」
「便利な小人さん、ね。」と、当座の目標の夕陽の少し手前で休憩中の未来は言うと、歩き出し、「私が次に見たいのは、丘の上で夕陽に見ながら手をつないでいる葵と私。」と続け、葵の手を握った。
そこから、100メートルちょっとは手をつないで歩いた。葵と未来は、丘の上にたどり着き、モントリオールの町並みを眼下に夕陽を眺めるのだった。
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