002 シナリオライター「存在Q」

 2033年1月4日、火曜日。日本の世間様的には、いわゆる仕事初めということになるのだが、正月も入院患者さんを受け入れている大学病院にそうした感覚はあまりない。

 ただ、私サイトウの勤務先である精神科病棟には若干の緊張感があった。入院患者さん含め、大多数の人にとっては、この日もただの一日である。なのだが、正月三ヶ日が明けても仕事に向かえないことを気に病んでか、ひそかに鬱状態をこじらせてしまっている方も時としていらっしゃったりするのである。確たる統計的根拠エビデンスがあるわけではないが、少なくとも当院の病棟でケアにあたる看護師さんたちのヒヤリハット記録には、正月明けにはこんなことが...といったアラートが秘かに積み重ねられている。

 

 結果として、精神科医としての火急かきゅうの判断が必要となる事態、すなわち、発作的な自殺企図の継続、または、重篤な身体症状が現れる急性期発作といったイベントは本日はおこらず、日が沈んだ頃に、夜勤の先生と交替することができた。

 年末の晦日みそか以来の連勤を明け明日は、一週間ぶりのお休み。昨年と同じく「年末年始は連勤、以上。」というのが私の勤務予定だったが、今どきの大学病院は、自動的にスケジュールを調整してサブロク協定の権利だというお休みを付与してくる。

 

 明日の一日、私がやることはもう決まっている。部屋でまったりとしながら、年末から入院している、担当患者鴨志田サチの前半生の口述録であるとのノートたちに目を通すこと。その上で、あおいちゃんの相談事にどう協力するかを考えること。


 執事の許可を得たという鴨志田家のメイドさんが、サイトウ宛に病棟事務室まで届けに来てくれたというノート。10年ほど精神科医をしてきた私だが、患者さんのご家族から、患者さんの半生記の類を受け取ることは珍しい。特にゲーム依存症を診ることが主となってからは、私が担当する患者さんは、養育放棄ネグレクト気味の家庭事情を抱えていることもしばしばで、ご家族から患者さんに関する何かを託されることは滅多にない。

 特に、まだ女子中学生のサチに半生記があることは、本ケースの特異性の現れといって良いだろう。サチの養父だという鴨志田幸壱かもしだこういちが、サチの人格の一つを良く知ろうとする一環で、伝手つてを辿り、プロのライターを雇い、当時7歳になったばかりのサチが語る京都での生活を記録させたのだという。

そうした幸壱こういちの意図そのものに何らかの家族関係が見出せるかと思った私はノートに記されていたシナリオライターのお名前「存在Q」でググッてみた。

 

 曰く、ライター「存在Q」さんは、元々はテレビドラマ、ラジオドラマの脚本家だったらしい。当時手掛けた脚本のタイトルには、普段ドラマを見ない私でも知っているものもあった。

 そんな「存在Q」さん、今のお名前になってからは、企業さんが開設した公式ツイ垢の運営などをしているらしい。テレビドラマの制作予算がなかなか捻出できない、といったことが言われるようになって久しい。「存在Q」さんのブログでの解説曰く、脚本業界は、構造不況業種によくある中折れパターンに陥っているのだ、という。いわゆる団塊ジュニア世代より少し上の御年配の脚本家には変わらずそこそこの報酬が見込める仕事が回ってくる一方で、若手の脚本家はタダ同然の報酬でも脚本を書く。平成ヒトケタ時代の就職氷河期の時に、就職活動を見切って若くして脚本家になった「存在Q」さん、結婚して中堅どころと見なされるようになった頃には、仕事の実入りが伸び悩んでしまったらしい。

 そのため、存在Qさんはテレビドラマのスポンサーでもある企業さんたちの商品プロモーションを行うための公式アカウントのツイートを戦略的に代行するお仕事に転じたとのこと。これまでのヒアリングから、サチの父である鴨志田幸壱かもしだこういちは、おそらくは相当な資産家。何らかのお仕事関係でもあったのだろうか。

 存在Qさん、その後そこそこの成功を収めたらしいが、今や、企業の公式垢のツイートはAIが行うことが主流となっているのは、私でも知っている公然の秘密。はたして、今のお稼ぎは...、といったあたりで私は、当初の目的から脱線していることに気がついた。

 

 そう、私の担当患者サチについての半生記ノートを読むにあたり、必要な情報としてはノートの書き手がプロであることで概ね十分。おそらくは半生記のストーリーはしっかりとしているのだろう。治療者としての立場としては、ストーリーが出来できすぎていることは、むしろ警戒を抱くべき材料となる。とりわけ、年末から、出来できすぎたストーリーにいつの間にか巻き込ついかれている気がしている私にとっては。


 

(まぁ、今晩は、サチの半生記の成り立ちは少し分かったところまでにしておいて。)

 そう思い、私は、ここのところ突っ走り気味だった私のお口と心と身体とにご褒美を与えることにした。まずはお口のご褒美として、セレブなピエールリコーニのチョコレートとボルドーの甘々デザートワインを冷蔵庫から出した私は、心のご褒美にキューっとなれるストーリーを探すことにした。今宵はゲームはお休みだ。

 私のチョイスは、23世紀を舞台としたスペースオペラの名作映画たち。背景には、原作を生んだ映画プロデューサーが過ごした、激動の20世紀の戦争と人種対立と愛と性だ。

 20世紀の世界史で勝者となされるのは、ご存知アメリカさん。でもね、常勝のアメリカ、アメリカに本当の物語はない、とプロデューサー氏は感じていた。勝者のストーリーは平板なのだ。彼は映画を作るに当たり、強制収容所経験を持った日系人、ソビエト連邦からの亡命者、公民権運動に深い感心を持っていたニグロさんなどを俳優としてチョイスし、スポットライトを当てた。結果として3世紀先の未来を描いたスペースオペラは、半世紀以上生き延びられる名作となった。私は、女子高生時代にスペースオペラのスピンオフ作品を見て以来、一連の作品たちを一腐女子として何度も味わってきた。

 私がはじめて見た頃にはまだカミングアウトはされていなかったが、艦長と副艦長をはじめ、いい感じの関係になっている男子たちが時として厳しく、時として甘い視線を交わしている。真理を追求する男子科学者が、男性同士の愛情をも理論的に追求する。前世紀が全盛期だったハリウッド映画。正直陳腐な展開もないではないが、世に広く受け入れられたハリウッドシリーズ作の中で唯一無二の、世界各地の腐女子たちもキューッっと楽しめる要素を持つスペースオペラといえよう。


 ☆

 

 古典的名作らしくゆっくりと進むスペースオペラのストーリー展開を、デザートワインをちびちびとしながら味わいつつ、私はサチを初診する前から正月三ヶ日までののことを振り返る。

 

 私サイトウのここ数ヶ月は、仮想現実支援機器リアリティ・クリエイターリアリテスと共にあった。ゲーム依存症の治療への活用が期待されているリアリテス、この年明けから始まる国際共同治験の第Ⅰ相開始に向け、私は、お盆明けより少しずつ、リアリテスの試験稼働を進めてきた。

 はじめはリアリテスによる網膜への医療用レーザーの1分以内の短時間照射からはじめ、3分、5分、10分と少しずつ、照射時間を長くしてきていた。脳内の基底意識エス・イドへの活性化作用を有するそのレーザー照射試験の対象者は、精神科医である私。


 動物実験での安全性確認は十分になされてきたとはいえ、人体への照射試験を通じた治験蓄積はまだまだ少ない。今回の第Ⅰ相治験では、参加していただく健常者の方々への照射試験に加え、患者さんへの短時間の照射試験も予定されている。準備は念入りに行うべきである。私は同僚の先生方の助けも借りながら、幾度もの試験を重ねていた。

 結果、師走に入る頃には、私は世界でもっとも多くリアリテスのレーザー照射を受けていたのだろう。どうやら、年の瀬の激務の中、私の基底意識エス・イドは、意識しないままに超覚醒状態となり、精神医学の治療介入の場において望ましくないこととされる、患者さんとの転移・逆転移関係が亢進された状態にあったものと、今の私は考えている。


 ☆


 そして、私と同じくらいにリアリテスを連用してきたのが、あおいちゃん。リアリテスの仮想現実支援機能を横串につなぐ狙いを持って「リトル」を開発している彼女も、何らかの特殊な精神状態にある・・・

 ディスプレイ上でスペースオペラのストーリーは進んでいく。ふと、「存在Q」って、このスペースオペラの中では異世界人だったなぁと、私は呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る