5
魔女である女は言った。
「あなたがたは、どうしてわたくしがあの怪物を井戸の中に帰してしまったかとお思いでしょう。その答えは簡単です。なぜならわたくしは、あんな怪物の手を借りずとも、首尾よくあなたを闇に葬れるからです。あなたの実力は、とんだ期待はずれでした。たしかにあの井戸の攻撃には、わたくしも一瞬、肝を冷やしましたけれど、もうその手は通じません。わたくしに同じ攻撃は二度と通用しないのですから。おやまあ、かわいそうに。はやくも万策尽きたって感じですわね。あなたのそのお顔が、わたくしに雄弁にそう物語っております。そうです。あなたはこれからわたくしの見ている前で、驚き、慌てふためいて、地面をのた打ち回り、苦しみぬいて死ぬのです」
そう言って、魔女は高らかに右手を挙げた。
「出でよ、むくろの騎士たち!」
魔女の掛け声とともに、荒野の湿った土の中から、むくろの兵が次々と地上にわき出てきた。
「こういうこともあろうかと、準備しておいて正解でした。あなた、ご存知ですか? 魔女と交わり、腹上死した男どもは、死後も魂が肉体にとどまって、忠実な魔女の騎士となる。あなたはわたくしが手をくだすまでもない。あなたの実力は、わたくしには遠く及ばない」
むくろの兵は、手には斧や弓などの厄介な武器をもち、鎧や兜など守備力の高い防具で武装していた。
これで、戦況はAにとって一気に絶望的となった。
魔女はAを見て言った。
「いいですねえ、あなた。いい顔になりました。さあ、そろそろ始めましょう。準備はよろしいですね? 殺戮のショーの始まりです! むくろの兵よ、あの男を殺しなさい! 他の者は生け捕りになさい。あとでわたくしが死よりも恐ろしい拷問にかけ、愚かにもこのわたくしに逆らった罪をその身でじっくり味わわせて差し上げるのですから」
Aは部下の女剣士に命じた。
「マーカス! 部隊を退却させろ! おまえたちは、ガルガンと合流し、アジトに戻れ! 行け!」
そう言って、Aはマーカスたちとは別方向に走り出した。
それを見て、魔女である女は言った。
「敵に背中を見せるとは、恥を知れ! 兵よ! その場でやつの背中を討て!」
むくろ兵はいっせいに弓を引いて、Aの背中めがけて矢を放った。
矢がAの背中に命中しようとした、そのときである!
暗闇から誰かが躍り出て、Aをかばうように立ち、迫りくる敵の矢からAを守った。
「誰だ!?」
Aは男の横顔を見て、すぐにそれが誰だかわかった。
「おお、兄よ!!」
Aは、敵の矢に倒れた兄を、地面から抱き起した。
Aは兄に言った。
「兄よ、なぜここに来た! あなたはアジトで待っていると約束したはず。ここに来れば、あなたは報酬として受け取る、十万を下らない金を失うというのに!」
Aの兄は言った。
「おれはつくづく運のない男だ。かっこよく登場したと思えば、すぐにやられちまった。Aよ、おまえはおれを置いて逃げろ。いまのお前では、あの魔女である女には勝てない」
Aは兄に言った。
「兄よ、わたしの質問に答えろ。なぜ来た。あなたがここに来れば、あなたは報酬として受け取る、十万を下らない金を失うのだぞ!」
兄はAに言った。
「そうだな。惜しいことをしたよ。十万という金は、おれにとっちゃ大金だから。だがな、弟よ。おれはおまえの兄だ。弟であるおまえの命が、兄のおれにとって、十万かそこらの値打ちしかないと思うか!」
Aは震える声で言った。
「ばかな……。あなたはわたしを守るべき弟だと? わたしはあれほど、あなたのことを、だらしない兄などと呼んで、軽蔑したというのに。兄はわたしのことを、守るべき弟として見ていたといのうのか!」
弟の言葉を聞くと、兄は自嘲ぎみに笑った。
弟は兄に問うた。
「まさかあなたは、最初からわたしのために? あの女への復讐のためではなく、最初から弟の身を案じて、わたしたちの仲間に加わったのか?」
兄はうなずいて言った。
「ああ、そうさ。おれはおまえの身を案じて来たんだ。おまえがツイッターで流した、あの偽情報に釣られてな? なんだよ、たまご爆弾って……。そんなばかげた作戦で、魔女であるあの女に勝てるわけがない。そう思って、おれはおまえのアジトに行ったのさ。まんまとしてやられたよ。まさか敵ではなく、兄であるおれが、おまえのデマにひっかかるとはな」
兄は弟に続けて言った。
「Aよ。おまえをおれが助けようとした気持ちは、おまえには理解できないかもしれん。だが、おまえにも弟がいれば、おれの気持ちがわかっただろう。どんなに蔑まれても、どんなに喧嘩をしても、おまえはおれのたった一人の弟だ。弟がむざむざ死に逝くのを、黙って見ている兄が、この世界のどこにいよう」
そう言うと、兄は激しくせきこんだ。兄の口からは、血が流れ出していた。
「兄さん!」
兄は弟に言った。
「おれの人生は、どうやらここまでのようだ。弟をかばって死んだのなら、おれは満足してあっちの世界に行ける。おれはこの世に未練などない。おれは好きなように自分の人生を生きたからだ。ただひとつ気がかりがあるとすれば、妹のことだ。Aよ。おまえはあいつのことを嫌っているようだが、あいつはおまえのことが好きだぞ? あいつにとっておまえは、心から尊敬できる、自慢の兄なんだよ。だから、Aよ。おまえは、兄として妹を守ってやれ。あいつは人並み外れてかわいいから、そのぶん誘惑も多い。あいつにはおれのように人の道を踏み外してほしくない。だから、おれからの最後のお願いだ。Aよ。おまえは兄として、あいつのことを絶えず気にかけ、どうか守ってやってほしい」
途中から、兄の声がかすれて、どんどん弱くなっていく様は、そのときが近づいていることを、Aに知らせた。
「だめだ、兄さん。もう口をきいてはいけない!」
兄は弟に言った。
「へっ、やっとまともな口をきいたな。おまえがおれを兄さんと呼ぶのは、いつぶりだろうか? いいか。おまえは生き延びるんだ。おまえはこんなところで、死ぬ、な……」
「兄さん!!」
Aは兄を抱いて、声を上げて泣いた。
兄の頬にも、涙の跡があった。
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