3

 Aのもとには、待てど暮らせど、斥候ネオからの連絡が来なかったので、不審に思ったAは、Aのしもべたちのかしらと、その腕利きの部下を集めて言った。

「よし、余はもうひとり、あなたたちの中から斥候を選んで、敵地に送り込もう。ネオを敵の手の中から救い出すためには、他に方法がないからである」

 そのとき、一人の男が、かれらの集団に割って入ってきて、Aにこう言った。

「やめておけ。おまえはいま、無駄なことをやろうとしている」

 その男は、Aの父親の長男であり、Aの兄である男であった。

 Aのしもべたちは、Aの兄の姿を見て、口々に、

「放蕩息子の兄が来た!」と叫んだ。

 Aのしもべたちは、口に出さないだけで、Aの兄が放蕩息子であり、Aと同じ大学に在籍していることをひそかに知っていたからである。

 Aは自分の兄に言った。

「兄よ、あなたは何とおっしゃられますか。わたしには納得しかねます。わたしがいましようとしていることの、何が無駄と言われるのですか? あなたがそのように言ったわけを教えてください」

 Aの兄は答えて言った。

「弟よ、おまえが知りたがっているわけについて、単刀直入に言おう。おまえが敵にスパイとして送り込んだ男は、敵に寝返った。彼はいまや魔女の虜となっているので、取り戻し行くことは不可能だ。だから、おまえがいまやろうとしていることは、無駄なことだと言ったのである」

 Aは兄に問うて言った。

「待ってください、兄よ。あなたは、わたしどもの斥候が敵に寝返ったことを、どうして知ったのですか?」

 Aの兄は答えて言った。

「おれがそれを知ったのは、おれもあの魔女のサバトにひそかに潜り込んでいたからである。おまえが斥候として送り込んだのは、ネオという男であろう? おれは一目見たときに、その男がおまえの斥候であることを見抜いた。明らかに様子がおかしかったからである。そして、おれはその男がおれの目の前で魔女に魅了されるところを見た。あの男はいまや、魔女である女の忠実な手下である。だから、取り戻しに行くのは、あきらめなさい」

 そして、Aの兄はこう続けた。

「あの魔女をやるのなら、おれも一枚かませてもらおう。おれはあの魔女である女を滅ぼしたい。おまえと、おまえの仲間たちも、あの魔女である女を滅ぼしたい。わたしたちは、同じ目的を共有する仲間だ。ちがうか?」

 Aは兄に言った。

「兄よ、あなたがあの魔女を滅ぼそうとするのは、わたしどもにとっても、たいへん結構なことです。しかし、わたしは、あなたがあの魔女を滅ぼそうとする、そのわけが知りたい。そのわけを聞いて、わたしが納得しなければ、わたしはあなたをわたしどもの魔女を討つパーティに加えないでしょう」

 Aの兄は答えて言った。

「弟よ、おれが魔女を滅ぼしたいわけは、こうだ。おれは、あの魔女である女に、男としてのプライドを傷つけられた。だから、おれはあの魔女を滅ぼそうとするのである」

 兄弟の会話に、かしらの一人、ユキトが口を挟んで言った。

「主の兄上は、何をおっしゃっているのか。しもべには、とんと見当が付きません。主よ、いったい兄上は何をおっしゃっているのですか?」

 Aがユキトに答えて言った。

「兄は、余の見立てでは、あの魔女である女に恋をして、告白し、そして、フラれたのである」

 そして、Aは兄に向って言った。

「兄よ、わたしはあなたに問います。あなたの行いに義はありやなしやと。わたしがいま述べた推測が正しいとすれば、あなたのしようとしていることは、ただの逆恨みなのではないですか?」

 兄はAに答えて言った。

「弟よ、おまえの考えは、当たらずとも遠からずといったところだ。おまえの推測は、途中までは正しい。おれがあの魔女である女に恋をして、告白したまでは正しい。しかし、そこから先が、まちがっている。おれはあの女にフラれたのではない。あの女は、おれの告白を受け入れたのだ。おれは有頂天になり、あの女に貢物をした。あの女は、美しかったが、その反面、おれがこれまで見たどの女よりも、欲深かった。あの女の欲は、おれからプレゼントを一つとれば、すぐにもう一つ欲しがるという具合に、際限がなかった。そうして、あの女は、おれからどんどんとっていき、しまいには、おれは無一文になった。おれは、おれの父と母、それから弟であるおまえや妹である女から金を借りまくってまで、あの女に貢いだ。なぜなら、おれが貢物をすれば、あの女は喜ぶからである。しかし、いよいよ金脈が底をつき、おれがあの女に貢げなくなると、あの女は、古くなった雑巾を捨てるように、おれを捨てたのである。だから、おれはあの女を憎む。おれはあの魔女である女を滅ぼしたい」

 Aは兄に言った。

「兄よ、事情はよく分かりました。あなたがあの女を憎む気持ちは、わたしにも理解できます。しかし、あの女と付き合っている間、あなたは良い思いをしたのではありませんか?」

 Aは続けて言った。

「なるほどあの女にとって、あなたは金づる以外の何物でもなかったかもしれません。しかし、あなたはあの女に貢物をして喜ばせることにより、あなた自身もそのことで喜び、また、たぶんですが、あなたは他にも彼女のところに入って、あなたにとって喜びとなることをしたのですから、あなたが享受したそれらの喜びは、あなたが彼女に貢物をするために支払った金銭の対価として、十分だったかもしれません。よって、あなたが主張しようとしていることに、わたしは深刻な疑いを抱かずにはいられません。もし、わたしがいまあなたに抱いている疑いが、仮に的外れでないとすれば、あなたがあの魔女である女にしようとすることは、ただの逆恨みではないかという、先に指摘したわたしの推測も、的外れではない、ということにならないでしょうか? 兄よ、お答えください」

 Aの兄はAの前に平伏した。Aの言い分には理があり、Aの兄はこれに首尾よく反論し、やっつけるすべを持たなかったからである。

 Aは兄に言った。

「兄よ、どうか顔を上げてください。わたしはいま、あなたにあえて厳しい態度で挑み、それがあなたにとって良いことであるとわたしは信じますから、あなたの主張を論破しましたが、最初に言ったように、あなたがあの女を憎む気持ちは、わたしにも理解できます。あの女はひどい。あの女はひどすぎます。あの女のひどさは、度を越しています。あなたと同じ目に遭って、ひどい思いをした男は、あなたの他にも、星の数ほどいるでしょう。もしかすると、あなたがその女と交際していた最中にも、あなたと同じ目に遭って、ひどい思いをした男が、一人や二人、あるいは十人いたとしても、わたしは驚きません。兄よ、わたしはあなたに同情します。兄弟だから、あなたに同情するのではありません。わたしは、ひとりの男として、いや、ひとりの『人間』として、あなたに同情します。人のことを金づるとしてしか見ないような人は、まともな人間とは言えないからです。――ちなみに、いまわたしが言ったことは、あなた自身にも当てはまるように思いますが、そのことは、いま問題にしないことにしましょう。それは、せいぜいあなたとわたしたち家族の問題だからです」

 兄はAに言った。

「弟よ、おれはもう一度だけ言う。おれはもう二度とは言わないだろう。おれをおまえさんがたの魔女を滅ぼす仲間に入れてください」

 Aは兄に言った。

「そこまで食い下がられては、仕方ありません。よろしい。あなたを、わたしたちの仲間に加えましょう。ただし、条件付きです。あなたは、わたしたちが魔女を滅ぼすとき、わたしたちの後方にいて、わたしたちの支援に徹してください。決して、前線には出ないでください。この条件を飲むなら、わたしはあなたをわたしたちの仲間に加えます」

 兄はこれに同意したので、彼は、Aたちの魔女を滅ぼす仲間に、条件付きで加わった。

 兄との会談の後、ユキトがAに近づいてきて、小声で言った。

「主よ、よろしいのですか? 主の兄上は、もしかすると敵の斥候かもしれませんよ?」

 Aはユキトに答えて言った。

「わかっている。だが、ネオを失ったいま、余はこうするしかないのだ。余は、兄を新たな斥候として、敵の様子を探らせよう。このままでは、作戦を立てようにも、埒が明かないからだ。兄は、現在のところ、余のしもべどもの輪の中にあって、あの魔女である女に魅了される心配のない、ただ一人の男である。だから、余は兄を利用しよう」

 それから、Aはユキトに次の指示を与えた。

「余の兄はいまでも金に困っているので、あなたたちのうちの誰かに、金を借りに来るかもしれない。ユキトよ、おまえは行って、余のしもべどもにこのように言いなさい。ひとつ。しもべどもは、兄が余の兄弟だからといって、兄に金を貸す義務はありません。また、兄に金を貸したからといって、余のその人に対する評価が上がることはまったくないと考えてください。ひとつ。しもべどもは、兄に頼まれて、金を貸すことも貸さないこともできます。それは各自の判断でなさってください。ただし、兄に貸した金は、返ってこないものと思ってください。以上」

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