第四章 魔女である女のこと
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Aが魔女を滅ぼすための準備にいそしんでいた頃。Aのふしだらな妹は、Aの母親の実家で、教師との件のほとぼりが冷めるのを待っていた。
その日、Aの妹は、居間で新聞を読んでいる祖父の横で、スマホをいじくりまわしていたが、急に「あらっ?」と素っ頓狂な声をあげて、祖父に声をかけた。
「おじいさま、ちょっと。これを見てくださいまし。お兄さまのことが出ております。お兄さまのことが、ツイッターで拡散されておりますの」
そう言って、Aの妹は、祖父のほうにスマホを差し向けたが、祖父は新聞に目を落としたまま、
「ほう。それは、上の兄の、放蕩息子のほうか? それとも、下の、比較的まともな兄のほうか?」
「もちろん、まともな兄のほうですわ。だって、わたくしが上の兄さんのことを『お兄さま』だなんて呼ぶわけありませんもの。上の兄さんったら、本当にだらしがなくて、わたくしが貸したお金も、びた一文返してくださらない!」
祖父はあきれた口調で言った。
「またその話か。おまえはその話をするのが好きだな。して、そのツイッターとやらに、なんと出ておるのか? 上ではなく、下の、比較的まともなほうの兄のことが、出ておるのだろう?」
「はい。なんでも、これによりますと、お兄さまは、なんとかって魔女を滅ぼすつもりらしいのです。あのお兄さまが? 本当かしら」
「その、なんとかってのは、なんだ。そこが重要だろう、おまえ。なんせ、魔女なんてものは、掃いて捨てるほどおるのだからな?」
「わかりません。ちょっと難しい漢字で、わたくしには読めませんわ」
「漢字だと? どれ、ちょっと見せてみい。えーと? 小さいなあ、画面が。おまえ、よくこんなちまちました画面を、一日中眺めて……。ん? 『淫乱な魔女』? おまえ、こんな字も読めんのか」
「いんらん? なんです、それは」
「暇を持て余しておるなら、ちっとは新聞でも読んで、漢字の勉強をしてみたらどうだ? 淫乱とは、ふしだらなこと。とくに、女の性にふしだらなことを言うのである」
「ふーん。それより、おじいさま。その『いんらんな魔女』というのは、強いのですか? それとも、普通ないし弱いですか?」
「わからんな、これだけでは。なにせ、魔女なんてものは、総じて淫乱な生物であるから。『淫乱な魔女』なんて言い回しは、『黒いカラス』とか、『淫らな娼婦』とか言うのと同じくらい、まぬけで、よく知りもしない奴が、てきとうに書いたことが丸わかりだ。他に情報はないのか? その魔女のことに関して」
「待ってください。いま、検索をかけますから。……ああ、ありました。その魔女は、ランパスという名前らしいです」
「ランパスだと?」
ランパスという名を聞いて、Aの妹には、祖父の顔が少しまじめになったような気がした。
「おじいさま、ご存じなのですか?」
「冥精ランパス。本来は、冥界にいるニンフの種族だが、なにかのひずみで、現世にひょっこりまぎれ込み、人間の女に宿ることがあると聞く」
「めいかい? なんだかわかりませんが、なにやらすごそうですわね? なにかのひずみってなんです? ニンフって魔女のこと?」
「つっこまないでくれ。わしはいま、老いた頭をフル稼働して、必死に思い出しておるのだ」
「それはたいへん失礼いたしました。けど、まあ要するに、とにかくそのランパスってのが、お兄さまの滅ぼそうとなさっている魔女の正体なのですわね?」
「ずいぶんざっくり要したな。わしの言ったことなど、どこ吹く風と言わんばかりに」
「別にいいじゃありませんか。わたくし、内心では、おじいさまのこと、感心しておりましたのよ? こういうのを年寄りの知恵と言うのでしたわね? ところで、そのランパスという魔女は、強いのですか? それとも、普通ないし弱いですか?」
「まあ、並と言ったところだが」
「なみ? なみとは、なんです?」
「強くもなく、弱くもない。おまえの言う『普通』を、世間では並と言うのである」
「普通なのですか。なあんだ。普通なんて、ちっともおもしろくない」
「普通といってもな。相手は魔女だぞ? いまのあいつには、いささか荷が重かろう。どのみち、並の人間にかなう相手ではないのだからな」
「けど、わたくしたちの一族も、けっこう強いのでしょう? おじいさまがいつも、おっしゃっているじゃありませんか」
「昔のことだ。戦後の混乱でおちぶれて、いまは見る影もない。斜陽族もいいところだよ」
「しゃようぞく? なんです、それは」
「もういい。おまえと話していると、疲れる。それより、おまえの、比較的まともな兄のほうに、ちょっと電話してみい。わしから、言うことがあるから」
「それは無理です。だって、番号を教えてもらってませんから」
「え? きょうだいなのに、番号も知らんのか?」
「おじいさま、いまはそういう時代ですの。きょうだいで番号を知らないなんて、普通のことですわ。おじいさまの若いときの常識が、いまの若い人に通じるだなんて思わないでください」
「え? ああ、そう……。それで? 他に連絡を取る方法はないのか? そのツイッターとやらでは?」
「ツイッターは無理ですけれど、ラインならできますわ。けど、わたくしはいま、お兄さまから絶交されておりますの。わたくしのラインなんて、読んでくださいますかしら」
同じ頃、Aのアジトでは、かしらの一人、ユキトが、Aに近寄って、何やらAに耳打ちした。
「情報が漏れているだと?」
「はい。わたしたちが魔女を滅ぼすであろうことが、ネットに書かれて、拡散しております。いま、情報を漏らした者がだれか、鋭意調査中でございますが」
Aはユキトに言った。
「よい。犯人さがしなど、するな。それより、いくさの準備はどうなっている?」
「残念ながら、あまり芳しくありません」
「斥候からの連絡はあったか?」
「いえ、いまのところは、まだ」
「成果は、なしか」
そう言って、Aはソファの上にとぐろを巻いた。
「手前どもも、しゃにむにやっておりますが、なにしろ、相手が相手ですので」
Aは部下をたしなめて言った。
「おまえがそんな弱気でどうする? いくさというものはな、気持ちで負けたらしまいなのだ。おまえがそんな調子では、戦わずしてゲームセットではないか」
Aは部下に続けて言った。
「ユキトよ、このさいだから、はっきり言っておくが、おまえのビジネス口調は、余には少し耳障りだよ? 鋭意調査中なんて言葉は、余の前で、二度と使うな。ビジネスをしているんじゃないんだ。仕事をしろ。もうよい。行け。行って、ガルガンを呼べ。余はやつをA軍団長に任命する。おまえは作戦本部長として、いくさの策を立てろ。おまえはいくさの準備に全力を傾注するのだ」
「承知しました、わが主よ」
その日の夕方、Aのもとに祖父から電報が届いた。
妹からラインも届いていて、Aもそれに目を通したが、Aの祖父は、年寄りの常として、紙でない媒体に信頼を置かなかったのである。
「電報を読み上げてみよ」
Aはそうユキトに命じた。
「はい。それでは読み上げます。『カテルミコミナシ イマハテダシスルナ ソフヨリ』」
ユキトは続けて言った。
「あと、追伸で、『イチドイエニコイ イモウトモ アイタガッテル』。主よ。おじいさまもこう言っておられます。いかがでしょう。一度、ご助言を求めに、おじいさまに会いに行かれては?」
Aはユキトに言った。
「それには及ばぬ。祖父は余をみくびっておるのだ。なにせ、もうずいぶん会っていないからな。それに余は、妹がいる場所に顔を出すわけにはいかぬ」
Aは続けてユキトに言った。
「案ずるな。余はきっと勝利してみせよう。余が勝利すれば、その報が祖父にも届く」
ユキトは苦渋の面持ちで言った。
「ですが、いますぐ魔女に攻め込むというわけには……。あいにく準備の方がまだ。おじいさまに、いちおう返信なされてはいかがです?」
Aはユキトの提案を受け入れた。
「そうだな。よし、余はツイッターを更新しよう。余はいまからあるデマをつぶやく。偽の情報で敵を混乱させるのが余のねらいだが、余に戦いの意志があることを祖父に伝達するには、それで十分である。よいか? 余が更新したら、拡散希望のハッシュタグをつけて、しもべどもにリツイートさせなさい」
「心得ました、主よ」
そう言って、ユキトはAの前から下がった。
Aは独りになると言った。
「しかし、どこから情報が漏れたのかな? だれが敵やら味方やら。腹心のユキトとて、男は男。魔女の誘惑に屈するやもしれぬ。ましてや、うぶな男ならどうだ? わたしは、人選を誤ったやもしれない」
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