第一章 常軌を逸した家族

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 都内の私立高校に通うAは、悩んでいた。

 彼は、同級生から、ひどいいじめを受けていたからだ。

 あるとき、彼は同級生Bに聞いた。

「あなたたちは、どうしてわたしに、こんなひどい仕打ちをするのですか?」

 Bは答えて言った。

「おお、主よ。どうしてそのようなことをおっしゃられるのですか? 主は、どうしてしもべに、根も葉もない疑いをかけられ、自分がしてもいないことを、認めろとおっしゃるのですか?」

 AはBに言った。

「あなたはどうしてそんな妙な話し方をするのか? どうして、あなたはわたしのことを、主人などと呼ぶのか? わたしは、あなたの主人などではない」

 BはAに答えて言った。

「いいえ、主よ、わたしは主の忠実なしもべです。わたしは、主の言いつけには、なんなりと従うでしょう。しかし、主はしもべに、自分がしてもいない咎の責めを受けるよう本気でおっしゃるのですか? わたしはこれまで、主の言いつけを守って、主のために働き、主を裏切ったことは、一度たりともございません。主は、この忠実なしもべに、無実の罪を着せ、さばき人のもとに差し出そうとなさるのですか? それが主の本望なのですか? わたしは、主の言いつけなら、なんなりと従うでしょう。それが主の本望ならば、わたしを、さばき人のもとに、引き連れて行ってください」

 AはBに言った。

「勘ちがいするな。わたしは、あなたをさばき人のもとに、連れて行こうなどと思っていない。ただ、あなたがわたしにした、これまでのひどい仕打ちは、いったいどういうわけなのか。そのことを聞いているだけなのだ。あなたは、どうしてこのわたしを、主人などと呼ぶのか。仮に、わたしがあなたの主人だったとしても……」

「ゲツセマネ」

「ああ、やめろ! あなたはわたしに、なんてひどいことを言うのか。あなたはどういうわけで、どういう事情があって、わたしにそんなひどい言葉を浴びせるのか」

「ゲツセマネ!」

「やめろ! たのむから、それだけはよしてくれ! あなたは、わたしがイスカリオテのユダだとでも言うのか?」

 BはAに答えて言った。

「主よ、わたしはあなたの忠実なしもべです。あなたがするなとおっしゃることは、わたしは絶対に致しません。あなたが『ゲツセマネ』という言葉を、今後、主のいる前で、絶対に口にするなとおっしゃるのであれば、主の忠実なしもべは、今後、主のいる前では、口が裂けても、『ゲツセマネ』という言葉を口にすることはないでしょう」

 そう言って、BはAのもとを去った。


 都内の私立高校で、Aがひどいいじめに悩んでいた頃。Aの父親である男は、都内の広告会社のデスクで、肘をつき、物思いにふけっていた。

 Aの父親の息子は、放蕩ほうとう息子であった。その息子というのは、彼の長男で、Aの兄にあたる人物である。Aの父親は、彼の長男のせいで、彼の同僚から、『放蕩息子の父』というあだ名を付けられ、蔑まれていた。

 Aの父親の同僚Cは、Aの父親に言った。

「おい、放蕩息子の父よ」

 Aの父親は、彼に抗議して言った。

「Cよ、たのむから、その呼び方はやめてくれないか?」

 CはAの父親に言った。

「わたしはおまえが、その呼び方を気に入らないのは知っている。しかし、おまえの息子は、現に放蕩息子ではないのか? おまえの息子が放蕩息子でないのなら、わたしもおまえに対する呼びかけを改めよう。しかし、おまえの息子は、現に放蕩息子である。おまえは、事実を曲げてまで、自分の名誉に固執するのか?」

 Aの父親は、Cに答えて言った。

「Cよ、おまえの言うとおり、わたしの長子は、放蕩息子である。だから、おまえの言うように、わたしは、放蕩息子の父である。そのことは、真実であるから、おまえも現に、わたしに呼びかけるとき、『放蕩息子の父』と呼ぶのである。しかし、おまえも知ってのとおり、おれにはもうひとり、Aという息子がいる。彼は、学校ではいじめられているが、気は優しい、真面目な青年である」

 CはAの父親に言った。

「あなたはわたしに何を言いたいのだ? わたしに何を要求するのだ?」

 Aの父親は言った。

「わたしは、つねにAのことを気にかけている。わたしは、Aのことが心配でならないのだ。あなたがわたしのことを、『放蕩息子の父』と呼び続ければ、いつしか人は、Aのことを『放蕩息子の弟』と呼ぶようになるだろう。そのことだけは、わたしは我慢することができない。誰であれ、Aのことを『放蕩息子の弟』と呼ぶ者を、わたしはゆるしてはおかないだろう。わたしはきっと、その者を剣で八つ裂きにして、その首を木の幹に吊るすだろう」

 CはAの父親に言った。

「わかった。わたしは今後、おまえのことを『放蕩息子の父』と呼ぶことをしない。わたしは、自分の身を案じてそうするのではなく、おまえがわたしを剣で八つ裂きにして、わたしの首を木の幹に吊るすなどというような、愚かな罪をおまえに犯させないためである。だから、わたしは、おまえの呼び方を改めよう。わたしは、今後、おまえがいる前では、口が裂けても、『放蕩息子の父』という呼び名は、口にしまい」

 そう言って、CはAの父親のもとを去った。

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