果物ガール×美食家JK


 静寝しずねさんと旅の予定について相談し、スケジュールと旅先の予約をととのえ終わるのにそう時間はかからなかった。

 

 今日は私が生まれて四週間ちょっと。三日後には、私たちは北海道にいる。 

 そして今は、私ひとりで岩古座堂いわこざどうへと訪れているところだ。クルミさんが学校に行くあいだ私はひまを持てあますことが多いので、こうして静寝さんと会うのもすっかり日課となっていた。


「クルミさんの気まぐれだったはずなのに、本当に北海道くことになるとは思いませんでした」


 静寝さんに相談したとき教えてもらったけど、そもそも未成年だけじゃホテルに泊まることさえできないものらしい。

 契約がどうとか、法律がなんとか。とにかく、最初から私たち二人だけでは旅なんて出来なかったのだ。


「ホテルとかの宿泊施設ってそこんとこきびしいから。ちゃんと……保護者やってる人が許可しないとねー」


「保護者、ですか。そういえばクルミさんの保護者ってどうなってるんですか? それによく考えたら、持ち主のなくなったあの家にクルミさん一人で住んでるのもヘンっていうか……」


「あの子は今、父方ちちかたの祖父が保護してるって事になっているんだけど、ほら、今はクルミちゃんあの状態・・だから。下手な刺激が加わらないよう前の生活をそのまま残してあるのよ。普段ふだんはワタシが面倒を見ることにしてね」


 つまり、静寝さんは今のクルミさんにとって実質『保護者』であるらしい。


「じゃあ静寝さんはずっと前から、クルミさんのために色々と周囲の世話してくれてたんですね。よくクルミさんのお祖父さんもまかせてくれてますね」


「任せてくれてる、って表現は少し違うかなー。ワタシに任せるよう言いくるめたのよ。クルミちゃんの親族って、ロクでもなくてね。子どもなのを良いことに色々とクルミちゃんを誘導するものだから、ワタシがアドバイスしてあげたの。それで最後にはワタシが保護者。不思議だねー」


 相変あいかわらずまったりとした口調でそう言って、でも後半の語気には、静寝さんにしては珍しく強い怒りが感じられた。

 育った子ども一人を巡るやりとりがどんなものだったのか私には分からないけれど、彼女にとってはどうやら忌まわしい現場でしかなかった事だけは、その反応から想像できる。


「静寝さんは、クルミさんの親族になにかしたんですか」


「そんな悪い人みたいに扱わないでよ。ちゃんと自立するまで面倒みて、あの子の望みどおりにお手伝いするだけ。それにさ美咲ちゃん。両親を亡くした子どもを相手に、どうしぼり取ろうかしか考えない大人たちなんかに、クルミちゃんを任せる事なんて出来ないと思わない?」


 ……この人との付き合いは短いし、だからこれは私の勘でしかないけれど。

 少なくとも静寝さんは、クルミさんから何かをうばおうとはしないと思う。



  ***



 生まれてからこの家で過ごす時間もそれなりに長くなったので、生活にもお決まりの流れみたいなのが出来上がっていた。


 クルミさんがお家に帰る前に、私はお買いものませておく。

 夕飯は、作ったものがめるといけないからお米をいておくくらい。洗濯は、クルミさんが帰ってきてから一緒にやる。制服を洗わないといけないからだ。お風呂にお湯をめておくのは、私の錬成をおこなうため。

 お家の掃除そうじをどの程度やるかは任されていたけど、よく使うリビングやお部屋はそれなりに片付かたづけておいた。

 手を抜いたってクルミさんは怒ったりしないけど、ずっと前に思いっきり散らかしてしまったから今はそんなことがいよう気を付けているのだ。ハンセイ、反省。

 後はほとんどクルミさんがやってくれて、私はそのお手伝いという感じ。


 気が向いたら呪いの市松人形いちまつにんぎょうを撫でてやる。毎日みているので違いが分かりにくかったけど、明らかに最初よりもフサフサになっていた。どうやら本当に髪の毛が伸びているらしい。そこに居るのが当たり前すぎてもう怖くもなくなってしまったけど。


 後はスマホをいじったりテレビをみたりしてのんびり過ごしていると、いつもどおり六時前にクルミさんが帰ってきた。



「ただいまぁ。美咲ー、おそわれてないかぁ?」


「もう、そのネタ忘れて下さい。襲われてませんし、襲われても蹴り飛ばせますよ」



 馬の被り物を混ぜて以来いらいこの足には馬並みの脚力がそなわっていて、おかげで蹴りの威力も尋常じんじょうじゃない事になった。

 一度いちどサッカーボールを蹴って試してみたことがあって、そのとき球は悲鳴ひめいのような風切り音をてて吹っんだ。まず人間にむけて振るってはいけない力だと分かったけれど、いざ護身用となればこんなに頼れるものはない。


「美咲お腹減ってる? 平気ならお風呂さきに入ろうよ」


「お腹はまだ平気ですよ。お風呂、今日はなにかぜるんですか?」


「今日はスイカを混ぜまーす! お買い物してくれてた?」



 ここ最近のクルミさんのマイブームは、私の錬成時に果物くだものを混ぜることらしい。

 冷蔵庫に貼られた、買いしをメモするためのホワイトボードには『スイカブロック』が書きのこされていた。その通りにスーパーで買ってあるけど、やっぱりこれも食べる用じゃなくて錬成の素材として使うつもりみたいだ。



「これってなんか変わるんですか? 今までも果物とか食品系は混ぜましたけど、何も変化しませんでしたよ」


「うん、でもいいの。意味なかったとしても食べちゃえば済むしねぇ」



 どんな目的があるのかよく分からなかったけど、もう慣れっこなので追求はしなかった。どうせたいしたことにはならない。

 洗面所で二人ともはだかになって、汚れものは残りを使って洗うので、洗濯機をまわすのは後。

 チョーカーを外したのでネコ耳がピンと生える。同時に、勝手かってに出来上がってしまうポニーテールはここでほどかなきゃいけない。

 クルミさんが慣れた手つきで私の髪を下ろしたら、お風呂場にはスイカのパックだけを持ちんだ。



「いつもお風呂場に果物もって入るのって、変な気分です」


「フルーティーな香りのお風呂になっちゃうねぇ」


「そういえば、錬成した果物ってどこいくんでしょうか。特に変化がないならまた出てきちゃったりします?」


「ううん。出てこないからカラダに吸収されちゃってるんじゃないかなぁ」



 ふむ。ということは、食物系は口から食べたのと似たような扱いになるらしい。

 ……太ろうと思えば短期間でいくらでも太ってしまうんじゃないだろうか。クルミさんには、勝手に色んな食べ物ほうり込まないようしっかり伝えとこう。



「そんじゃ頭あらっていくから、目つぶって」


「ん」



 私を風呂おけに座らせて、クルミさんがシャワーで濡らした髪をあわ立てていく。

 鏡とかい合うかたちになるので、チラリとまぶたを開けば大体クルミさんの裸が目に入る。


 クルミさんのカラダは、すごく大人っぽいと思う。

 スラリとしてて、でもどこか柔らかそう。私はゴーレムだから、他人のカラダに触った経験はほとんどない。だからどうしたって好奇心みたいなものがあって、目は自然とクルミさんをってしまう。


 前もって言えば、クルミさんはきっと抵抗もなくたしかめさせてくれると思う。まだ私が直接かんじたことのない感触を、この手に教えてくれるはず。

 だから口に出そうとしてみるけれど、どうしてかそれははばかられた。


 今日でもう四週間。私は一度も、そのお願いを言えずにいる。



 ***



 錬成を終えて家のことをひとしきり済ませ、後はクルミさんのカラダについてモヤモヤと考えてたら眠る時間はあっという間にきてしまう。最近はいつもこんな感じで、無為によるを消化してしまっていることに後悔する。

 いまさら悩んだって取り戻せるものでもないなと今日もめて、素直にクルミさんのベッドへと腰をかけた。

 最後に、自分のカラダに変わったところがないか確かめていく。



「スイカ、やっぱり何も変わりませんでしたね。やっぱり果物は効果なしです」


「そっかぁ、残念。そんじゃとりあえず、今日のマッサージする?」



 ネコ耳マッサージはおやすみ前の儀式ぎしきみたいになっていた。

 アレをされてるとやっぱり気持ち良いし、もう受け入れることにも抵抗はない。何より、クルミさんに甘えられる時間が私は好きだった。

 だけど今は、甘えるよりもやりたいことがあるから遠慮する。



「マッサージは要りません。今日は、私がクルミさんをひざまくらする日です」


「あー、珍しいパターンの日だぁ。美咲たまにそういう気分なるよね。なんで?」


「べつに理由はないですけど……そういう気分です」



 嘘だ。理由はある。

 さっき静寝さんに聞いた、クルミさんと親族のはなしがずっと心に引っかかっていたからだ。

 両親を亡くしたあとに、身内からお金の話ばかり。あまり分からないのをいいことに、悪い方向ほうこうへと誘導をかけてくる大人たち。クルミさんは忘れてしまった日々の中で、いっぱいいっぱい傷付いたと思う。


 クルミさんはベッドでそのまま眠れるような体勢になって、私がひざ枕をする。頭をでながら、子どもを寝かしつける親の気持ちを意識いしきする。

 きっと彼女はいっぱい傷付いているから、私がこの手でなぐさめたい。そういう気分の日だ。



「美咲の手は良いよねぇ、なんか落ち着く」


「それは全身クルミさん好みで作られてますから。特別製です」



 クルミさんの両親の遺骨で作られた手だから、それなりにやされるのは当然だ。


 数分ほど撫でつづけて、クルミさんがアクビを出した。

 そう遠くないうちに、今度はスゥスゥと寝息をたてはじめるだろう。


 彼女を寝かしつけるのは、このカラダで生まれた良かったと思える瞬間のひとつではあるんだけど、物足りない。このカラダは、まだ本物とは違うのだ。

 この小さい手でどれだけ彼女を救えているのか、結局は分からない。

 お風呂のときとは違うモヤモヤが胸のうちに生まれて、焦りばかりがつのっていった。


 ゴーレムのカラダにはまだ土塊つちくれの冷たさが残っていて、彼女に温もりを与えることなんて出来ていないんじゃないか。

 そう思うと、とてももどかしくなった。



 ***



 クルミさんが寝ついたのを確認し、電気を消して布団に入りこんだ。

 しばらく目をつぶってみたけどなかなか眠れない。

 瞼をあけて、大人っぽいうすい唇にジッと目をらしてみる。


 少しでも早くニンゲンに近づきたいのなら、すぐにでも取れる方法がひとつあった。彼女のだえきを私が摂取すればいい。


 そうなるとキスをするくらいしかやり方はないはずだったけど、そんなの私からお願いするのははばかられた。

 だけど今なら、工夫をすればキスしなくても摂取できるんじゃないだろうか。


 バレないように、クルミさんのあごにそっと指を添えて唇をひらかせ、下向きに顔を傾けさせる。

 しばらく待ってみたけれど、暗いせいか彼女の口からだ液が溢れているのかどうかよく分からなかった。


 まだ起きる様子はない。

 変だ、ドキドキする。

 何故か悪いことをしている気がしたけど、別に寝ている間に唇をうばおうとかしているわけじゃない。向こうが望んでるわけでもないのに勝手にする口づけなんて、したくもない。


 ただ、早くニンゲンになるために必要だから。だから問題いはずだ。ヘーキ、平気。

 そんなことを何度も頭の中で言いかせて、私なりに理由を積み上げていく。


 暗いから分からないだけで、ひょっとしたらもうだ液はこぼれてしまっているかもしれない。確かめるために、彼女の口端こうたんに指先を這わせてみた。

 ……ちょっとぬるいような、やっぱりよく分からない感触。


 目を静かにつぶって、もう一度ひらく。

 覚悟を決めて、今度は舌先したさきを伸ばした。


 分からないから。溢れているかもしれないから。念の為に。目をふたたびつぶって、クルミさんの口の端、唇に触れないギリギリのところへ舌先をくっつけてみた。


 少しの間そうして、引っ込める。やっぱり悪いことしてしまった気がしたけど、やりげた満足感みたいなのがあった。

 運が良ければ、これでだ液を取り込めたはず。


 向かい合う顔と顔のあいだで繰り広げられた小さな冒険を終えて、ハァッと息がもれる。同時にドッと眠気がやってきた。

 今日はいっぱい頑張った。我ながらすごく背伸びしてしまった。このまま眠ってしまう前に、舌をひっつけてしまったところを綺麗にしておかなきゃと思う。


 親指おやゆびで彼女の唇周辺しゅうへんをスリスリと拭い去。と、そこでバッチリ、クルミさんと目があった。


 思いきり「目覚めてます」という感じの瞳が、私の眉間あたりを射抜いていた。



「……ゴメンナサイ」


「美咲、前にも言ったけどさぁ」



 言いながら、クルミさんが私の両頬に手を添えた。

 怒られると思っていたのに、彼女は表情を穏やかにしたまま身長差のあるカラダで上におおいかぶさった。

 私がさっきそうしたように舌先をだして、そのまま顔を近づけてくる。


 クルミさんが何を思っているのか、何をしようとしているのか、私には分からなかった。分からないままだけど、クルミさんは止まらなかった。



「したいことがあるなら、ちゃんと言って」


「ふっ――」



 ギュッと目をつぶって。後はされるがままになった。

 柔らかさが唇に重なって、次の瞬間には私の舌の表面へと心地いい感触が滑り込んだ。


 私の口の中なのに、私とは違う意思で動くそれはとっても熱い。土塊のカラダは彼女と比べてまだ冷たいんだと気付かされる。


 初めての刺激に翻弄されながら、とにかく与えられるものを受け取った。

 親鳥おやどりから栄養をもらうひなみたいに、何度もコクリと喉を鳴らしてクルミさんがくれるそれを飲みこんでいく。

 のどを通りすぎる液体は、信じられないくらい美味しかった。きっと私は、生まれてからずっとかわいていたんだと思う。


 一方のクルミさんは、私の舌をもっと味わおうとするようにからみついてくる。

 嚥下えんげを繰り返すたびに呼吸は乱れて、それでもクルミさんは休む暇もないくらいに次から次へと刺激や栄養を送り込んでくる。


 蠕動ぜんどうする舌にまで、クルミさんが絡みつく。

 辛くて、だけど美味しすぎて止められない。

 喉元にせまる水を飲む。

 休む暇は、くれない。


 クチュ、と滑らかなものが触れ合う音と、私のほうばかり荒くなる呼吸。シーツの擦れる音。

 部屋のなかにそれらがひびき、私には終わりがみえなかった。

 時間の経過は早いか遅いかも判断できなくて、今クルミさんと一体何をしているのか、それさえ分からなくなっていく。



「――ふぅっ」


「はっ! はぁー、はぁー……!」



 不意にクルミさんのほうから唇を離した。

 すっかりリズムを乱してしまった肺が、自由になった嬉しさに大きく呼吸をくりかえす。



「ふぅ……漫画とかでイチゴとか、レモン味のキスなんて言うけどさぁ」


「はっ、はっ――え?」



 暗い部屋のなかに、クルミさんの瞳がわずかにきらめいた。

 唇に残る味をたしかめるみたいに舌なめずりして、間近で私の口内を覗き込みながら、言う。



「やっぱり、美咲はスイカ味」



 今日、どうしてクルミさんはスイカなんて混ぜていたのか。

 そしてここ最近、どうして私の錬成に果物ばかりを使ってたのか。


 その意味を、私は今ようやく知った。

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