計画姉妹×保護者お姉さん
夜の学校から帰って、また軽くシャワーを浴びた。
時間もすっかり遅くなってしまったので、クルミさんの部屋で眠ることにした。やや反発の弱まったベッドに身を沈めて、さっきの百メートル走のことを思い出す。
景色が後方へと吹き飛んでいく疾走感と、風が肌の表面を撫でていく爽快感と、記録の五秒二を聞いたときの高揚感。
素直に感想を言ってしまえば、人間離れした脚力での疾走というのは、すごく気持ちの良いものだった。
気持ちよかったんだけど、私としては複雑な気分でもある。
だって、私はちゃんとしたニンゲンになりたいのだ。
まだ私はゴーレムでクルミさんとは主従関係にあるんだけど、最後にはちゃんとニンゲンになって対等な関係を築きたい。
年の差はあっても、友人とか、それこそ姉妹みたいになれたら最高。なのに百メートルを五秒台で走り切ってしまうなんて余りにニンゲン離れしていて、本来の目的から遠ざかっている気がしてならない。
「ウチの美咲はすごいぞぉ! 誰かに見せたいよホント。『私が育てた』ってやつ言ってみてぇぇ!」
「育てたって、ただお風呂と一緒に変なもの入れてるだけじゃないですか」
「私が選んでるんだから私が育てたでいいの! この耳も、美咲はお気に入りみたいだもんねぇ。ねー?」
「別にお気に入りってわけじゃないって何回も言って――耳穴は駄目ですってばあぁぁぁ」
私の気持ちとは逆に、クルミさんは私の強化っぷりが嬉しいようだ。
今はご褒美と言わんばかり、私の頭をひざ枕して細い指でネコ耳の穴をコショコショと掃除している。
これをされると、くぐもった音が耳から入り込んで頭の中いっぱいに反響して、くすぐったさとかゾワゾワの混ざった感覚が体中駆け巡る。
同時にクルミさんのほんのりと甘い匂いまで鼻腔に届き、刺激の多さに翻弄されて他になにも考えられなくなってしまう。
しかも掃除してくるのも一箇所だけじゃない。
クルミさんは私の反応を観察して、その時々で気持ちのいいポイントを見極めてくるのだ。されるがままにしてさえいれば、どこまでも昂ぶってしまうのが分かるのに、その頃にはもう私の意思じゃ止めて下さいとも言えなくなってしまう。
「よっし。せっかくならもっと遠くに色んな素材を探しにいこうよ! 小旅行的な感じでさぁ」
「遠くって、どこに、ですか、あっ」
「うーん、ついでにご馳走も食べたいよねぇ。北海道とか?」
「小旅行って、なんでしたっけ」
北海道で『小』なら本格的な旅行はどこだろう。行けるなら宇宙にでも飛び出してそうだこの人。
「あれ? 小ではないか。ニシシ。旅行なんて記憶も曖昧なくらい昔にしか行ったことないからさぁ、いまいち加減が分かんないんだよねぇ。美咲行きたいトコない?」
「行きたいトコ、よく分かんないですけど……私たち二人だけで旅行ってのがまず危ない気がします。はぐれたりとか、事故があったりとか、危ない人に出くわしたりしたらどうするんですか」
ひとりは高校生で、もうひとりは小学生程度。
いくら平和とされる日本とはいえ、こんな子ども二人だけでの旅行なんて危険でしかない。私だって旅をしたことなんて無いけど、それくらいは想像できる。
そんなごく当たり前の指摘を入れてみたのだけど、どうやらクルミさんとしては諦めるつもりは無いようだった。
「うーん、そだよねぇ。大人がいないと駄目かなぁ。だからってシズ姉を巻き込むわけにはいかないし。じゃあ二人で行ける範囲で、かつ良い素材が手に入りそうな場所、探してみるかぁ!」
「……そうですね」
「あー、明日も楽しみになってきた! 美咲、次はどうなっちゃうのかなぁ」
とりあえず次にやることだけ決めて、クルミさんは嬉しそうに笑いながらベッドへと潜り込んだ。
うで枕を差し出して私を寝かしつけるのも、すっかりお決まりとなっている。
ネコの嗅覚が、クルミさんのほんのりと甘い香りを掴み取る。
馬の脚力やネコの嗅覚といったこれらの能力が、嫌なわけじゃない。わりと便利だし、私自身特別な力を楽しんでしまっている面も確かにある。
でもクルミさんは、私がニンゲン離れしてしまうことが嫌じゃないのだろうか。
私がニンゲンになれたらもっと早く対等な関係に近づけるのに、クルミさんはそんなの望んでいないのかな。
マイナスな事ばかりが思い浮かんで頭をうんと悩ませていると、眠たげな声でクルミさんが尋ねてきた。
「ねぇ、美咲は次新しい素材を混ぜるとしたら何がいい?」
「私は……特に思いつかないのでおまかせします」
「そっかぁ。欲しい物、なにか見つかったら教えてね」
欲しいものなんて、決まりきっている。
だけどクルミさんがそれで喜んでくれるのかがよく分からなくて、正直に言ってしまうのは憚られた。
私がそれを求めるのはニンゲンのカラダに近づけるからか、それとも、ただ私が飲んでみたいからかっていうのは、自分でも判断できないけれど。
だけどもし、この場でワガママが言えたのだとしたら。
私は、クルミさんのだ液が欲しかった。
***
翌日。クルミさんの学校が終わって日が暮れるより前に、私たちは
「なるほどねー。ところでクルミちゃん達さぁ、昨日お出かけしてたでしょー?」
「あれ。なんで分かったの?」
「馬が脱走して街中に迷い込んだって、ニュースになってたからー。クルミちゃんが引き寄せたんだろうなって」
「有名人でもないのにニュースで動向知られる人も珍しいですね……しかも本人が報道されるわけでもないのに」
あえて静寝さんに黙ってたわけじゃないけど、行き先はまるっきり筒抜けだった。
これじゃ彼女のことを知っている人であれば、近場で動物の珍ニュースがあるだけでクルミさんの居場所も分かってしまう。本人は別に隠してるわけでもないはずだけど。
「それで、どこか小旅行的な場所を探してるわけねぇ。でもそんなの私に聞かなくたって、クルミちゃんたちが行きたい場所を選べばいいんじゃないの?」
「いやさぁ、私たち二人だけで旅ってのも危ないじゃん? だから近場で探してるんだよ」
「遠くは無理なんです。いざ何か起こったら私たちだけじゃ対処できないですし、クルミさんは学校もありますし、お金だってかかりますしね」
だからこそ、アドバイスを求めに来たのだ。
いくら近場でお出かけしたくても、場所は選ぶ必要がある。迂闊に街中へ出たらまたニュースになりかねないし、そしたらまた多大な迷惑をかけてしまう。そこに住む人々に対しても、引き寄せられてしまった動物に対しても。
「学校なんて連絡入れて休めば大丈夫だよー。美咲ちゃんが丈夫になってゴーレムの期間をやり過ごすのに必要だもん。それに、旅費くらいは私が賄ってあげるし」
「シズ姉、気持ちは嬉しいけどさぁ。私ってほら、あんまりお出かけに向いてないから迷惑かけちゃうし」
「それに、お金を貸してくれるといっても二人旅が危険なことには変わりありません」
静寝さんが気を回してくれても、遠くへの旅は危ないから実現できない。
その辺りは昨日クルミさんと話し合って決めたことだし、実際無理なのだからもう覆ることはない。そう思っていたのだけど、静寝さんの答えはアドバイスではなく、新しい提案だった。
「ふたりとも何言ってるのー。もしかして思い違いがあるのかなー」
「えっ?」
「だって、あなた達が旅に行きたいんならワタシが黙って送り出す訳ないよ。どっちも未成年なんだから保護者が必要だもの。迷子になったり、事故があったり、危ないことに巻き込まれた時のために。ワタシがついて行くに決まってるでしょー?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます