馬の尾ガール×全力JK
クルミさんとのお出かけを終えて、日がとっぷりと沈む前にお家に帰った。
汗もかいたのでお風呂に入ることにする。
今回は、寝るのにも邪魔になってしまうコウモリ羽を無くしてもらうと約束した。これでチョーカーを外してもネコ耳が生えてくるだけで済む。一安心だ。
「そう、今日は一安心できると思ってたんですよクルミさん。私は今回こそはと信じてましたとも」
「ゴメンね?」
「ゴメンねじゃないですよ! 今日は何したんですか⁉」
ネコ耳はそのまま。変わったのは、髪型だった。
パッと見はただのポニーテール。
だけどよく見ると髪ゴムを使ってるわけじゃなく、自前の髪が根本を束ねてポニーテールを縛っているのだ。
髪が絡まるような痛みはないけど、こんな縛られ方はあり得ない。
「どうやったらこんな器用なポニーテールが出来るんですか。なに混ぜました?」
「今日は馬に出会ったから、馬の被り物を混ぜてみた」
馬っぽいのを混ぜたから、ポニーテールができたと。なるほどー。
「クルミさんの気分で変なもの混ぜないでくださいよ! なんですか、その日会った動物を混ぜなきゃいけないルールですか? ライオンに会ったらライオンですか。噛みつきますよ⁉」
「ひっ! ライオンはしない、しないからガジガジやめて!」
歯をむき出してクルミさんを威嚇してやった。
この人と動物園に行ったら大変な事になりそうだ。きっとクルミさんの気まぐれキメラが出来上がる。
なんだそれ、シェフの気まぐれランチじゃあるまいし。
「今のうちに言っときますけど、混ぜるのは一度に一個までにしてくださいね。それ以上は許しません」
「一個ずつは許してくれるんだ」
「なんか言いました?」
「なにも言ってない! 把握しました美咲さん!」
ニシシ、と笑いながらどっかの兵士みたいなノリで了解ポーズを取ってきた。
本当に反省してるのかな。
別に、新しいモノを混ぜること自体は嫌じゃない。
基本は動物側の便利な能力が良い具合に引き出されるだけで、問題が起こるような変質の仕方をしてしまうわけじゃないし、なにが出来てもチョーカーを着ければさっぱり消せてしまうんだから。
ただ、事前に相談しないのが悪いと思う。
「クルミさんが前もって言ってくれれば心構えも持てるんです。でも、急に思いついてすぐやろうとするから困ります」
「えへへ。気をつけまぁす……」
クルミさんはイヤミなく笑いながら、下を向いて反省っぽい表情を見せた。
なにか、憎めないんだよなこの人。
お得な性格をしてると思う。
「でも、今回はポニテが出来ただけなのかなぁ。ネコ耳みたいに鼻が利くようになったりしないのかな」
「鼻? な、なんのことですかそれ。それよりも髪がまとまってくれたんでスッキリしました。普段も結んでほしいくらいです」
おかしいな。クルミさんには鼻が利いてしまうことバレてないはずなのに。
バレてないよな?
「あそうだ! 美咲きてきて、もっかい外いこう!」
「え。さっき帰ったばっかりですよ。あの、どこいくんですか⁉」
言うが早いか、クルミさんは私の首にチョーカーを巻いて手早くお出かけの準備を進めた。
彼女の瞳は「いいこと思いついた」みたいな輝きに満ちている。
私は抵抗する暇もなく、ぱっと手を掴まれ玄関へと引っ張られていく。
「どこって、学校行くんだよ! 体力測定しようよ!」
「なぜ⁉」
答えを聞く前から悪い予感がしてたけど、彼女の思いつきはやっぱりおかしなものだった。
体力測定なんて、なんでこのタイミングで?
それに外はもうすっかり夜だし、勝手に学校なんか侵入してはいけない時間のはずなのに。
夜に出ていくのは初めてだったから、不安とか楽しみの混ざったドキドキが胸を満たす。
だけどクルミさんは衝動にまかせてスピードは緩めず、私の手を離そうともせず。
躊躇う暇さえ与えぬまま、私を外へと連れ出していった。
***
お家から出て十分。クルミさんの学校は歩いてもすぐに着くほど近くにあった。
校舎は建て直されたばかりみたいで、白い塗装がまだ真新しい。
敷地の広さや、建物の大きさからして生徒の多い学校だと分かる。人の行き交いやすそうな広い入口が、昼間の賑やかさを想像させる。
だけど今は夜だから、賑やかさとはまるっきり反対の水を打つような静けさに包まれていた。
(よし美咲。校舎は怖いから遠回りしてグラウンド行くぞぉー)
(クルミさんも怖いんじゃないですか)
誰が聞いてるわけでもないのに、ヒソヒソ声で言葉を交わす。
もし「わっ」と声を上げてしまったら、なにかお化け的な存在に気付かれてしまいそうな気がした。
月明かりを頼りに校舎の横を通りすぎ、しばらく歩いた後、パッと開けた場所に出た。
(ここがグラウンドですね。トラックがよく見えませんけど)
「誰もいねー! 使い放題だぁ!」
元気な声に、ビクリと肩が跳ねる。
私はまだヒソヒソ声してるのに、クルミさんはもう気にもしてないみたいに喋りだした。
この人、怖くないのかな。
「よっし、百メートルはかるよ美咲。準備準備!」
「まって、ひとり怖い、怖いです! お願いだから置いてかないでください!」
クルミさんは再び走り出した。
私はひとり置いてかれるのが怖いから慌てて彼女に追いすがる。
近くに居ないと、私だけ暗闇に連れ去られてしまいそう。
「んじゃあ、この線がゴールとしよう。美咲そこに立ってて、このスマホでタイム計ってちょうだい!」
「体力測定って、百メートル走るんですか? クルミさんが?」
「美咲も走るんだよー。まずは私から見本みせてあげる。二人でタイム勝負ねぇ」
「いきなりなに言い出すのかと思ったら、勝負ですか……」
つまりそういうことらしい。子ども相手に大人げない高校生だ。
だけど、ちょっとだけワクワクする。
今は学校に行けてないから、体育とかそれっぽいことするのが楽しく思えてしまうのかもしれない。
クルミさんはすでに、百メートル離れたところでこちらの合図を待っている。
暗闇にも目が慣れたので向こうの様子も見えた。
私と同じようにポニーテールで髪をまとめて、陸上選手っぽく手足をプラプラしてるのが分かる。
いつも突っ走っているから、ひょっとするとクルミさんの足は相当鍛えられているかもしれない。
高校生の平均タイムって何秒ぐらいだろう。でも十四秒台あたりからは早いと呼べるタイムだった気がする。
クルミさんもそれくらいで走ってしまうだろうか? ちょっと期待してしまう。
手をかざして、声が大きくなりすぎないように「よーい」と呼びかける。
クルミさんが、クラウチングスタートの体勢からお尻を上げた。
「ドン」と同時に、スマートフォンのストップウォッチを開始させた。
クルミさんが走り出した。
スタートダッシュは、器具がないからか失敗していた。
一歩目から前につんのめる。けどすぐに立ち上がった。
低い姿勢をやめて、普通に走っている。
いや、歯を食いしばっている。全力で走っている。
少しでも早く進もうと、首をイヤイヤするみたいに左右に振った。
まとめられた髪がランダムな方向に跳ね回る。
あ! 足が一瞬もつれた。
思いっきりよろけながらも、シューズで強く地面を蹴って立ち直る。
もう二回も転けかけてる。
だいぶ遅れたはずだけど、挫ける様子は微塵もない。
すごく、すごく頑張って走っている。
マラソンでもないのに応援したい気持ちになって、握ったスマホに力が籠もる。
クルミさんのゼェゼェ音が聞こえるほど近くに来た。
残りは、あと少し。
あと五歩、もう三歩。
今、ゴール!
「ぜっ……ハァッ、ハァッ! 美咲ィ、タイムいくつ⁉」
「二十秒です」
「二十秒。ハァッ、ハァッ、アアッ。まぁまぁかな……」
まぁまぁらしい。
私の印象としては散々というタイムだったけど、クルミさんが言うのだから『まぁまぁ』で間違いはない。
「ナイスランでした、クルミさん。私は少し感動してしまいましたよ」
「えへへ、ありがと美咲。ハッ、ハッ」
わずかな月明かりに照らされ、クルミさんの汗がキラリと光った。
タイムに対する悪い感想がすべて押し流されて、美しい感情だけが胸の内を満たす。スポーツの素晴らしさを垣間見た気がした。
「フゥッ。そんじゃ次は美咲ね!」
「待ってくださいクルミさん。私まで走らなくてもいいんじゃないですか? 別に勝敗なんて決めなくても、いい走りっぷりでした」
なぜか勝負をはじめてしまうのがイヤだった。
せっかくの綺麗な思い出を壊してしまうような、嫌な予感がする。
「それはダメだよ。本当は美咲のタイム計るためにきたんだもん。馬の力が混ざってるなら、もしかしてすごい速さで走れるんじゃないかと思って」
「あ、そういうことですか」
ようやくクルミさんの本当の目的が分かった。
確かにたかがポニーテールとはいえ、馬の特徴が出てるなら足が早くなっててもおかしくないのか?
小学生の平均タイムは分からないけど、もし高校生並に走れたりしたらすごいことだ。
錬成も楽しみになるかもしれない。
「そういうことなら、分かりました。クルミさんに負けないくらい頑張ります」
「やる気かぁ? いい度胸じゃん」
負けない
大した意味はないと自分自身信じたい。
「美咲ぃー。準備オッケー?」
「はーい」
小走りしてみたけど、なにも速さは変わらない。
百メートルのスタートラインに立つ。
ポニーテールをいじって、馬の尾を想像した。つま先をトントンとして靴の具合を確認しておく。
正直、体感じゃ変わったところはないけど。
もしいっぱい頑張って、早く走れたら。
クルミさんも喜んでくれるだろうか。私が好きなあの笑顔を、自分の力で掴み取ることができるのだろうか。
だとしたらこの百メートル走にもやる気が出る。
目をつぶって、クルミさんの笑顔を想像する。
「よーい、ドンッ」
「フッ」
その思いをつま先に乗せて、地面を蹴った。
瞬間、前から強風が襲われた。
ただでさえ暗い視界が、さらに狭まる。
一歩踏むたび、爪先がグラウンドに食いついた。
気付くとすぐ近くにクルミさんの人影。
次の瞬間には横切った。
行き過ぎてしまったため、急ブレーキで立ち止まる。
ザァァァッ、と地面を削ぐ音。
遅れて、砂埃が煙幕のように舞い上がった。
「美咲……」
風がヒュウッと吹いて、クルミさんの姿が煙の向こうに見えた。
疲れとは違う、高揚からくるドキドキが胸の内を満たしていく。
私のこのカラダは
だけど今、明らかに別の次元へと足を踏み込んだ感触があった。
タイムを聞くより前に、確信が胸の内を満たしていた。
「美咲のタイム、五秒二」
水を打ったような静けさの、月夜が満たす二人ぼっちの高校グラウンド。
クルミさんへの思いを足に乗せ、私は世界記録をぶっちぎった。
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