ワガママガール×告白JK
強烈な眠気にまぶたを落としそうになりながらも、スンスンと鼻を鳴らす。猫耳を生やされてから、嗅覚まで敏感になってしまったみたいだ。
クルミさんに抱き上げられている今、彼女の匂いをより間近に感じる。
目覚めた直後はとくに思うところはなかったけれど、今はとても安心してしまうような、そんな匂い。
クルミさんの部屋に入った瞬間、香りはさらに強くなった。
ううん。強くなったというより、多くなったって感じ。出どころが多くなった。
そこら中からクルミさんを感じる。ほとんどが人間には嗅ぎ分けられないほど些細なものだったけど、今の私には余さず感じ取れる。
彼女のベッドに寝かされる。パァッと、これまでにない濃厚な香りが立ち上がった。
無意識に大きく息を吸い込む。
肺どころか、頭の中までクルミさんの匂いがじんわりと染み込んでいくようで、眠気も相まってクラクラする。
香りの本体であるクルミさんが私と向かい合う形で添い寝をして、羽毛布団をかぶせてくる。
嗅覚はもう逃げ場が見当たらないくらい、彼女で満たされてしまった。
「フゥッ。美咲、狭くない?」
「はい。こっちはけっこうゆったりしてます」
一人分のベッドに横たわるのはふたり。
昼間もそうだったけど、クルミさんはこういうときそれとなく気を使ってる。私のほうにスペースを広く譲っているのだ。
……さっきソファの上で彼女とくっついていたときは、正直気持ちよかった。耳の生えた頭をお腹に擦りつけるあの感覚は、悪くない。
どうせベッドが狭いなら、寝てる間も近づきたいんだけれど。
ゆったりした寝間着からクルミさんの首元が覗く。
しばらく眺めつづけていると、部屋が静かなせいか自分の心臓の音が聞こえてきた。
クルミさんの匂いがより強くただよう、首元。
どうせ寝るのならそこがいい。どうにかそこに鼻先を埋められないかな。
「美咲。明日は私さぁ、学校行かなくちゃいけないんだよね。ひとりでお留守番できる?」
「んん、大丈夫です。クルミさんの部屋に居てもいいですか?」
「いいよ。母さんたちの部屋以外だったらどこでもご自由に」
「はい」
ご自由に。と言ってもこの部屋がきっと一番落ち着くので、明日は大体ここに居ると思う。リビングは広すぎて、ひとりではきっと寂しいから。
「そういえば、クルミさんのお母さん達は帰ってこないんですか?」
「んー? あの人たちなかなか帰ってこないからねぇ。少なくともこんな時間じゃあまだかな」
チラリと、デスクの時計を見やる。
暗かったけれど、猫の瞳孔が自然に働いて針を確認できた。もう夜の十時だ。
「ご両親とも、お仕事が忙しいんですか?」
「さぁ。よく分かんないね」
「んん? なら外出とかですか?」
「なんだろうねぇ。忙しいのか遊んでるのか。まずなんの仕事してるのか知らないしなぁ」
「へぇ……」
私はゴーレムなので、当然両親をもったことなんてないからなんとも言えないんだけど。親の仕事を知らないってのも普通なのかな。
これまで見たクルミさんの性格からして、仕事のことくらいは親に尋ねていそうなのに。
「美咲、頭あげて。枕使っていいよ」
「あっ……それ一個しかないなら、私要りませんよ」
枕は一人分しかないみたいだ。よく考えたらクルミさんひとりの部屋だし、当然か。
当然か……それなら、言い訳にできるかもしれない。
「今さら遠慮すんなよぉ。さっきまで素直だったじゃん」
「いや本当にいいです。どうしても気になるんだったら、クルミさんの腕枕で我慢してあげます」
「ん?」
クルミさんの目がキョトンとしたものになる。なるべく自然な声色で言ったつもりだけど、企みはバレていないだろうか。
腕枕。さっき膝で寝かされたときも気持ち良かったし、腕でもきっと良いはずだ。それに腕枕なら、クルミさんの首元で寝ることができる。
一石二鳥だ。めいあん、名案。
「ふぅん? ま、美咲がそれでいいなら、いくらでもしてあげるけどさぁ」
「はい。それでいいです」
「ふふ。じゃどうぞー」
成功した。バレてない。
クルミさんが布団から腕を出した。
悪巧みの報酬が差し出され、私の頭へ近づいてくることに胸がドキドキと高鳴る。
頭を上げてその腕を迎え入れる。ついでに、さり気なくクルミさんのほうに身を寄せておいた。完璧な流れ。
いろんな勇気を一度に振り絞って手に入れた果実からは、彼女のあの香りがした。
間近に見える、クルミさんの大人っぽい顔と首元。頭に添えられる、フニっと柔らかい腕の感触。薄い唇から漏れる、静かな吐息。
いろいろ。色んな感覚がクルミさんに満たされて、私の全部を包みこむ。
すごく安心できて、落ち着いて。
怖いことが無くなった。
彼女はきっと、これからも私のことを大事に扱うだろう。
裏切りはしないと、信じられる。
だから、これ以上眠たくなってしまう前に。
起きてからずっと聞けなかったことを、今日の内に聞いておこう。
「ひとつ聞きたいんですが、どうしてクルミさんは、ゴーレムなんて作ろうと思ったんですか?」
「あー、そもそもね? そういやまだ美咲には話してなかったね」
本当なら、生まれてすぐに聞くべき質問だった。
最初から疑問はあって、それなのに聞かなかったのは知るのが怖かったからだ。
物語に出てくるゴーレムは普通、創造主に逆らえない。なんでも言うことを聞かねばならず、意思も命も、尊重されない。
もしなにかに命を投げ出せと命令されたり、道具のように使い捨てされるような扱いをされたらどうしようかと、怖くて聞けなかったのだ。
だけど。クルミさんはそんな風に私を扱わないんじゃないかと思う。
まだ一日しか彼女のことを見ていないけど、とりあえず悪いことする人じゃないっていうのはなんとなく分かるから。その程度には信じられる。
だから、今なら理由を聞くのも怖くない。
「ちょっと長くなっちゃうけどさぁ。まぁ、寝たくなったら寝ていいし。ゆっくり聞いてよ」
「はい」
「すごく自分勝手な理由だから、先に謝っちゃうね。ゴメン、美咲……」
「……」
それから、クルミさんはゴーレムを作り出した理由について話してくれた。その中に嘘は無かったように思える。
クルミさんは生来、動物を引き寄せてしまう性質があること。
そのせいかよく動物の事故に出くわしてしまうこと。
あるとき、子猫を救おうと道路に飛び出したこと。
その際、トラックの運転手を動揺させ、人を死なせてしまったこと……。
事故がひどく凄惨だったこと……。
「ああいう場合ってさ、責任は全部トラックのほうに行っちゃうんだね。警察の人とは当然話をしたけど、それくらいだった。怒られるどころか、説教とかもないの。なるべく私を落ち着かせて、冷静に事故の状況を聞き出していく感じ。本当に、なんにも罰は無かった」
「……」
こういうとき、なんと言葉をかけたらいいのか私には分からなかった。
「クルミさんは悪くない」と本当は言いたかったけれど。彼女は自分を責めていて、対してその言葉はあまりにも安っぽい。
だからといって、上手に伝えることなんてできなくて。私は無力な子供のまま、彼女の話を聞きつづけた。
クルミさんは罰をうけることはなく、だからこそ自分が許せなかったこと。
何かをして。どうにかして失くしたものを取り返したくなったこと。
そしてそんな彼女の手元に、賢者の石があったこと。
「ゴーレムを作って、だからどうすんだって話なのにね。亡くなった人が家族の元に戻ってくるわけでもないのに」
「えっと、クルミさん。ひょっとしてなんですけど……」
眼前で起きた事故と、自分を許せないクルミさんと、賢者の石。
すごく、すごく嫌な想像が頭に浮かぶ。
「ああ。もしかして亡くなった人の遺体を使って美咲を錬成したんじゃないかって? 違うよ美咲。そんなことしてないから、安心して」
「そ、そうでしたか」
さすがに、そんな酷いことはしなかったみたいだ。
彼女の突っ走りグセがまた暴走を起こしたんじゃないかと思って、すごく不安だった。もし自分が誰かの死体で出来てたなんて知ったら、私はどうしたらいいか分かんなくなるところだ。
「美咲はちゃんと土でできてるよ。亡くなった人のカラダってのは持ち帰っちゃダメだから、事故とはまた別で警察に捕まっちゃう。犯罪じゃなくたってそんなことしないけどさ」
「えと、それはそうですよね……」
言われてみれば当然そう。いらない心配をしてしまったみたいだ。
ということは、クルミさんが私を作った理由というのは、結局のところ……。
「だからゴーレムを作ろうと思ったのは、浅い考えの、罪滅ぼしだよ。マイナス1をプラス1しようとか、その程度の。遺族にとっちゃどうでもいい、罪滅ぼしになるかさえ怪しいあっさい考え」
「……」
「すごく身勝手、だよねぇ……軽蔑しちゃった?」
「いえ」
自分でもちょっとびっくりするくらい返事は早かった。
私が生み出された理由は、罪滅ぼし。
決して罰をうけることのない、自分自身を許せない彼女が、どうにか罪を償おうとがむしゃらに選んだ手段。
上手くいくことなんてないと思っていたからこそ試してしまった、生命を生み出すという禁忌。
なら彼女は本当のところ、私のことを持て余しているのだろうか?
命の増減をプラマイ0にしたところで罪滅ぼしと言えるかどうか怪しくて、なら私は惰性で手元に置かれているだけなのだろうか。
勝手に生んでおいて、勝手に困っているなんてあまりにも醜悪だと、人によっては見えるだろうけど。
「軽蔑してないですよ。だってそういう突っ走るクセがあるの、今日だけでもう十分知ってますから」
「えぇ。問題の部分そこ?」
「そこです。だって生まれる前のことはクルミさんにとって大変な出来事でしたけど。私はつちくれですから。言ったらなんですけど、事故そのものについて関係が薄いというか……どちらでもいいです」
「美咲って、意外とサバサバしてるんだね」
サバサバってそう思われてもしょうがない言い方だったけど、やっぱりその評価はちょっと不本意。
だって、気付いてしまったから。
私なら、彼女の心を軽く出来るかも知れないってことに。
誰かを死なせてしまって、どうしても自分を許せないクルミさん。
そして生み出された、私。
なら私は、ちゃんと人間になって彼女を満足させてやろう。
罪に悩むクルミさんに対して、慰めの言葉さえ浮かばなかった私だけれど。
そんな私にも、彼女のためにできることがあったってことだ。
いつか彼女が自分を許せるように、ちゃんとひとりの人間になってやればいい。そして理由はどうあれ、作ってもらえて嬉しいと言ってやればいい。
どれだけ慰めになるか分からないけど、どれだけ意味があるのかは分からないけど。
それでもクルミさんの心を本当に軽くできるのは、私しかきっといない。
生きる目標にさえできそうな気がした。
「どうせ何も持ってない生まれたてですから。前進するだけです。少なくとも今の私にとっては、クルミさんが一緒に居てくれることのほうが大事ですよ」
「……私のほうが」
「だから、んっと。私がちゃんと人間になれたら、それで許してあげます」
「うっそぉ。美咲、優しすぎ……」
妹にしてくれたら、というのは遠慮グセとか、恥ずかしさが出てしまって言えなかったけど。
でもその願いは口にしなくても、クルミさんなら叶えてくれそうな気がする。
それなら今のうちから、遠慮グセを直すように訓練するのも悪くないかな。
「クルミさん、もうちょっとくっついてもいいですか? って」
「美咲ぃ。好きぃぃぃ」
「んんんん」
優しく包まれたかったのに、すごい力で抱きしめてきた。せっかくの雰囲気がどこか台無しにされた感じ……。
だけど勇気は出せたし、それにクルミさんらしくてなんだか笑ってしまう。
密かに狙ってた首元へと鼻を埋めると、彼女のあの安心する香り。また眠たくなってきて、だけどもう起きてる必要もない。
腕枕に身を預けると、我慢してた眠気が一度に襲ってきて、ベッドがふんわりと揺れるように感じる。
スンスンと鼻を鳴らす。ワガママついでにほんのちょっとだけ、猫の毛づくろいみたいにクルミさんの首元を舐めると。
五感全部がクルミさんに包まれて、ストンと意識は落ちていった。
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