疾走ガール×錬成触媒
朝になって、クルミさんが登校する時間になった。
制服姿になると、昨日の私服の雰囲気とはまた変わっていて、やぱり高校生なんだなぁと改めて思う。
「じゃ行ってくるねぇ。大人しく待っててよ?」
「大丈夫ですよ。でもお家の鍵は借りたいです。
「そうだった。じゃあ私の鍵渡しとくから。締め出さないでね?」
「そんなことしません」
それほど本数もない鍵束のうち、一本を抜き出してクルミさんが手渡してくる。
これで鍵をかければお出かけしても大丈夫。
「おいで美咲」
「? はい」
鍵を手渡すついでに、クルミさんに肩を引き寄せられた。
クルミさんは私と同じ高さに目線を合わせて、そのまま、頬に唇をつける。
ちろり、と舌でほっぺたの表面を舐められた。心臓が一拍だけ、痛いくらいに跳ねた。
「昨日寝る前に首舐めたでしょ? そのおかえし。いくらちょこっとでもさぁ、こういうのすぐバレるからやんないほうがいいよ?」
「あの、あぅ……」
「やりたくなったら、ちゃんと私に断りをいれてからね?」
クルミさんはまた大人らしい顔を崩して、あどけない笑みを見せる。
大したことなんてしてないみたいに、かばんをヨイショと担ぎなおして「いってきまーす」と玄関から出ていった。
しばらく呆然として、リビングへと引き返した。
ソファに座ってさっきの出来事とかクルミさんの言葉を反芻する。
フニっとして、ちろりとして。ちゃんと私に断りをいれてから、断りをいれてから……。
断りをいれたら、いいみたいだ。
少なくともクルミさんからしてきた、ほっぺたにチューくらいは許してくれる。そしてその手前の腕枕とか、首元で寝るとかも、いろいろ。多分いろいろ許される。
クルミさんの言葉の意味に気付くと、さっき口づけされたほっぺたがムズムズしてきた。
胸の奥のほうでいろんな感情がギャーギャー慌ただしく騒いで、落ち着かない。抱えた膝に目頭を埋めて「うーうー」とか唸ってみたけど、ぜんぜん収まってくれなかった。
「ちゃんと聞けばいい、私から聞けば……してもいい」
遠慮がちな私に対して、あの人は色んなものを許しすぎてる気がする。
性格のゆるさからくる寛大さかもしれないけど、こっちとしてはそれを利用したくなるような、つけ込みたくなってしまうような悪い考えばっかり浮かんでしまうから、もうちょっとしっかりしてくれても良いと思う。
「クルミさんはゆるすぎます……ヒィッ⁉」
膝から顔をあげると、リビングの棚のうえに市松人形を見つけてしまった。
私の髪の素材として利用するため、その伝統的な黒髪をむしり取られてしまったあの市松人形だ。
この人形、なぜか見つけるたびに私と目が合うのだ。
まるで私のことをずっと恨めしく睨んでるみたいに。
実際に動いてる瞬間を見たわけじゃないんだけど、どうも霊魂的なものが宿ってる気がしてならない。
「やっぱりリビングには居られませんね。今すぐにでも襲われそうな気がします……」
クルミさんが帰ってくる時間は夕方くらいと聞いたけど、それまであの市松人形と一緒に家に居つづけるなんて怖すぎる。
ていうか無理……昼ごはんもここで食べる予定だったのに。すでに泣きそう。
リビングには居られないし、まだ時間は早いけど、静寝さんのところへ向かうことにしよう……。
***
昨日より時間をかけて、私は岩古座堂にたどり着いた。
お風呂場で生えてしまった猫耳は、フードで隠してある。クルミさんが面白半分で買った子供服にネコミミフードの付いてるやつがあって助かった……ちょうどよく収まってくれて、隠して歩くのに便利だ。
「いらっしゃーい。あらー美咲ちゃん、もう来てくれたのねー。道に迷わなかった?」
「なんとか大丈夫でした。クルミさんにスマホもらいましたし」
「地図アプリねー。便利すぎてもう賢者の石よりそっちの端末のほうが不思議なくらい。ワタシなんて未だに使い方よく分かんないよー」
賢者の石を含め、不思議なアイテムばかり集める小道具屋、
その店主である
「先日は気付きませんでしたけど、商品ってほとんど古い家具とか骨董品なんですね。なんだか、変なの多いですけど……賢者の石ってどこにあるんです?」
「そういう系はこっちだねー。一箇所にまとめて置いてあるよー」
静寝さんが座るカウンターの右手側。そこの一角に不思議アイテムは揃えてあるようだった。
全体的に変な商品の多い店だけど、その一角はひときわ暗かった。
なにか大きなミミズ的な、謎の生物が干からびたものだとか。眩しいほど色鮮やかでキレイな鳥の羽、魔女が愛用したという触れ込みのいびつな杖、どこか不吉を感じさせる輝きの宝石。賢者の石も確かにあった。
「石もまだまだ在庫あるよー。一年分は余裕だから」
「どこからそんなに集めるんですか……」
「変なおじいさんが――いや。企業秘密でーす」
一回答え言ったのにわざわざ秘密にした。やっぱり変な人だ。
「思い出したー。クルミちゃんについてお話するまえにイイものあげるねー。途中で帰っちゃうから渡しそびれちゃったよー」
「昨日は、すいません……これなんですか?」
静寝さんが手渡してきたのは、細めのチョーカーだった。
喉仏のあたりにハートのリングが備わっていてちょっと可愛い。あと、そこはかとないカッコよさ……私の中の変な感性が刺激される。
「ゴーレムってのはね、時間が経つと暴走するから。このチョーカーはその暴走を抑える首輪だねー」
「ゴーレムって暴走するものなんですか?」
「美咲ちゃんの場合はもう自我持っちゃってるし、でも普通にしてるから問題ないはずだけど一応ねー。保険ね」
「んっと、とりあえず付けとけば良いんですね?」
「そうだよー。ただし、ちゃんとご主人であるクルミちゃんの手で付けてもらうことー」
要するに、クルミさんによってかけられる首輪ってことか。
猫耳といい、この首輪といい……いよいよペットみたいな扱いになってきてる気がする。
クルミさんにチョーカーをかけられるとしたら、どんな感じだろう。
私の首にクルミさんの腕がまわされて、間近に大人っぽい薄い唇が迫ってきて、首元からは、あの匂い。
束縛の帯をキュッと縮めたら、その後は違和感が私の首につきまとい続ける。ただ普通に暮らしてる間、ひとときも彼女の存在を忘れさせまいとするように。
想像だけなのに、なんだか首の血流が滞っていくような気分になる。
「それじゃ美咲ちゃん。クルミちゃんについてさ、お話しようか。こっちおいでー」
「はい」
昨日と同じようにカウンターの椅子へと腰掛け、ふたりして向かい合う。
静寝さんが気だるげな髪の毛をかきあげると、彫刻みたいに整った顔があらわになった。
恐ろしく綺麗で、偽物みたいな顔。店内のあらゆる不思議アイテムよりも、この人の美貌が一番現実離れしているように思う。
「まずお話の目的から言っておくわね、美咲ちゃん。クルミちゃんの前では、両親の話題を出すのは控えてほしい。これから聞かせるお話は、その理由についてよ」
「あのう、昨日すでにクルミさんの両親について、聞いてしまったんですけど……」
「別に大丈夫よ。一回ちょっと聞いたくらいでしょう? クルミちゃんは、両親のことほとんど知らないはずだから」
「そういえば、仕事も知らないって」
「そうでしょうね。それも含めてお話ししてあげる」
***
あの子の両親ね、ワタシの昔からの知り合いではあるんだけど、なんというか、クルミちゃんにあまり興味を持たない人でね。
昔からよくワタシのもとにクルミちゃんを預けて、ふたりだけでどこかにお出かけしてたわ。
普通なら別にそれ自体は悪いことじゃないし、むしろ上手に接していると思うわ。親だって息抜きは必要だもの。それにワタシだって、クルミちゃんと一緒に過ごしてお喋りするの好きだったし、面倒だとは思わなかった。
ただあの子の場合は、飽きられるのが早かったかな。
両親の結婚は早かったし、彼らはどちらも子供っぽいのを脱しきれない性格だったからってのもあるでしょうね。
ひょっとしたら、クルミちゃんの性質によるところもあったかもしれないけどね。ほらあの子、動物を引き寄せるから。
お出かけしたらなにかしら動物に出会うのよ。あるときは旅行中に鹿を轢いたんだったかしら。ひとつのレンタカーで二回ほど。
ようするにトラブルが起きやすくて、一緒におでかけするには向いてなかったのかもね。
結局原因なんてわからないけど。ワタシは彼らから相談を引き出せなかったし、所詮は他人だったから、心のうちは分からなかった。
だから、クルミちゃんは飽きられた。
ワタシからはそれ以外に表現する言葉が見つからないわね。
だけど今からひと月前。ちょっと珍しいことがあってね。
この岩古座堂にね、クルミちゃんが両親と一緒に来たのよ。
彼らふたりは面倒くさそうにしてたけど、クルミちゃんは嬉しそうだったわ。賢者の石をねだったときの顔が、ワタシにはとても眩しかった。
ワタシと一緒に居るときには、見たことのない顔だったからね。
ただ、クルミちゃんにとってそこまでは最高で、その後はどうしようもなく最悪だった。
その日の帰り道、クルミちゃんの目の前で人身事故があったのよ。大型トラックが人を轢いた。
もう聞いてる? なら途中は省いて、結論からお話するわ。
その交通事故で、クルミちゃんは両親を亡くしてしまってるの。
いいえ間違いではないわ。クルミちゃんが隠してるわけでもない。
ただトラック事故の内容は凄惨すぎたし、しかもクルミちゃんは自分がきっかけで悲劇は起きたと考えてる。
もっと悪いことに、クルミちゃんは両親のことがまだ好きだったわ。たかが三百円ぽっちの石を何個か買ってもらっただけで、ワタシにも見せたことのないような、あんな笑顔をしてしまうくらいに。
だからああなってしまったのもしょうがないのよ。美咲ちゃん。
もう成人近いとはいってもまだ高校生だから、あんなショックに耐えられるほど心が強いわけでもない。
変化はすぐには見られなかったわ。
葬儀のあいだはとても落ち着いていた。
身内とか友人だけの小さな葬儀ではあったんだけど。それにしたってクルミちゃんは高校生なのに、段取りから加わって、場の設営をして、しっかりと人を迎えて、挨拶をして……よく働いていた。
忙しいのが落ち着いてきて、つい先週のことよ。
クルミちゃんがね。このお店に来てワタシに言ったの。
「お父さんとお母さんが帰ってこない」
って。
すぐには状況が分からなかった。
「ワタシが連絡を取っておくわね」と、そう言っておいたわ。あのとき動揺を隠せていたのかは、正直自信がないんだけどね。
どういうことか分からないわよね。
クルミちゃんはね。目の前で彼らが亡くなっているところを見てるし、葬儀にも確かに出席している。
なのにそんなことを言い出すってことはつまり、受け入れきれなかったのよ。
久しぶりに両親の温もりを知って、お出かけが嬉しくて。
なのにその帰り道、事故は起きてしまった。
クルミちゃんは自分のせいだと思っているし、事故の内容が凄惨すぎたのも良くなかった。
心に受ける衝撃というのは、記憶を捻じ曲げることがあるらしいわ。
美咲ちゃん。あの子はね。
クルミちゃんはまだ――
両親が死んだことに気付いてないのよ。
***
岩古座堂を出て、お家に向かって全力で走った。
足がもつれても速度は緩めず、とにかくがむしゃらに前へと飛んだ。
気付いてみれば、最初からおかしいことではあった。
いくら賢者の石でゴーレムが作れるとは言え、ただの土をまとめたりだとか、サプリや生肉や、ビー玉だとかを混ぜたところでなんになるだろう。
そんなのが混ざったところで、せいぜい泥人形みたいなゴーレムができるのが関の山。まともな人間らしいものなんてできっこない。
なら、こんなに人間らしく作られた私にはなにか別のものが混ざっているはずだ。
猫耳や、ビー玉や、人形の髪の毛なんか混ぜても人間のカラダを保ちつづける、人のカタチから決してブレることのない何かがあるはずだ。
玄関の扉はでかける前に鍵をかけていたけど、それを開ける時間さえ惜しい。
クルミさんから預かった鍵を折れそうな勢いで鍵穴に差し込み、ドアが歪んだってかまわないくらいの気持ちでこじ開ける。
靴を蹴り飛ばすように投げ出して、とにかくものが納まりそうなところをすべて、手近なところから順番に開け放っていく。
靴箱の中、リビングの棚、キッチンの引き出し、クローゼットの奥、お風呂場の小さな棚――。
あらゆる収納を大きさも問わず開け放って、無我夢中で家中をひっくり返しながらも、頭の中じゃ探しものがどこにあるのかもう目星を付けていた。
クルミさんは、人の死体は持ち帰っちゃいけないんだって言ってたけど。よく考えてみれば、そうとは限らない。
遺体を勝手に持って帰ったりしちゃいけないのは当たり前。だけど逆に言えば、勝手じゃなくて、ちゃんとすべき事をすませた遺体なら、持ち帰れることがある。
犯罪でもなんでもなく、警察に捕まることなんてなく、当然の権利として、遺体を一部持ち帰れる場合があるじゃないか。
二階に駆け上がって、クルミさんの部屋とは別の扉を見る。
昨日クルミさんに「入っちゃダメだ」と言われた父と母の部屋は、きっとそこだ。
床板を踏みつけるようにして、早足のままノブへと手をかける。
鍵はかかっておらず、勢いよく扉は開かれた。
ごくありふれた部屋の、奥の棚。ポツンと置かれたそれらは、どこか質の違う雰囲気が違った。
部屋の棚に置かれていたのは――二つの、白い円柱形の陶器。
その陶器には、蓋がある。花瓶にするには蓋が邪魔だし、ゴミ箱にするには上等すぎる。
なんの予告もないまま見ても、どういう用途で使われるかひと目では思いつかないようなつくりの容器だ。
だけど今の私には、それこそが探していたものだと直感で分かった。
陶器を前に、覚悟を決める。
ためらう時間など微塵も置かず、白く滑らかな質感の蓋を開いた。
実物を見るのは初めてだったけど、真っ白で慎ましい印象のこの容器こそが、骨壷。
ということはその中身は、クルミさんの両親の骨であるはずだった。
覚悟を決めて開いた骨壷は、空っぽだった。
中身は一切見当たらず、だけどそれは私の予想通りだった。外れてほしい予想だったのに。
普通なら絶対無くしちゃいけないもの。なのに空っぽになってしまった骨壺の中身は、どこに消えてしまったのか、今の私にはもう分かりきってた。
クルミさんはある日、子猫を助けるために道路へ向かって暴走し。
心の傷を忘れようと、記憶さえ捻じ曲げるほど暴走し。
ゴーレムを作りだすなんて禁忌を、その良し悪しを顧みないほどに暴走し。
そして平穏に見える今もずっと、あの人はずっとずっと暴走しつづけている。
ゴーレムのカラダを人間足らしめるのに、これ以上のものはない。
クルミさん。あの人は、あの突っ走りグセのある、おかしな女子高生は。
両親の遺骨を素材として、私を錬成していたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます