第105話 終幕、劇も小説も


 舞台上では暖色系の照明が俺と蒼乃を照らしている。 

 その光が反射して蒼乃の頬を伝う涙は実際に光り輝いていた。


 大勢の観客がいるものの俺と蒼乃は自分たちの世界に入り込んでおり、大衆の目など全く気にならない。


 右手で涙を拭ってから蒼乃は声を震わせながら俺に質問した。


「白太先輩。今の、演技でも嘘でもありませんか……?」


 嘘の告白をするなどあり得ないが、演劇をしている状況での告白は「これは演技かもしれない」という疑いが1%でも付き纏うのは仕方がないことだろう。


 これまでは俺が不甲斐ないせいで苦労をかけた。蒼乃が不安に思うなら、何度だって同じ言葉を伝えよう。


「嘘でも演技でもない。俺は蒼乃が大好きだ」


 俺の気持ちは本当だと理解した蒼乃は力が抜けたように小さく笑った。


「私も白太先輩が大好きです‼︎」


 そう言って蒼乃は俺に抱きつく。


 その瞬間、アドリブで進んでいた演技に合わせて俺たちが結ばれたことを祝福するBGMが流れ、舞台は暗転し演劇は幕を閉じた。




 ◇◆◇




 文化祭終了後、文芸部員は文化祭用に準備された装飾や道具が片づけられ殺風景になった体育館の舞台上に集まっていた。


 そしてこれから緑彩先輩の総評を受けるところだ。


「みんな、お疲れ様。演劇は玄人くんが作った台本通りには進まなかったけれど大成功だったんじゃないかしら」

「いやー、本当白太と蒼乃ちゃんにはハラハラさせられましたよ」

「それは本当にすまんかった」


 長い準備期間に耐え、緊張の演劇をなんとか成功という形で納めた俺たちは和やかな雰囲気で会話をしている。


 そんな雰囲気に馴染めない奴が1人、蒼乃だ。


「緑川先輩は成功だと言ってくれていますが、玄人先輩が考えてくれた台本を台無しにしたのは私です。どうして私を責めないんですか? それに緑川先輩は……」


 蒼乃は途中で言葉を濁す。その先の言葉は俺も緑彩先輩に訊いてみたかった内容だ。


「何言ってるの。今日の演劇は大成功だったわ。それに私は大切な後輩で大好きな白太くんと、ちょっと騒がしいけれど愛嬌があって可愛い後輩の青木さんが付き合うことになってとっても嬉しいの。だから気にしないで」

「で、でも……」


 大人の対応を見せる緑彩先輩に食い下がる蒼乃。


 そんなやりとりを繰り返しているうち、緑彩先輩は痺れを切らしたようでとんでもない行動にでた。


「青木さん。私、白太くんを諦めたわけじゃないわよ?」

「――へ?」

「私、分かったの。付き合えなくったって白太くんのことが大好きだって。だから、青木さんが強気じゃないといつでも白太くんのこと奪っちゃうから」


 そう言って緑彩先輩は俺に近づいてくる。


「え、な、ちょ、緑彩先輩⁉︎」


 俺は不意を突かれ一切抵抗することは出来ず、緑彩先輩の柔らかい唇が俺の唇に触れた。


 その瞬間、蒼乃が大声で喚く。


「な、何やってるんですか⁉︎」

「え? 何ってキスだけど」

「キスだけど、じゃないですよアホなんですかバカなんですか⁉︎」


 動揺する蒼乃とは相反して、俺は石化したかのようにカチカチに固まっていた。


「それに白太先輩も白太先輩ですよ‼︎ なんで顔真っ赤にして固まってんですか‼︎」

「な、おま、そんなこと言われたってしょうがないだろ⁉︎ 急にキスなんてされたら誰だってこうなるわ‼︎」


 それからしばらく赤面している俺と動揺している蒼乃の言い争いは続き、それを止める為に緑彩先輩が口を挟む。


「ま、そーゆーことだから。青木さん、気をつけてね。私はいつでも白太くんを狙ってるから」

「ふんっ。受けて立ちます」

「それじゃ、邪魔しちゃ悪いから私たちはもう行くわ。新婚ホヤホヤのお2人で楽しい時間を過ごしてくださいな」

「「まだ結婚してません‼︎」」


 緑彩先輩は場をかき乱すだけかき乱し、玄人と紫倉、紅梨を連れて体育館を後にした。


「緑彩先輩、相変わらず嵐だな」

「はい。でも多分、空元気なんじゃないですかね」

「……分かるのか?」

「確証はないですよ。でも私ならそうだろうなと思って」


 恐らく蒼乃のいう通りなのだろう。


 緑彩先輩が陽気に振る舞う様は正直言って見ていられない。

 しかし、俺は緑彩先輩からも逃げないと決めた。


 疎遠な関係になんてしてやらない。


「……ごめんな。散々振り回して」

「最後はこうして白太先輩と付き合えたんですから。結果オーライ‼︎ 私はなんとも思ってませんよ」


 ……なぜだろう。いつも通り笑っているだけの蒼乃がやたらと可愛く見える。


 これまでは自分に「俺は緑彩先輩が好きだ」と言い聞かせていたので蒼乃の表情や細かい仕草を見ないようにしていたのだろうか。


「白太先輩、私たち、仮の関係じゃなくなったんですよね?」

「ん? まぁそういうことになるわな」

「それなら……」


 そう言って蒼乃は俺に近づき、抵抗する間も無く蒼乃の小さくて柔らかい唇が俺の唇に触れた。


 その瞬間、俺の頭の中には走馬灯のように蒼乃との思い出が駆け巡る。


 人混みに踏み潰されてグチャグチャになっていた紙を拾っただけでこんなにも大きな幸せを拾えるのなら、これからはどんなに小さな紙だろうが、タバコの吸殻だろうが、空き缶だろうが、なんだって拾ってやろう。


 そう思いながら俺は蒼乃の体を強く、優しく、大切に抱きしめた。

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