第96話 苦悩、表情の意味
緑彩先輩が俺をこっ酷く振るシーンを終え、舞台は俺と蒼乃が出会った駅へと移った。
駅の前にあるベンチで絶望していた俺がLINEのIDが書かれた紙切れを拾い、そのIDの持ち主である蒼乃にLINEを送り悪漢から蒼乃を救助するシーンだ。
見知らぬLINEのIDに興味本位でLINEを送るという行為は今の自分からは想像もできないが、それほど俺の心は傷を負っていたのだろう。
そしてLINEのIDを拾いLINEを送るシーンを難なくこなし、駅の多目的トイレの前で悪漢役の玄人が避難している蒼乃を待ち伏せしているシーンへと移る。
「あのー、なにやってるんですか?」
「……トイレを待ってるに決まってるじゃないか」
玄人はこの劇で自分自身を演じているが、文芸部は部員が少ないため、1人1役と言うわけにはいかずこうして何役もこなすこととなっている。
悪漢役の玄人は空いている男子トイレではなく、多目的トイレの前に立っている。
「それなら普通に男子トイレに行けば良いんじゃないですか?」
「広い個室でトイレをしたいんだ。なにか文句あるか?」
「……じゃあ僕もここで待ちます」
「なんだお前は‼︎ どっか行けよ‼︎」
悪漢役の玄人が叫びながら俺の方に近づいてきて腕を振り上げる。
蒼乃に痴漢をしていた男に対して策も無く向かっていくという状況も、冷静な今の自分の頭には思い浮かばないだろう。
「コラッ! そこで何やってるんだ!」
警察の衣装を用意すると時間がかかると言うことで、あらかじめ録音しておいた警察の声を流す。
その音声が流れて悪漢役の玄人は舞台から逃げていき、俺は昔と同じようにラインの指示通りノックを遂行する。
そして中学の制服を着た蒼乃が扉を開けて飛び出してきた。
最近こうして蒼乃と密着することは無かったが、この距離になると蒼乃から漂う甘い香りを強く感じる。
舞台で昔の状況を再現しているということもあるが、その匂いで俺は蒼乃と出会った時の感覚を余計に思い出す。
「ちょ、なんだ急に⁉︎」
久々に蒼乃に抱きつかれた俺は蒼乃の顔を直視することが出来ず、首を上に向ける。
「怖かったよぉ〜」
そう言って蒼乃が演技で流した涙は全て俺の服に染み込んだ。
演技で泣いているだけの蒼乃の表情を見て、演技の内容とは別の意味が込められた涙なのではないかと思うわされ、俺は酷く胸を締め付けられていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます