第3話
「最近彼女さんはどうなんですか?」
「その言い方やめろ、将太」
あれから幸いなことに俺にも固定客が何人かできた。
そのうちの一人が今前に座る爽やかなイケメン野郎だ。
人当たりが良く、いつも誰かに囲まれているような、同じクラスメイトなら確実に相容れないであろう男は商店街の花屋で働く大学生だ。
社会とは不思議でクラスメイトや同い年ならば口も利かなさそうなタイプの相手でも、職場や店など出会う環境が変われば意外とすんなり喋れてしまう。
何でも笑顔で受け止めてくれ、俺の真意をすっと理解してくれる将太はすぐに居心地の良い相手になった。
「すみません、その人の話楽しいからつい進捗気になっちゃって」
変な客の女が居ると将太に話してしまったのが失敗だった。
先程の言い回しだと俺があの女と交際しているみたいにも解釈できる。
それは困る。
「会ってみたいなーどんな人だろう。椎名さんをそこまで言わせる人だもんな」
将太は面白そうに笑い続ける。
他人の話だから面白いのであって、いざ会ってみたら引くぞ。
いや、人懐こい将太ならすんなり受け入れそうな気もする。
「うるさい。お前は自分の彼女とよろしくやってろ」
将太は困ったような満更でもないような笑みを浮かべた。
二人は商店街ではちょっとした有名カップルだ。
べつに二人が目立った行動をとっているわけではないが、歳の差のせいか一時良くない噂が流れたこともある。
しかし実際の二人は両者ともに今時珍しい純朴な人物であり、すぐに二人の様子を温かく見守る空気が生まれた。
商店街の一部大人達は微笑ましく二人の話をするのだ。うちの店長もその一人である。
そんな話を世間話の一つ程度に捉えていたのだが、まさかその当事者が顧客になるとは思いもしなかった。
将太は気取っていないし、俺の態度にも気を悪くするどころか、「はっきりと適切な対応してくれるんですね」と喜んでいる。
そうは言っても俺のカットを気に入ってくれたところが大きいとは思うが未だに通い続けてくれる。
「今春休みか?」
最近学生の来店が多い。
休み期間にでも入ったからか新生活に向けてイメージチェンジを求める客は少なくない。
「厳密に言えば違いますけど、俺は休みみたいなものですかね。けどそんな学生感覚も終わりだなー。もうすぐ卒業ですから」
そうか、卒業か。
大人に成りきれていないアイツも大学を卒業するだろう。
春になれば着膨れしたぬいぐるみなアイツともそろそろお別れか。
温かい季節に移ることによって服装もさっぱりすればいいが。
「やっぱり椎名さんは上手ですね。おまかせでお願いしてもかっこよく仕上がる」
施術を全て終え、手鏡を持たせて後頭部まで確認してもらうと将太は穏やかに笑った。
「もとがいいんだ。もう少しこだわりでも持ったらどうだ?」
清潔感のある好青年といった風貌の将太だが若者にしては着飾ることにあまり関心がないようだ。
彼の良さを損なわない程度に髪型に少し遊びを入れてみたのだが、その箇所を鏡で見ながら感心している。
整った顔立ちなうえに癖がない。どんなジャンルにでも自分を染められる。
俺からすれば洒落のし甲斐がある可能性を秘めた素材だと思うのだが。
本人はアクセサリーの類も身に着けないし服装もシンプルな物。
髪も染める気はないそうだ。勿体ないと思わずにはいられない。
「はは、多少は気を遣うべきだと思ってはいるんですけど」
そう苦笑しながらも彼の手首には小奇麗な腕時計がちらりと光る。
高級品でもないが決して安価ではない雑誌でも見かけるブランド品だ。
「じゃあその時計は彼女からの贈り物か」
揶揄うつもりで多少意地悪な言い方をしてしまったが、将太は嫌な顔せずとても幸せそうな笑みを浮かべた。その笑顔は俺の好きな顔だ。
たとえ優れた魔法が使えても、結局のところ人の心を奥深くから満たすのは誰かの気持ちなのだろう。
どんな魔法も大切な誰かから与えられる感情によって生まれる輝きには勝てない。
でも、心から溢れ出るほどの輝きと魔法から授からる輝き二つが合わされば。
より惹きつけてやまない輝きが生まれるのではないか。
それこそが俺の目指す魔法使いなのか。
そこには事務的な会話だけでは辿り着けない。
相手をより理解し、寄り添わなければ。
会話はその重要な手段ではないか。
俺は分かっているようで分かっていなかったんだな。
自分の未熟さを痛感し、まだまだ努力が必要だと己の意識を改めた。
桜の開花予想でニュースが盛り上がりだした春。
四度目の来店。初めて正しい意味で驚かされた。
それは女を知る『Restifully』のスタッフも皆同じようで「いらっしゃいませ」の後、一瞬の静寂が流れる。
女は駅前のウインドウに並んでいたブランドの春の新作を着てやって来たのだ。
小奇麗なAラインのワンピースは女性らしさを清楚に引き立てていた。
化粧も学んだのかリップクリームしか知らなかったような奴が口紅を使っている。
出会った当初は伸びきってぼさぼさだった髪も、教えた手入れを律儀に守っている証に肩まで伸びてもまとまり艶を保っている。
町行く人々には彼女が自然にお洒落をしているようにしか見えないだろうが、あの頃のコイツを知っているせいで見違えてしまう。
「ど、どうでしょうか?」
出迎えにやって来た俺と目が合った女は恐る恐る訊ねてきた。
「俺は前回なんて言った?」
少しでも見惚れていた自分が悔しくて喧嘩腰な言い方をしてしまう。
すると女は慌てた様子で前回来店した時を必死に思い返しているようだ。
やがて思い出したようで背筋を伸ばした。
「堂々と!」
「正解」
理想の服を着て来たということは今日がコイツにとって大切な日なのだろう。
直接訊ねはしなかったが、コイツの思い描く最高の姿に仕上げてやろう。
俺が出せる全力でスタイリングしていく。
無事施術を終え、見送るべく店先に出た時だった。
そわそわとして女の様子がおかしい。
「どうした?」
店内でのコイツは普段と変わらず腑抜けた笑顔で黙っているか、会話も能天気なことばかり話していた。
もしかしてここにきてクレームか?
今回は総仕上げだ。より気合を入れて取り組んだ。
パーマとカラーを両方行ったから時間は今まで一番かかったとはいえ失敗をした覚えもないが。
「わ、私、これから告白してきます!」
ああ、そうか。
その一言で彼女の今までの頑張りの理由を察する。
コイツは意中の相手を振り向かせる為に努力を続けたのか。
その服装もそいつの好みというところだろう。女ってそんなものだよな。
どんなに着飾ろうが、正直コイツは性格が変わっている。
歳相応の大人らしさはないし、会話すればすぐ分かるがズレている。
でもコイツは直向きで素直だ。そういう純真さが相手にも伝わっていれば上手くはいくと思う。
自分の為にここまで頑張ってくれる女だ。
大抵の奴は悪く思わない、嬉しいだろう。
緊張からかいつもの笑顔もどこかぎこちない。
「自信持てよ。今のお前は充分綺麗な女だ」
俺の言葉に大きく開いた瞳を潤ませた。
ああ、泣くな。せっかくの化粧が崩れるぞ。
何かを振り払うように頭を横に振った女は目つきをキリっとさせ意気込んだ。
どうやら平静を保つことに成功したようだ。
「いってきます!」
そして女は敬礼のポーズをとるとようやく歩き出した。
告白は戦いではないが彼女にとってはそれに等しいのだろうか。
それほどまでに真剣な場に赴く勇気を与えられたのならば美容師としては本望だ。
けれど何故だか自分の元から離れていくような気がして寂しさが生まれる。
関係ないだろ。俺とアイツはただの美容師と客だ。
アイツが自分の求めた理想へと近づけたならばそれ以上の幸せはない。
俺は童話に登場する王子様なんかではない。
女性達を惹きつけるような容姿でも性格でもない。
相手を喜ばす為の飾った言葉も口にできない。
魔法使いが精一杯。
短い時間、人をほんの少し変身させるだけのちっぽけな魔法。
ひとつの魔法しか使えないけれど。それで誰かが輝けるならば、充分だ。
万人の為に技術を磨いているのではない。
驚いた顔、感動した顔、満ち足りた顔。
その先の笑った顔を見るのが達成感に似た喜びを得る。
人の為と言いながら結局は自分の為だ。
全身全霊でお客の為にはいられない。
それなのに美容師をしている矮小な人間だ。
見返りなど求めるものではない。
淡々と多くの人に自らの魔法をかけていく。
それが不愛想な魔法使いには至高の幸福だろう。
「…何してんだ?」
コイツに驚かされるのは本日二度目だ。
一人店に居残り、カットの練習をして終電に間に合うよう店仕舞いをして出ると隅で蹲る女が待っていた。
「椎名さんに用があって」
「なら声かければよかっただろ」
通りに面する壁は鏡張りの店だ。俺が居ることは分かっただろう。
こんな遅い時間まで何してるんだ。
「椎名さん真剣だったから邪魔したら悪いと思って」
「馬鹿だな。一人で居たら危ないだろ」
駅近の商店街とはいえ夜になれば店は閉まるし、人通りも多くはない。
酔っ払いや悪質なキャッチも居る。女一人で出歩くのは好ましくないだろう。
「この服が似合う女の人になれれば勇気が持てると思ったんです…でも違いました」
告白が上手くいかなかったのか。ぽそぽそと呟き続けた。
文句を言う相手を俺に定めたか。面倒だと思いつつも無下には出来ない。
「いつだって私に勇気をくれたのは椎名さんでした」
急に立ち上がって真っすぐに俺を見た。
瞳は宝石みたいに輝き、まるでコイツの昂る感情を映し出しているように眩しい。
その眼に俺は弱い。動けなくなる。
「好きです」
「…は?」
「椎名さんが好きです」
「相手を間違えてる。さっき告白しにいったんだろ?」
「ですから今、告白しにきました」
理解に苦しむ。コイツは何を考えてるんだ。
「ずっと憧れていた人が居ました。彼は明るくて集団の中心に居るような人で、彼も周りの人も皆キラキラしてるんです。だから私もキラキラできたらいいのにってずっと思ってました。椎名さんのおかげで私も少しずつキラキラに近づけました。そうしたら雑草みたいだった私に彼は気づいてくれました。すごい、魔法のおかげだ!って感動したんです」
まるでお伽噺でも話すみたいに聞こえたがこれは実話だ。
なんでコイツはこんなにも熱を込めて話せるのだろうか。
自分の淡白な心が壊れているのではないかと思わされる。
「でも違いました。彼と話す時間は楽しかった。けれど惹かれることは一度もなかったんです。私も彼も外見でしか相手を判断していなかった。今日念願のお洋服を着てお化粧もして彼に会って、彼の態度の急変ぶりにこれは恋じゃない、そう決定的に気づかされました…ショックでした。そして自分が愚かしかったです。落ち着いた後、椎名さんに会いたくなりました。いつもみたいに叱られて、また歩き出せたらいい。そんな身勝手な理由でここに来ました」
いつもならすかさず憎まれ口のひとつ言ってやるのに。
俺の口はぴくりとも動かなかった。
「そうしたら椎名さんが一人きりで練習していました。真剣な姿で取り組む椎名さんはとても素敵でした。そんな椎名さんを見ているうちに今までのことを思い出してドキドキしました。この人の傍にずっと居たい、私は椎名さんが好きなんだって気づけました」
冗談ではなく本心で言っているのは伝わってくる。
けど、その熱量に俺は完全についていけていない。
どうしてコイツは自分の気持ちをこうも曝け出せるのだろうか。
俺には一生かけてもできそうにない。
「…迷惑ですか?」
黙り込んでいる俺に女は眉を下げた。
「そんなことは…」
迷惑ではないが、俺はコイツを恋愛対象として見たことは一度もない。
かといって嫌いなわけではない。
ただの客と割り切れるかと言えば違う気がする。
俺は自分の気持ちが理解できなくてそれ以上の言葉が出なかった。
「いつもみたいにハッキリ言ってください!椎名さんが嫌ならもうここには顔を出しません!」
急に強気に出てきたな。目の前まで迫ってくる女に俺は勢いだけで負けそうだ。
言葉では俺の気持ちを尊重しているようで押し気味である。
「鳩原!少し離れろ」
「…椎名さん、私の名前知ってたんですね…」
鳩原は目を丸くさせて俺を見た。
「当たり前だろ、自分の客の名前くらい覚える」
「だって一度も名前呼んでくれないから、覚えてもらえていないのかと」
「忘れないだろ。鳩原みたいなやつ」
「えへへ、それは光栄です」
褒めてはいないのに頬を指でかき嬉しそうだ。
その仕草ひとつが清楚な女性らしさを崩してしまっているのだが、それが鳩原の個性だろう。
「ひとまず落ち着け。気が動転してるから俺を好きだなんておかしなこと言うんだ」
「私は落ち着いています。椎名さんに名前を呼んでもらえるだけでとても嬉しいです。ああ、好きだなーって実感します!」
よくもそんな恥ずかしいことを平気で口にできるな。
酔っているか、気がおかしくなってる奴の所業にしか思えない。
「よし、一旦帰って寝ろ。そうしたら自分の行いを改められるだろ」
「落ち着いていないのは椎名さんのほうです」
「はあ!?俺はいつだって冷静だ!」
しまった。つい声を荒げてしまった。
これでは冷静さを欠いていると主張していると同義だ。
すると鳩原は腹を抱えて笑い出した。
「あはは、椎名さん恋愛は奥手なんですね」
「違っ――」
否定したかったが事実ではあるし、予想以上に笑う鳩原に俺は何も言えなくなった。
「答えは待ちます。椎名さんを振り向かせるくらい素敵な女性になれるよう頑張ります。もちろん外見も内面もです」
「内面はともかく、外見で俺がぐうの音も出ない程になるには難易度高いぞ」
強がってみせるが、正直まだ事態を冷静に把握する余裕がない。
すぐに悪態をつく、本当こんな男のどこがいいのだろうか。
「大丈夫です、外見は椎名さんにアドバイスしてもらえますから」
「…本人に直接聞くのかよ」
「とても合理的です!覚悟しておいてくださいね!」
どうやら鳩原との付き合いはまだまだ長くなりそうだ。
彼女の腑抜けた笑顔を見せられると悪い気はしない。
けど今はまだ客と美容師の関係のまま、だな。
DaysMaking 瑛志朗 @sky_A46
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