お祭りのはじまり

常盤木雀

お祭りのはじまり


 その日は、とても良い天気でした。

 柔らかな日差しの下を、私はエリック様に手を引かれて、領主様のお屋敷に向かいました。

 私は、これが最後なのだと幸せを噛みしめながら、景色を目に焼き付けていました。




 私たちの地域には、悪魔様との取り決めがありました。

 ――四年に一度、十四歳から二十四歳の若者を捧げなければならない。

 いつ、どのような経緯でこのような取り決めがなされたのかは分かりません。しかし、ずっとずっと昔から、祖父母の両親のころよりも前から、決まっていたそうです。


 この取り決めのために、四年に一度、領主様のお屋敷では集会が開かれました。

 十四歳から二十四歳の者が集められ、白い服を着て、宴を開いて過ごすのです。宴は領主様のご厚意で、おいしい料理やお酒が存分にふるまわれました。少数ながら音楽を奏でる者も雇われ、歌ったり踊ったりして楽しく過ごします。

 そうです。生贄となる者の最後の思い出のための計らいです。

 次の朝が来るまでには、集められた若者の中から、誰か一人が選ばれ、連れ去られてしまうのです。



 私は十四歳になったばかりでした。

 両親はひと月も前から、心配して泣きそうになったり、不自然なほど陽気に笑って見せたり、不安が隠しきれていませんでした。まだ小さな弟は、そんな両親を不思議そうに見上げていました。


 けれども、私は自分が生贄になろうと決心していました。

 私が生贄になれば、この村から他の者が奪われることはありません。できることならば、私はどうなっても良いからこれを最後に生贄を免じてもらえないかとお願いするつもりでいました。


 いえ、そのような立派な心掛けではないのです。

 恥ずかしながら、私はその頃、エリック様のことをお慕いしていたのです。

 エリック様は私より二つ年上で、裕福な商人の家の長男です。一方で、私はただの領民、畑や動物の世話をして暮らす娘です。

 私は幼い頃から親しくしておりましたが、いつからか、それが永遠ではないだろうと思い始めました。私は、エリック様と生涯を共にできるわけではない、と。

 エリック様の家はあちこちと繋がりがありますから、よそのお嬢様を迎えるかもしれません。それとも、エリック様は領主様の長男のフランシス様と仲がよろしいですから、領主様の末姫様と婚姻を結ぶのでしょうか。

 私は想像するだけで、胸が苦しくなっていたのです。

「メイ、僕は結婚するよ」

 そう言って嬉しそうに笑うエリック様を、私は見たくないと思ってしまったのです。

 それならば、私は生贄になってしまえば良いのだと思いました。あわよくば、今後もエリック様が選ばれることのないよう、取り決めの廃止も持ち掛けようと考えました。

 ただの、若い娘にありがちな、感傷でした。



 集会は、お屋敷から続く大きな広い建物で行われました。

 入口には、見事な白いドレスを着た人形が飾られていました。

 名乗って中に入ると、陽気な音楽が流れ、おいしそうな香りが漂っていました。


「僕は葡萄酒を飲もう。メイはどうする?」

「私は林檎酒にします。葡萄酒は、もしこぼしたら服を汚してしまいそうですので」

「分かった。待っていて」


 まずは飲み物を、とエリック様に尋ねられました。

 どうせ連れ去られるのだから、服など汚れても構わなかったのかもしれません。けれども、真っ白な服は高価ですから、もったいなく思われたのです。もしも四年後も着るのであれば、大事にしなければなりません。


 お酒の樽は大量に壁際に積まれていました。

 いくつかの樽は既に開けられて、すくえるように柄杓が置いてありました。周りには、遠慮なく飲んで真っ赤な顔になっている男の人たちがいました。

 私たちはお昼ごろに行ったのですが、彼らはきっと朝から来ていたのでしょう。


 私は、いつ連れ去られるのか恐ろしく思っていました。エリック様も少し緊張しているように見えました。

 初めて集会に呼ばれた者は、皆心細く感じていたように思います。

 しかし、そうでない人もたくさんいたのです。

 主に男性は、今まで連れ去られたのが女性ばかりだったことから、油断なのか、他人事のような思いだったのかもしれません。もちろん身近な女性が生贄になるかもしれないのですが、それは自分ではないのです。

 一方で女性は、恐れている人も多くおりましたが、「一度選ばれなかった」経験をしているために、自分は対象外なのだろうと感じている人もいたようです。

 これらの方々が、宴を盛り上げていました。


 宴は朝まで続きます。

 私はエリック様と食事も楽しみました。普段は目にもできない上質な料理がたくさん並び、少しずつ食べて回りました。

 おいしい食事。エリック様の笑顔。温かな手。

 これですべてが終わるのならば、それでも良いと思いました。



 夜を迎えるころ、エリック様と一緒に踊りにも参加しました。

 遠くの国の都では、貴族の方々が優雅に踊ると聞いています。しかし、ここでは、大半がただの領民です。音楽に合わせて体を揺らしたり、即興で踊ったりするだけです。

 私はエリック様と両手をつないで、くるくると回りました。


「目が回った。ちょっと休憩させてくれ」


 エリック様が困ったように口にして、ようやく私は回るのをやめました。

 手を離すのは残念でした。離したら、もう二度と戻ってこないような感じがしたのです。

 エリック様は飲み物を取りに向かいました。


 確か、私はその場に残って、スカートの裾を整えていました。回りすぎて乱れてしまったのです。

 すると、皆の息を呑む声が聞こえてました。


 顔を上げると、天井近くから、黒い蝶が舞い降りてきていました。

 黒い蝶。

 それは、悪魔様の使いだそうです。この蝶にとまられた者が、生贄として連れていかれるのです。

 蝶はふわふわと、頼りなさげに舞いながら、私を目指しているように見えました。

 私は恐ろしくて、ただ見上げるしかできませんでした。部屋の隅の方から聞こえてくる、この状況に気付いていない人たちの笑い声が、頭に大きく響いていました。



 蝶は、私の頭にとまりました。

 見えはしないのですが、はっきりと感じ取れたのです。

 私は膝をつきました。立っていられませんでした。あれだけ考えていた懇願の言葉も、どこかへ消えてしまいました。

「エリック様……」

 やっとのことで掠れる声を出し、去っていったエリック様を目で探しました。最後に一目見たかったのです。


 エリック様は、何故か酒樽を抱えて走り寄ってきました。

 そして、私の上で、樽をひっくり返したのです。


 中身は葡萄酒でした。

 エリック様に抱きしめられ、ようやく呼吸が落ち着きました。

 そこで彼の視線を辿ると、私の後ろにいくつもの手が迫っていました。


「どこだ」

「消えた」

「白くない」

「見えない」

「あいつはどこへ行った」


 禍々しい声が聞こえました。

 手しかないその手は、私を連れていくものだと分かりました。そして、白くなくなった私を判別できないことも。



「皆、こちらに一列に並ぶんだ!」


 領主様の長男フランシス様が呼びかけ、順番に全員に葡萄酒をかけました。

 エリック様は私にかかった葡萄酒で一緒に染まっていたため、ずっと私についていてくれました。


 手はうろうろとさまよい、禍々しい言葉を吐き散らしましたが、誰にもたどり着きませんでした。

 そして、最終的に、入り口に飾られていた白いドレスの人形を掴み、消えていきました。




 これがあの日の顛末です。

 エリック様によると、私に葡萄酒をかけたのは偶然だそうです。

 酒樽の傍で状況に気付き、つい、やってしまったとのこと。もし掃除中であれば、箒を持って叩いたかもしれない、と笑っていました。

 しかし、この思い付きのおかげで、私は今もこうやって生きていられるのです。エリック様に救っていただいた命ですから、大事にしています。


 その次の集会から、人形に白いドレスを着せて、若者は赤い服を着て集まるようになりました。

 そして、互いに葡萄酒を掛け合うのです。

 捧げるのは人形でも問題なかったようで、悪魔様からのお怒りはありませんでした。


 こうして、今では四年に一度、若者たちが集って葡萄酒をかぶるお祭りになったのですよ。

 私に分かるのは、これくらいです。



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