アンデッドはなぜ怖い? 後編・宗教と恐怖
生きている方も、そうでない方もこんばんは。
前回は諸事情あってめちゃくちゃ荒れていました。まあ察せ。察してくれ。
今回はいつものテンションです。
私は最近、パキスタンのバッタ被害のニュースを見て「アヒルはバッタ根絶界における奇才とか何食ったらこんな文章思いつくんだ……」と自分の才能のなさに打ちひしがれながらドラッグストアで買ったこつぶさくら棒(※1)をモリモリ食べています。
それはさておき、今回の考察です。
前回は「ホラーの本質・主客転倒」について語りました。そして最後に、「日本と海外のホラーの違いは次回」と書いてます。
まあ、タイトルでわかってしまった方もいるでしょうが、日本と海外のホラーの違いには「宗教」の存在が大きいでしょう。
ショージキに告白します。
実のところ、前回と今回の考察は、予定されていた考察ではありません。
本来なら別に考察を書いていたんですが、「ネタは新鮮なうちに提供しないとヤベェ」と私の中のベテラン板長が訴えるので今回の内容になりました。
今を逃すとあのネタが使えなくなるので……!!!
嫌な予感がした人、おそらくあなたの嫌な予感はアタリです。
では私がやたらとこだわるネタとはなんなのか?
あの「人畜無害そうに見えるサイコパス四天王」の一角、アリ・アスター監督の最新作である
「 ミ ッ ド サ マ ー 」 です。
大丈夫です、ネタバレはありません。
今回の考察に重要なのが、「ミッドサマー」の内容ではなくシチュエーションなので。
内容自体はまあ、オーソドックスなカルトホラーと言ってもいいでしょう。
それを「人の記憶に残る問題作」にするアリ・アスターはスゲェや。頭ん中何入ってんだろ。
で、その「ミッドサマー」ですが、公開された当初はトレンド入りするほどの話題作でした。今も話題作ですが。
それから程なくして「ミッドサマー×TRICK」とか流行り始めるし。
ちなみに私はTRICKだと「瞬間移動の女」が好きです。あのしょーもねえトリックたまんねえな!
話を戻しましょう。
まあ、割と見てて「やべー作品だけど言葉が出てこないぐらいやべー作品ではない」って感じだったんですよね。
人によっちゃ「セラピー」って言ってる人いたり。
周囲に「ミッドサマー」のこと本気でセラピー映画って言ってる人いたら首根っこ引っ掴んでリアルセラピーに連れていきましょう。そのうちたっかい壺買わされるか最悪集団自決させられるかもしれないので(※2)
それで、なぜこんなことになったのか自分なりに考えてみましたが、やっぱ「話の構造」と「宗教」という点が大きいかな、と思いました。
「ミッドサマー」の内容はとてもわかりやすく、「オーソドックスなカルトホラー」なんですが、それをミステリで言うクローズドサークルの環境でやっているので、「正体不明の恐ろしい何か」がいないんですよね。どこまでいっても「村人がやった」っていうのは明白ですし。
日本のホラー作品を見るに、「姿あって形ある正体のわかる何か」に襲われるより、「姿がなく形もない正体もわからない」ものに襲われるほうが怖いと思うんですよね。そしてそこから、その怪異の正体を探る展開が好まれるんです。
最近の作品だと「来る」がそれに当てはまってますね。アレは原作のタイトル「ぼぎわんが、来る」から怪異の名前である「ぼぎわん」を抜いてまでも、目に見えない怪異の正体を隠そうとしてましたからね。
あとは「宗教」の違いですね。
個人的に、「ミッドサマー」の恐怖は欧米の人でないとわからない、と思うんですよ。
もっと正確に言えば、キリスト教圏ですね。
わかりやすいところで言うと、「日本人はクトゥルフ神話の恐怖を解さない」というのがあります。
「……やはりラヴクラフト最大の誤算は、本邦におけるクトゥルフ神話の展開であったのではないだろうか。オカルト、ホラー、魔術といったクトゥルフ神話が持つ属性は、世間的に背徳的とされるものである。少なくとも誉められる類のものでは無い。そういったものを忌避し、あるいは耽美的に見せる事でより効果的に背徳を煽り、また恐怖を呼び起こすのが、多くの表現者達の間で長く主流であった事は間違いない。
しかし、その為のアイテムとして作られた「邪神」や「魔導書」に対して恐怖を抱くどころか、あろうことかマクガフィンの枠からも取り出して、それに人格を与えて好意を寄せる者達がいた。しかも彼らは下心も顕わに擬人化し、「萌え」と呼び、更に「可愛い」という肯定的な属性さえ与えてしまったのだ。」
(ニコニコ大百科 ラヴクラフト最大の誤算より引用)
クトゥルフ神話の元ネタである、「クトゥルフの呼び声」の作者ハワード・フィリップス・ラヴクラフトは、おそらくどころか確定的に、クトゥルフ神話の神性や事象を「とてつもなく恐ろしいもの」として作り出したはずです。
「ミッドサマー」の監督であるアリ・アスターもまた、映画のコメントで「これを見てみんなに不安になってほしい」と述べています。
それがなぜこんなことになったのか。
ひとえに宗教観の違い、あるいは周囲を取り巻く宗教的環境の違いでしょう。
ラヴクラフトは日本人に違い宗教観を持っていたと言われていますが、それでも周りの宗教観は一神教、キリスト教のものです。
キリスト教圏において、怪しげな儀式や異教の神々は「恐ろしいもの」なのです。
近年は神社のお祭りに参加する外国人も増えてきていますが、やはりこの2019〜2020年に「ミッドサマー」が公開されたことを考えても、その「恐怖」は拭い切れていないものなんだと思います。
「ミッドサマー」のホルガ村は察するところオーディン信仰(※3)の村ですし。
で、そこにはやはり「得体の知れない、理解できないもの」に対する恐怖があると思うんですよ。
前回も似たようなことを書きましたが、知らないことは恐怖なのです。
ONE PIECEにあったなこんなセリフ。
日本人があまりクトゥルフ神話を恐れないのも、「神っぽいやつはだいたい神」という宗教的テキトーさや、多くの神を知っていることに由来するものだと思います。
だから日本人には、クトゥルフ神話の神々は「ちょっとユニークな見た目の神様」という認識になるのです。
さすがに見て「おいしそう!」というのは言い過ぎだと思いますが、一時的狂気で1D9(※4)を出したらクトゥルフにかじりつくとかはありそうですね。
これがほんとの妖神グルメ……。
それがなぜアンデッドに対する恐怖に繋がるかというと、大体のアンデッドは恐ろしげな儀式によって生み出されるものだからです。
ゾンビの元ネタはブードゥーの儀式によって作り出されたものであり、包帯を巻かれたミイラは元々エジプトでファラオが蘇った時のための肉体です。
実際、アンデッドになるまでに儀式を要さない幽霊に関しては、そこまで恐れられていないイメージです。イギリス人なんかは幽霊大好きですし。
特にホラー映画は、洋画はゾンビもの・殺人鬼もの・怪しい儀式関連が多いのに対し、邦画の場合圧倒的に幽霊ものに偏っています。
というわけで、総括すると「アンデッドが怖いのは主客転倒」であり、「海外にアンデッド映画が多いのは何に恐怖を感じるかの違いである」であると私は考えます。
次回から本格的にアンデッドの考察に入っていこうと思います。
ちなみに、次回はかなりぶっとんだ内容になる予定です。
ヒントは「時計」です。
(※1)静岡で売っている麩菓子界の異端児・さくら棒の短いバージョンです。使用している砂糖が黒糖ではなく普通の白糖なので食べやすいです。一度食うとヤミツキになります。
(※2)詳しくは「人民寺院事件」で検索すると出てきますが、気持ちの良いものではないので注意してください。
(※3)設定画の中に、「首を吊った状態の人に槍が刺さっている絵」があるのでオーディン信仰だと思われます。
(※4)一時的狂気の9は「奇妙なもの、異様なものを食べたがる」こと。
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