滅亡を願う魔王、その終わりと始まり。

憂杞

第1話

「予言します。魔王様、あなたは勇者の一撃によって命を落とすでしょう」

「勇者だと? おとぎばなしの話題か?」

「いいえ現実です。あなたはられるのです。それも、今宵に」


 禍々まがまがしく荒れ狂う空の下で、籠城する魔王は予言者の一言を一笑に付した。当然至極の反応である。


 強大な力と魔法のみが物を言うこの世界で、青年の姿をした現魔王は頂点に君臨していた。

 下界は魔族らの侵略を受けて混乱状態に陥り、屈服した人々は次々に下僕と化していった。今や世の九割九分が魔族に味方していると言っていいだろう。力による支配を繰り返してきた魔王は今、望んだ世界征服の時は近いと確信している。


 そんな中で聞いたのがかの予言である。

 美麗な黒髪を長く伸ばしたこの予言者は、魔王の最も信頼がおける右腕でもあった。彼女は魔王が誕生した時から傍に身を置いており、今までその口から誤りが発せられることは一度もなかった。

 とは言え、だ。

 配下の視聴覚は魔王へ直接届けられる。配下の視点を通して下界を覗いてきた魔王であったが、そこから『勇者』と思わしき者の存在は認められなかった。役者不在の中で絵空事を語るなど、普段の予言者ならば有り得ないことである。


「成功を前に怖気づいたか?」

「いいえ、何も恐れてなどいませんよ」

「……まあ良い。いずれにせよこれで終わりだ」


 魔王の見る配下の視界が、うずくまる母子を捉える。

 母は許しを乞うような目で、子は憎しみを込めた目でこちらを見る。そんな彼らも万を超える魔族の手に掛かれば、心を闇にとすか永遠の安楽を得ることだろう。


 最後までつまらない使だったと、魔王の双眸が失意の色に染まる。

 しかし、その瞬間は突然訪れた。


「―—悪行はそこまでだ」


 突如、太陽を思わせる眩しい光が、配下の目前で燃えるように広がる。

 その中心からは人影が見えるとともに、一振りの白い刃がひらめく。


「転移魔法か!」


 魔王が叫ぶや否や、地面が急速に遠ざかった。

 真横へ振り抜かれた刃の風圧によって、周囲の砂塵ごと配下らが薙ぎ払われたのだ。


 異空間から現れた白い剣の持ち主は、勇ましい出で立ちをした青年。彼こそが、運命の神より『人智を超えた能力』を授かり、世界を救済へ導く『勇者』であった。


「邪悪な魔族どもめ、世界の平和のためにお前を討つ」


「……なるほど、か」


 とんと腑に落ちた様子で、魔王は別の配下の視点から勇者を見ていた。その配下は既に膝をついた姿勢で、目と鼻の先に刃を当てがわれている。


「無用な殺しは望まない。お前達の王はどこだ? すぐに決着をつける」


「そうだな、それがいい」


 魔王の両手を叩く合図に応え、予言者は手に持った杖により魔方陣を描いた。

 君主の意向に添うように現れた転移の魔方陣。魔王はそこへ身を投じ、予言者もそれに続いた。


 勇者が母子を避難させてから間もなく、決戦の火蓋が切られた。

 魔王が目前に出現するなり勇者は剣を振るった。僅かな空間の歪みを察知し、こちらの着地点を事前に予測しての動きである。魔王は相手にとって不足なしと、密かに胸を高鳴らせた。

 両者の間には互角の戦いが展開される。勇者は剣術を武器に、魔王は魔術を武器にしのぎを削った。その末に、


 空が暗く染まる頃には、魔王の喉元へ切っ先が向けられた。勇者が戦いに勝利したのだ。


 人間らを無力化させることで、鍛錬などの敵を強化する場は潰してきたはずだった。それでも追い詰められたとなると、勇者は力を得るだけの器を―—前世を持っていたということだろう。魔王は宿敵の境遇を恨みはしなかった。


「お前を討てば人々にかけられた服従の呪いも解ける。僕はお前を倒して、この世界を復興させてみせる」


 剣を持つ手が、僅かに震えている。

 それを見て魔王は察した。勇者の言うことは何者かから―—恐らくは彼を転移させた張本人から吹き込まれたに過ぎないのだろうと。実際に自分が死んだところで事が解決するかは、死んだ試しがないのだから分からない。


「いいだろう、殺すなら殺せ」

「……潔いさぎよい魔王だな」

「何か悪いか?」

「…………」


 きっと呪いを拡げた自分なら解くことも出来るのだろうが、敢えて試そうとはしなかった。自分の役目はここで終わる。その後の世界の行く末など、関わりのないこととしか思わなかった。


 勇者の一撃がくびへ振り下ろされる瞬間、魔王は目を閉じた。


(おい、最後に一つだけ答えろ)


 魔王の問い掛けは、後ろで控えていた予言者へ向けられている。それは他者の耳には届かない。彼女との会話には声を発する必要がないからだ。


(あの勇者を呼び寄せたのは、お前か)

「存じ上げません」


 予言者は素知らぬふりをした。彼女の声は他者の耳に届かない。そもそも彼女の存在自体を、魔王以外には誰も認識していないからだ。


(この世界を支配しろと言って、俺を転生させたのはお前だっただろう)


 それは幾百年前のこと。『現世』にて事故死した青年の魂を、一人の女神が拾い上げた。彼に宿る悔恨の念を買い、新たな肉体と能力を授けることで魔王に育て上げたのだ。


「では恐らく、別の神がこの世界を救えと仰せになったのでしょう」


 拾い主の返答を受け、魔王は探りを入れることを諦めた。天上人の意向など分かるはずもなく、ただ良からぬ仮説を立て自己完結を図る。


「用済みだって言うのか。俺の、魔王としての使命は」


 首から下の感覚が失せる。吹き飛ばされる心地に眩暈めまいを覚える。


「今まで長い間お世話になりました、魔王様。……そして」


 黒髪の女神は問いに答えず、高らかに宣告した。


「どうか、。新たな英雄の生まれ変わりよ」


「……ふざけやがって」


 首を刎ねられた魔王の体は、力なく崩折れた。




 消えゆく意識の狭間に、青年はいた。

 真っ白な視界とおぼろ気な聴覚以外に、体の感覚はない。この場には青年の儚い魂だけがある。


「転生者よ、よくお目覚めになりました。あなたは運命の意志によるお導きによって、異世界で新たな生を始めるのです」


 形式ばった女神の言葉を聞き流す。悪としての役目から解き放たれ、心は僅かに軽い。


 思えば、転移者である勇者には悪いことをした。

 世界の命運をかけた戦いに助太刀がなかったならば、彼には仲間がいないということだろう。なのに自分はつまらない意地で自ら呪いを解くことを放棄し、余計に面倒を負わせてしまった。

 よしんば魔王の死によって自然に解呪がなされたとしても、人々はまだ勇者の存在すら知らないだろう。社会が混乱する中で余所よそものの存在は受け入れられるものだろうか。闇に陥れてきた人の数を振り返れば、世界復興までの道のりの険しさは想像に難くない。


「あなたにはこれから魔物がはびこる異世界へ転生し、そこで起きる問題を解決して頂きます。授ける能力は―—」

「何だっていい。早く済ませろ」


 青年は急かしつつ、今のうちに思いを巡らせた。転生を直後に控える自分は、場合によっては生前の記憶を失いかねないからだ。


 女神が何かを語り掛け、周囲は眩しい光に包まれる。


 青年は一心に頭を回した。しかし何も持たない彼に出来ることは、願うことのみであった。この際限なく続く運命の繰り返しがいずれ終結することを。そして、かの勇者が心から平和を願い、望むままに世界の平穏を取り戻していくことを。




 薬液を思わせるような緑色の空。

 紫色の草木。奇妙な形の植物たち。

 幼き英雄は目を覚まし、目の前に広がる未知の世界に息を呑んだ。



  【了】

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