罪悪感
「きっと仕事の邪魔だったんだろうさ。体を売る女が孕んでいるなんて、俺なら願い下げだからなァ……」
物心ついた頃から親方に聞かされ続けた母親の話を、ジャレドは今でも一字一句綿密に思い返すことが出来る。親方の下卑た揶揄さえ、こびり付いて離れない記憶の滲みになっているのだ。
ジャレドは母親の顔を知らない。声を聞いた覚えさえ無い。知っているのは職業と、自身を産んだ時の年齢だけだ。現在は生きているか死んでいるかも判らない。
自身を捨てたことに恨みがない、と言えば嘘になる。捨てられなければもっと良い生活ができたのではないか、とも考える。ジャレドは漠然と感情を燻らせながら、日々の仕事を黙々とこなしていた。
だからこそ、あの日目撃した魔煙に後悔しているのだ。心の奥底に抱いていた鬱屈とした感情が晒される前に、捨て切っておくべきだった。
親方が仕事中に洩らす魔煙絡みの話を聞くたびに、ジャレドは仕事が手に付かなくなる。死んだ娼婦の中に、母親が混じっているかもしれない。或いは、この事件こそが……。
* * *
「何か、抱えておられるんですか?」
「…………!?」
覚醒した瞬間に視界に飛び込んだ顔は、例の山羊のような瞳ではなかった。慌てて飛び退くと、あとから全身に激痛が走る。ジャレドは自らがソファで寝かされていたことに気づき、眼前に立つ紳士の顔をまじまじと見つめる。
「俺、落ちたんですか?」
「ええ、それはもう。背中を
「あっ、ありがとうございます……!」
患部の処置は完璧だった。ジャレドは怯えを顔に出さないよう努力しながら、辿々しく頭を下げる。
紳士は相変わらず作り物の表情だ。魔煙の中でジャレドが見た歪んだ笑顔など、
「煙突、磨き終わりました。 親方に声掛けようと思ったんですけど……親方?」
ダイニングテーブルに突っ伏して眠る親方を揺すって起こそうとして、思い留まる。手を付けた最中のスープを枕にしているのは異常だ。
ジャレドは何かを盛られたのだと瞬時に推察した。スープからは独特の刺激臭がする。
「眠っているだけですよ。飲ませたのはまだ世に出ていない高級品ですし、明日になれば効き目も切れるでしょう。邪魔されると厄介ですし……」
「代金を踏み倒す気ですか……?」
「ご冗談を! むしろ追加でチップをお払いしたいくらいだ。金貨3枚でどうですか?」
紳士が懐から出した金貨は、道端に落としたかのように少し濡れていた。ジャレドは出処の推察がついている。首を横に振り、断った。
「……何のつもりですか?」
「貴方、魔煙に遭遇したことがありますよね? 何を願ったのかの話を聞かせてもらえませんか……?」
観念するしかない。パニック状態になりそうな頭をクールダウンさせるよう努め、ジャレドは意を決して口を開く。
「俺を捨てた母親を知りたい。——そう願いました。確かに恨んでいますし、許すつもりもありません。ですが、殺すつもりはなかったんです。なのに、最近の変死事件は……」
「なるほど、やはり君が……」
「違う、俺じゃないんです。魔煙の日は他の屋敷で親方と煙突掃除をしていたし、それに……」
「やはり君が、宿主だったんですね」
紳士はニヤニヤと嗤った。怪訝な表情のジャレドを見据え、しきりに頷きながら。
「あの、そもそも魔煙とは何なんですか!? 一体、誰が娼婦を……」
「先ほど、君は
「つまり、俺の願いは……」
「魔煙は歪んだ願望器です。貴方の母親を見つけて巡り逢わせるまで、その人と同年代の娼婦を殺し続ける。巡り逢わせる人の生死は問わないでしょうけど……」
「もし、俺の“願い”が母親を見つけ終えたとして、それは次に俺を狙う。まだ見つけていなかったとしても、殺人事件は終わらない。じゃあ、どうすれば……!?」
「犠牲になります? 悪魔との契約など、最初から不平等なものだ。責任を取って、貴方の魂を捧げる。それならこの怪事件も止まるやもしれませんね……」
紳士は突如として表情を強張らせ、突き放すように言う。冷淡な態度だった。突如としてジャレドの言葉から興味を無くしたようだ。
ジャレドは逡巡し、歯を食いしばる。覚悟は急にできないが、やるしかない。これが自身のできる最大限の贖罪なのだろう。
「わかりました。責任を取ります。ですから、手伝ってください!」
紳士は満足そうに微笑んだ。
「……二時間後に魔煙が発生します。それまでに、
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