第12話 共に生きる者

<本編の前日談です>


「はあ……はあ……ここまで逃げれば、とりあえずは大丈夫かな……」


 やつらの気配が周囲にないことを確認し、木に寄りかかり一休みをする。 

 あたしは今、命を狙われていた。事の発端はほんの少し前に遡る。


 小さな町の民家に生まれたあたしは幼いころに病気で母を亡くし、そこからは父に育てられた。父はごく小さな商店を営んでいたがその経営は上手くいかず、元々子には無関心だったがいつしかあてつけをするかのように暴力を振るうようになった。

 その環境に耐えられず、今日いくらかのお金と食料を持ち、以前から計画していた家出を決行した。行くあてもなかったがとりあえずこの国で一番大きな町へ向かっていた。


 日も沈み、付近の洞窟で今夜は野宿をすることを決めたあたしだったが、火を起こしていた最中、何やら奥で人の声が聞こえたので何の警戒もせずその方向に向かってしまった。

 今になって思えば、ここで引き返し、別の場所を探すべきだったのかもしれない……


 かすかな明かりの中進んでいくと、そこにいたのは二人組の男と狼のような獣を連れたローブを着た男だった。

 彼らの話に耳を立てていると何かの取引だということは察せたが、それ以上にあたしは直感的に危険な雰囲気を感じ物陰に身を隠しその場から離れようとした……そのときだった。


「しまっ……」

「誰だっ!」


 チャリンという音が静かな洞窟に響き渡った。うかつにも持っていた袋から硬貨を落としてしまったのだ。彼らの反応からして確実に気づかれてしまったので、落とした硬貨には目もくれず洞窟の出口を目指して走った。

 普段ならそうしただろうが、この時は謝ろうという考えはわかなかった。それほどまでに、彼らは関わってはいけない存在だという予感がしたからだ。


「声からしてただの小娘のようだったが、見られたからには仕方ない。お前ら……行って来い」

「わかりました」



「はあっ……はあっ……」

 逃げながらローブの男の顔が頭に浮かぶ。どこかで見た顔だ……指名手配の人間だろうか。しかし今は深く思い出している余裕はない。

 洞窟を出て少し離れた岩陰で様子を見ていたが、追ってきた二人組は武器を持っており命を狙っているのは明らかだったからだ。


 そこであたしはその洞窟を離れ、近くの山の中に隠れることにした。

 そうして今に至る…………




 身を隠してから、しばらくの時間が経った、体感では一時間ほど経過した気がする。もう安心だと考え、水筒を取り出し一口含む。


 さて、これからどうするか。このままここで一泊か、それとも町まで歩いていくか……


「ん~よし!」


 このまま留まり続けるのも危険だと思い、ここを離れることをあたしは選択した。


「…………」


 集中して自分の身体に魔術による視覚の強化を施す。これでいくらか夜目が効くはずだ。

 誰かに習ったわけでもない、物心つくころには自然にできるようになっていた。普通の人は色々道具を使ったり学校で学んだりするらしいが、あたしは自分にかけるだけなら何も使わずに、その他日常で使うのも基本的な杖一本でできていた。


 きっと人よりかは魔術の才能があるのだろう。ちゃんと学びたいと思ったこともあるが、家のこともありそれは叶わなかった。

 

 ともかくこれで歩いていける。それなりに距離はあるがこの視界なら大丈夫。

 そう考えたあたしは服についた砂を落とし立ち上がろうとしたとき……何かの鳴き声が聞こえた気がした。


「……オオン……」

「……こっちか……」


 いや、気のせいではない。明らかに近づいている! それに……男の声も聞こえる、さっきのやつらだろう。

 何故気づかれてしまった? まさか、落としてしまったお金の匂いからか? 

 そういえば、あの場には明らかに普通ではない獣がいた。十分にありえることだ。


「くっ……」

 ともかくこのままではすぐに見つかってしまう。あたしは声の方向とは違う方向に向かって、走りながら山を下り始めた。


 走りながら後ろを振り向く。今の所は大丈夫、そう考えたが……


「うわっ!」


 前を良く見ていなかったので、何かにぶつかってしまった。そして……しりもちをついたまま前を見上げたとき、あたしは言葉を失った。


「えっ……あっ、ああぁ……」

「おっと、ここにいたか」


 それはさっきの二人の片割れの男だった。小柄な男で刃渡りの大きなナイフを持っている。

 そしてその男は明かりを向けて顔を確認すると、ナイフを向けながらゆっくりとその歩みを進めてきた。


「お、おねが……たす……」


 恐怖の余り腰が抜けて立ち上がることができず、声も上手く出せない。

 近づいてきた男の冷たい視線に自分の死を覚悟した。


「……すまんな、悪く思うなよ」

「あっ……」


 無造作に突き出されたナイフが自分のお腹に突き刺さった。

 

 痛い……熱い……でも声が上がらない。口の中に血の味がする……地面に倒れこんだまま手足が動かない。


「見つけたか……」

「ああ、終わりましたよ」


 もう一人の男が来たようだ。しかし、目もかすんできて良く見えない。何かを話しているようだがそれも上手く聞き取れない。



 あたしは自分の体がズルズルと引きずられているのを感じた。恐らくこのまま山奥へ捨てられるのだろう。

 もう傷の痛みも血の味も感じなくなっていた。引きずられていく感覚も薄くなって、何も考えられなくなっていく。


 ――――もっと広い世界を見たかったな。


 消えていく意識の中、最後に思ったのはそんなことだった……



  ◆◆◆         ◆◆◆



「はあ~えらい目にあったな……」


 まだ頭がクラクラする。すっかり日も暮れているし……


「ちゃんと印つけて整理しとかないと……」


 私、セシル・ラグレーンは自らのドジっぷりを悔いていた。

 山で魔術に使用する植物の採集をしている際、うっかりと手を切ってしまったのだ。それ自体は大したことはなかったが、その後が問題だった……

 傷薬と間違えて、入れ物が同じの麻酔薬を取り出してしまい、それを誤って直接吸ってしまった私はそのまま山中で昏倒してしまった。薬には常人よりも遥かに耐性があるとはいえ、自分で作ったそれなりに強力なものだったので、数時間は眠ってしまったようだ。


 しかし、こういうことは初めてではない。ドジというのはいくら経験を重ねても直らないものだ。

 ちゃんと自分用の薬も目印をつけるようにして……それに加えて今度からは何かしらで意識を失ったら、気付けの電気ショックでも流れるようにでもした方がいいかもな。

 

 まあとにかく、一日を無駄にしてしまったような切ない感じだが……仕方ない、このまま帰ろう。



「ん……」


 そうして山を降りていったが、その途中あることに気がついた。


「誰かいるね……こんな時間に」


 誰かが自分の周囲に張っていた索敵の魔術に引っかかったらしい。即席のものだし、範囲を広めてある分、詳しく知ることはできないが一人でいることくらいはわかる。


 ここから百メートルくらいだろうか、もしかしたら行き倒れとかかもしれない。向かってみるか。



「あの人か……」


 その人物は夜の山には似合わない軽装の小柄な男性だった。

 同業だろうか……それともやはり道にでも迷ったのか……とりあえず声をかけてみる。


「すいませ~ん」

「!? 誰だ! 何だ……女か。こんなところで何をしている」

「いや、ちょっと色々ありまして。あなたもこんな時間にどうしたんですか?」

「何でもない……とっとと失せろ」


 何だよ態度悪いな……おや?


「あなた、服に血が……」

「ちっ……死ねっ!」


 ああ……そういうことね。


「よっと……」

「がっ……」


 懐からナイフを取り出し向かってきた彼の攻撃を難なくかわした私は、そのまま魔力をまとわせた指で彼の額を軽く小突いた。

 いきなりきた時は少しびっくりしたけど、大したことはない。こいつ自身は大したことのないチンピラだろう。


「…………」


 男は意識を失ったまま、数メートル走り、そのまま倒れこんだ。起きる気配は無い。


 ともかく、倒れているこいつは放っておくことにした。この辺尖った枝とかあるし、もしかしたら倒れこむ際に目とかを怪我したかもしれないがどうでもいい、こいつにやられた被害者を探すほうが先だ。

 私は地面を確認し、こいつが来た方向の足跡をたどることにした。




「あそこかな……」

 その先には、不自然に積みあがった落ち葉があった。間違いないだろう。


「……やっぱり」


 その落ち葉をゆっくり除いていくとそこには案の定、横たわる少女がいた。粗末な服装を見るに家出少女といったところか。

 軽く触れてみたが既に脈は無いようだ。とりあえず私は体を抱き起こしたが……


「……可愛い」


 思わずその一言がこぼれていた。

 その少女は実に私の好みの容姿をしていた。いい年して少年少女に興味を示す私の性癖が褒められたものではないと自覚しているが……やっぱり可愛い。


 しかしあまり死体に欲情してるのもまずい……一度身体をちゃんと調べてみるか。


「う~ん、駄目……かな」

 外傷、そして体内の情報を解析していく。死後一時間といったところだ。さすがに蘇生は不可能か。

 あともう少し、せめて三十分早ければなんとかできたんだけど……ん?


「え、嘘……」


 私は瞳を開くことのない彼女の顔を覗き込みながら、自分の目を疑った。

 その少女は驚くほどの魔術の才能を持っていたのだ。もしかして私以上かもしれない……


 そうなると実に惜しい。仮にこの少女が生きていて、魔術を学んでいたのなら、素晴らしい魔術師になっていただろう。

 それに……できることならば自分のそばにおいておきたい。私がそう思える程の人間は、ここよりも遥かに魔術が発達した世界でも、誰一人として会うことはできなかった。

 でもこれではね……


「あ……いや、でも……」


 私の脳裏にある考えが浮かんだ。でもそれは決して正しいとはいえない行為だ。狂っていると言う人もいるかもしれない。

 しかし……こんな機会はもう無いだろう。


「よし……!」


 私は決心をした。例えそれが自分の欲に負け、人の正義に背くことだったとしても構わない。


 名も知らぬ少女に深く感謝をし、その亡骸を抱きかかえた。ふと空を見上げると満天の星空だった。どの世界でも変わることの無い光景だ。でも……今日は一際輝いて見えた。

 この光景はきっと生涯忘れることはないだろう。


 普通とは違う永い人生の中、共に生き、学ぶことができる者。

 その出会いとこれからの未来に私は確かな胸の高鳴りを感じていた。

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