暴食と豊穣のワルツ

第8話 暴食

 マシャドーク称号個体“泥纏負操”は討たれた。腹に大穴が空き、全身を水晶で固められた死体を見下ろしながらベイモンに礼を言う。


「助かった。死ぬかと思った」


「無事で何よりだ」


「終わったの?」


 龍力の急激な減少で倒れていたキッシュもどうにか復帰したようだ。


「マシャドークが作った壁も壊れてる。さっさと剥ぎ取りを済まそう」


「おう」


「ええ」


 称号個体は同じ個体が後にも先にも存在しないから俺の【龍知】でも素材の詳細は読めなかった。だが、死体となって剥ぎ取れるようになれば読み取れる様だ。


【泥纏負操の落命負膜】

【泥纏負操の泥泳尾鰭】

【泥纏負操の泥泳背鰭】

【泥纏負操の森砕鋭牙】


 汎用素材四種に加えて最後に俺の命を奪わんとしたあの角。通常個体でも【名称素材】となるマシャドークの代名詞に当たる強力な素材。その名も【飛突雷角マシャドーク】。死して尚雷を帯びており、【亜空鞄】に収納するのにも苦戦した。これと運よく残った【A等級焔晶核】を組み合わせれば【竜華】の力を秘めた強力な滅竜器となるだろう。


「剥ぎ取りは済んだな。キッシュはもう動けるか? 場合によっては背負うぞ」


「大丈夫よ。さっきから思いの外早く龍力が回復してるの。これなら歩く分には問題ないわ」


「そうか、なら急いで離脱するぞ。ナギとナミも大丈夫か?」


「ああ」


「うん」


「なら急いで…………!?」


「何!?」


「……これは!?」


「何か来る!」


 素材の回収も済ませて離脱しようとした瞬間、全員が異常な気配を感じた。空が落ちてきて押しつぶされた様な、相対せずとも感じる絶望的な差を感じる。


「! ちょっと、アレ!!」


 異変に最も早く気付いたのはキッシュ。彼女が示したのは泥海の深層に近い場所。


「……泥が……侵蝕されてる」


 泥海が端から全て唯の土に変質している。土に変わった泥から次の瞬間には草が生え、遂には木があり得ない速度で成長してその場に根付く。

【域】龍律の領域を超えた環境侵蝕。いや環境。瞬き一つの間に俺達は木々の生い茂る森林の内に居た。今この時を持って<暴食の森>から泥海と呼ばれる地帯は消滅した。一体如何なる龍律でこれが成されたのか? ……いいや濁すのは止そう。俺はこれが一体何なのか知っている。それは実物を見たのは初めてでも今この場にいる全員が知っている。これは特別な龍律

 これは唯の現象だ。ある存在の周囲の環境に勝手に起こる現象だ。

 全ての生物が持つ龍力。生物の持つ焔臓から生成されたソレは体内を循環する事で生命活動を保証している。生命活動の維持に必要とされる龍力以上の分は焔臓に蓄えられ龍律の発動で消費される。では、焔臓に蓄えられる量を上回った余剰龍力はどうなるか。それはただ単に大気に放出されて大気中の龍力と混ざって露と消える。それだけだ。

 ここで問題なのがその大気に放出されるだけの龍力が異常に多いと起こる現象だ。龍力は千差万別。全ての生命で等しく違う。己の体外に放出された龍力が余りにも多いと逆に大気中の龍力を侵蝕して周囲を自身にとって最も都合のいい環境へと塗り替える。

【界域】と呼ばれるそれは発動者にとって呼吸と同じ程度の事でしかない。世界の方が自分に合わせるその現象はAのみが行使できる異能の名だ。


「ナギ、動けるか?」


「無理だ。こんなプレッシャーに晒されて動けるものか。一歩踏み出しただけで殺されそうな恐怖でいっぱいいっぱいだ」


「俺もだ。話せるだけまだましかもな」


 先程からベラベラと考えられた理由がこれだ。この界域に入ってしまった瞬間から一歩たりとも身体が動かせない。恐怖で身が竦んでしまい、何か考えていなければ発狂してしまいそうだ。


 そうだ今だってこんな役に立たない事を延々と考えている。近づいて来ている竜種が何なのかだってわかり切ってる。<暴食の森>にA等級竜種は二匹と居ない。即ち……。


「Gyiiiiiiiiiiiiiiiiiii」


【予見龍アルファズル】より大罪の名を与えられた【邪龍アンラ・マンユ】の眷族が一体。【暴食】の竜。


 ──【暴食竜グラトニー】


「Iiiiiiiiiiiiiiiiiiii!!」


 ────────────────────

【暴食竜グラトニー】

<暴食の森>の所以たるA等級竜種。かつて封じられた十二なる龍こと【邪龍アンラ・マンユ】の眷族にして大罪を背負う竜種である。【暴食】の龍律によって満たされることの無い空腹に囚われており、あらゆる物質を根こそぎ食べ尽くす存在である。家九つ分に届くその体躯は消化し切れなかった栄養が齎した物であり、同時に無限に届く再生力の源である。グラトニーの界域は肉体に吸収しきれなかった栄養を同時に放出している為グラトニーの周囲は常に尽きる事の無い自然資源に満ちている。そもそも<暴食の森>は元々塩害で死に絶えていた土地にグラトニーが住み着いた事で生まれた大森林である。尽きない食欲によりグラトニーに意思と呼べる物は存在しない。その口に生え揃う無数の牙は数百年間何一つ例外なく噛み砕いた至高の鋭さを持ち、万が一にでもその口に触れてしまえば噛み砕かれる事必至である。


 ──畏れよ。首を垂れよ。供物と生贄を捧げ許しを請え。彼の竜に砕けぬ物無し。彼の竜過ぎ去りし地には百年ももとせの豊穣が約束される。

 ──祖は十二なる悪逆の龍の眷族にして暴食の大罪を背負う者也。

 ──如何なる者もその道阻む事叶わず、ただ本能のままに突き進む暴食也。


【獲得可能素材】

 A等級煌焔玉

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【名称素材】

 万砕罪牙グラトニー


【称号龍律】

【■■】


 ────────────────────


 影が差した。見上げる高さは家三軒分程だろうか。高さと同等の幅を持つ巨躯の陰に俺達はすっぽりと覆い隠された。足元から植物が異様な速度で成長してくる。一部の蔓草が絡みついて来るがそんなのはどうだっていい。俺達を見下ろす金色の瞳は品定めをする様にさ迷っている。

 今から訪れるのは“死”だ。抗う事などあり得ない絶対にして明確な死だ。身体が竦む。声が出ない。呼吸が止まる。冷や汗すら恐怖で引っ込む。

 逃げようなどとは考えない。何故ならそれは不可能だから。俺達の立つこの広大な界域こそが奴の領域。この場に於いて絶対の支配者に逆らうなんてとても無理だ。


「ナギ、ナミ、キッシュ」


 ベイモンだ。この状況下で声を出せるなんて驚きだ。


「声が出ねえか。それならいい聞いてくれ。今から俺が囮になる」


「は?」


 声が出た。


「無理だ。たとえお前が万全の態勢を整えても一瞬で死ぬぞ」


「その一瞬でお前たちは逃げろ。この中の誰か一人でも逃げ帰れたら万々歳だ。何としてもこいつの存在を組合に伝えたい。グラトニーが中層に出てくることなんて今まで一度だって無かった。A等級竜種が動くなんてあり得ない事態が起きてんだ」


 それは理解している。下手すればこれは央華共和国の存亡にすら関わる異常事態だ。何としてでも誰かに伝えなきゃいけない。


「それに俺だって手が無い訳じゃない」


「何だと?」


「さっき倒したマシャドーク。称号個体討伐に最も寄与した者に与えられる【称号龍律】。あれをゲットしたの俺なんだよ」


【称号龍律】。確かにそれがあれば効果次第でベイモンの実力を遥かに上回る。力を発揮出来るだろう。


「なら尚更駄目だ。運が良ければ単独でここから街まで逃げられる可能性のあるお前をここに残す訳にはいかない」


「ならどうするってんだよ!」


 ベイモンが叫ぶ。幸いグラトニーが意に介した様子は無い。


「俺が囮になる」


「……正気か?」


 先に言い出した奴が何言ってんだか。


「この界域では常に龍力の回復速度が増してる。それに小さな傷ならすぐ治る。なら俺の【鬼化】が使える」


【鬼化】は鬼人に稀に発現する種族固有の龍律だ。葦原皇国で最も有名な異形の一つである【鬼】に近づく<身変系統>龍律の一つ。高い再生能力と圧倒的な剛力で全てをねじ伏せるそれがあればこの場でも戦える。【鬼化】は代償として動くだけで肉体が損傷するという物があり、高い再生能力をもってしても傷つく方が余程早い。だが、今俺達がいるこの界域でなら話は変わる。界域が齎す無差別の回復能力を加算すれば恐らく【鬼化】がまともに運用できる。


「俺なら大丈夫だ。いや、俺じゃないと駄目だ。少しでも長く時間を稼ぐ。その間にお前らは出来るだけ速く遠くに逃げろ」


「……くそ! 確かにこの場はお前に任せるのが最適らしい。約束だ。絶対に死ぬなよ、ナギ」


「任せろ」


【鬼化】発動


「ぐぅっ……!」


 皮膚が赤く染まる。額から一本の大角が生える。筋肉が隆起し再生能力が今までと比にならない程にまで加速する。


「いけぇ!!」


 チスイを抜き放ち龍知を除く残り全ての龍律を発動。叫びながら斬りかかる。


「死ねやぁぁぁ!!」


 大上段からの振り下ろし。奴は避けもしない。或いはその圧倒的な体躯故に躱せないのかも知れないがそれはそれで好都合だ。


「Ziiiiiiiiiii!!」


 でっぷりと突き出た腹を引き裂き、中から大量の血があふれ出す。即座に【血吸い】で吸収して今度は刃に雷を纏わせる。


 影が差した。


「は?」


 全身が大岩にめり込んでいる。遅れて痛みが発生し、再生された鼓膜が音を拾う。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」


 叩かれた。たったそれだけで俺はさっきまでいた場所から一キロは移動した。周囲は未だ成長を続ける森の中。【鬼化】の力で千切れた筋繊維が繋がり傷口を塞ぐ。呼吸をすれば血液が物凄い速度で生成される。


「戦える」


 血の線は遥か先のグラトニーに続いている。餌に攻撃されたのがよっぽど気に喰わないらしく猛烈に俺の方目掛けて走ってきている。これでベイモン達は安心して逃げられるだろう。


「デブの割に早いな」


 グラトニーはその巨体に見合わず意外と速い。質量に物を言わせて何もかもを破壊して突っ込んでくるからその分更に速い。


「だが俺はもっと早い」


【鬼化】によって上昇した身体能力は易々と不可能を可能にする。先程付けた傷は既に塞がっている。しかもその部分だけ鱗の色が変わっている。試しに近づいて斬って見れば手応えが悪い。雷で傷は付くが斬撃はほぼ弾かれた。再生と同時にその傷の基となった攻撃に耐性を得ているのだろう。


「いいぜやってやるよ」


 敵は有史以来二十と数体しか討伐されていないA等級竜種。相手にとって不足なし。


「マシャドークよりはよっぽど相性がいいだろうよ」


 さあ、ドラゴンハントの始まりだ

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