泥纏負操

第5話 遭遇

 翌朝、問題なく全員が揃い、俺達は<暴食の森>中層最奥部、深層の一歩手前である泥海を目指して歩み始めた。


「今回俺達の討伐対象が居るのはこの森でも人が入って行ける範囲で最も深い場所だ。深層はBどころかA等級以上のハンター以外立ち入りを認められない程の危険地帯、その一歩隣なんて危険度もそれ相応に高い、目的のマシャドークを狩れても周囲の竜種に俺達が狩られたってんじゃ笑い話にもならない。そこで中層に入ってからはこれを使おうと思う」


 そう言ってベイモンが取り出したのはお香を入れる入れ物だった。


「こいつは中層で活動するハンター御用達の道具で【忌竜香】って道具だ」


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【忌竜香】

 複数の特殊な鉱物と薬草を組み合わせて作られた龍因子への干渉を目的として設計されたお香。火をつけると十二刻(十二時間)の間、周囲に【竜種】が酷く嫌う臭いを放つ。この香の範囲内に【竜種】が入って来る事は滅多に無いが、B等級以上の【龍】に近い【竜種】には効果が薄く、尚且つこの香は人類にも有害であり、この香を浴びている間は龍律の威力が大幅に低下し、龍力の生成速度がかなり遅くなる。

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「こいつを使えば大抵の竜種は寄ってこないし、竜獣程度なら一目散に逃げ出す。これを使って泥海を目指す。ただこいつの副作用で発動中は俺達はかなり弱体化するから泥海迄は最速で移動する。往復と予備で九つ用意したから緊急時にはこれを砕いて即戦闘に入る」


 中層の入り口から最奥部まで徒歩で凡そ三日の距離だと言う。このお香で戦闘を避け、最短距離を走り抜ければ二日で踏破出来るだろう。行きに四つ、帰りに四つで予備が一つだ。嵩張る上に高価だから最低限しか買えない事をベイモンは謝って居たが、これがあるだけでこのクエストの難易度は劇的に変わる。無事に帰れたら購入費用の一部は負担しようと思う。その発想はキッシュも同じな様で、話を聞きながらそちらを向けば頷きを返してきた。


 浅層は、お香の効果が無くとも遭遇するのは竜兎なんかの竜獣ばかりで苦戦も無く抜けられた。何度か遠目に中層に生息する竜獣を目撃したが、気付かれる事は無かった。が、少し前に俺達とベイモンが遭遇した竜蛙の様に最近中層から中層に於いては弱部類に入る竜獣が浅層に出てくるケースが増えているので一層警戒を増して進む事になった。


 ~~~


 中層に入って一日目、何度か竜種に遭遇したが、いずれもお香の臭いを嗅ぎ取ると顔を顰めて離れていき、一度の戦闘も無く無事終了。


「やっぱりそのお香の効果凄いわね。そんな便利ならもうちょっと出回ってても良い気がするんだけど」


「コイツは便利な反面、悪用しようと思えば幾らでも出来るからな。出回る量が絞られてんだ。本当はこいつとセットで使う、解毒薬みたいなのがあるらしいが、こんな辺境じゃお香の方しか手に入らなかったわ。すまねえな」


「それはお前が謝る事じゃない」


「そうよ。お香だけでも手に入っただけ万々歳なんだから卑屈にならなくていいわ」


「でもよお、ここ最近森の奥から強力な竜種どもがうようよ湧き出してやがる。さっき遠目に見た中にも中層のそれなりに分け入った先の奴が混ざってた。どう見ても異常事態だ。それこそ唐突にB等級以上の竜種に遭遇したっておかしくねえ。そんなのに備えて解毒薬も用意するべきだった」


「今更言ったってどうにもならないでしょ。あたし達に出来る事は強力な竜種に遭遇しない事を祈って、素早くクエストをクリアする事だけよ」


「……それもそうだな」


 因みにこの間ナミは俺が亜空鞄に予めまとめ買いして入れておいた携帯食料を延々と食べていた。


 ~中層二日目~


 進行ルート上にお香の効かないB等級竜種を発見。【龍知】で確認したところ【森竜ディレスフォーア】という竜種であることが分かった。


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【森竜ディレスフォーア】

<暴食の森>深層に生息する【竜種】。かつて鹿と呼ばれた生物が龍因子に適合し、進化した存在。別名森林の守護者とも呼ばれ、<暴食の森>深層の過剰な栄養が外部に漏れない様に制御している。【聖域】の龍律を持ち、その周囲は常に清く保たれる為、ディレスフォーアの通った跡は弱い【竜獣】達の住処になると言われている。その角は栄養素を貯めこむ性質があり、過剰な栄養を吸収し不足した部分に分け与える事で自身が住まう森林全域の生態系のバランスを保っている。ディレスフォーアはその絶大な能力に反して攻撃性が極めて低く、こちらが攻撃を加えない限り、まず間違いなく見逃してくれる。その上傷ついた状態で近づけば如何なる生物であれ平等に癒しを齎してくれる為、ディレスフォーアを狩る事は禁則事項にはなっていないが、暗黙の了解として禁じられている。

 また、ディレスフォーア自体の攻撃性は極めて低いが害意を持って近づくと、その恩恵を受けている【竜獣】や【竜種】が集団で襲ってくる可能性があるのでディレスフォーアを目にした場合、負傷していたり竜種などに追われていない限りは近づかない事を推奨する。


【獲得可能素材】

 B等級焔晶核

 森竜の聖域蹄

 森竜の療光皮

 森竜の豊枯炯眼


【名称素材】

 豊貯対角ディレスフォーア


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「ディレスフォーアは近づくだけなら大丈夫だが、あいつの周囲に集まってる竜獣達を刺激すると面倒だ。ここは迂回して回る」


 本来であればディレスフォーアの横を突っ切る事も可能だったかも知れない。だが、今現在ディレスフォーアの許に集まっている竜獣の数は異常だ。皆が何かを恐れる様に捕食者被捕食者の関係すら無視してディレスフォーアに集っている。一度引き返すべきかと言う意見もあったが、この機会を逃せば当分昇級クエストは行われないだろうという事と、ここに来るまでに使った【忌竜香】による出費がかなりの痛手となってしまう事からマシャドークを討伐して即時離脱する事で決まった。勿論、その最中に深層の竜種などに遭遇したら出費など度外視で逃げる。


 本来のルートを外れてしまったが、俺達の移動はスムーズだった。本来避けて通る必要のある竜種の住処がもぬけの殻となっていたのだ。いよいよこれはただ事ではないと確信を持った俺達は、討伐より情報収集を目的として移動を始めた。


 が、すると途端に竜種に遭遇する事が無く俺達はあっさりと目的地である泥海に到達してしまった。


「……どうするよ。俺はここでマシャドークを討伐できるならしちまいたいんだが」


「そうね、あたしも賛成よ。明らかな異常だけど今この辺りには他の竜種は居ない様だし、戦闘中に乱入される恐れも少ないわ」


「俺もマシャドークを討伐する事に異論はない」


「私も」


「おし、じゃあ今から【忌竜香】を壊す。あとはマシャドークを発見するだけだ。マシャドークの潜むこの泥海は一度沈めば二度と浮かばないと言われる程に粘性が高い。裏を返せば龍力を足裏に纏って駆け回る分には殆ど沈まない。キッシュとナミは足に回す龍力を増やして全く沈まない様にしてくれ。俺とナギでマシャドークに攻撃をして敵意を稼ぐ。あとは各々臨機応変に対応してくれ」


「「「了解」」」


 泥海を注意深く見渡せば一箇所だけ妙な波うちが発生しているのが伺える。マシャドークは泥海の粘性を無視して水中の様に移動できる龍律を持つと言う。


「ベイモン」


「ああ、見えてる。準備はいいなナギ」


「勿論」


「そうか。じゃあいくぜ!」


 泥海の表面をベイモンと共に勢い良く駆ける。本当にあり得ない位粘性が高いようで走る分には早々沈む事は無いだろう。


「一番やりは貰うぜぇ! 【雷閃】!」


 槍の石突きを泥海に突き立て棒高跳びの容量で飛び上がったベイモンが空中で槍を構えたと思えば次の瞬間轟音と共に波打つ泥の真上にベイモンが槍を穿っていた。突きの速度を超加速させる龍律【雷閃】だ。空中で使えば身体ごと吹き飛ぶとは知らなかった。


「ジャアアアアアアアアアアアアアア!!」


 ベイモンが突き立てた槍を素早く抜き飛び退いた瞬間、泥海の泥面から叫び声と共にマシャドークが飛び出してきた。


 龍因子に適合した竜種特有の龍の一部分の完全発露。それを角という形で現出した遥か昔に鮫と呼ばれた生き物の成れの果ては如何なるものですらかみ砕きそうなギザギザの刃をカチカチとかみ合わせ、真っ赤に染まった両目はしっかりと俺達を見据えている。


「さあ、ドラゴンハントの始まりだ」

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