暇乞い
住原葉四
good luck.
私はこの日を待ち望んでいた。
特に理由はない。ここに通学しようと思ったのも、そう決意したのも、特別な理由は持っていなかった。だからこの日に私は涙することは出来ない。
何かとお世話になったのは事実だ。ここに入らなければ、私は今のような経験は出来なかっただろうと思う。資格も取れなかっただろうし、上京だってしなかった。いつまでもこの辺鄙な田舎に居座ることになったと思うとぞっとする。
この土地は、私に様々な記憶を思い起こさせる。ほとんどが嫌な思い出ばかりで、いい思い出は極少数。楽しかった思い出は、悲しかった思い出に上書きされ、私の記憶から徐々に薄れていく。その悲しい記憶は、傷のようなもので、いつまでも癒えることはなく、一生残る傷なのだ。だから私は早々からこの土地を去ることにしていた。それは一年生の三学期の頃だ。教師は役に立たないだろうと踏んでいたから、私は自分で進路を決めた。親には相談したっけ。県外に行きたい、とだけ伝えて、それで話は終わった気もする。そういう親なのだ。
それでも私はこの土地に、やっぱり何らかの思いを置いてきたのかもしれない。一番濃いのはやはり恋愛だ。中学の頃は経験してこなかったそれは私にとって、初めてなことばかりで、多少どころかかなり失敗した。最後に話したのは、いつだったか。でもまあ、アルバムの白紙の頁に書いてもらえただけで、私は満足だ。少しだけ、涙が出そうなるけれど、うるっと来ただけだ。きっと。
恋愛以外にも少しは成長できただろうか。中学で経験してこなかった人間関係、私はこれが一番難しかった。それは恋愛にも直結し、私のこの三年間は、恋愛と人間関係で締めくくられる。
人は裏切るものだ。これを知ったのは中学校の頃。でも少しは信じていたかった。信じたかった。でもそれは出来なかった。どう足掻いても、どう頑張っても、どう動いても、人は裏切る。友達という存在はいつしか私の中からは消え、恋人という関係は有り得ないとさえ思った。こうして省みると、今もまだ、その傷が癒えていない。
「きみがちゃんとしていれば、もっと続いたんだよ」
今更言ったところで変わらない。それに明後日終わるというのに。何を今更。私は恋人を困らせた。私は恋人を苦しめた。だからその言葉は、私の胸を抉る。今行ったところで、もう抉るものなんてないのに、これ以上何を抉ってくるのか、私にはわからない。ただ唯一分かることは、私の心は、あなたで止められているということだけで、それを忘れたいから、癒えてほしいから、この土地から出ていく。それは紛れもない、最初に振られたときの決意そのものだ。
私は、いつか、という言葉を使いたくはない。いつか、というのは不確定な要素で、……それを信用できない理由は他にあるけれども、私がそれを使うときは永遠に会えないと思ったときだけだ。そう、今まさにこのとき。私はあなたの白紙の頁に、どんなメッセージを書こうかと迷った。いつか、という言葉はあまり使いたくはなかった。ああ、早くここから出たいと強く思う。
本番はと言うと、やはり泣かなかった。規模が縮小されたのも理由の一つだろうし、次なる土地に期待を持っていたのもそのうちだ。皆の顔も泣いていなかった。
でもやっぱり、泣いている姿を見ると泣きそうになってしまう。もらい泣きは何とか避けようと私は担任から目をそらしながら、最後の話を聞く。
──あぁ、もう最後か。
時計の針が進むにつれて、この制服の糸が解けていくように感じる。もうそこには戻らないし、戻りたくはないけれど、面白くて、たくさんの経験をさせてくれたことに、まずは敬礼。
太陽は厚い雲に隠れてしまっていたけれども、私の心は何だか晴れ晴れしい思いだった。
三年間有難う。きっともう、帰りませんけれど。
ところで、あなたは気づいているだろうか。私の最後のメッセージ。私が副助詞に込めた想いを、あなたは気づいただろうか。
「半年間もありがとう。お元気で。」
その意味は、あなたしか理解出来ない。
暇乞い 住原葉四 @Mksi_aoi
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