間話 精霊女王と黄金の林檎③


シヴァートが悲劇の精霊と呼ばれるには、訳がある。

再生と破壊の精霊であるシヴァートは、例え消滅したとしても、すぐに再生することが出来るはずなのだ。それにも関わらず、精霊神は3000年という時の中で一度も姿を現さなかった。


その3000年前、世界樹であるユグドラシルが一度だけ崩壊しかけたことがあった。

それは言わば世界の終わり。破滅の始まりだ。

世界が絶望する中で、1人の人間の女性が立ち上がる。

それがその時代、精霊神シヴァートと唯一契約できた巫女姫アルテナだ。

アルテナとシヴァートの活躍により、ユグドラシルの崩壊は防がれたが、その代償としてアルテナは命を落とす。

シヴァートも力を使い果たし一度消滅したが、誰もが精霊神はすぐに復活するだろうと思われていた。

けれどその思いとは裏腹に、精霊神シヴァートはアルテナの死を受け入れられず、復活出来なかったと言われている。

それが恋人への愛ゆえか、友愛か、なんなのかわかってはいないが、それゆえにシヴァートは悲劇の精霊として、人々に多く知られることになった。


その3000年前から時が過ぎ、ユグドラシルに実った黄金の林檎がシヴァートの可能性があると言われて驚かないわけがない。

しかも黄金の林檎が、異世界の少女に癒着するなんて前代未聞である。

精霊と契約、あるいは祝福を受けて初めて対等になるものだ。

それが癒着とは、聞いても全くピンとこない。




「ーー…で、君は何をしているんだ」


ため息を押し殺したように、アルフォンスはひきつる頬を無理やり上げた。

視線の先には精霊の泉に片足を突っ込んで、黒髪ポニーテールの少女が楽しそうに笑っていた。


「あー!ユーリ!」

「ユーリ言うなっ!」


笑顔で手を振る少女に、アルフォンスは思わず素でつっこんだ。

少女は名を、エニシ リンネと名乗った。

アルフォンスに勝手についてきて、つい最近まで精霊の国に落っこちていた少女である。とりあえず精霊女王ティティアが、精霊王オベリオンがうるさいからとリンネを引き取るよう頼まれたのだ。

ただ異世界に来ただけであれば、そのまま元の世界に戻すのだが、彼女はなんせ『黄金の林檎』と癒着しているため、それもかなわない。


アルフォンスは一つ咳払いすると、気を取り直してもう一度聞く。


「で、リンネ。君は精霊の泉で何をしているんだ」


凛音は首を傾げた。

何をしているかと言われれば、もちろん精霊の国へ行こうと思っている。

そう説明すれば、あからさまに呆れたように彼はため息を吐き出した。


「ーーいいか?メディウームには、簡単にいけるわけがないんだ。この間のだってたまたま君が落ちた場所が精霊の国だっただけで、下手したら人間の大陸以外に落ちていた可能性ある。…まあ、そう考えればまだ良かったと言えるのか」


妙に納得顔で頷くが、それでは困るのだと凛音はもう片足も泉へと沈めた。

アルフォンスはそれを見て顔をしかめる。


「だから行けないって言ってんだろ!」


そのまま首根っこを掴んで、泉から引きずり出せば、凛音はパタパタとアルフォンスの手首あたりを必死で叩いていた。


「…っ、ギブ、ギブっ!……ユーリ…わたし

、死んじゃう…っ」

「あ、悪い」


今にも死にそうになりながら凛音のか細い声に、アルフォンスもふと我に返った。

パッと離された勢いで、そのまま凛音は泉へと逆戻りだ。バシャンと気持ちの良い音を響かせながら、凛音は頭から泉に落ちた。

それからすぐ水から出てくるであろう凛音は、なかなか出て来ない。これは本格的にやばいかもしれないと、焦りだしたアルフォンスは自分もとりあえず泉の中に飛び込もうとして、水面が勢い良く水飛沫を上げながら盛りあがる。


「ユーリっ!メディウーム、繋がったよー」

「ちょっ、え、待っ」


笑顔の凛音は、そのままアルフォンスを捕まえて引きずり込んだ。




「もうやだ…、何こいつ…」

「どうしたの?」

「お前、……」

「ん?」


かわいらしく首を傾げるリンネに、猫被りもままならなくなって来たアルフォンスは、ひくりと頬を引きつらせた。

言いたいことはいろいろあるが、とりあえず呑み込んだアルフォンスは周りを見て深いため息を吐き出す。


(規格外だとは思っていたけどな…)


ゆらりゆらりと飛び回る光の玉が、黄昏色の薄闇を照らしていた。

精霊の国メディウームへは、精霊の泉を通らなければ渡ることはできない。

しかも泉は高位精霊と契約あるいは加護を受けていて、なおかつ高位精霊が許可したものだけが通ることを許される。

例えば、アルフォンスは精霊女王と契約しているから、彼女が許可さえすれば通ることが出来るが、許可されなければ通ることができないと言うことだ。


「ほら。来れたでしょう」

「ああ、ああ。来れた来れたー」


なんだかもう考えるのも面倒になって来たアルフォンスが、おざなりに返事をする。

だいたい、バームバッハの王族のみしか通ることのできない泉の場所へ侵入できる時点で、考えたって仕方がない。


(これで来るのは2度目か…)


1度目は無理矢理精霊女王にメディウームに召喚されて、無理矢理契約させられた。

そして2度目は。

ちらりと凛音を見下ろした。


(…厄介な匂いしかしない)


異世界に来て驚きはしても、怖がることもなく、むしろ喜んでいるこの少女は厄介事を連れてくる気しかしない。

すでにこの少女自体が厄介である。


〈アルフォンス〉


そして厄介な人物がもう一人。

精霊女王はまだ良い。情が厚く、まだ距離を測りきれないが、人が嫌いというわけでもない。どちらかと言えば、優しいからこそ無理に冷たい態度を取ろうとしているようにみうけられた。

だがこの精霊はわけが違う。人との距離に一線を引いている。恵みを与える側である精霊であるが、人に対して情があるかと言われればないだろう。むしろわずらわしいとさえ思っているはずだ。


「やあ、精霊王オベリオン」


ギギギと、錆びついた歯車のように振りかえれば、氷のように冷たい黄金の瞳がぎろりとアルフォンスを睨みつけ、次に凛音へとその視線が動く。

その威圧感に常人ならば、腰を抜かしても良いだろうに凛音は気にするのが馬鹿らしくなるほど、あっけらかんと笑った。


「ヤッホー!オベリオンっ!」


まるで友達感覚で手をあげる凛音に、アルフォンスは血の気が引いて行く瞬間というものを、初めて味わった。


「ばっ、」


止めに入ろうとして、ゴロゴロと近くで雷が鳴く。


「あはは、また機嫌が悪いんだね?シヴァートが言ってたよ、オベリオンは機嫌が悪いとところ構わず雷を落とすって」


凛音は面白そうに笑いながら、当たり前のようにその名を口にした。

思わず聞き間違いかと疑うほど、アルフォンスは驚いていたし、オベリオンも同様に密かにその黄金の瞳を見開いた気がする。


未だ遠くで雷を鳴らしながら、オベリオンは不機嫌そうに凛音を見下ろした。


〈……意思疎通ができるほど癒着しているのか〉


それは独り言のようで、どこか諦めにも似た声音である。


「あー…待て。リンネ、君はシヴァートと会話ができるのか?」

「んー?会話というかね、…………念話?ができるの」


頭を抱えたくなる事柄に、なるべく冷静であれるように聞けば、凛音は少し考えたのちにこれだという言葉を示せれたことが嬉しかったのか、キラキラとその黒茶の瞳を輝かせた。


いや、そうじゃない。とアルフォンスは言いたい。

彼女は異世界から来た人間であるから、シヴァートがこの世界でどれほどの影響力があるのかわかっていないのだ。


〈…ではなぜシヴァートは、小娘貴様に癒着などしたのだ〉


オベリオンが聞く。

そうそれが一番重要なことだ。

リンネのペースに呑み込まれて、肝心なことを忘れるところだった。


なぜシヴァートは、なんの力もなく、しかも異世界の少女に癒着したのか。


少女は笑顔のままだった。


「あたしはね。ここに来なければならなかったの」


凛音は心臓のあたりを指差した。


「あたしの中に、もう一つの魂があるんだよ」


そうずっと。小さな頃からずっと。

その魂は、凛音に

「帰りたい、帰りたい」語りかけていた。


「ね、オベリオンはこれが誰かわかるかな?」


悲しい叫びは日ごとに増し、黄金の林檎が現れた時、凛音は心の底から喜び、アルフォンスを見つけた時、彼を逃してはならないと思ったのだ。


オベリオンがまるで虚をつかれたような顔をした。


「シヴァートはね、迎えに来たの。あたしの中の魂を」

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