第13話


「陛下っ!わたくしどもはエルベス子爵にそそのかされていただけにございますっ!」

「そうですっ!」

「エルベス子爵が」

「あの成金がっ!我々を騙したのですっ!」


口々に声をあげる貴族達へ、白けた視線を向けるアーノルドに、彼らはどれほど気がついているのだろうか。


自分たちがどれほど醜い姿をしているのか。



謁見の間であるここに、捜査するまでもなく次々とやってきた貴族たちは、もちろん自分たちのことしか頭にない。

彼らがいうエルベスは、悪事を暴かれる前に死んでしまったというのに。

そして、彼は大変頭が良かったのだろう。

彼らが言うように、賄賂が支払われた形跡も、流したであろう噂話の出どころも、絵美を連れ去ろうとした計画も、どこを探しても出てこなかったのだ。


このまま彼らが黙っていれば、どれだけこちら側が捜査したところで、しっぽのしの字も掴むことは出来なかった。


(…残念でならんな)


エルベス子爵のその頭脳は、何者にもかえがたいものであっただろうに。


何度も謁見の申し出があったのをアーノルドは知っていた。

けれどエルベスが、出世欲が強く貪欲であったため、少し様子を見ていたのだ。


(それが災いしたか…)


エルベスは頭脳もあり、出世欲も強く、そして何より心が弱かった。


彼の家の使用人に調書を取ったが、誰も彼も皆、エルベスは自室に1人でいたと言い、まさかこんなことになるなんてと、泣くものも少なくなかった。

子爵として良き主人を全うしていた証拠だろう。


(優しさと弱さは紙一重)


その弱さにつけ込んだ者がいる。


だいたいの予想はできていた。

5日前ほどに、絵美を連れ去ろうとした魔人の男だ。


面倒なことになりそうである。

魔人の男がもし最初から絵美自体に接触を測ろうとしていたとしたら。エルベスはただそれにつけ込まれ、巻き込まれただけだ。

やろうとしたことも、したことも許されたことではないが、こうも全て彼1人に押し付けなければならないのが、無念でならない。


「他に申し開きはあるか」


いつの間にか釈明ではなく、どれほど自分たちが素晴らしいかという話にすり替わっていた貴族たちへ、宰相であるデイモンドが釘を刺すように冷たい声音を落とした。


一気に静まり返る一同見下ろして、デイモンドがアーノルドを見た。

それに一つ頷き返して、重々しく口を開いたのだった。



ーーー



黄昏色の世界、透き通る湖に、七色の魚、漂う小精霊の光、思い出す限りの光景。


1人きりのこの部屋へ、朝日が登ってどれくらい経っただろうか。

昼夜問わず目の前のことに没頭していた絵美は、突然夢から覚めるように、力強く扉を叩く音で筆を止めた。

それはメディウームから帰ってきて、およそ3日目の昼のことだった。


「エミ様っ!エミ様っ!」


どんどんと激しさを増す音に、絵美はゆらりと立ち上がる。

鍵を閉めておいた扉を開けると、鬼の形相のメリナが立っていた。

およそ18歳が浮かべる表情とはかけ離れたその見た目と、血の底から吐き出される声音に、絵美は自然と一歩たじろいだ。


「エミ様?」

「…は、い?」


恐々と返事をした絵美に、メリナはなおもその愛らしい容貌を鬼にして、牙を剥いた。


「どれだけ人に心配かけていると思っておられるのですかっ‼︎」


絵美はかろうじて悲鳴は呑み込んだが、びくりと肩を跳ね上げるのは流石に抑えられなかった。

何か良い言い訳をと、考えている間もメリナの猛攻は止まらない。


「ただでさえ突然姿を消されて心配いたしましたのに、帰ってきたのが姿を消して2日後で、しかも早々に「ちょっと部屋に籠るから!心配しないでね!」などとふざけたことを仰って、それからまた3日誰とも顔を会わさないなんて良い加減になさってくださいっ!わたくしが不甲斐なのはわかっておりますっ!それでエミ様が辛い思いをしてらしたこともっ…!」

「メ、メリナ」


落ち着かせようと名前を呼ぶが、逆効果だったのか彼女はその青葉色の瞳に怒りを乗せて絵美を睨みつけた。


「わたくしが聞いたところでどうにもならないことなど承知していますっ。自分がまだエミ様よりもずっと歳下の小娘であるから、貴女が頼れないことを、わたくし1番理解しておりますっ……」


驚いて絵美は、両眼を見開いた。


(…そこまでバレてたの)


そして、またメリナにそんな顔をさせるのは絵美なのだ。

絵美からすれば年の離れた彼女は、子どもだと区切って良い相手ではなかった。むしろ自分よりずっと大人で、しっかりとその目に絵美を映していた。

最初からそれは変わらない。変わらずずっと絵美をまっすぐ見据える。

信頼されていないと自覚して、それでも絵美に語りかける立派な大人だ。


(…本当、あたしの方が子どもじゃない)


もちろん、疑心暗鬼になって、周りが良く見えていなかったのもあるだろう。

それでも、といくぶん小さくなった声音は、先程までの威勢はなかった。


「…もう少し心を開いて欲しかったのです」


矛盾した彼女の本音は、これ以上ないほど心に届き、ポロリと、その青葉色の瞳から一粒こぼれ落ち、それでもメリナは目を逸らさなかった。


絵美を貶めるような噂は、エルベス子爵という男が首謀者を務め、連れ去ろうとしたのも彼だったのだと言うのは、小耳に挟んでいた。けれど帰って来た時絵美は、魔法の筆を手にしていて、そればかりに思考が偏っていた。

好きなものが目の前にあると、今までのことをなかったかのように振る舞えるのは、良い点だろう。けれどそれ以上に欠点であるのも否めない。


昔、仲の良かった友人に言われた言葉を思い出した。


ーー絵美は一緒にいるのは楽だけど、あんたは私にも心を開かないのね。


そう言った友人とは、いつの間に疎遠になって今は連絡すら取らない。

いつでもそう。結局壁を作るのは自分自身だ。


もうずっと前から気がついていたことである。


歳が離れすぎているなんて、ただの言い訳に使いたいだけ。

歳の差なんて些細なことだ。


「メリナ」


自分より背の低いメリナの怒りに染まった顔を覗き込む。


「心配、ありがとう」


素直に人に対してお礼を言うのはどれぶりだろう。

こんなにぎこちなくなるものなんだなと、なんだか恥ずかしくなって苦笑した。


涙の溜まった青葉色の瞳が大きく見開かられて、両眼からこぼれ落ちていくこの涙が、絵美のために流されているのかと、不覚にも鼻の奥がツンとした。


「メリナ。これ、秘密よ!」

「はいっ⁉︎」


誤魔化すように少し声を張りながら、絵美はメリナの手首を引いた。


「でも、バレたら一緒に怒られてね?」


なんだかイタズラを仕掛けたようで、楽しくなってしまった絵美は、本当の意味で微笑んでいた。


驚かれるのを期待していた絵美は、けれどまさかそれ・・を見せたことで、メリナがまた再び大粒の涙を流すことになるなんて思いもしなかったが。


「……ーっなんですかこれ…凄すぎでしょうーー」


笑っているのか泣いているのかわからないメリナに、絵美はただその壁一面をキャンパスにした、描きかけの巨大な絵画を背にオロオロとするしかなかった。


この絵画が後の世、絵美の最初の作品として語り継がれて行くのは、まだずっと先の世の話である。

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