第5話
吹き抜ける風が、髪をさらっていく。
泉のあった場所を抜けると、よく手入れされた芝生が広がった。ぽっかりと空いたその空間に、静かに鎮座する白い洋館が、主人の帰りを待つように建っている。
その場所に立ってみて、絵美は初めてホッとするのだ。
知らない世界に来て、ここだけが絵であっても絵美にとって見慣れた日常である。
「お帰りなさいませ。お嬢様」
花壇の手入れをしていたのだろう、振り返りながら綺麗なお辞儀をした深緑色の頭がゆっくりと起き上がる。
「…ただいま。ライデン」
優しげに翡翠色の瞳を緩めて彼、ライデンは出迎えてくれた。
ライデンは簡単に言うと人間ではない。精霊かと言われれば、それに準ずる存在である。精霊は自然界の森羅万象を操るのに対し、妖精は人間に紛れ生活し、精霊たちと相性が良く、精霊術という魔術とは違う力に長けている。妖精によっては、気に入った人間に仕えたりするといい、ライデンがその1人であった。
「朝食の準備はできておりますよ」
そう言ってライデンは、手入れされた庭に置かれたテーブルに招き入れる。そこにはすでに白いテーブルクロスが敷かれ、ティーワゴンが脇に置かれていた。
「…わたしが来ることわかってたみたいね」
「妖精は少々感が鋭いのです」
「ふーん。…ありがとう」
慣れた手つきで椅子を引くライデンに、絵美は礼を言う。まるでどこかの高級レストランにでも来たような気分になって、この行為にはなかなか慣れない。これはもちろんここだけの話ではなく、城でも同じような扱いを受けるものだから、たまに自分は何者なのだろうと疑うのだ。
ライデンが指をテーブルに向けて横にスライドさせると、キラキラと粉が降り注ぎそこへ次々と出来立ての料理が並んでいく。
いつ見ても物凄い光景だと思う。何もない場所へ、手品のようにあらわれるのだ。
「…魔法って、ホント便利よね」
「そうでしょうか?」
「それはできる人の反応よ」
「全てできるわけではありませんよ」
「…例えば、それ?」
「いえ、これは私の趣味です」
「………」
一気に脱力して、呆れたようにライデンを見た。
ティーカップへお茶を注ぐのは魔法でもできるが、彼の趣味でその部分だけ自分でやっているのだということだ。
馬鹿らしくなって絵美はすぐさま手を合わせる。
「いただきます」
艶めくクロワッサンにかぶりつくと、芳しいバターの香りが鼻腔をくすぐり、ふんわりと綺麗に丸められたオムレツにナイフを通すと、中からトロリと半熟卵が溢れ出す。
(朝から贅沢だわ〜)
美味しいものを食べると、幸せな気持ちになるとは本当だ。味も美味しければ、美しく飾り付けられた食事は、絵美の目をも喜ばすのには十分である。
「はぁー……ごちそうさま」
美味しい朝食に大満足で絵美は、手を合わせた。
「今日も素晴らしい食べっぷりでした」
「……バカにしてるの?」
「褒めているのですよ」
じろりと睨む絵美に、焦った様子も見せずにこりと微笑むライデンは、本気でそう言っているのだろう。
この男が妖精と呼ばれているのだから、正直妖精への憧れがある絵美からしたら、残念で仕方ない。
(だいたい…ライデンが妖精って)
妖精と聞かれて想像するのはきっと手のひらサイズの小さな女の子に蝶々の羽をはやした姿だろう。どちらかと言えば精霊女王の姿を小さくした姿が近い。
そのイメージはもちろん、絵美の世界の話であってファルファームでは違うのだ。
この世界で実在する妖精には羽もなく、長身で耳が長く尖っていて、ライデンのように深緑色の髪と翡翠の瞳を持つ、見た目だけなら極上の男なのだ。
ファルファームには人間や精霊、妖精の他に、小人、巨人、魚人、天人、獣人、魔人が存在している。
その全てに特徴があり、小人は1メートルほどの身長で、手先が器用な彼らの造る物は、全てに付加価値がつくほどの高音がつく。
巨人は平均6メートルの屈強な肉体を持ち、その力の破壊力は計り知れない。その大きな見た目に反して心優しい人々だ。
魚人は簡単に言うと人魚である。美しい銀の髪が特徴的な、海底の支配者だ。怒らせれば
天人は空を支配する竜の一族だ。普段は人のなりをしているが、形態の変形をすることで恐ろしい牙と爪、大きな硬い鱗と大きな翼のある竜の姿へと変貌する。
獣人は顔は動物、首から下は人のなりをしている。目、鼻、耳が良く、俊足の持ち主たちだ。その団結力は高く、仲間を大事にする一方で他種族を毛嫌いしている。
魔人は、強大な魔力と驚異的な戦闘力を体内に有し、皆一様に褐色の肌、紫色の瞳をした人々だ。その力を恐れた他種族との間で争いが絶えない。
ライデンが食べ終わった後のテーブルに指を滑らすと、空の皿は跡形もなく消え、デザートの苺タルトが鎮座した。
それにヨダレが溢れそうになっていた絵美に、彼が思い出したように言う。
「ーー精霊女王と、精霊王が今日もいらしていたようですね」
「……なんでそれ今言うの…」
せっかく美味しく美しい食べ物たちに心が癒されていたと言うのに。じとりと絵美はライデンを睨みつけた。
「いえいえ、あの頃と何もお変わりがないなと安心したもので」
彼はその視線も微笑み、懐かしそうに笑みを深めた。
「旦那様と奥様が生前の頃も、良く精霊女王と精霊王はお二人でやって来ては喧嘩をされていました」
この場合、旦那様と奥様は祖父と祖母のことである。
絵美はライデンを睨みつけるのをやめ、改めてタルトに向き直った。きらりと光る苺にフォークを突き立てて、口へ運ぶ。さっくりとしたタルト生地に、風味豊かな苺の甘味と酸味、香ばしいアーモンドクリームとディプロマットクリームの濃厚な甘味が口の中を支配する。その美味しさは、ささくれだっていた心を落ち着かせるには十分だった。
「……おじいちゃんとおばあちゃんは、精霊女王と精霊王と仲が良かったの?精霊女王はわかるけど、精霊王は人間を嫌っているようだったけど」
バリバリと雷を鳴らすばかりで、人の話を聞こうとしない
(ホント、ふざけないでほしいわ)
一発殴ってもバチは当たらないと思う。ただ、雷は当たるかもしれないが。
ライデンは考えるそぶりをして、首を傾げた。
「ーー確かに精霊王は人間と深く関わろうとはしませんでしたが、ユリお嬢様がお生まれになった時は祝福を授けるなど、私が知る限り嫌ってはいなかったかと」
「お母さんに、祝福を授けた…?」
「はい。右手の甲に2枚一対の羽のあざがありませんでしたか?」
「……」
「その反応はありましたね。今もあると言うことは、祝福は継続されています」
確かに母の右手の甲には小さな羽のあざがあった。
子どもの頃それがどうにも羨ましくて、いいな〜と言っていたら、母が凄い形相で否定してきたのを思い出した。
『ーー良くないわ絵美っ!母さんはこれのせいで誘拐や監禁、無理矢理結婚させられそうになったんだからっ‼︎』
子どもながらに恐ろしくて、それから二度とあざのことにふれなかったのだ。
「……ちなみにその祝福ってどんな効果があるの?」
絵美が恐る恐る聞く。
ライデンは頷いて答えた。
「祝福とはすなわち精霊の加護にあたります。加護を受けたその瞬間から彼らは精霊の愛し子として、精霊から愛される存在になるのです。それは幸福なことでもありますが、時に人はその加護を手中におさめようとして争いを起こし、精霊から怒りをかうこともありました」
「…それって誘拐やら監禁やら…」
「ああ、ありましたねぇ。ユリお嬢様が受けた祝福はさらに精霊王の祝福だったこともあって、戦争にまで発展しそうになりましたよ」
ライデンは笑っているが、絵美は笑えたもんではない。
(何その迷惑きわまりない祝福)
そんなことに巻き込まれるぐらいなら、そんな祝福ないほうがマシである。
「もちろん、精霊王がそのたびにユリお嬢様を御守りしておりましたが」
「…あの雷男が?」
「ええ。その雷男が」
「想像つかないんだけど」
唖然としながら、絵美は呟く。
絵美には敵意しか向けて来なかった精霊王が。
ーー……アルフォンスが亡くなってから、貴方は変わってしまった。
ティティアの言葉が頭に響いた。
最後の一口を口に放り込んむ。
あまり考えてはいけない。それを考え、答えを知れば、絵美は後には引けなくなってしまうのだろう。
絵美ができるのは、絵を描くことだ。
自分が描きたいものを、描きたいように。
だから余計に思うのだ。
(描きたいなぁ……)
描きたくなるほどに、彼らは美しく神秘的で、怒りに任せた表情すら、本当は瞬きが惜しいほど美しいと思っていた。
(まったく、この性格には困ったものだわ)
どれだけ恐怖に陥れられても、どれだけ腹が立っても。描きたいと言う気持ちだけはなくならないのだ。
「ーーお嬢様、どうぞ」
「んー、ありがと」
デザート後に入れられた紅茶は、渋めに入れられていて、今の絵美にはちょうど良かった。
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