第6話

「…陛下!申し訳ありません。エミ様がまたいなくなってしまいました…!」


深々とミルクティ色のきっちりと結えられた頭を下げるメリナを見て、バームバッハ王国アーノルド三世は苦笑した。


「構わんよ。また庭園にでも行っているのだろう」


この1週間まともに顔をも合わせられなかったからと、絵美と朝食を取ろうと思っていたが、たびたび絵美は昼夜問わず抜け出すことがあったのだ。

それがたまたま今朝になったまでのこと。


おずおずとメリナは頭をあげると、言いづらそうに青葉色の瞳を泳がせた。


「………エミ様はとても気丈に振る舞っておいでですが、ありもしない噂話や陰口を聞いてしまって…」

「ああ、そうだね。まったく困ったものだな貴族連中は」


頷いてアーノルドは、短く嘆息した。


噂話や陰口なのは少なからずアーノルドの耳にもいくらか入っていた。


ーー英雄の名を借りた偽物。

ーー国王を騙して、王位を狙っている。


というのがほとどんどで、アーノルドからすれば馬鹿らしく、笑って流す事もできるだろう。

その噂の根元も、新参貴族連中の戯言に過ぎない。

古参の貴族はアルフォンスや凛音、百合のことを知っている者は、そんなこと口にもしないだろう。


ただ、絵美の持っている肩書きは少々彼女には大きすぎる。


ーー英雄の孫。

ーー聖女の娘。


それは偽りのない真実だ。

アルフォンスも凛音も、この国のために大きな成果を遺し、百合は世界で唯一精霊王の祝福を受けた存在だった。

そして加えて王族の血を引いている。

それがどれほど貴族たちの嫉妬の対象になるか、分からないわけではない。


「…きっとエミ様は辛い思いをしていらっしゃいます」


そうだろうと思う。

頭を深く下げてメリナが退出して行くと、アーノルドは運ばれてきた朝食を食べ始めた。


メリナは国王相手だと言うこともあって、助けてくれとは言わなかったが、そういうことだろう。

ふむと、アーノルドは顎へ指を添えた。


(人誑しは、エミも受け継いだというとこか)


たった1週間しか世話をしていないはずのメリナが、そこまで頭を下げることでもないだろうに。


(助けてやりたいのは、やまやまだがね)


国王という重責がそれを邪魔するのだ。

絵美のことを疑っている貴族たちを黙らせるのは簡単だが、それをすると均等が崩れてしまう。

国王が一個人のために権力を振るえば、それこそ噂の種だ。


(ユリもこちらに来られていれば良かったが)


そうすれば馬鹿みたいな噂話をする貴族もいなかっただろう。


コンコンと扉をノックする音が響いた。


「陛下!アーヴィング殿下がお越しになりました!」


おや、と片眉を吊り上げてからアーノルドは一瞬思案したのち、入るよう促す。


入ってきたのは、バームバッハの王族特有の燃ゆるような赤毛と、切れ長の銀の双眸。すらりとした肢体はしっかりと筋肉がついており、世の女性を虜にするその美しい笑みを讃えた孫が、どこか楽しそうに入ってきた。


「国王陛下におかれましてはご機嫌麗しく」

「…その似合わない前置きはいいぞアーヴィング。こんな朝早く何をしに来たんだ」


近くに控えていた侍女が、お茶を入れたのを確認してから侍女と侍従を下がらせるよう指示をする。

それを確認したアーヴィングは、どかっとテーブルの席に座って口を開く。


「じーさんが孫ほど歳の離れた女を囲ってるって話を聞いてね」

「なんだ、嫉妬か?」

「そんなわけないだろ?その女の顔、拝みに来たんだよ」

「残念だったな。エミはここにはおらんよ」


物見見物のようなことを言う孫に、アーノルドは呆れたようにため息をつく。

いないと言われてあからさまに残念そうな顔をしたアーヴィングは、アーノルドの朝食であるサンドウィッチを勝手に食べはじた。


「あーあー、なんだよ歩き損かー」

「おい、それは私の朝食だぞ」

「いいだろ?俺も2人で朝食取るって聞いて、急いで来たから食べてないんだ」

「勝手にやって来たのはお前だろう」


サンドウィッチを取り返しながらアーノルドは言う。

ちぇっ、と舌を打ちながらあきらめの悪いアーヴィングは、近くにあったスクランブルエッグをスプーンですくって食べ始めた。


「…アーヴィング」

「まあまあ、ところでじーさん本題があるんだけど」

「…なんだまだ何かあるのか」

「面白い話聞いたんだよ」

「なんだ早く言ってみろ」


面倒くさそうにアーノルドが催促すると、大袈裟に先払いしてアーヴィングは口をひらいた。


「『その女を妃に迎えた王子が時代の国王になるって』話だよ」

「………また大きく出たなぁ」


次から次へといろいろなことを思いつくものだ。

呆れを通り越して、そんな話を持ち出した者に、称賛の言葉を送ってやりたいぐらいである。


「あ、やっぱガセ?だよなー」

「当たり前だろう。お前たちに死んでもエミはやらん」

「あ、でも本物なんだ。『英雄の孫』で『聖女の娘』。で、その英雄も聖女もいないと。そりゃ、貴族からの反発は必須になるね」

「だったらなんだクソ孫が」

「じーさんホント俺ら孫に対して冷た過ぎない?そのエミって子には優しくしてるのに」

「女と男の差だ。生まれを後悔するんだな」

「え、それ無茶苦茶じゃんか」


アーヴィングがまだ何か言っているが、アーノルドは無視して朝食の続きを食べ始める。


もちろん別に孫たちが可愛くないわけではない。

息子2人と娘1人をもうけたアーノルドは、娘をそれはそれは可愛がった。だが結婚適齢期を迎え、娘を他国へ嫁がせることになったのだ。

その後息子2人も結婚し、子どもをもうけたがそれが揃いも揃って男ばかり。

他国に嫁にやった娘は、しっかり息子と娘をもうけていると言うのに。

そこにやって来たのが、アルフォンスの孫である。


「私は孫娘が欲しかったんだ」


可愛げもなく憎まれ口を叩く、こんな孫ではなくて、目に入れても構わないぐらい甘やかしたい孫娘が。

弟の孫ならば、自分の孫も同然である。

その孫同然の娘が苦しんでいるというなら、助けてやりたいというのはアーノルド個人の意思で、国王自身は簡単に助けてやれないというのが現状だ。


「じーさん孫目の前にしてそりゃないよ」


アーヴィング拗ねたように口を尖らせても、そこに可愛さはかけらもない。


「とりあえずお前はもっと大人になれ」


今年30歳を迎える孫に、アーノルドは辛辣な言葉を浴びせてから、これからどうするか頭を悩ませるのだった。

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