第16話 乗り越える
「ただいまー。」
「りょうこ、おかえり! 」
「ん、きわちゃんただいま。」
きわちゃんはバイトの日だけ以前のように玄関まで出迎えてくれる。その時の笑顔ははじけんばかりで、どうしても大型犬を彷彿とさせた。涼子はそれに苦笑し、預かりものを渡す。
「あ、そうだ、きわちゃん。宮司さんから贈り物だって。」
「なにー? 」
「はい、これ。」
器型にスタンバイされている手のひらに、ぽとりとお守りを置く。すると、暫くそれを凝視していたかと思うと、
「りょうこ。ぼく、クローゼットにいるね。」
「え、あ、うん……。」
なにやら深刻そうな顔をしてお守りをしかと手に持って階段を上がっていった。
その後は珍しく食事にも出てこず、涼子が部屋にいてもうんともすんとも言わなかった。とりあえず寝る時に「おやすみ、きわちゃん」と言うと、「うん、おやすみ、りょうこ。」と帰ってくるのでとりあえずは大丈夫だろう。
きわちゃんの様子が気がかりなまま、涼子は眠りに落ちた。
〇
翌朝。ちゅんちゅんという鳥の囀りで目を覚ます。
……クローゼットの開く音以外で目を覚ますのはいつぶりだろうか。そんなことを考えながら起き上がった。スマートフォンの画面を見れば、表示されているのはいつもより少しだけ早い時間。
クローゼットへ近づいて、そっと声をかける。
「きわちゃん、おはよう。起きてる? 」
「……うん、りょうこ。おきてるよ。」
「大丈夫? 元気ないけど。」
「うん、だいじょうぶ。すこし このままでいさせてくれれば、よるにはげんきになる。」
「そう? 」
開けてもいい、と声をかけるとうん、と微かに返事の声が聞こえてきたので、ゆっくりとクローゼットを開ける。すると、まるで最初の頃のように扉と平行になって何かを考えこんでいるようなきわちゃんがそこにいた。
「……本当に大丈夫? 」
「うん。りょうこ きにしないで。きょうはぼく、ここにいる。」
「そっか。わかった。」
そうして朝の準備を整え、久しぶりに一人で大学へ向かう。これが普通だ。これがあるべき形だ。——なのに、なんだか物足りないような気持になってしまう。肩は未だ重いまま、電車に揺られた。
〇
その日はなんだかんだ、普段と同じように——いや、いつもよりも集中して講義を受け、絵の制作に勤しむことができた。認めたくはなかったが、やはり……きわちゃんが重荷になってしまっていたことは認めざるを得ないのだろう。肩こりは治らなかったので、こちらは普通に肩こりだったらしい。
怜衣にも、
「涼子、今日はなんか凄い集中してるよね。生きてるって感じ。」
などと言われる始末。周りからは生き生きとしているように見られているみたいだ。それもなんだか複雑な気分なのだけれども。
——叶う事なら、色んなものを彼に見せてあげたい。色んなものを体験させ、食べさせてあげたい。
そう、思ってはたと気が付いた。
——これって、母親のそれじゃないのか。
ぞくりとした寒気が肌を伝った。
〇
きわちゃんに侵食されていると気が付いたのはこの日が初めてだった。今まで、全くもって気が付かなかったのだ。
きわちゃんには何でもしてやりたいと思ったし、色々させてやりたい。望むのならと、周りから見て「気虚」と言われるまでに負担がかかっていたのにも気が付かずにずっと共に連れ立って歩いていた。
その事実に寒気を覚えながら帰路につく。
……そっか、そうだよなぁ。きわちゃんはもう生きている人間じゃないし、私とは違う存在なんだもんな、と一人ごちる。あまりにも自然に喋れるし触れもするので、まるで生きている人のように勘違いをしていた。あまりに、距離が近くなりすぎていた。
それを、宮司さんや精霊たちは気が付いてくれたのだろう。今週のつとめの時には、お礼を言わなければ。……そんなことを考えていると、あっという間に家についてしまった。ごくりと唾を飲み込み、ドアを開ける。
「ただいまー……。」
——玄関には誰もいなかった。いつもは来てくれるきわちゃんだが、今もまだクローゼットの中にいるのだろうか。
手洗いとうがいを済ませ、自室へあがる。
クローゼットは何かを拒絶するようにぴたりと閉まっていた。
「きわちゃん、ただいま。大丈夫? 」
声をかけてみる。すると少しして、
「だいじょうぶ……。」
と微かな声で返事が返ってきた。とりあえず飲み物とお菓子を用意して、クローゼットを開けた。
……きわちゃんは、朝の体勢のまま、手のひらのお守りを見つめていた。なんだか切なげな、苦しそうな顔をしているのが気にかかる。
「きわちゃん、精霊さんからのメッセージ、なんだったの? 」
「ん……これ、ちかづきすぎだよっていわれてる。……ぼく、りょうこのふたん なってたんだね。」
「そっか……。でも私も今日、気づいたんだ。きわちゃんと一緒にいるの、楽しかったし。疲れてるの気づけなかった。」
「そう、なの? むりしてないの? 」
「うん、ぜんぜんそんな感じはなかったんだよ。ほんとのほんと。……でも、宮司さんたちが言ってたように、ちょっと負担がかかってたみたい。少―し、疲れちゃってたんだなって実感したよ。」
「……ごめん なさい。」
「きわちゃん、謝らなくていいんだよ。お互いさまなんだから。……それより、これからの事考えようよ。いつ、一緒に出るか。それを決めておこう? 」
随分気に病んでいる様子だ。……そんなに気にしなくたっていいのに。今回はセーフだったんだから……。涼子はそう思い今後のことについて提案しても、でも、と言い淀んでいる。
……きっと、もう出ない方が良いんだろうなどと考えているに違いない。きわちゃんはあれでいて感情がわかりやすかった。
「ねえ、きわちゃん。笹村さんも言ってたでしょ? 一緒に出ても大丈夫、って。ただ今回は一緒にいすぎただけ。週に二、三回なら大丈夫、って宮司さんも言ってたんだから。お墨付きだよ? 」
「ほんと に、いっしょにでてもいいの? 」
「その範囲内ならね。」
「……ごめんなさい ありがとう。」
そういってきわちゃんはぽろぽろと涙を流し始めた。
「もう、そんな気に病まないでいいんだって。」
「でも、ぼく りょうこしあわせにするためにいる。なのに、ぎゃくにこまらせた。ぼくはできそこないのざしきわらしだ……。」
微かに嗚咽が漏れ出てくる。ぽかん、と涼子はそれを見て、
「そうに決まってんじゃん、きわちゃんは幽霊から座敷童になった特例なんだよ⁉ 上手くいかなくて当然じゃん! 」
一緒に成長していこうと思ってたのになー、とあからさまにがっかりして見せる。すると、おそるおそる顔をあげて
「できそこないの ぼくで、いいの? 」
「きわちゃんがいいの! 」
そういうと、ふにゃりと笑った。儚げで少しだけ大人びた、花開くような笑顔だった。
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