第11話 別れ


 そうと方針が決まれば、涼子は大忙しだ。きわちゃんには普通科と言ってあったがそこには経済学部、社会福祉、史学、文学などが含まれる。もちろんその中にも選びたいものもあるにはあるのだが、涼子は幼少からの夢である芸術方面に進みたかった。


とりわけ絵画。高校を普通科にしてしまったがために不利なのは十分理解しているつもりだ。しかし本音を言ってしまえば浪人してでも入りたかった。……どうしても、経済学や文学のみに熱中している自分など想像すらできなかったのだ。


まずは募集要項を調べてみる。意外に、美術系の分野でもセンター試験のみで受験できるところも多かった。事前課題が出るところもあるようだが、それも小論文など。なんとかできないこともない。


日本画、油絵、版画。どこも絵画系ではその三部門の募集だが、やはり日本画を志したい。あの墨で描かれる繊細な濃淡によって作り出される世界観も、近代に入ってからの細々とした筆遣いに閉じ込められた色鮮やかな世界も。どちらも大好きなのだ。ついつい魅入ってしまうほどに。——決めた、日本画で攻める。横でそわそわしているきわちゃんに、


「大丈夫! どこに行きたいか決まったよ。」

と言うと、


「よかっ た! りょーこ、がんばた えらい えらい」


と褒めてくれる。小学生ほどの子に褒められて嬉しがっているのもどうかと自分の事ながら思いつつ、嬉しいものは仕方がない。素直にきわちゃんの賛辞を受け取る。


次いで涼子は、準備をしておかなければならないものを確認していく。

しかし、なんだ、と言ってしまうのは尚早かもしれないが、志望校の受験要綱を覗いてみると一校はセンター試験のみ、もう一校は実技か小論文と面接、加えて調査書。

——これなら、今から準備すれば、まだ。ほっとしてきわちゃんを振り返ると、ただにこにことベッドに腰かけてこちらを見ていた。


しかし、難関が一つ。資料請求もしたし、応募要項も確認した。だがその上でどうしても付きまとってくる問題。それは、入学金、授業料——どちらの大学も、しめて二百万円ほど。


これに、両親は納得してくれるだろうか。一般の文学部などに進学した場合、ざっと近くの大学を調べてみたところ、かかるのは百五十万円程。やはりどうしても、一般的な大学よりはお金がかかってしまう。それに加えて画材の購入なども考えると二百万だけでは足りないだろう。バイトで賄いきれるだろうか。


一抹の不安はあるものの、奨学金を使うという手もある。全くの無理というものでもなさそうだ。後は———専門に進むこと自体を、両親が許してくれるか、それとも高校受験の頃のように許されずに冷戦になるか。そのどちらに振れるかが問題だった。


                〇


「ああ、それならいいわよ。」

「へ? 」


母の答えは案外あっさりしたものだった。大学には行かせてやらなきゃいけないのはわかっているし、高校入試の時も芸大付属に入りたいって言っていたのを普通科に行かせたんだもの、それで意志が変んないなら行かせてあげるのは親として当然じゃない、とのこと。


「それになぁ、インスピレーションも湧きそうだしなぁ。」

「それ、きわちゃんが見える事言ってるの? 」

「ああ、まあそれもある。それに関して自発的に色々お守り受けて来たり神社さんやお寺さん巻き込んでいろいろやってたろう。昔よりも行動力が付き、感傷の湧くものも見つけられる。それならきっとやっていける。」


それに母さんから、お寺さんで庭の木にすら見とれてぼうっとしていたと聞いたぞ。それだけで判断するに事足りる。まあ上手くやっていけ。


そう背中を押してもらって、涼子はきょとんとしてしまった。きっと、二人にはきわちゃんが見えていないのだから、また否定してしまうことでストレスを受けたがために心療内科にかかるような事態は避けたいというのもあるのだろう。しかし、それでもよかった。申し訳ないが、何にしろ涼子には「良い」と言って貰えることが重要だった。


「ありがとう、父さん、母さん。ところで——入学金と授業料諸々込みで二百万円かかるのですが……それも宜しいでしょうか……? 」


すると二人して重いため息を付き、母は頭を抱える始末だった。


「い、意外と高いけど、大丈夫、奨学金もあるんだし、大学入ったらバイトもするでしょ? 」

「うん、そのつもり。」

「じゃあ、そのバイト代をきちんとこつこつ貯金して奨学金返済に充ててね、それだけは約束して……。」

「もちろん。負担かけてごめんね、ありがとう。」


思っていたよりかはスムーズに進んだ家庭内相談会。言葉の節々に無理をさせていることが伝わるが、仕方がない。短い人生、好きな事をやれ、だ。私は私のやりたいことをやってやる——。


                  〇


それからの日々はあっという間に過ぎていった。受験勉強、絵の勉強、進路相談、勉強に面接対策、そして受験。一年などあっという間に過ぎ去っていく。

部活も三年の途中で引退し、なかなか満足のいくものを文化祭に展示することもできた。理香とも同じクラスになって、色んな相談をした。昼休みは屋上で。帰り道は電車の中で。沢山、沢山。


そうして様々に労をかけて積み重ねていった結果——見事、合格。第一志望の美術大学に進学できることが決定した。専攻は日本絵画。新しい生活への期待感もあるが、それとともに理香との別離に胸を割かれる気持ちだった。


正直に言うと、涼子にとって友人と呼べる存在は、理香ひとりである。交友があまり上手くないし、人と向き合っていると疲れてしまう……自分の内心や絵と向き合っている時こそが至福だった。そんな中、涼子を否定せず心地よい距離感で付き合っていてくれたのが理香だった。


「大丈夫、死ぬわけじゃないんだからさ。連絡先も知ってるんだし。大学入っても遊ぼうよ。」

「うん、うん。きっとだからね。」

「うん。それにあんたには、私がいなくなってもきわちゃんがいる。話し相手が増えたんだからきっと上手くいくよ。心配しすぎ! 」


二人してぐずぐずと鼻を鳴らしながらそう言葉を交わしあった。その言葉通り、今私達はメール、SNS、色んなところで繋がっている。どこか一か所が切れてしまっても他で繋ぎとめられるように。ずっと共に居られるように。


桜の舞う中、私たちは別れた。


                〇


そして一方、きわちゃんは受験勉強に際し大いに協力してくれた。尤も、自分自身ではそんな実感はなさそうなものだったが。

勉強をしていると、「なにそれ? 」といって覗き込んでくるので必然的にその言葉や計算式などを説明する羽目になる。そうすると、その度に自分が理解しきれていないところや弱点があぶり出されていくのだった。


「なに それ」

「うん? これはね、幕末史だよ。」

「ばくまつ し てなに」

「っていうのはね~、百五十年以上も続いた徳川幕府が、ペリーの来航を起点にして幕府が倒れちゃうまでのところだよ。」

「ペリー ばくふ ばきん? 」

「あぁー物理的にじゃなくってね、えっと薩長が最初憎みあっていたのが仲良しになって、それが一緒に幕府を倒したっていうか……。」

「さっちょー なんで なかわるい? なんで なかよし? 」

「えっと……なんか事件があって……なんだったかな……。」

「むう。ぜんぜん わかんない ふくざつ。」

「ああ、ちょっと待ってね調べなおすから! 」


そうして結局一緒に調べて、ノートに書き記しておく。そうした勉強法を続けたおかげで、試験の順位はぐんぐん上がっていった。……きわちゃんのおかげだ。本人は受験というものをわかっていないので完全に遊び感覚なのだろうが、それでもだ。


そうして暮らした一年の間に、きわちゃんも成長していった。座敷童でも成長するんだな、という驚きと、ごはん食べているもんな、という妙な実感がわく。


初めは半袖短パン靴下、がりがりの四肢、といった風貌だったが少し背も伸び、小学校高学年、或いは小柄な中学生とも言える姿になった。それに合わせて服装も変化しており、こんなのはどう? と見せてみた浴衣を気に入って毎日それを身に着けている。正直言って……とても可愛い。喋りも少し流ちょうになってきて、随分力が付いたものだと感心している。


今でもクローゼットの中は落ち着くらしく、寝るときはもっぱら定位置のあそこだ。朝になると勢いよくクローゼットを開けて涼子を起こす。……流石に朝が苦手と言ったって「バゴン! 」などという家具が壊れそうな音がすれば誰しも起きるというものだろう。


「りょーこ、おはよう! 」


そう言って笑うから憎めない。そのきわちゃんに見送りを受けて、さて頑張ろうと朝家を出る。


——そうした生活が、いつまでも続くものだと思っていた。この頃までは。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る