第7話 九搵寺


 その寺は十科神社から歩いて十分ほどの距離にあった。小ぢんまりとした古くからのお寺で、涼子もなんとなく聞き覚えがある。ぼこぼことした砂利道を通って寺務所と書かれた建物へと向かった。思わず、神社は「社務所」でお寺さんは「寺務所」なんだ、と小さな違いに感心しながら歩を進める。

すると既に連絡が来ていたらしい。寺務所の前に五十代ほどだろうか。住職さんがいて出迎えてくれた。


「こんにちは。ようこそいらっしゃいました。」

「こんにちは。……あの、十科神社の宮司さんからここの笹村さんという方にこれを、と言われて来たんですが……。」


おずおずと先ほどの紹介状を差し出す。すると合点がいったように住職さんは「ああ、」と頷いて受け取ってくれた。


「確かに受け取りました。……遅ればせながら、私が笹村と申します。」


貴女が佐伯涼子さんですね、と確認を取られる。それにはい、と頷くと、寺務所の中へ案内された。出された温かいお茶を戴きながら話をした。


一年前から子どもが自室のクローゼットにいて、それがじっとこちらを見つめてくること。水を欲しがったのであげるとしゃべれるようになり、自分は座敷童なのだと言っていること。この一年クローゼットの中で見上げてくるだけだったのに、最近はよく喋り、今朝はとうとう自らクローゼットを開けて出てきたのだということ。全てとはいかないが、かいつまんで話す。


「なるほど……。なかなかに込み入った案件ですねぇ。」

「やっぱり、難しいんでしょうか……。」

「ううむ……手立てはあります。何せここの御本尊は阿弥陀如来様。迷っている霊であればすぐに浄土へ送り届けてくださいましょう。頼りにしてくださってよろしいかと。ただ、やはりその子がどういったものかと言うのが気になりますね。」

「どういうもの、というのは……? 」


自称座敷童の幽霊、という事では済まないのだろうか。そう思い訊ねると、目を細めて笹村は言う。


「その子がただのさまよう霊なのであれば阿弥陀様がお迎えをしてくださるでしょう。しかし、その子は無邪気にしていて座敷童だと言っているんですよね。そうなると、霊というものから座敷童というものへと、いい方向で変化している途中なのかもしれません。

かつて東北の地では、亡くなった子どものためにおもちゃ等を祀った部屋に現れるのを座敷童と言ったというような風習も伝わっています。それで今もそういう部屋を作るところもあるのだそうですよ。他にも亡くなった子ども、殺められた子ども、そう言ったものを含めて座敷童というところもあるそうです。

一般的な福の神としての側面からは想像しがたいですが、そういった伝承があるとするならば子どもの霊魂と座敷童というのは似たようなものと思って良いのだと思います。」


「そ、そうなんですか……。でも、幽霊だと思うと、なんだか怖いです。今日も突然出てきたし。」

「座敷童は悪戯をするものですからねぇ。とりあえずその部屋と子どもを見せて頂けたらと思うのですがいかがでしょうか。」

「ぜ、ぜひお願いします! 」

「承りました。では外出の支度をして参りますので少々お待ちを。」


そう言って笹村さんは奥へと消えていった。


——座敷童って、亡くなった子、殺された子の霊も含む、かぁ。

涼子としてはそういう存在が福を呼ぶというのはなかなか信じがたいが、亡くなった後に丁重に遇すれば癒されて福ともなりえる、という類のものなのかもしれない、と自身を納得させた。……そうか、それでお菓子や水を欲しがって、飲み食いすると元気になるのかな。


真相はまだまだ闇の中だが、一筋の光明が差したような気がした。


              〇


「ほう、ここですね。」


まじまじと笹村さんは家を見ている。……主に、道路に面した自室の窓を。


「……あの、窓に何かあります? 」

「ああ、いえ。べったりと手の跡が付いているなぁ、と思いまして。よっぽど貴女と離れがたかったんでしょうねぇ。」

「………。」


笹村さんはそう言って笑っているけれどこちらとしては血の気の下がる思いだ。家を出てからもずっと見られていたってこと……?

とにかく、笹村さんに見てもらわないと安心できないということで部屋へ案内した。すると、すぐに見つけられたらしい。


「おやおや、そんなに警戒しなくてもいいんだよ。こんにちは僕。」

「………。」


きわちゃんはクローゼットのところで膝を抱えて不機嫌そうだ。しかし笹村さんは臆せず近寄っていく。


「名前はなんていうのかな。……除霊するつもりは今のところないから安心して。」

「…………きわ。」

「きわくんっていうの。どうしてここにいるの? 」

「……………。」


きわちゃんはそっぽを向いてだんまりを決め込んでいる。笹村さんは根気強く話しかけている。


「きわくんは座敷童になりかけだね。そうなりたいの? 」

「……うん。」

「なんで? 」

「……そうしたら、おかあさんの役に立てるから。」

「お母さんって誰の事? 」

「ん。」


すっときわちゃんの指が私——涼子を指す。


「へ? 私⁉ 」

「ん! 」


こくりと頷いて答えるきわちゃんは、なんだかちょっぴり嬉しそうだ。


「そうかぁそうかぁ。あの女の子はお母さんに似ているの? 」

「ん。」


またこくりと頷く。


「でも、本当のお母さんの方はいいの? 」

「おかあさんは ぼくがふわふわしているあいだ いなくなっちゃった」

「…………そうかぁ。それは寂しかったね。それでお母さんに似ていて優しいこの子を代わりに幸せにしようとしていたんだね。」

「……ん。」


すると笹村さんはこちらへ向き直って、事態を整理してくれた。この子は亡くなってから意識がはっきりする前に母親も亡くしていること。こういう存在になってからも必要とされたかったこと。そして母親に似ている涼子に目が留まり、ここに棲むようになったのだということ。

決して悪さをするものではない、座敷童にこれからなっていく存在なのだと教えてくれた。笹村さんの隣できわちゃん自身もふんふんと頷きながら話を聞いているので間違いはないのだろう。


「なるほど……怖い存在じゃなかったんだね、きわちゃんごめんね。」

「ぼく ざしきわらしって ゆった」

「ごめんって! 朝のあれにびっくりしたの! 」

「朝のあれ? 何があったんです? 」

「ああ、お寺でもさらっと触れた事なんですけど、クローゼットを開けて出て来ていて、なんかひんやりするなって思ったらいつのまにか腰のところにいて。」

「ちから でた! 」

「あー……あーなるほど……。」


自信たっぷりで胸を張るきわちゃんに少々困った顔をして笹村さんは向き直る。


「きわくん。」

「ん。」

「突然普段と違う事をしたり、いきなり至近距離に来られると人はびっくりしてしまいます。今朝のような事は控えましょう。」

「……ん——……。わかった」

「良い子ですね。それでは一つプレゼントをしましょう。良い子のきわくんと、涼子さんへのプレゼント。」

「? 私にも? 」

「ええ。きわくん、少し目を閉じていてくれるかな。くすぐったいと思うけど、あまり動いてはいけないよ。」

「ん。」


そういって目を閉じさせた笹村さんは、持参した筆ペンできわちゃんの瞼に梵字を書いていく。一文字ずつ、両の瞼に。むず痒いのか、きわちゃんはふくくと笑っている。


「——よし、できた。さあ、目を開けてご覧。」

「……! 嘘! 」

「! よくみえる! 」


きわちゃんの真っ黒だった目が、普通の人間のような目に戻っていた。大きな黒目ではあるけれど、常識の範囲内だ。


「きわくんはお母さんを必死になって、文字通り目を皿にして探していたんだもんね。それでおっきく、真っ黒な目になっちゃっていたんだよね、きっと。」

「ん。みえかたへんになったの とちゅうから。」

「そうかそうか。これで元に戻ったから、びっくりされにくいと思うよ。」

「! ありがとう! 」

「いいえ、どういたしまして。」


ぽかんと口が開いたままふさがらない。こうも簡単に諸々の問題が解決するなんて。すると、そこに笹村が声をかける。


「涼子さん。」

「は、はい! 」

「この子は、確かに亡くなった子の霊でした。しかし今現在、彼の言う通り座敷童に変化している最中です。先ほど両の目に梵字を入れましたので。これで悪霊化することは防げるはずです。悪戯を控えるように約束もしましたから、しばらくこのまま落ち着いて住まわせてあげてご自身が幸せになられるのが一番だと思います。」

「そ、そうなんですか……。」

「ええ。きわくん、約束できるね? 人を驚かすようなことはしない。悪いことはしない。人を幸せにしようと努力する。できるね? 」

「ぼく ざしきわらし! できる! 」

「そっかそっか。偉い子だ。」


そうして戯れているのを見ると、何でもない只の子どもだった。ただの幼い子ども。笹村さんが話をつけてくれた上怖くなくしてくれたのだから、なんとかなりそうだ。


「では笹村さん、これからはこの子にご飯などをあげて力をつけてもらう方向でいいんですか? 」

「ええ、それで結構かと。もし誤った方向に進みそうであれば、先ほどの梵字が彼を止めてくれるでしょうし。力になりそうなものをお供えしてあげるのは良いことだと思います。」

「そうですか……。」

「それでは、他に気になる点が無いようでしたらそろそろお暇いたしましょうかね。」

「あ、はい、とりあえずは……大丈夫、です。もし何かあったらまた伺っても良いですか? 」

「もちろんでございますよ。いつでもお待ちしております。」

「あ、お代……! 」

「いえ、いえ。今回は結構です。珍しいご縁を見させていただきましたから。」


そういって何も受け取らずに笹村さんは帰っていった。後姿を二人で見送る。


「……改めて、これからよろしくね。きわちゃん」

「ん、よろしくね おかあさん」


見上げてくるきわちゃんの顔はなんでもない、ただの可愛い男の子だった。

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