第6話 れいき

「——あっ。」

「どうしたの涼子。」


歯磨きをしてぼうっとしていたら突然気が付いた。今日は火曜日の朝、登校前だ。昨日きわちゃんと話して、これからのきわちゃんの食費をどうするかの問題が解決しないままにとりあえずで眠ってしまったのだった。——それの解決策を、あろうことか今思いついた。

制服に飛ぶのも気にせず急いで歯磨きを終了させて、慌ててお腹を押さえてトイレに駆け込んだ。


「ちょっと、涼子大丈夫? お腹痛いの? 」

「……うん、冷やしちゃったみたい……すっごくお腹痛い……。」

「大丈夫? 薬はいる?」


腹痛止めに痛み止めもあるけど、と母の声がする。それを前かがみになってみぞおちを圧迫しつつ、できるだけ苦しそうな声を意識して涼子は答えた。


「ううん、大丈夫……しばらくしたら収まるかも……。でも、学校行けるかはわかんない、滅茶苦茶痛い……。」

「……わかった、学校には連絡しておくから。無理しない事よ。」

「はぁい……。」


そうして涼子は休みを分捕り、母が仕事へ出るまで無意味にトイレットペーパーをガラガラとまいてみたり、水を流してみたりしていた。休みの言質を取ったからと言って、ここでけろっとした顔で出てしまえばすぐにばれる。ここまでしたのにそんなヘマをしてしまわないよう、用意周到に事を運ばねばならなかった。


「じゃあ、お母さん行って来るから。温かくしておきなさいね。」

「はぁい……いってらっしゃい——。」


ガチャリと玄関の扉を閉める音がしたのを確認して、そろりとトイレから顔をのぞかせる。……行ったよね? 忘れ物とか言って戻ってくるかな。少し様子を見つつそろりそろりとリビングへ向かう。自分の飲み物と、きわちゃんの飲み物を持って行かないといけなかった。


なんとか二本、冷やしておいたペットボトルを抱えて自室へ上がる。もう家を出る準備を終えていたから当然部屋は整っている——はずだった。しかし、目をやるといつの間にかクローゼットが開いている。


——あれ。閉めてあった はずなのに。


すると足元にひやりとした冷気が漂う。恐る恐る目を向けると、「きわちゃん」が立っていてペットボトルへと手を伸ばしていた。喉から出かけた悲鳴を何とか飲み込む。


「……はい、どうぞ。」


そう言って渡すと、きわちゃんは嬉しそうにごくごくと飲んでいる。その様は可愛い子どもそのものだが、昨日まで感じていた親愛のようなものは、扉をあけたその一瞬で霧散してしまっていた。


「ごめんねきわちゃん、私これから出なきゃいけないところがあるんだ。ちょっと留守番していてくれる? 」

「……ん。」


不承不承と言った風に頷いたきわちゃんを部屋に残し、涼子は鞄に財布と飲み物を入れて取るものも取り敢えず家を出る。

その後姿を見つめるかのように、窓には小さな手のひらの後が付いていた——。


                 〇


じゃり、という音がする。石畳の上を歩くなんていつぶりだったろうか。

涼子は近くの神社へ来ていた。「きわちゃん」という、あの存在は一体何なんだろうか。そういう相談をするならば神社かお寺だろう、そう考えてまずは神社に立ち寄ってみたのだった。きょろきょろと辺りを見渡し、「社務所」と掲げられている木目づくりの建物へ向かう。


「あのう、すみません……。」

「はい、どうされました? 」

「ちょっと相談したいことがあって来たんですけど、話を聞いてもらうことってできますか? 」

「ええもちろんですよ。それでは立ち話というのもあれなので、宜しければ座敷にお通ししますよ。どうぞ、右手奥の扉からお入りください。」

「え、あ、ありがとうございます……。」


この神社は必勝祈願、家内安全の神社で地元では有名な十科神社という神社だ。ここであれば、なんらかのアドバイスを貰えるだろう。そう期待して座敷で待っていると、なんだか人の声と足音が賑やかになってくる。人の気配がある事に安心し、ここにきてようやく気を緩めることができた。


そうしていると、すすす、と障子が開く。そこにはいかにも頑固そうないかつい印象の神職さんがいた。内心すくみ上っていると神職さんは破顔して、「そう緊張しなくていい。」と言ってくれる。


「私はここの神職の桐畑正蔵という。お前さん、やっかいなモンに目ぇ付けられているなぁ。」

「え、」


まだ何も言っていないのに。この人には一体何が見えているんだろう……。まさか。ぞっとして、思わず後ろを振り返る。


「はっは、憑いてくるようなものではないから安心せい。ただ、家に帰れば幼子がいるだろう。」

「は、はい。なんでわかるんですか? 」

「ん? まぁ——……イメージのようなものが見える、とだけ言っておこうか。」

「はぁ……。」


やはりあの「きわちゃん」なる自称座敷童は霊感か何かがあると察知できるものなのだろうか。桐畑という神職さんは言葉を続ける。


「しかし、今のところを見るとあまり良いものでもないな。向こうからの執着心がよほど強いと見える。」

「な、なんで。」

「さぁ? それは私にはわかりかねる。それに、その手の類の相談であれば神社というよりも寺の出番だろうて。」


ふむふむ、と顎に手を当てて一人納得している様子だ。神社と寺で、そんなにも違う領分のものなのだろうか。涼子には違いがさっぱりわからない。


「あの……神社さんとお寺さんで違うんですか? 」

「ああ、違うとも。神社は主に生きている人間が何かを祈りに来る場所だ。追い出す、除けるといった行為はあまり得意とせん。まあ厄除けくらいならできんこともないが……。それでは今回の解決にはならんだろう。」

「……神職さんは、この子がどういうものだと思いますか? 一年前からクローゼットの中に棲み着いていて、じっとこっちを見てくるんです。つい最近、水をあげるようになったら喋るようになって。」

「ほう? 水をやったと。ともなれば……うぅむ、専門外だから余計なことを言うものではないのだがなぁ。」


神職さんは確実に何かを掴んでいる様子だった。しかしなかなか言い出せないようで、悩む素振りを見せている。——しかし。しかし、それがどんな情報でも聞いておきたかった。涼子はそれでもいいから一応聞かせてほしいと伝えた。


「そうとまで言うのであれば、その可能性も無くはない程度に思っておいてほしいんだが……。その幼子は実際、自分で言うように亡くなっている子なのだろう。そしてそれが何らかの事由によってお前さんに引き寄せられ家に棲みついた。それが力をつけているとなると、上手くいけば守護霊、下手を踏めば怨霊ともなろうものだと私個人としては思う。」

「……! 」

「……まあ、やはり私の口から断定的なことは言えん。どうするべきか、という事もな。気休めに清めの塩を渡しておこう。そしてこれから一直線に、あそこの寺へ行きなさい。ええと、……そうそう、九搵寺だ。そこに笹村という住職がいるから、それにこのあと渡す文を渡しなさい。そうしたら何とかしてくれるだろう。」

「わかりました……。」

「それじゃあ、また来た時の道を通って、社務所の前に居りなさい。すぐに手配しよう。」


そういわれて涼子は再び社務所の前へ戻る。『上手くいけば守護霊、下手を踏めば怨霊ともなろう』という言葉が頭の中を反芻している。——どうしよう。どうするべきなんだろう。怖い。貰った清めの塩を握りしめて、恐怖感に耐える。


「お待たせいたしました。」

「ひっ! 」


突然話しかけられて思わずびくりと肩が跳ねる。慌てて口をふさぐも、出てしまった悲鳴は戻すことができない。気恥ずかしい気持ちに駆られながら、神職さんに向き直る。


「ああ、驚かせてしまって申し訳ありません。こちら宮司からの紹介状になります。」

「宮司……? 」

「ええ、先ほどお話されておりました桐畑がこの神社の宮司になります。」

「え、えぇっそうだったんですか⁉ ……私、偉い人と話してたんだ……。」

「宮司様は気軽にお声をかけてくれますからね。皆から慕われておりますよ。その宮司が、大丈夫だから、と伝えてくれと申しておりました。どうぞご安心なさって、九搵寺へ向かわれてください。」

「わ、わかりました……。」

「それでは、お気をつけて。」

「…………あ、あの! 」


「はい? 」

「宮司さんに、ありがとうございました、とお伝えください。」

「かしこまりました。確かに承りました。」


そうして無事紹介状を得、九搵寺へ向かう涼子だった。

いざ、九搵寺へ。どうか助けてください、と願いを込めて歩き出す——。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る