あなたの明日に
小高まあな
第1話
「おはよう」
彼がそう言って起きてくるから、
「おはようございます、よく眠れました?」
私は微笑んで答え、三メートルあるその背を見上げた。
「うん」
寝ぼけ眼で頷く彼は、ピンク色の髪に寝癖がついていた。
私の夫は、クヴァラー星人だ。
今から四百年ぐらい前に彼らは地球にやってきた。自分たちの星がなくなったので、住まわせて欲しいと。
身長が三メートルあり、髪の毛がピンクや赤なことを除けば、極めて地球人に近いこともあり、迫害されることにはならず、受け入れられた。とはいえ、地球で市民権を得るまでには三百年ぐらいかかった。今では、こうして地球人と結婚することも出来る。
「りっちゃん、なんか縮んだ?」
「八十近くにもなれば、縮みますよ」
「そっか」
「朝ごはん、どうぞ」
「ありがとう」
地球食に馴染めない人もいるようだが、彼は普通に食べている。味噌汁と米、それから鮭。極めて日本的な朝ごはん。
「昨日はパンだったから、今日は和食がよかったんだ。うれしい、ありがとう」
私も向かいに座り、朝ごはんを食べ始める。
「今日、カフェに行きませんか? 年内で閉店なので」
「そうなんだ。寂しくなるね」
じゃあそうしよう、と今日の予定を決める。
二人連れ立って駅前のカフェへ。
彼と歩くとやはり目立つ。クヴァラー星人は彼らだけで生活することが多いし、見かけることは少ないから。
「お、久しぶりー。そっか、今日か」
マスターが笑う。
「俺的には一週間ぶりなんですけどね。年内で閉めちゃうんですか?」
「もう歳だからね」
「もう今日が最後か」
「そう、だから後悔ないようにじゃんじゃん注文して」
マスターがおどけて笑った。
彼と出会ったのは私が高校生のとき。大学受験のあと、なんか失敗した気がして、まっすぐ帰る気になれなくて、寄り道したこのカフェ。甘いものでもと思ってパフェを頼んだのに、食べずにうつむいていたら、彼が声をかけてくれた。
「アイス溶けちゃうよ?」
クヴァラー星人を見るのは初めてでびっくりした。それから、こんな目立つ人がいるのに気づかないほど、落ち込んでる自分にも。
「急に声掛けてごめんね。こんなのが話しかけたら怖いよね」
「そいつ、悪いやつじゃないから」
今より格段に若いマスターが言う。いや、あの時はまだマスターじゃなかった。当時の店主はマスターのおじいさんで、マスターは昔から店を手伝ってた。だから、彼とも面識があった。
「ごめんなさい、びっくりして」
「初めて見た?」
「はい。でも、思ってたより普通ですね」
普通に私たちと変わらなくて、普通に優しい。それに彼が苦笑する。その顔は、好きだなと思った。
「高校生? 何年生?」
「三年です」
「じゃあ受験生?」
頷いたらまた涙が出てきた。
「今日の試験、失敗したなと思ってて、第一志望なのに」
泣き出した私に、彼が慌ててテーブルの紙ナプキンを渡してくれた。
「お腹に余裕ある? パフェよりいいものあるよ。ご馳走させて」
彼が言って、遠慮する私にいいからと言って、注文する。溶けかけたパフェは彼の胃袋に消えた。
「お待ちどうさん」
マスターが持ってきてくれたパンケーキは、生クリームとチョコソースがかかってて、上にチェリーがのっていた。
「いただきます」
これが本当にパフェよりいいの? そう思いながら一口食べて、驚いた。
「え、美味しい!」
ふわふわで、甘くて、美味しい。今まで中で一番。
「でしょ?」
向かいに座った彼がニコニコ笑う。
「美味しいものって元気になっていいよね。地球は美味しいものがたくさんあるから、好きだな」
屈託なく笑う、その顔が私は好きかもしれないと感じた。
パンケーキの代金を払うと言ったけど、彼は払わせてくれなかった。
「でも、お礼……」
「じゃあ、受験どうだったか教えて」
「はい! 合格発表が……」
合格発表の日を思い出そうとして気づく。
「その頃は……夜ですよね?」
「うん、ごめんね」
クヴァラー星人は、一日の概念が私たちと違う。地球人の感覚で二十四時間の昼のを過ごしたあと、長い夜を迎える。それは地球人の感覚で四年に当たる。
クヴァラー星は夜の時間が長い星だったという。環境に適合した結果なのだろう。その分、彼らは長生きだ。地球への受け入れが三百年かかっても、彼らにとっては人の噂が消えるぐらいの短い期間なのだ。
「じゃあ、ここに来ます! あなたの明日に」
「うん、来てくれたら嬉しいな」
四年後をいつか確認して、その日は別れた。
そして、四年後、このカフェで再会した。大学には無事合格していたこと、就職も決まったことを話すと彼は喜んでくれた。
「また会ってくれますか? あなたの明日に」
別れ際、意を決して尋ねる。
「本気で言ってる?」
「はい!」
「じゃあ、明日も来ようかな」
そうして私は、その後二回彼と会った。四年に一回しか会えないけど、会えないから、私は彼が好きだったし、その思いは強くなっていった。他の人と付き合ってみてもやっぱりなんか違かった。
でも、さらにその次の時。彼から見て五日目の時、私が三十三歳の時、失敗した。クヴァラー星人が目覚めるのが毎回決まった日付ではない。閏日などの計算を間違え、私がカフェに行ったのは彼の目覚めた翌日だった。
「どうしよう、約束破っちゃった……」
真っ青になる私に、その時すでに代替わりしていたマスターは、
「大丈夫だよ、あいつは怒ってないから。むしろ、君が何回も会ってくれること感謝してたし」
「え?」
「最初、合格報告しに来てくれた時ですら、来てくれたことに感激してたんだよ。四年後の約束なんて、よく覚えてるなって」
「そんな……」
私は彼が好きで、彼に会うのが楽しみで、ここに来ているのに。いつか消える縁だと思われていたなんて、悲しい。
今度はマスターに日にちを何度も確認し、万が一間違えてたらすぐ連絡してくれるよう、ケータイの番号も置いて帰った。
そして、四年後。三十七歳の時。彼から見たら出会って六日目に私はプロポーズした。
「もうあなたに会うのを逃したくないから」
彼は自分なんかが結婚するなんて悪いなんてゴネてたけど、
「私の事、嫌いですか?」
「好きだけど」
の会話で、届出をさせることに成功した。その日のうちに手続きして、彼はまた眠ってしまった。
うちの両親はカンカンだったけど、彼が次に目覚めた時には、説得が効いたというか、諦めてくれていて、普通に彼との暮らしを認めてくれた。
そうして、七十七歳になる今日まで、四十年彼と暮らしている。
彼から見れば、今日は結婚して十日目だ。
思い出のパンケーキを食べて、家に帰る。
彼はマスターと少し長く話していた。彼の明日に、この店はない。
「お世話になりました」
「こちらこそ。今日まで店を続けてきたのは、二人が居たからだからさ」
マスターは照れたようにちょっと視線をそらしながら、
「じいさんから店継いだけど、やる気なくてさ。いつ閉じてもいいと思ってた。でも、二人がここで待ち合わせするから、閉めたら悪いなと思って。仕方ないから次の四年まで、もう四年って気づいたら今日を迎えてた」
だからありがとう、とマスターが笑う。
「それはこっちのセリフです。今日まで、ありがとうございました」
彼が深く頭を下げる。私も一緒に頭を下げた。マスターが居てくれなかったら、私は彼と結婚してなかった。感謝しかない。
彼の昼時間は私たちの二十四時間に近い。だから、頑張って夜更かしをする。さすがにちょっと、この歳になっての夜更かしは身体に堪えるけど……。
温かい紅茶を飲みながら、話をする。それが私たちのいつもだ。
「りっちゃんは、明日も居てくれる?」
「努力はしますよ」
私から彼と離れるつもりはない。健康には気をつけてる。でも、さすがにこの歳になると、四年後も生きている保証は低くなる。
「そっか」
彼はちょっと何かを考えて、
「りっちゃん、結婚してくれてありがとう」
急に真面目な顔をされて、びっくりする。
「目が覚めてりっちゃんがご飯作ってくれてるのが嬉しかった。りっちゃんがいてくれて良かった。りっちゃんの貴重な時間をもらってしまって、一人で過ごさせてしまって申し訳ないんだけど、それよりもありがとうって言いたくて」
真っ直ぐな言葉に泣きそうになる。
「やめてよ、私は明日の朝もいるつもりなんだから」
「そうだよね、ごめん」
彼の手が私の頭を撫でる。
その後は、たわいもない話をして、二人並んで眠る。
翌日、私だけが目を覚ます。
クヴァラー星人の眠りは、冬眠に近い。そうして長生きしてるのだろう。
眠ってる彼の頭をそっと撫で、ベッドを抜け出す。
クヴァラー星人は地球にもたらした高度な技術の対価として、生活が保障されている。但しそれは、クヴァラー星人だけで暮らし、地球の管理下にある場合。
彼のように単独で生活している場合は話は別だ。保障は及ばない。
カフェに通うなど地球に馴染んでいたとはいえ、クヴァラー星人だけで暮らしていた彼を保障の外に出したのは私だ。だから、私は彼の生活を守る。そのためにたくさん働いて、あまりお金を使わないで、貯金してきた。私が死んでも、彼ができるだけ自由に暮らせるように。すぐに戻らなくても困らない程度に。私との時間を数日ゆっくりと思い返してもらえる程度には。
私が死んだら、定期的に家を見回って貰えるように警備会社と契約してある。不法侵入についての防犯対策もしている。眠っているクヴァラー星人だけがいると知れたら、襲われるかもしれないから。実際に、そういう事件が十年前にあった。
私は好きという気持ちだけで、彼を振り回している。快適な生活の外に連れ出した。一緒に暮らして、一人だけどんどん歳をとって、彼にとって数日の間に死ぬ。若い時は気づかなかったけど、酷いことしてるんだなと気づいた。
ごめんなさい。でも、ありがとう。あなたと暮らせて、私は幸せです。
私の願いはただ一つ。
あなたの安らかな眠りが妨げられず、無事に明日を迎えられますように。
あなたの明日に 小高まあな @kmaana
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