第5話 愛情

『アイラ、魔女には関わっちゃいけないよ?』

『どおして? まじょって、なに? わるいひとなの?』

『そうだよ。魔女はね、不思議な力を持っていて、関わった人全てを不幸にするんだ。最悪、理不尽に殺されてしまうかもしれない。だからアイラは——』


 魔女に関わっちゃ、いけないよ。そう教えてくれた父の声が頭に響く。

 母は私が生まれると同時に死んでしまって、父も私が七歳になるときに死んでしまって、両親の記憶はほとんどないけど、不思議とその言葉だけは鮮明に覚えていた。

 その魔女が、私だというのか。

 信じたくなくても、なにもない場所から炎を生み出してしまったという事実が、それを許さなかった。

 いつのまにか街の人たちは消えていて、広場にいるのは私と、ルシアと、テオだけになっていた。


「わかったでしょ? ほら、街の人たちも消えちゃった。アイラの居場所は、私のそばにしかないの。さ、いこ?」


 テオの顔が見られなかった。

 震える掌からは、炎がようやく消えようとしていた。

 テオはなにも言わない。私に近づきもしない。それが、ただ怖かった。


「アイラ」


 おいでと、ルシアが両手を広げる。

 もうどうしようもなくて、考えることをやめた私は、一歩、また一歩とルシアの元へ向かう。

 近くにつれて笑みを深めるルシアに思うことはもう、なにもなかった。

 記憶がなくて、たった一人だけ記憶がなくて、だれも心の底から信じられなかった。

 私の知らない私を知っているかも、もしかしたら昔の私が何かしているかも。記憶のない私をきみ悪がっているかも。たとえ街の人たちが私のことを受け入れてくれたように見えても、心の中でどう思ってるかまでは分からない。

 だから、私は一人で全てを疑って、心配して、誰も信じていなかった。

 そんな中テオに出会って、強さを、幸せを、安らぎを得たのに、それすら失って。今までより少し好きになれたこの街にもいられなくなって。

 もう、私は全てがどうでもよかった。

 なのに、あと少しでルシアに触れる、というところで、私の手を強く引く馬鹿な人がいる。

 ついさっきまで感じていた温もりに再び包まれて、堪えていた涙が溢れ出す。


「ど、して……!」


 微動だにしなかったはずのテオが、私を恐れたはずのテオが、いつもと変わらない笑顔を私に向けていて、それがどうしようもなくムカついて、ただただ嬉しかった。


「だってさ、子供。産んでくれるんでしょ? ごめんね、少しだけびっくりしちゃって動けなかった。情けないよね、奥さんは守らなきゃなのに」

「私が、魔女でも、そういうの……?」

「もちろん。魔女でも、人間でも、アイラはアイラ。僕の愛しい奥さん」

 

 その言葉を受けて、子供のように泣き出してしまった私をテオはひたすら撫でてくれた。

 そのままその優しさに溺れていたかったが、ルシアがまた暴れだすかも、と思いゆっくりテオから離れると、ルシアは、泣いていた。


「ねえ、どうして……?」


 さっきまで恐ろしかったのに、泣きながらそう呟く様子はまるで、子供のようだった。


「私は、何回も何回もアイラに出会った。そのたびに、死んでいくアイラを看取ってきた。必ずよ。でもその代わり、またアイラが笑いかけてくれる日が絶対来るから、私は耐えられた。待って、待って、待ち続けて、そうして出会って、それが当たり前だった。なのに、どうして、今回は、ダメなの……? 何のために私は、前回のあなたを看取ったの……?」


 まるで捨てられら子犬のような瞳を向けられて、私が答えられずに俯いていると、テオが、口を開いた。


「たとえ、記憶が継承されても、この人生は一度きりだから、じゃないかな。アイラの記憶が継承されないなら余計。僕は確かに過去の僕と同じ人物かもしれない。でも、この街でいろんな人と出会って、アイラと出会って、結婚した僕は、唯一だ。だから、過去なんて関係ない。今を懸命に生きるべきなんだ。過去と違うのは、当たり前なんだ」


 テオのその言葉は、私たちの約束だった。

 たくさんの人が忘れてしまった当たり前なはずの大切なこと。 

 とっさには出てこなかったが、それを忘れないでいようと約束したことははっきり覚えている。

 

「そう、だね。うん、だから、私はあなたと一緒にいけない。今の私を、大切にしたいから」


 そう自分の言葉で改めてルシアに伝えると、ルシアはさらに大粒の涙を溢す。


「アイラも、うん、いっつもそう言ってたよね。私には分からなかったけど、どの人生でもそう言ってた。そこは、かわってないんだ」


 ルシアは優しい瞳で私を見つめた。

 

「アイラ、大好きだよ。今回は、一緒にいられないみたいだけど、大好きだよ。守ってあげられないけど、大好きだよ。だから——」


 さよさならと、続くのだと思った。それでもう終わりなのだと。だって、ルシアの目は本当に優しかったから。

 でも、違った。

 彼女は、おしえてあげる、と呟いて、とんでもないことを大声で言い放った。


「アイラは、魔女。私の魔女。私と共に戦った魔女。私がかばう事で普通に生きていけるようになった魔女。神の領域に足を踏み入れ、神に罰せられた魔女」


 初代王という単語に反応して、広場に近い家の人たちが少しずつ出てくる。

 私とテオが呆然としているなか、ルシアは言葉を紡ぐのをやめない。


「死ねばその瞳を宝石に変え、その肌を絹に変え、その髪を艶やかな糸に変え、その身を魔力に、生命力に変える美しい魔女。さあ、初代王の名を持って許可をします。あなたたちにこの魔女の生命権をあげましょう」


 いつのまにか街の人全員が広場に集まっていた。

 その視線は全て、私の元に集中している。


「私が初代王であることは、覚えてなくとも魂に刻み付けられているでしょう? 疑いようもないはずです。さあ、その私が許しましょう。私の愛しい愛しい魔女の瞳をくりぬき己を飾ることを。肌を剥いて己の身に纏うことを。髪を抜いてレースを編むことを。肉を口にして、寿命を伸ばすことを! さあ、この可愛らしい魔女の瞳は、髪は、肌は、肉は有限ですよ?」


 あまりの衝撃にか微動だにしていなかった街の人たちのうち数人が、有限という言葉に反応して、ゆっくりと動き始める。躊躇いながらも瞳に欲を浮かべて、ゆらりゆらりと私に近づいてくる。


「や……いや……!」


 ルシアが話終わっても私を抱きしめてくれるテオの腕を強く掴んで、首を横に振る。

 テオは私を抱きしめたままじりじりと後ろに下がるが、後ろにも街の人はいる。今動いているのは数人でも、いつ誰が新たに動き始めるか分からない。

 ルシアは私たちを見て笑っているだけだ。

 どうしてルシアがこんな突拍子もないことを言い出したか分からないが、彼女が初代王であることは確かに間違い無いと、彼女がいうことは正しいのだと心が叫んでいる。

 それはきっとみんな一緒で。だからテオはこんなに焦っている。だからみんな私を恐れながらも欲している。

 つまり、もう私はここで狩られる以外に道はない。

 そう悟って、テオを無理やり引き剥がして、棒立ちになっている街の人を押しのけて街の奥へ走る。

 テオを巻き込むわけには、行かないから。

 テオが私の名前を呼ぶ声が、離せと怒鳴る声がする。

 逃げたぞと叫ぶ街の人の声が聞こえる。

 それら全てを無視して、私は走った。

 早く、早くと念じながら走ると、いつもより早く走れた。

 これも魔法の力か、と思いながらも、逃げられるとは思っていなかった。

 いくら魔法の力があったって、このことが街の外に伝われば、私を狙う人はもちろん増える。そうすれば逃げ場なんてなくなるし、魔法の使い方もよくわかっていないのだ。

 空を飛べれば救いがあるかも、と思って念じてみても、イメージがはっきり浮かばなくてうまく行かない。

 だから私は、私だけが死ぬようにただ走った。

 でも、それも終わり。私のイメージじゃせいぜいいつもよりほんの少し早く走るぐらいしかできなくて、すぐ若い男に捕まる。

 手首を捕らえられてそのまま組み敷かれてしまえば私にできることはないのだ。

 だって、人を殺すことなんて、恐ろしくてできない。

 お互い顔見知りで、穏やかに話すこともあったその青年は、息を乱しながらいやらしい笑みを浮かべて私の瞳に手を伸ばした。

 

「ばいばい、テオ」


 最後だとわかって自然とこぼれ出た言葉は、それだけだった。

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